入り口まで無事に戻った時崎たちは、そのまま中央広場へと足を進めていた。だが、その途中。
鈍く、生々しい音が空気を震わせ、思わず全員の足が止まる。何か嫌な予感を覚え、身を屈めて茂みに隠れながら進むと、視界に飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。
「……あ、相澤先生が!」
思わず上鳴の声が漏れる。そこには、脳が剥き出しになった異形のヴィラン――脳無に押さえつけられ、痛めつけられている相澤の姿があった。血まみれで、今にも折れそうな身体。それは普段の冷静な彼からは想像できないほど痛ましい光景だった。
(あのヴィラン……どう見ても普通ではありませんわ……)
時崎は眉をひそめ、心の中でそう呟く。
そんな中、耳に届いたのは不気味な会話だった。
「死柄木弔」
相澤を見下ろす青年に声をかけたのは、黒い霧のような姿をしたヴィラン黒霧だった。
「黒霧、13号はやったのか」
「行動不能には出来ましたが……散らし損ねた生徒がおりまして。一名、逃げられました」
その言葉に死柄木はピクリと反応する。
「は?は〜……」
不快げに呻いたかと思えば、爪で自らの首をガリガリと掻きむしる。
まるで癇癪を起こす子供のように。血が滲んでも気にも留めない様子に、上鳴と耳朗、八百万は息を呑んだ。
「黒霧……お前がワープゲートじゃなかったら、粉々にしてたよ……!」
苛立ちを隠さぬ声。だが、次の瞬間には肩をすくめるように吐息を漏らす。
「……流石に何十人ものプロ相手じゃ敵わない。ゲームオーバーだ。あーあ……今回はゲームオーバーだ」
その言葉に生徒たちの心臓が強く跳ねる。“今回は”。つまり、これからもまだ同じことを繰り返す気だという意味。
死柄木は淡々と続けた。
「……仕方がない。イレイザーヘッドだけ殺して帰ろっか」
脳無がさらに力を込め、相澤の頭を掴む。頭蓋が軋む音が響き、相澤の呻き声が漏れた。その瞬間。
「……あ?」
死柄木の目が見開かれる。そこにいたはずの相澤の姿が、突如として掻き消えていたのだ。代わりに、少し離れた場所で彼を抱え込んでいる少女の姿があった。
「間に合って良かったですわ。相澤先生」
時崎だった。彼女は相澤を抱え安堵の笑みを浮かべる。
「……時崎、お前、どうやって……」
相澤がかすれた声を漏らす。彼の目に映るのは、確かに自分を救い出した少女の姿。時崎は優雅に銃を構え直し、相澤先生にすぐ【四の弾】を撃ち込む。
骨折した状態から少し経っているため、ある程度の状態に治すには時間を多く消費するがそんな事を気にしてる場合ではない。
「わたくしの個性の切り札を使ったまでです。......長々と話せる暇はありませんわね。相澤先生をお願いしますわ。『わたくし』」
「ええ、承りましたわ。『わたくし』」
時崎が分身に頼み相澤先生を安全なところに連れて行った。
「ガキか...殺せ!、脳無」
「━━━」
脳無は拘束から抜け出すや否や、獣のような速度で振り向き、拳を振り下ろした。その一撃は空を切ったが、もし直撃していれば時崎の身体は粉砕されていたに違いない。
彼女は【
(障子さんの比ではありませんわね……パワーもスピードも桁違いですわ)
冷静に観察しながらも、時崎は背筋に冷たいものを感じていた。
「ガキにも躱されちゃうなんて……まぁ殺せれば誰でもいい。……やれ、脳無」
死柄木の冷酷な指示と共に、その視線が左へと流れる。時崎も思わずそちらを振り向いた瞬間、息を呑んだ。
そこには、耳郎、上鳴、八百万が隠れていた。
「逃げてくださいまし!」
叫んだが、すでに遅かった。脳無は凄まじい速度で耳郎へ迫る。生徒たちの反応が追いつかない。
「っ!」
「そうだよな、ヒーロー……どれだけ戦ってても、人命を優先しちまう。……一番効くやり方だよなぁ」
