妖怪の山での激闘から一夜明け、妖怪の山に静寂が戻った日の朝。
茨木華扇は、自らの屋敷の縁側に座り、朝日を見上げていた。
左の手で右腕の包帯を抑えると、微かに脈打っていた。
(……まだ、疼いている)
戦いの余韻が、まだ身体の奥に残っていた。
萃香の最終スペル。
将和の鬼神覚醒。
あの瞬間に満ちていた“圧”は、華扇の中に眠る鬼の血を強く刺激した。
(……あれほどの力を……人間が、あそこまで……?)
胸の奥がざわつく。
理性では抑えきれない衝動が、静かに、しかし確かに湧き上がってくる。
華扇は深く息を吸い、自分の胸元を押さえた。
(……戦いたい。あの力を、この身で受けてみたい……)
仙人としての理性が、その衝動を否定する。
(だめ。私は仙人。争いを好むべきではない……)
だが――
鬼としての本能は、まるで別の生き物のように囁く。
あれほどの強者を前にして――どうして黙っていられる?
華扇は目を閉じ、自分の心の奥底を見つめた。
(……私は、怖いのだろうか? あの男に惹かれてしまうことが)
将和の姿が脳裏に浮かぶ。
鬼神の仮面を纏い、萃香と互角以上に渡り合った姿。
そして――
戦いのあと、萃香に向けた優しい眼差し。
(……あの人は、強いだけじゃない。心も、強い)
胸が熱くなる。
華扇は自分の頬に触れ、その熱を確かめた。
(……私は、どうしたいのだろう)
答えは出ない。
ただ――
ひとつだけ、確かなことがあった。
(……あの人に、会ってみたい)
鬼としての本能が、仙人としての理性を揺さぶる。
華扇は立ち上がり、夜風に髪を揺らしながら呟いた。
「……萃香。あなたが惚れ込む理由……少し、分かった気がします」
そして、包帯に包まれた右腕を押さえながら、静かに決意する。
(いつか――必ず、あの人と向き合う)
戦いとしてか。
対話としてか。
それとも――
もっと別の形としてか。
それはまだ分からない。
だが、華扇の胸に芽生えた“興味”は、もう消えることはなかった。
「……これでよし。終わったわよ」
博麗神社の縁側では、将和は上半身を晒し、霊夢に包帯を巻き替えてもらっていた。
巻き終わりに、将和は霊夢からバシン!と背中を叩かれる。
「……痛い。もっと優しくしてくれ」
「鬼と殴り合ってこの程度で済んだんだから文句言わないの。あんたが“近接戦でいいよ”なんて言うからよ」
将和は苦笑しながら青いエビシャツを着る。
「ありがとう、霊夢」
「……別にいいわよ」
(……徹夜で看病してくれたんだな)
将和は胸が温かくなる。
霊夢の目の下には、薄い隈ができていた。
昨日、萃香との戦いを制し神社へと帰ってきた将和だったが、服を脱ぐと全身が打撲だらけだった。
そんな将和に対し霊夢は文句を言いながらも、一晩中看病してくれていたのである。
ふと将和はケガの治療法が現実世界と類似しているのに違和感を覚えた。
「なあ霊夢。こういったケガとかを即治す回復魔法とかあったりしないのか? 魔法で回復技は王道だろ」
「ないわよ。第一そんなのあったらお医者さん要らないじゃない」
「まあ……そうか」
霊夢は呆れたように言う。
意外に思うかもしれないが、幻想郷には“治癒魔法”というような魔法体系が存在しないのである。
これはこの世界における魔法が“生活を便利にする魔法”ではなく“戦闘・儀式・象徴”に特化しているからである。
そのため、幻想郷には“医療”という専門分野が独立して存在するのである。
「……なんでこの世界、そういうところシビアなんだよ」
「あんた、魔法を万能技か何かと勘違いしてない?」
「RPGでは当たり前なんだけどな。こう、ケアルガ!とか唱えたら、即体が元どおりに治ったりとか……」
そう言った瞬間――
将和の身体が淡い光に包まれた。
「……えっ」
霊夢も目を見開く。
将和は違和感を覚えると自分の体を確認し、息を呑んだ。
「……治ってる……?」
霊夢も近づき、将和の体に触れて確認する。
「……ほんとに治ってるわね」
「…………」
傷が完全に癒えて治ったことに二人は呆然とした。
将和は試しに空へ手をかざすと攻撃魔法を唱える。
