八目鰻の屋台での飲み比べから数日後。
幻想郷では、奇妙な現象が起き始めていた。
「なんか……体が勝手に宴会会場に向かってしまうんですよ……!」
「私もです! 哨戒中だったのに……!」
「これ、絶対誰かの能力だよね……!?」
妖怪の山にて、射命丸文や犬走椛、河城にとりをはじめとした天狗や河童たちが騒ぎはじめる。
各々の手には酒瓶が握られていた。
そんな山の上から、静かに笑う影。
「……面白いねぇ。幻想郷中が“宴”の気分になってる」
萃香だった。
しかし彼女は、能力を使っている自覚がない。
ただ、将和に負けた悔しさと、もう一度勝負したいという強烈な感情
それだけが、彼女の“密”として幻想郷に広がっていた。
「な、なんだこれは……!?どうしてこんなに人が……!」
寺子屋帰りに慧音は、広場に集まる人々を見て驚く。
彼女達の住まうここ ――人里でも異変が起きていた。
人里に住む者達が突然の酒盛りをはじめたのである。
「妹紅、これはいったいどういうことなんだ……!」
酒瓶を持って歩いていた妹紅の姿を認めた慧音は彼女に尋ねる。
「いや、なんか……飲みたくなってさ。気づいたらみんな集まってたんだよ」
慧音は頭を抱える。
「これは……“萃められている”……?」
「やはり、こうなったか……」
この光景を目撃していたロンメルは、将和が萃香を飲み負かした日の夜を思い返した。
八目鰻の屋台にて──
萃香が将和の肩にもたれたまま眠り込んでから、しばらく時間が経った。
ミスティアは慣れた手つきで片付けをしながら、困ったように笑う。
「萃香さんが酔い潰れるなんて……ほんとに珍しいわね」
ロンメルは腕を組み、将和を見た。
「将和、キミ……本当に何者なんだい。鬼の酒を飲んで平然としている人間なんて、聞いたことがないぞ」
将和は肩をすくめる。
「いや、俺も驚いてるよ。前世でタチアナからウオッカを振る舞われて飲み干してたからか……なんか、飲めたんだよな」
ミスティアは呆れたように笑う。
「“なんか”で片付けないでよ……」
──その時。
萃香が、ふいに目を開けた。
「……ん……」
将和が声をかける。
「大丈夫か?」
萃香はゆっくりと身体を起こし、将和の顔をじっと見つめた。
その瞳は、酔いの霞の奥で、“鬼の本能”が静かに燃えていた。
「……将和」
「ん?」
萃香は、にやりと笑った。
「次は……負けないよ」
その声は、先ほどの酔いとは違う。
鬼としての矜持が、はっきりと滲んでいた。
ロンメルが小さく息を呑む。
「……これは、まずいな」
ミスティアも気づいた。
「空気が……さっきより濃くなってる?」
そう。
萃香の周囲の空気が、わずかに“密”になっていた。
将和は気づかずに杯を置く。
「飲み比べのリベンジか? いいぜ、いつでも付き合うよ」
萃香は首を横に振った。
「違うよ。飲み比べじゃない」
将和は眉をひそめる。
「じゃあ……?」
萃香は立ち上がり、瓢箪を肩に担ぐ。
「“鬼”としての勝負だよ。あんたの“実力”がどれだけ強いか……今度は、ちゃんと確かめたい」
その瞬間、屋台の周囲の空気が揺れた。
ミスティアが驚いて声を上げる。
「ちょ、ちょっと萃香さん!? なんか人が集まってきてるんだけど!?」
見ると、屋台の周りに、いつの間にか妖怪や人間が集まり始めていた。
ロンメルは低く呟く。
「……“密と疎を操る能力”が発動しているな。無意識に、か」
萃香は気づいていない。
ただ、将和を見つめている。
「将和。あんたと戦ったら……きっと楽しい。鬼として、そう思ったんだ」
将和は静かに立ち上がる。
「……そうか。なら、俺も逃げないよ」
萃香は満足げに笑う。
「いいねぇ。じゃあ――近いうちに“勝負”しよう」