死柄木が愉快そうに嗤った。
『『『うわぁ!?』』』
耳郎達が悲鳴を上げた刹那――時崎の姿が脳無と三人の間に割り込む。だがその代償はあまりにも大きかった。
「っ……時崎!!」
「「時崎さん!!」」
仲間たちの叫びが響く。脳無の拳は彼女の身体を直撃し、そのまま壁へと叩きつけた。凄絶な衝撃音と共に、時崎の身体は血に染まり、関節はあり得ぬ方向へと折れ曲がる。見るも無惨な姿に、三人の瞳から涙が滲んだ。
彼女の犠牲によって、自分たちは生き延びた。だが、その代償はあまりにも重すぎた。
「ここまで上手くいくなんてなぁ……多少強くても、所詮ガキはガキか。……トドメを刺せ、脳無」
死柄木の声が冷たく響く。
だが次の瞬間、壁に叩きつけられていたはずの時崎は口角を上げて身体が、音もなく消え去った。まるで影に吸い込まれるたかのように
「あ゛……どこに消えた?」
死柄木の声が低く唸る。
「ヒーローに背を向けるなんて……随分と余裕がおありのようですわねぇ?」
背後から響いた声に、全員が息を呑む。振り向けば、そこには生きた時崎狂三が立っていた。
「……なんで生きてる……!」
「先ほどの彼女はわたくしの分身……もう一人のわたくし、ですわ」
時崎はさらに言葉を続ける。
「分身とは言いましたが彼女も、一人のわたくし。.....犠牲にしてしまった事はあまり気分のいい事ではありませんが」
死柄木は歯噛みする。入れ替わるタイミングなど無かったはず。だが、確かにあった。脳無の一撃で床が砕け、煙が舞い上がったあの瞬間。彼女は己と分身をすり替えていたのだ。
「《刻々帝》――【
弾丸が放たれ、ヴィランたちへと着弾する。次の瞬間、彼らの動きが明らかに鈍くなった。まるで時間そのものが遅く流れているかのように。
続けざまに、狂三の銃口は脳無へと狙いを定めた。乾いた銃声が響き、赤黒い弾丸が唸りを上げて突き進む。
「【
命中した瞬間、脳無の肉体に異変が生じた。隆起した筋肉が不自然に硬直し、皮膚の下では細胞が急速に衰えていく。時間が強制的に進められた結果、肉体が「老化」していくのだ。
しかし、その進行は時崎の想定よりも遅かった。
(……やはり、再生もしくはそれに準ずる個性を持ち合わせているのでしょう。)
時崎は静かに微笑み、銃口を下げると同時に影を拡張した。漆黒の影が地面を覆い、脳無の足元を絡め取る。
どろりとした闇が蠢き、脳無を底知れぬ奈落へ....時喰みの城に引き摺り込んだ。
「きひひひひひひひひひひ……」
時崎の左眼の時計が、狂気じみた速度で左回転を始める。その瞳は、囚われた存在の「時間」を啜り取っていた。
脳無は既に【三の弾】によって「老いた存在」として扱われている。その分だけ、時喰みの城が吸い上げられる時間は普段よりも遥かに多い。
だが──。
「ーーーーー!!」
脳無は獣じみた咆哮を上げ、全身の筋肉を爆ぜさせるように膨張させる。力任せに時喰みの城から脱出してきた。
その肉体は依然として巨躯であり、恐るべき威圧感を放っていた。だが、よく見れば先程までの滑らかな動きは鈍り、筋肉の張りもわずかに衰えている。
「ふふ……少しは“年相応”に見えてきましたわね」
時崎は銃を構え直し、唇を弧に歪める。
時崎の分身たちが影から現れ、四方八方から銃弾を浴びせる。無数の弾丸が脳無の体を穿つが、その肉体はすぐに再生し、決定打には至らない。
「あらあら、こっちですわぁ」
どこからともなく響く声に脳無は無差別に拳を振り回す。しかし老化の影響で、その動きには先程のような鋭さはない。とはいえ、衰えた今ですら十分に脅威である。
(……刻々帝では、決め手に欠けますわね)
時崎は冷静に状況を見極める。彼女の個性は時間を操る強力なものだが、直接的な破壊力は乏しい。銃弾では脳無の超再生に追いつけない。
