ウマ娘プリティーダービー 《Red Resurrection》   作:矢面

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01.大胆不敵な編入生

日本ウマ娘トレーニングセンター学園──通称、トレセン学園。

 獣のごとき耳と尾を持ち、常人の限界を超える脚力を宿した少女たちだけが、その門を叩くことを許される。

 全国に散らばる学園群の中でも、頂点に君臨するのが「中央」とよばれる学舎の存在。選ばれし者のみが辿り着ける、最も高く険しい場所。

 

「編入の多忙な時期に、急に呼び出す形になってしまいすまないな」

 

 時刻は午後二時。学園は春休みの静けさに沈み、廊下を渡る風の音さえ遠く、古時計の秒針が規則正しく響く。

 その静謐を断つ声の主──焦げ茶色の鹿毛の長髪に、三日月を切り取ったような白のメッシュ。指先でそれを払い、部屋の主たる少女は、来客用ソファに腰掛けるもうひとりの少女を見据えた。

 

「気にしていません」

 

 短く、しかし鋭く返したのは、赤毛の少女。ゆるく波打つ髪の間から覗く瞳は、磨き抜かれた大理石のように冷たく澄み、向けられた視線を真正面から受け止める。

 

「一度、お会いしたいと思っていましたから」

 

 年齢に似合わぬ落ち着き。臆する色もなければ、媚びもない。芯が通り過ぎたその姿は、既に風格すらあった。

 

「それは良かった。高等部への編入手続きは煩雑でね、担当教員の方々も慌ただしい日々を送っている。それでも──君のような逸材を迎えられるのは学園としても喜ばしいことだ」

 

 手元の資料には、赤毛の少女の中央トレセン、高等部一年への入学許可と共に、編入試験での成績が詳細に記されていた。

 筆記試験を始め、模擬走のタイム、持久力測定、瞬発筋力試験、戦略理解力──そのすべてにおいて、編入試験ではトップの数値だった。

 

「おっと、先走り過ぎたな。まずは自己紹介からだろう」

「──"皇帝"と呼ばれる貴女に、必要ですか? シンボリルドルフ先輩」

 

 赤毛の少女はその鋭い瞳を向ける。畏れも媚びもないその視線は、凡そ初対面の者に向けるにはあまりにも挑発的で剣呑なるもの。敵意に似た硬質な光さえ宿っていた。まるでレース前に放たれる、研ぎ澄まされた挑戦の視線。

 

「なるほど。憧憬ではなく、闘志を胸に来たというわけか」

 

 シンボリルドルフは静かに笑った。月影を思わせる白のメッシュが揺れ、その表情は柔らかくも、眼光は鋭さを増していた。

 

「質問に答えよう。無論、必要だとも」

 

 しかしルドルフの声は落ち着ききっていた。だがその奥には鋼の芯を思わせる意思が潜み、言葉を噛み締めるたびに、空気を重くする。

 

「名も知らぬ者同士が肩を並べ、同じ道を目指すのならば、まずは己を明かさなければならない。レースも、人生も、その根は同じだ。有り体に言えば、礼儀だ」

 

 赤毛の少女は僅かに眉を動かし、その目の奥で光が揺れた。挑発が効かない相手に対して、次の一手を探る棋士のように沈黙する。

 窓の外では春の陽が傾き始め、射し込む光が二人の輪郭を鋭く切り取る。鹿毛の少女のメッシュが、その光を受けて淡く輝く。

 

「さて──私はシンボリルドルフ。中央トレセン学園生徒会長を務めている。そして──そうだとも、皆からは"皇帝"と呼ばれている」

 

 彼女は胸に手を当て、視線を逸らさず名乗った。自己紹介というには簡潔すぎるが、その名は、この世界に生きるものであれば、説明以上の意味を持つ。

 

「さて、次は君の番だ。名を教えてくれないか?」

 

 既に知ったことだろうに、不服といった様子を隠すつもりもなく、赤毛の少女は告げた。

 

「……レッドガーベラ」

 

 皇帝──シンボリルドルフは、ゆるやかに椅子の背もたれへ凭れた。メッシュが陽光を拾い、額の動きに合わせて輝く。

 

「よい名だ。咲く時を選ばぬ、強き花。まさしく君の生き様を映す名だろう」

 

 ルドルフの言葉に、レッドガーベラの目が僅かに細められる。まるで己の忌み嫌うものに触るように、その視線は虚ろだった。

 

「……花の名に込められた意味など、走りの前では些末なことでしょう。それに、私の経歴を知っているなら、それは皮肉としか思えませんが」

 

 レッドガーベラは冷ややかに返す。その声音に棘はあったが、同時に己の名を誇る響きも隠しきれてはいなかった。

 

「皮肉と受け取るか。ならば謝罪しよう。だが私は真実を言ったに過ぎない。その花弁が、いかなる風に晒され、また立ち上がったのか」

 

