未だ、焼け焦げた肉の匂いがこの土地にしみついていた。
かつて自らが率いた騎士団の屍が積み上がり、その上に立つ朽ちかけた旗。その影に、レオは座り込んでいた。
その身に纏う鎧は裂け、剥がれ、ボロ布で隠すことしかできない。誇りを刻んだ紋章も、血と煤に塗れて判別すらできない。今や彼を騎士と呼ぶ者は、もういない。
彼は生き残った。否、生き残ってしまった。
戦場に魂を置いてきたまま、名誉だけを焼かれて。
そして、死ねなかった以上、歩かねばならなかった。
「……南だな。ザラン砦。まだ人の気配がある」
独り言のように呟き、彼は焼け野原をあとにした。
もはやそれは旅でもなく、使命でもない。ただ剣を振るうことすら失った男が、生き延びたという事実だけを携えて歩き出す。
三日後。峠の馬留めで、彼は一台の荷馬車と出会った。
古びた木枠に荷を積んだそれには、「ザラン砦行き」と記された札が掲げられている。
馬車の中には一人の乗客。
黒いローブを纏い、静かに書物を読んでいる女だった。
銀に近い淡い髪、落ち着いた琥珀色の瞳。
その手元では、骨細工の護符が風に揺れていた。
「乗られますか?」
御者の問いかけに、レオは無言で頷いた。名前は聞かれず、銅貨三枚を払えばそれでよかった。
彼の鎧のつぎはぎと、異様な沈黙に女が一瞬視線を送ったことに、このときのレオはまだ気づいていなかった。
彼がこの女――セレスと名乗る死霊術師と出会い、やがて失った騎士の魂を取り戻す旅が、静かに動き出していた。
空が裂けたのは、その直後だった。
突如として炎と影が空を覆い、馬車に落ちかかる。
翼の鼓動が空気を震わせ、焼け焦げた木の臭いが鼻を刺す。
馬の悲鳴が上がり、一頭、また一頭と潰れていく。
竜だった。
戦争よりもずっと平等に命を奪う存在。
馬車は倒れ、御者が焼かれ、荷が吹き飛ぶ。
動けずにうずくまるセレスの目が、レオを見た。
それは恐怖ではなかった。ただ、自分がなぜまだ生きているのかを問う、戸惑い。
レオの足が自然と前に出た。
マントの端を振り上げ、顔を隠すようにして、剣を抜く。
名も、姿も、どうでもよかった。
剣を抜くべきときに、抜けるかどうか。それだけが、己の価値だ。
竜の爪が空を裂き、襲いかかる。
技を思い出せ。震えるな。
魂に刻まれた流れが、彼の腕を動かす。
剣が熱と血の中に光を刻む。
だが、その瞬間――何かが砕けた。
頭蓋が潰れる音。
視界の半分が黒く沈む。それでも、レオは最後の一撃を振り下ろした。
それが、自分であることの、ただ一つの証明だった。
◇
「……誰?」
竜の残した血だまりの中、人の様な断片がある。
セレスは、崩れ落ちた騎士の姿を見下ろしていた。
顔は見えない。名前も知らない。
けれど、魂が見えた。
「――騎士」
恐れずに、迷いなく命を賭して剣を振るった者。
守るという選択を、その魂がしていた。
震える手を抑えながら、セレスは死霊術の準備を始めた。
男の肉体はすでに半壊している。
頭部の半分が潰れ、脳も一部が消失していた。
だが、魂はまだこの場所に留まり、燃え尽きていない。
だからこそ、終わらせてはならなかった。
周囲の死体を調べ、使える部位を集めていく。
骨、筋肉、神経、血管。
誰かの顔の骨、誰かの頬、誰かの口元――
それらを彼の輪郭に合わせ、丁寧に縫い合わせていく。
これは死の冒涜ではない。
魂を生かすための、再誕の儀式。
「あなたは……今もここにいる。だから私は、あなたを再び立たせる」
術式が完成する。
魔力の輝きが広がり、つぎはぎの騎士が――静かに、息を始めた。