「……サンダガ」
瞬間、稲妻が空を裂いた。
「うっぎゃあああああああああああああああああああ!!?」
ちょうど上空を飛んでいた射命丸文に直撃し、彼女は黒焦げになって地面へ落下した。
「……ねえ将和。あんた、自分が考えたことを魔法に変える程度の能力とか持ってたりしない?」
「そんなはずは……はっ! す、すまん。大丈夫か!?」
文はプスプスと煙を上げながら倒れていた。
将和は慌てて文に手をかざす。
「ケアルガ!」
光が文を包み、彼女の身体は元通りになった。
文は目をぱちぱちさせながら起き上がる。
「いたたた……なんで晴れてるのに雷が落ちるんですか!? 三途の川で小町に会いましたよ!」
「ほんとにごめん……」
文は怒りながらも、将和の“新たな力”に興味津々だった。
「将和さん、あなた……どれだけ力を隠してるんですか!? これ、新聞に書いたら大スクープですよ!」
「出来れば秘密にしてくれると助かる。俺自身、よく分かっていないんだ。それに記事のネタにするなら、ここぞという時に書いた方が売れるんじゃないか」
文は目を輝かせた。
「なるほど。確かに萃香さんとの死闘の記事を書いた後では盛り上がりに欠けますね。“まだ見ぬ力を秘めた博霊の勇者”……ふふ、いいですね。今日はこのくらいにしておきます!」
そう言い残すと、文は新聞を渡して飛び去った。
将和は新聞を開くと、一面には昨日の自分と萃香の戦いが大きく載っていた。
「よく撮れてるな。まあ、内容は少々大げさだけど……」
「…………」
「霊夢?」
返事がない彼女へと振り返ると、俯いており表情が見えなかった。
「ねえ、将和……あなたって凄いわよね」
「えっ?」
「上位の妖怪とも渡り合える。家事もできる。傷も自分で治せる。ってなったら――私、要らないじゃない」
「霊夢……?」
将和は息を呑む。
霊夢の声は震えており、今にも泣きそうな表情であった。
「美鈴みたいに料理が上手いわけじゃない。萃香みたいに戦えるわけじゃない。紫みたいな大人の魅力もない。……あなたには美鈴の方がお似合いよね」
「お、おい……」
霊夢が何やら自暴自棄になってるように見えて、将和は焦る。
霊夢は徹夜の疲れと、“大切な人が遠くへ行ってしまうかもしれない恐怖”で情緒が崩れていた。
「あなたの魔法を見た瞬間……ああ、もう私は隣に立てないんだって……そう思っちゃったのよ」
「そんなことは」
「そもそもあなた、私を“女として”見てないじゃない」
「……ッ!?」
霊夢の発言に将和は言葉に詰まる。
「子どもみたいに扱ってるの、分かってるのよ。前世で親をやってたんだから、仕方ないのかもしれないけど。でも……美鈴や紫に向ける目を見ちゃうと……ああ、私は違うんだって……嫌でも分かっちゃうのよね」
「…………」
「だからさ、将和。あんた、此処を離れなさい。あんたなら、私が居なくとも」
「霊夢……!」
将和は霊夢を抱き締めた。
霊夢は驚き、そして震えた声で言う。
「……将和……?」
「霊夢。俺にはお前が必要だ。確かに“家族として”見ていた。今の関係を壊したくなかったから。だが――そこまで俺を想ってくれる女を前にして、俺も男として向き合いたいと思う」
霊夢は涙を拭い、小さく笑った。
「……私でいいの?」
「霊夢が嫌じゃなければ」
「……うん」
将和は霊夢の頬に手を添え、そっと唇を重ねた。
「んっ……」
霊夢は目を閉じ、静かに受け入れた。
二人の距離が、確かに縮まった――その瞬間。
「よっ、将和。……悪い、邪魔したな」
萃香が現れた。
「~~~~っ!!」
霊夢は真っ赤になって飛び退くと、将和は苦笑した。
「あと数秒早かったら、タイミング悪かったな」
将和の発言に赤面する霊夢。
「ま、新聞屋じゃなくて良かったろ」
「ふぁ…くしゅん!!――はっ!? 何やら決定的瞬間を見逃したような気が!!?」
「萃香。昨日の傷は大丈夫なのか?」
萃香は瓢箪を振りながら笑った。
「鬼があれくらいでへこたれるわけないだろ? むしろ……気分は最高だよ」
将和は意外そうに眉を上げた。