 ルドルフはただ真っ直ぐにレッドガーベラを見つめる。刀の刃先に指を添えてみせるような、静かなる緊張を孕んだものだが、同時にある種の敬意と興味も込められていた。

 

「……詮索は不要です。私はただ、夢のためにここにいるだけ。過去のことは関係ない」

「夢、か。ここに辿り着いたその覚悟は、並ではないようだ」

 

 ルドルフは指先で顎を支え、視線を外さない。

 春休みの陽光に浮かぶ塵が、ふたりの間を緩やかに舞い落ちる。赤毛の少女の眼差しは、嵐の前触れのように硬質で、触れればたちまち火花を散らしそうな気配を纏う。

 

「君がどのような道を歩んできたかは、いずれ学園の者なら誰もが耳にするだろう。だが私は、ここでひとつだけ確認しておきたい。君を呼んだ理由でもある」

 

 ルドルフは深く椅子に腰を沈め、威圧ではなく純粋な問いを放つ。

 

「君がここに立つ根源。夢など、ここにいる者は誰もが持つ。肝心なことは、己が夢をどう言葉にするか──その覚悟を私は知りたい」

「……まるで取り調べですね」

「性分でね。答えにくければ流して構わない」

 

 レッドガーベラは、しばし沈黙した。唇を閉じ、視線をわずかに落とし、白い指が膝の上をなぞる。その仕草は一瞬だけ、鋭利な刃にひびが走るような脆さを滲ませる。

 だが、次の瞬間には燃え上がる紅蓮の炎のように瞳が再び上がり、ルドルフを射抜いた。

 

「簡単な話です」

 

 咲き誇る花が如く、レッドガーベラの視線はルドルフへと注がれる。

 

「最強」

 

 その一言は、炎が薪を呑み込むように部屋の空気を揺らした。

 静けさを覆っていた古時計の刻む音が、まるで遠くへ追いやられたかのように霞んでゆく。

 シンボリルドルフはその答えを受け止めるように、片眉をわずかに上げた。

 

「最強、か……」

 

 低く、しかし確かな響きを持った声。まるで石を水面に落としたときの波紋のように、その言葉は部屋に広がる。

 

「君はまだ──」

 

 ルドルフはそこで言葉を切り、赤毛の少女を見据える。

 その眼差しは威圧ではなく、選別。まるで光を放つ刃が、真に切り裂くに足るかどうかを試すような。

 

「──であるなら、その炎を消すことは誰にもできまい」

 

 短くそう告げると、椅子の背に凭れたまま目を閉じる。

 

「皇帝──あなたが最強に最も近い存在であることは承知しています」

 

 声は研ぎ澄まされた刃のように冷たいが、確かな熱を宿していた。

 

「それでも私は、そこに至る。誰よりも、何よりも速く」

 

 ルドルフは静かに目を開いた。

 その双眸に映るのは、決して怯まぬ紅蓮の花。

 

「ふっ……いいだろう。ならば、この中央という頂で示してみせるといい」

 

 口元にかすかな笑みを刻む。

 

「花は土を選べない。だが咲き誇るか否かは、その花次第だ」

 

 二人の間を春の光が切り裂くように差し込んだ。

 挑戦と承認。

 嵐の前の空気のように張り詰めた緊張が、確かにそこにあった。

 ルドルフは心の内で笑う。無名にも等しい者が、皇帝と呼ばれる己に敵意さえむける。

 ルドルフの胸中には、微かに熱が宿った。

 無名に等しい赤毛の少女が、怯むことなく己を真っ直ぐに射抜き、そして「最強」と言い切った。

 かつて数多の挑戦者たちが皇帝に向けて牙を剥き、いずれも敗れ去った記憶が彼女の背後に積み重なっている。だが、この目の前の紅の花は、それらと同じ色をしていなかった。

 

「──楽しみにしている」

 

 その声は、春の陽に照らされる氷の刃のように澄み、しかし確かに熱を帯びていた。

 

 レッドガーベラは黙したまま立ち上がり、一礼すると、ルドルフへ背を向ける。

 その歩みは一分の淀みもなく、閉ざされた扉へと向かう。

 踵が床を打つたび、硬質な決意が部屋の空気に刻まれていった。

 ドアノブに手をかける瞬間、彼女は振り返らなかった。

 言葉も残さず、ただ己の背中だけで語った。

「追い越してみせる」──そう響かせるような強靭な意志。

 

 扉が閉じた後も、部屋には確かな残響があった。

 古時計の針が、再び規則的に時を刻み始める。

 ルドルフは椅子に凭れたまま、目を閉じる。

 

「乾坤一擲……だろうか。これはまた、久方振りの感覚だな」

 

 小さく洩らした呟きは、誰にも聞かれぬまま空気に溶けていった。

 春の光はなお鋭く差し込み、部屋の輪郭を鮮やかに切り取っている。

 叩きつけられた挑戦状。

 中央という頂で、確かに新たな嵐が芽吹こうとしていた。

 

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