その言葉と同時に、周囲に集まっていた人々が、ふっと散っていった。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
ミスティアは震える声で言う。
「……これ、絶対異変の前兆よね……?」
ロンメルはため息をつく。
「将和……キミはまた面倒な相手に気に入られたようだな」
将和は頭を掻きながら苦笑した。
「……俺、何かしたか?」
屋台をあとにしようとしていた萃香は振り返り、月を背にして、楽しげに笑った。
「したさ。“鬼を本気にさせた”ってことをね」
こうして、宴会異変の火種は静かに灯ったのであった。
鬼の興味。
鬼の矜持。
そして、鬼の敗北。
その全てが、幻想郷を巻き込む“宴”の始まりとなっていったのであった。
博麗神社にて――
異変の余波はここでも波及していた。
季節はもう花見でもないのに、境内にはレジャーシートが敷かれ、酒瓶が並び、異変を通して関わりを持った面々が思い思いに杯を傾けていた。
霊夢は清酒を飲みながら、深いため息をつく。
「……なんで異変を解決したでもないのに宴会なのよ。花見の季節は終わってるわよ?」
魔理沙は酒瓶を片手に、にかっと笑う。
「いやー、なんか気づいたら集まっちまったんだぜ。気がついたら“飲みたい気分”になってたんだよな」
アリスも困惑していた。
「私もよ。家で人形の手入れをしていたはずなのに……気づいたらここにいたの」
妖夢は大皿を抱えながら首を傾げる。
「幽々子様も“なんとなく来たくなった”って……」
幽々子はすでにほろ酔いで、桜餅を頬張っていた。
「宴会は良いものよ~。季節なんて関係ないわ~」
霊夢は眉をひそめる。
「……誰かが“人を集めてる”?」
その時だった。
「お待たせ、おでん持って来たぞ」
将和が大きな鍋を抱えて現れた。
魔理沙はぱぁっと顔を輝かせる。
「おおー! おでんじゃねえか! 温ったかいもの食べたかったんだぜ!」
「夜は冷えるからな」
将和は苦笑しながら、皆におでんをよそっていく。
フランは嬉しそうに頬を緩めた。
「お兄様、これ美味しい! 体がすごく温まるわ!」
レミリアは興味深そうに鍋を覗き込む。
「これは将和が作ったのかしら?」
「まあな。宴会がはじまるだろうと思って、仕込んどいたんだ」
霊夢が思い出したように笑う。
「昨日の夜から煮込んで寝かせてたわよね」
咲夜が一口食べて、目を細める。
「このおでん……隠し味に何を入れてますか?」
さすが紅魔館のメイド長、味の変化に敏感だ。
将和は頷く。
「ポカポカ草の実ってアイテムを使っててな。生だとピリピリするけど、煮込むと体が温まるんだ」
将和はゼルダの伝説シリーズのアイテムや持ち物なら大半は魔法収容袋から出せたので、持ち物から料理に使える材料を加えて、アレンジさせていたのである。
咲夜は納得したように微笑む。
「なるほど……初めての風味です」
美鈴も湯気の立つ大根を頬張りながら言う。
「それって中華料理にも使えそうですね、将和さん」
よく見ると、美鈴は顔が赤く、かなり飲んでいたようである。
将和は笑う。
「そうだな。ただ中華鍋がないから、家じゃ作れないんだよな」
将和が霊夢を見ると、霊夢は肩をすくめた。
「うちにはそんなの無いわよ」
すると美鈴が手を挙げた。
「でしたら、今度私が作りましょうか? 鍋は持ってますので、釜戸さえ貸して頂けたら作れますよ」
将和は驚いた。
「えっ……美鈴が家に作りに来てくれるのか?」
美鈴は一瞬だけ戸惑い、頬を赤らめる。
「は、はい……あっ、その……迷惑でしたか?」
「いや、有り難いよ。霊夢とレミリア達の都合さえ良かったら、いつでも歓迎だぞ」
将和が視線を向けると、霊夢とレミリアは同時に頷いた。
「構わないわよ」
「紅魔館としても問題ないわ」
アリスとパチュリーが小声で囁く。
