とある夫婦の間に、ひとりの女のコが産まれた。
赤子とは元気に泣いて大人を困らせるもの……という常識から子育てについて話し合い準備を進めてきた夫婦であったが、想像とは違い自分たちの娘は泣き声をあげることはなかった。
一瞬だけ不安が頭を過ぎったものの、泣かない代わりに好奇心旺盛であらゆるモノに興味を示しては動き回る姿に夫婦は安心した。お気に入りの絵本やヌイグルミがあり、食べ物の好き嫌いがあり、遊び疲れては急にコテンと眠り始めたりと────概ね
娘が思いのほか活発に動き回る以外、特に困ることなく5年ほど。
いつの間にか、娘の腕にドラゴンテイマーとしての素質の証である龍門と呼ばれる模様が現れた。ドラゴンを使役し様々な分野で活躍するドラゴンテイマーは、老若男女問わず憧れの存在であるといっても過言ではない。
龍門そのものは誰でも刻むことができる。むしろ世界中のリージョンでドラゴンテイマーを目指す者を積極的に支援する動きがあり、子どものお小遣いほどの初期投資でもドラゴンテイマーになれる。だが、自然と龍門が現れる者はそう多くはない。
娘の将来は明るいと、大喜びしながら迎えた12歳の誕生日。
その日、夫婦は愛娘を見送るために港にいた。世界中からドラゴンテイマーを志す者が集まり切磋琢磨するための施設【パレットアカデミー】があるセントラルリージョン行きの客船に乗り込む愛娘を見送るためにだ。
実のところ、娘の旅立ちは町の住人たちで盛大に見送ろうという意見もあったのだが……夫婦はその提案を丁寧に断ることにした。娘にドラゴンテイマーとしての才能があることを喜んだのは事実だが、それを周囲が持て囃すのを娘が嫌がっていることに気が付いたからだ。
夫婦はそれを見て反省する。親として娘の幸せを願うのは当然のことだろう。しかし、本人が望んでいないのに才能があるからとドラゴンテイマーとして活躍することを押し付けるのは間違っている、と。
しかし悲しいかな人付き合いというものは好き嫌いだけで完結させることは難しい。娘はあまり感情表現を顔に出さないほうであり、町の住人たちも表情の変化に乏しいことは知っているのでお構い無しであるが────夫婦は、娘がこれもご近所付き合いだからと仕方なく賞賛の言葉を受け取っていることを正しく理解していた。
故に、港での見送りが不要ならばせめて町で門出を祝おうじゃないかと提案されたときは本当に申し訳無かったのだ。もちろんそれは町の住人たちに対してではなく、望んでもいない茶番に付き合わされることになった愛娘に対してである。ライバルを自称する数名の男の子たちが盛り上がって色々と宣言していたが、それを軽く「そうですか」と聞き流す娘の姿には夫婦も苦笑いである。なんか周りの大人たちもはしゃいでいるけど、アレは完全に脈ナシだな……と。
娘は言った。ドラゴンテイマーとして活躍するよりも、世界各地のリージョンを巡りたい。神話や伝承に語られるモノたちを、この目で見てみたいと。
夫婦は言った。周囲の期待なんて無視してもいい、貴女の好きなように生きなさいと。あと、ついでに珍しいお土産があったら、それを持ってたまには家に帰ってこいと。
表情の変化に乏しい娘にしては珍しく、誰が見てもハッキリと微笑んでいるのがわかるように、ただひと言「ありがとうございます」と言って船に乗り込んでいく。その姿を見送った夫婦はそれだけでも満足だった。
☆☆☆
リージョンを巡る客船は
甘い香りのするタマゴ、パックされてからそれなりに時間が経過しているにも関わらずツヤツヤとした色合いのイクラ。そこにマヨネーズと一緒に炙ったサーモンと照り焼き風のハンバーグが並んでいるあたり、おそらくは子どもが購入することを想定しているのだろう。そこに干瓢とキュウリ、桜でんぶの太巻きとお稲荷さんも添えられてボリュームも充分である。
そして、追加でインスタントではない大鍋から使い捨ての器にタップリ盛られた具沢山の豚汁とペットボトルのほうじ茶も合わせてお値段は1000円ジャスト。実にお買い得である。
「フフフ……。特別、なにか名物に拘る必要なんてありません。のんびりと、誰に急かされるワケでもない船旅で食べるどうということはない食事が良いのです。広がる海、そして青空。たまにすれ違うほかの船舶や、空を移動する個人なり業者なりのドラゴン。実に素晴らしい。おっと、せっかくですので豚汁に唐辛子も入れてしまいましょう。あぁ、いまの私は完全に人生の勝ち組ですね間違いない。フフフ……♪」