「負けたのにか?」
萃香はにやりと笑う。
「負けたから、だよ。鬼はね――強者に敗れることを誇りに思う生き物なんだ」
将和は静かに頷いた。
「……そうか。とはいえ、俺はあくまで道具を使ったから勝てただけだぞ。鬼神の仮面がなかったら負けてた。純粋な力は萃香の方が上だ」
萃香は将和の横顔を見つめ、ぽつりと呟いた。
「いや、アレは間違いなく“お前の実力”だよ。強大な力っていうのは、凡人には扱いこなせない代物さ。それを……鬼の力を使いこなしていたお前の実力は本物だよ」
萃香の発言は的を得ていた。
『鬼神の仮面』は“暗黒の力を持つ危険な仮面”であり、凡人がふつうに仮面をつけた場合、制御できず、自我を失ってしまう、動けなくなってしまう、暴走して仮面に操られる等の“大きなリスクのある仮面”である。
基となった世界で時の勇者であったリンクがこれを扱いこなしムジュラを倒せたのは、7年の時を経て数々の修羅場を潜り抜けてガノンドロフを倒した経験があったからである。
そのリスクある仮面を将和が無視して使用できたのは、彼も一度人としての生を軍人として過ごし、熾烈な戦場を渡り歩いてきたことで心身共に強くなっていたからこそであった。
萃香の発言に将和は照れくさそうに頭を掻いた。
「褒めすぎだろ」
萃香は将和の肘に自分の肘を絡める。
「鬼は嘘つかないよ。強いものは好き。それだけさ」
霊夢が腕組みすると、憮然とした表情で二人を見る。
「……あんたたち、なんか良い雰囲気ね」
将和と萃香は顔を見合わせ、同時に笑った。
「いや、そういうんじゃない。たぶん“戦友”って言う関係が当て嵌まると思う」
「なあ将和。今日も一杯付き合ってくれないか!」
「一杯で終わらないだろ、お前。また勝負するのか?」
将和は呆れたように言うと、萃香は笑う。
「もちろんさ。鬼は一度惚れた相手とは、何度でも戦いたくなるんだよ」
「悪いな。俺は――」
そう言うと将和は霊夢の肩に手を添え、自分の方へと優しく引き寄せた。
「霊夢一筋なんだ」
「……ばか///」
萃香は肩をすくめる。
「いやぁ、こりゃ酒よりコーヒーが飲みたくなってきたな。邪魔そうだから帰るわ」
踵を返す萃香へと将和は礼を言う。
「萃香、昨日はありがとうな」
「こっちこそ。いい戦いだったよ、将和」
二人は笑い合う。
霊夢はその様子を見て、胸の奥が温かくなる。
(……この人となら、きっと大丈夫)
こうして――
萃香との激闘のあと、将和と霊夢の距離は“確かな一歩”を踏み出し、
萃香を通して“鬼の四天王”星熊勇儀へ、
さらに山の賢者・茨木華扇へと噂が広まることで
将和の名は幻想郷中に響き渡っていくこととなった。
それは――
新たな異変と新たな出会いを呼び寄せることに繋がるのである。
──その夜
迷いの竹林は、風ひとつなく静まり返っていた。
その奥深くに佇む永遠亭の一室では、異様な緊張が張り詰めていた。
八意永琳、蓬莱山輝夜、鈴仙・優曇華院・イナバ、因幡てゐ。
永遠亭の主力が全員揃っている。
まるで――
大日本帝国が対米戦争前に開いた御前会議のような空気だった。
輝夜は静かに永琳へ視線を向ける。
その表情は、普段の柔らかさとは違う。
主としての威厳と、わずかな不安が混じっていた。
「……永琳」
「はい、姫様」
「鈴仙たちが報告してくれた“博霊の禰宜”――三好将和。鬼の四天王との戦い振りを見て、どうだった?」
永琳は一拍置き、静かに答えた。
「……正直に申し上げますと――私の予想以上でした。見通しが甘かったこと、面目ありません」
輝夜は息を呑む。
永琳が“過小評価していた”と認めるなど、滅多にない。
永琳は続ける。
「鬼の四天王・伊吹萃香を倒した。それだけなら、まだ理解できます。ですが――」
永琳の瞳が鋭く光る。
「“鬼神の力”を扱った。しかも暴走せず、完全に制御しておりました」
「それは、本当?“ただの人間”が鬼や神の力を扱えるものなのかしら」
輝夜の発言に永琳は静かに首を振る。
「いいえ。あれは“人間の枠”を超えています。月の戦士や妖怪でも、あそこまでの力を扱える者は限られているでしょう」