「こういうのを通い妻って言うのかしら」
「美鈴にも春が来たのね……」
美鈴は真っ赤になって俯いた。
「ねね、三好兄ちゃん!」
チルノが勢いよく将和に飛びつくように声をかけた。
「どうした、チルノ」
「ロンメル先生から聞いたんだけど、兄ちゃんも先生と同じ世界の軍人だったんだろ!」
「そうだぞ」
将和は特に隠すつもりもなく答えた。
すると、周囲の面々が一斉に驚く。
「えっ、そうなの!?」
「将和さんが……軍人?」
「へぇ、意外ね」
「兄ちゃん、すごいじゃん!」
チルノはさらに身を乗り出す。
「じゃあさ、じゃあさ、兄ちゃんも英雄だったのか!」
「ちょっと、チルノちゃん!」
大妖精が慌てて止める。
戦争の話は、軽々しく触れていいものではないからだ。
しかし将和は、静かに首を振った。
「別に俺は自分が英雄だとは思っていないよ。特別なことはしたつもりもない。ただ――目に見える範囲で、精一杯やっただけさ」
将和は月を見上げ、ゆっくりと語り始めた。
「元々俺は、ただの一般人だった。21世紀の日本で、普通に暮らしてた青年だった。ある日、何の因果か……気がついたら100年前の時代にタイムスリップしていた。そこから先は、もう必死だったよ。半世紀後に自分の国が大きな戦に負けて荒廃する未来を知っていたから、その歴史を変えるために軍人としてのキャリアを積んだ。それで協力してくれた仲間たちと共に、破滅するはずだった国の歴史を変えることに成功した。そして――平和になった国の行方を、元いた時代まで見届けて逝き……気がついたら、今ここにいるってわけさ」
静寂が落ちた。
皆が、真剣な眼差しで将和を見ていた。
将和の正体――それは“時を越えた軍人”であったのである。
将和は苦笑しながら続ける。
「ま、そんなところだよ。俺は“未来を知っていた”というカンニング行為で準備を整えて戦に挑んだから生き残れただけだ。英雄というなら、ロンメルこそ本物の英雄だろ。アイツは限られた情報と戦力で、物量差のある敵に圧勝したんだからな」
しかし――真っ先に否定したのは、美鈴と霊夢だった。
「いや、それって十分すごいことだと思いますよ!?」
「将和……あなたって……本当に“時の勇者”だったのね」
霊夢の言葉に、皆が頷く。
「兄ちゃんは英雄というより勇者だったんだな」
「そうね。凡人は何より自分の保身を優先するものよ」
「国のために軍人となって人生をかけるなんて、普通はできないわ」
「紫が貴方を博霊の禰宜に選んだ理由、分かる気がするわね」
将和は視線を逸らし、照れくさそうに笑う。
「……あんまり持ち上げないでくれ」
霊夢はニヤリと笑った。
「あら、勇者であることは否定しないのね」
将和は肩をすくめる。
「リンクに認められたからな。それに、英雄は他者の評価が必要だが……勇者になるのに資格はいらない。俺からしたら――霊夢も、美鈴も、十分“勇者”だと思うぞ」
霊夢と美鈴は一瞬だけ目を見合わせ、頬を赤らめた。
その時、魔理沙が手を叩いた。
「なら、将和の二つ名は“博霊の勇者”でどうだぜ!」
「いいわね、それ」
「将和さんにぴったりです!」
「響きが良いわ」
「博霊の勇者・将和……悪くないわね」
皆が口々に賛同する。
将和は苦笑しながらも、どこか嬉しそうだった。
「……好きに呼んでくれ」
その瞬間――宴会の空気が、ひとつの“物語”を生んだ。
それは、この夜の笑い声と、仲間たちの温かい言葉から生まれた――小さな伝説の始まりだった。
この夜に生まれた言葉は、後に幻想郷中に広まり、将和を中心とした仲間たちのチーム名として定着する。
その名は『博霊の勇者』。
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