「そいつは……対オールマイト用に造られた脳無だ。銃弾程度どうにもならねぇんだよ……!」
死柄木の吐き捨てるような声に、狂三はくすりと微笑む。
「ご丁寧に教えてくださるなんて、お優しいですこと」
彼女の皮肉に苛立った死柄木が怒声を上げた。
「やれ、脳無ッ!」
咆哮と共に脳無が動き出す。その瞬間、狂三は自らのこめかみに銃口を当て、引き金を引いた。
「《刻々帝》──【
弾丸がこめかみに放たれた瞬間、狂三の視界が未来を捉える。彼女は即座に跳躍し、壁際へと着地した。
「……自分から追い込まれるなんて、頭でも狂ったのか?」
死柄木が嗤う。しかし狂三は余裕の笑みを崩さない。
「いいえ。そちらにいる脳無は数秒後、殴られて吹き飛びますわ。そのための準備……そう思っていただければよろしいですわ」
その言葉に、死柄木もクラスメイトたちも困惑する。銃弾も効かない怪物を、ましてや、対オールマイト用に存在するヴィランを時崎がどう殴るというのか。
「脳無……」
狂三が囁いた瞬間、脳無が猛然と突進してくる。だが【
壁を突き破り、脳無の巨体が何者かの拳によって吹き飛ばされた。
「お待ちしておりましたわ」
時崎が微笑みを深める。
そして、場を揺るがすような力強い声が響き渡った。
「━━━━━もう大丈夫」
瓦礫の中から現れたのは、特徴的な二本のツノのような髪を持つ巨躯の男。その男は誰もが知るセリフを言った。
「━━━━私が来た」
現No1ヒーローにして最強の男。誰よりも人々に希望を与える存在──オールマイトが、時崎の前に姿を現したのだった。
「時崎少女、時間稼ぎをありがとう。怖かったかもしれないのに」
オールマイトの大きな声が戦場に響く。狂三は肩をすくめ、微笑みを浮かべた。
「いいえ、必要なことをしたまでですわ。それより、あちらの脳がむき出しになっているのは対オールマイト用に用意されたヴィラン──脳無。個性はおそらく《再生》と《ショック吸収》。ですが、わたくしの個性で“老化”させておりますから、多少は弱っているはずですわ」
その言葉に、オールマイトは大きく頷き、拳を握りしめた。
「ありがとう!時崎少女!あとは任せたまえッ!」
彼の声と共に、大地が揺れる。オールマイトと脳無の巨体がぶつかり合い、轟音が周囲に木霊した。
脳無の拳が空気を裂く。しかしオールマイトは一歩も退かない。オールマイトに対抗する為にあるショック吸収。
それをどう攻略するか?答えは、
「ショック吸収といっても限度があるのだろう?ならば限界を越えて殴り続けばいい!」
そう言い放ち、オールマイトの拳が脳無を連打する。凄まじい衝撃が空気を揺さぶり、狂三やクラスメイトたちの耳をつんざく。
「まさか、脳無が……!?」
死柄木の声に動揺が滲む。それはヴィラン連合にとっても完全な想定外だった。対オールマイト用に造られた怪物が、押されているのだから。
「ヴィランよ、こんな言葉を知ってるかッ!」
迫り来る脳無の拳を跳ね除け、その巨体を吹き飛ばす。オールマイトは逃すまいと跳躍し、空中で脳無を捕らえると、そのまま床へと叩きつけた。
そして、全身の力を込め、渾身の一撃を放つ。
「更に向こうへ!PLUS ULTRAァァァッ!!!」
轟音と共に放たれた一撃は、いかに超再生とショック吸収を備えていようとも、それは受け止めきれるものではない。
脳無の巨体は宙を舞い、凄まじい勢いで吹き飛ぶ。USJの内壁を突き破り、空の彼方へ、やがて遠く小さな星となって消えていった。
その光景を見届け、時崎はゆっくりと銃口を下ろした。
(……わたくしの役目は“繋ぐ”こと。決めるのは、あの方ですわね)
最前線に残るのは、未だ笑みを浮かべ立ち尽くす最強のヒーロー。そして彼を信じ、時間を繋いだ少女、時崎狂三だった。