タップリ食べてタップリ動いて成長したことで恵まれた体格も含め、凡そ12歳とは思えない独特の雰囲気を纏いつつ……売店のレジ横から持ってきた無料の唐辛子の小袋をペリペリと破いて微笑む少女。
彼女こそが龍門が発現したことで才能アリと認められたせいで周囲の人々から余計な期待を押し付けられつつも理解ある両親のおかげで気分良く旅立ちを迎えることができた若きドラゴンテイマー候補【ミネルバ・
この客船はパレットアカデミーのあるセントラルリージョン行きということで、子どもから大人までドラゴンテイマーを目指す者、あるいはドラゴン同士のバトルに関わる仕事に携わる者が大勢乗船している。
誰もがアカデミーやバトルについて考えたり盛り上がったりしている中、ミネルバはそうした熱量など何処吹く風といった様子でタマゴのお寿司をモグモグしているだけ。両親に語ったドラゴンテイマーとしての活躍より世界旅行を、という宣言は紛れもない真実なのである。
求めるだけでは与えられることのない才能に恵まれながら、なんとも若者らしくない枯れた考え方であるが……もちろんミネルバがそういう考え方をするようになったのには理由がある。
何故なら。
『ほぉ……? リージョンの移動など、我が本来の姿で一瞬にして運んでやろうと思うていたが……これは、なるほど。納得するしかあるまい。この広さ、
「ゲームにはプログラムと容量の限界がありますからね。ハードの性能によっては無制限に近い広がりのあるオープンワールドもありますが、少なくとも私が夫とプレイしていた【ドラゴンロード】はそれらに該当しません。リージョンひとつが、
ポンッ! と龍門から飛び出てきた空飛ぶウナギのヌイグルミのような1匹のドラゴン。それとの会話からわかるように、ミネルバ・四季咲という少女は転生者であった。
この世界は彼女が前世でプレイしていたドラゴンロードというゲームの世界であり、知識や経験、そしてプレイヤーとして遊んでいたときのデータも引き継いで転生した彼女はドラゴンテイマーとしての名声には一切の魅力を感じなかったのだ。
ならば、何故世界を巡るのか?
それは単にあの世で愛する夫と再会したときに備えて土産話を求めての行動である。
夫が高齢化による判断力の低下を懸念して免許類を全て返納してから、老夫婦の楽しみは旅行などのお出かけから専ら家にいながら様々な世界を楽しめるゲームにシフトチェンジした。
その中でもエンドコンテンツまでじっくりタップリふたりで楽しんだドラゴンロードはお気に入りのゲームのひとつである。知っているはずのゲーム世界、しかし異世界としての辻褄合わせなのかゲームなどとは比べ物にならない広大な世界。
システムの壁による限界と日本を代表するスーパーウォーカー伊能忠敬もビックリの健脚を有する主人公であれば簡単に一周できたドラゴンロードの舞台は、全体マップの中に複数まとめて表示されていたモノとは思えないほど広い。点在していたリージョンを巡る旅だったゲームと違い、ひとつのリージョンだけでひとつの物語が始まりそうなほど別世界となっていた。
知っている場所も。
知らない場所も。
もしかしたら、知識として知っていても世界の変化に伴いまったく姿を変えた土地もあるかもしれない。知らない世界を、健康な肉体で、自分の目で確かめに行く。旅行好きだった人間にとって、これほど面白いことはないだろう。
別にバトルが嫌いというワケではない。ただ、現状では誰が相手でも勝利が確定しているので旅そのものほどワクワクは感じないというだけの話である。
最強のチャンピオン的なドラゴンテイマーでも、この世界の公式サイトによるプロフィール紹介を信じるのであれば使役するドラゴンのレベルは70から80ほど。エンドコンテンツまで手を出したミネルバが引き継いだ手持ちのドラゴンたちのレベルは100レベルという通常プレイの限界を突破した150。どう手加減しても一方的な蹂躙にしかならない。
そもそも真面目にドラゴンを育ててバトルに挑んでいるテイマーたちを相手に、自分のようなチート転生者が得意げになって蹴散らすなど破廉恥が過ぎるとさえ考えていた。娘や孫にオススメされたラノベ等の主人公が無双するのは無責任な立場で楽しめるから良いが、いざ自分がその立場になりたいかと聞かれれば答えは“否”である。