輝夜は鈴仙へ視線を向ける。
「鈴仙。あなたはあの戦いを見て、どう感じたかしら?」
鈴仙は唇を噛み、震える声で答えた。
「……勝てません。ソイツだけを相手とするならまだやりようはあるかもしれませんが、他の者達も相手取るとなると、私たち“だけ”では……」
鈴仙の発言に永琳は頷いた。
「そう。あなたの判断は正しい」
永琳は立ち上がり、窓の外の竹林を見つめた。
「幻想郷という閉鎖空間で異変を起こす以上、“力の誇示”は必要不可欠。勝敗に関わらず、異変後も共存するためにはね」
「私たち、他の勢力と比べて交流がないしね」
「ウサウサ。孤立無援。情報源は兎たち頼りウサよ」
輝夜の発言にてゐが頷きながら話す。
コミュニティの無形成――これが永遠亭組の現状だった。
彼女たちが将和のことを未だに『博霊の禰宜』と言っている事実からも読み取れるであろう。
既に幻想郷中の人妖たちにとって将和の通り名は『博霊の勇者』で通っているにも関わらず、永遠亭組の情報更新は遅れていた。
これが異変を起こす状況すらも白玉楼や紅魔館組とも状況が異なる事態に繋がっていた。
白玉楼や紅魔館組が八雲紫と事前に異変を起こすことを打ち合わせしていたのに対し、永遠亭組は“アポなし”で異変を起こそうとしていたので“どう転ぶか”は本人達すら未知の領域だったのである。
永琳は静かに続ける。
「結果がどうであれ――“呆気なく負ける”ことだけは許されません。それは幻想郷における永遠亭の立場を危うくする」
「永琳……」
永琳の声は冷たく、しかしどこか焦りが滲んでいるように輝夜には見えた。
「紅魔館も、白玉楼も、妖怪の山をはじめとした各地に潜む者達、 そして人間たちも―― 三好将和に注目している。 強者は強者を呼ぶ。 このままでは、永遠亭だけが取り残される」
永琳は目を閉じた。
その姿はまるで、東條英機を彷彿とさせており、これからある一つの大きな決断を下そうとしているような素振りであった。
「“安息の地”を得るためにも、私たちは――」
「でも、どうするウサ? あいつ、もう幻想郷の“勇者”みたいな扱いだよ?」
てゐが不安げに言うと、永琳は目を開けて秘策を言った。
「だからこそ――“月の剣”を呼ぶ」
「「「――ッ!?」」」
部屋の空気が凍りついた。
鈴仙は目を見開くと、立ち上がり永琳に問い掛ける。
「まさか……依姫様をッ!? でも、それって――」
綿月依姫――
月の都の最高戦力。
その姉の綿月豊姫を含め、
純粋な戦闘力だけなら、 幻想郷の誰よりも強い。
その依姫を、 永琳が呼ぶというのだ。
「……依姫様を呼ぶということは…… 月の都との接触を意味します! お師匠様……本当に……?」
てゐと輝夜も不安の表情を浮かべる。
「会ったことないけど、ソイツって『月の使者』のリーダーやってる奴だと聞いたウサよ。縁故で気前よく手伝ってくれるウサか?」
「永琳……確かに彼女なら戦力として申し分ないかもしれないけど、“諸刃の剣”じゃないかしら?」
永琳は静かに頷いた。
「本来なら、あり得ないこと。私たちは月の都から逃げてきた身。依姫を呼ぶということは――“月の都に見つかる”危険すらある」
「「「……っ」」」
「だけど、それでも必要なの。三好将和という存在は、それほどまでに“異物”なの」
輝夜たちは息を呑むが、永琳は続ける。
「それにこれは、戦争ではない。戦力の均衡を測るための一騎打ち。幻想郷と月の都、地上の民と月の民が互いの意志を剣で交差させることで“対話”に繋がるというなら――それが異変の“本質”になるでしょう」
輝夜は静かに目を閉じた。
「……永琳。あなたがそこまで言うのなら、私は止めないわ。後は流れに身を任せましょう」
永琳は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、姫様」
こうして――
永遠亭組は“禁じ手”を選んだ。
後に幻想郷と月の都を繋ぐ“架け橋”となる永夜異変が、静かに幕を開けようとしていたのである。
御意見や御感想等お待ちしていますm(_ _)m