『ならばゲームでは我が封印の地であったブラックリージョンも、随分と様変わりしているのだろうか。貴様がバトルよりも旅路を優先すると宣言したときは物好きなことだと微笑ましく思うていたが、いざ世界の広さを実感すると考えも変わるものだな。旅行、良い。不思議と心が弾むようだ』
「それはなにより。旅先では危険の回避やトラブルの解決のために貴方たちの力を借りるつもりでしたからね。前世でプレイヤーとして契約していた義理だけでなく、貴方も世界を巡る旅に興味を示してくれたことは嬉しく思います。せっかく、こうして一緒に転生したのですから、何事も楽しまなければもったいないでしょう?」
『うむ、そうだな。では早速であるが、その3つほどあるいなり寿司のひとつを我に献上せよ。同じ料理ではあるが、貴様が土産として時たま持ち帰っていたモノとは別物なのだろう? 我がその違いを見定めてやる。ほれ、あーん』
「闇属性最強のドラゴンを讃える【黒】の称号を持つ個体とは思えない姿ですね。まぁ、ここはゲームであると同時に異世界ですので、そのような称号に意味などあるのかは存じませんが。はい、あーん」
『ふむ……うむ……。貴様の語る“スシ屋のゲンさん”なる人間が調理した物に比べて甘みが強く、油と混ざり合い口の中にベッタリと味が張り付くが……不快というほどでもない。この濃すぎる味付けは、少ない量でも満足できるようにという工夫なのか? うむ、不味くはない。決して不味くはないぞ……ッ!』
ゲームでは重要な役目を与えられていた【黒】と呼ばれていた個体も、この世界では自由を満喫しているらしい……と。詳しい事情を聞き出すことはせず、ただそういうモノなのだとミネルバは受け入れることにした。前世からの付き合いだからと契約を交わし、こうして自分のワガママに付き合ってくれているのだ。それについて、いったいなにを不満に思うことがあるのか? と。
☆☆☆
海の上で波の鼓動を感じながら過ごすこと数日。辿り着いたセントラルリージョンの港は、ミネルバの記憶にある姿に近い部分もあるにはあったが……やはり、というべきか。視界に広がるその光景、世界から人や物が集まる港は伊達ではない、その全体の規模は想像以上であった。
(船舶、輸送ユニットを抱えたドラゴン。積み重ねられたコンテナの山。聞こえる音。トラック、フォークリフト、それらの作業用車両と一緒に積荷の運搬を手伝うドラゴン。……素晴らしい。これを、文明とファンタジーが融合した姿を、この世界がただのゲームの延長ではなくひとつの独立した異世界であることがわかる生きた営みの光景を。実に素晴らしい……。この感動、必ずアノ人に伝えなければ……ッ!)
見た目は少女でも中身は前世と合わせて100歳オーバーのお婆ちゃん、しかしその好奇心と亡き夫へ対する愛情は無尽蔵。この世界に生きる人々にとっては日常の一コマでしかない風景でも、肉体年齢に違わぬ若々しい感性を持つミネルバを感動させるには充分だったらしい。
記念に写真のひとつでも、と考えたが……それは自重することにした。自分にとっては感動的な光景でも、ここは観光スポットなどではなく数多の企業が出入りする商業拠点のひとつなのだ。それぞれの理由で撮影されては困るような代物もあるかもしれないと思えば、いまの自分は子どもの姿だからと甘えるのは好ましくないだろう。
(撮影の許可を……しかし、皆さんとても忙しそうに動き回っています。当たり前ですね、私のような子どもと違って給料を貰いながら働いているのですから。それを知っていながら邪魔をするのは非常識以外の何物でもない。可能であれば、ついでに漁師や船乗りの皆さんが利用する穴場的な食事処などの情報も仕入れたかったのですが……それは、またいずれ機会を伺うか、そうでなければ自力で探すとしましょう!)
ドラゴンテイマーを目指し、胸一杯に夢と希望を抱いて上陸する人々の中にひとりだけ混ざる観光気分の異端児。彼女の視線は遠くに見えるパレットアカデミーの校舎ではなく、そこに至るまでの道に並ぶ屋台に向けられている。ミネルバにとって観光の基本とは、即ち現地で楽しむ飲食にあるのだ。
助六寿司、美味しいよね。
名前の由来もなかなか面白いですし。
それはそれとして本作の設定を使って執筆してみたいという方がいればすぐに名乗り出るように。