次に立ち上がったのは轟だった。
彼は無駄な言葉を口にすることなく、淡々と教壇に進み出る。
「……ヒーロー名は《ショート》」
名の通り、己の名前を切り取っただけのシンプルなもの。
その無駄のなさに、誰も文句を言える余地はなかった。轟らしい選択にクラスは静かに頷く。
続いて前へ出たのは飯田天哉。彼もまた名前から取り、「《テンヤ》」と発表した。しかし、轟とは違い、その顔にはどこか陰りがあった。
(飯田さん……何か、葛藤しているご様子ですわね)
時崎は静かに彼を見つめながら、胸の内でそう呟いた。
そして――緑谷が立ち上がる。その瞬間、クラスの空気が一変した。
「えぇ!?緑谷!?いいのかそれェ!?」
「一生呼ばれることになるかもなんだぞ!?」
周囲の声を受けても、緑谷は震える声を押し殺し、しかし確かに宣言した。
「僕のヒーローネームは――《デク》です」
時崎は目を細めた。その名前が持つ意味を、彼女は既に知っていた。過去に彼を嘲るための言葉だった名を、ある人の一言がすべて変えたことを。
緑谷は少し自信なさげに続ける。
「ある人に意味を変えられて……僕には、すごく衝撃で……嬉しかったんだ。だから、これが僕のヒーローネームです」
彼の表情は決して誇らしげではない。だがそこに滲むのは、揺るぎない決意と、ヒーローを目指す強い意志だった。
「……いいじゃない!」
ミッドナイトが力強く頷き、クラスにも自然と拍手が広がった。
そして最後に――爆豪が前に立つ。彼は大きな声で名乗った。
「《爆殺卿》!!」
刹那、空気が凍りつく。
「違う、そうじゃない」
ミッドナイトが却下した。
「あぁ!?何がダメなんだよ!!」
「ダメに決まってんでしょうがッ!!」
教室には失笑と呆れが交じるざわめきが広がり、結局「爆殺卿」は却下された。保留という形で、ひとまず「バクゴー」という仮名に落ち着くことになる。
(……爆豪さんらしいですわね)
彼女は小さく笑みを浮かべた。
こうして次々と発表された一年A組のヒーロー名。その一つひとつには、彼らの過去や想い、そして未来への決意が込められていた。
それぞれが職場体験先を決めるなか峰田が言った
「オイラはMt.レディ!!」
「峰田ちゃん、やらしい事考えてるわね」
蛙吹に図星を突かれた峰田が、真っ赤になって吠える。
「ち、違うし!!!!」
教室に小さな笑いが広がったが、それも束の間だった。
先週の授業の後、相澤から告げられた言葉が彼らの頭に残っている。
「職場体験は一週間。肝心の職場だが……指名のあった者は個別にリストを渡すから、その中から自分で選べ」
「それぞれ活動地域や得意なジャンルが異なる。よく考えて選んで今週末までに提出しろよ」
そう言い放ち、職場体験に関する説明は終わった。
⸻
時崎は、小さく嘆息した。
(困りましたわ……指名が多すぎて、どこに行くべきか悩みますわね)
指名数5000を超える彼女にとって、リストを精査するだけでもひと苦労だ。
(いざとなったら……分身達に任せて調べさせても……)
だが、すぐに首を横に振る。
体育祭が終わった直後、彼女の分身達から思わぬ抗議を受けたのを思い出す。また部屋で抗議されたら流石に時崎も困る。
(『わたくし達』にまた任せれば……しばらく皮肉を言われ続けるのは目に浮かびますわね....)
唇に指を当てる。
「さて、どこにしましょうか……」
悩む彼女の瞳には、選択肢の重みと、それを楽しむような小さな光が同居していた。
生徒たちが次々と帰路につく中、時崎は自席に残り、分厚い書類の束を前にしていた。
職場体験の指名リスト。ページをめくるたびに目に飛び込んでくるのは、名だたるプロヒーローたちの名前。国内のトップクラスから地方の有力事務所まで、彼女を求める声は後を絶たず、その数は膨大だった。
(5000を超える指名……これを一つ一つ調べるのは、やはり現実的ではありませんわね)
苦笑を浮かべつつも、時崎は指先で一枚一枚を丁寧に繰っていく。派手さを売りにする者、人命救助を専門とする者、ヴィラン討伐に特化した者。それぞれの活動方針や理念が簡潔に記されており、彼女の頭の中で次々と候補が絞られていった。
そして――。
「……この方は」
ある一枚で、時崎の手が止まった。そこに記されていた名は、強烈な存在感を放つものであった。読み込むうちに、瞳の奥に光が宿る。
(なるほど……確かに、今のわたくしには不足しているものを学べる相手かもしれませんわ)
迷いはなかった。彼女はペンを取り、提出用の紙にそのヒーローの名を静かに記入する。
さらさらと走るペン先の音が止む。用紙を丁寧に揃え、時崎は立ち上がった。
廊下を歩く足取りは軽やかでありながら、その瞳には決意の色がある。やがて職員室の扉をノックし、中に入ると、相澤先生に迷いの欠片も見せずに紙を差し出した。
「わたくしの職場体験先の希望ですわ」
そう言い切った時崎の微笑みは、挑戦を前にした戦士のそれに近かった。
職場体験当日。
A組の面々は駅に集合し、引率の相澤の指示を受けていた。
「コスチューム持ったな。本来なら公共の場じゃ着用厳禁の身だ。落としたりするなよ」
「はーい!」
「伸ばすな、“はい”だ芦戸。くれぐれも失礼のないようにな。……じゃあ行け」
淡々とした声に送り出され、それぞれが散っていく。
狂三は新幹線へと向かう途中で、ふと轟と鉢合わせた。
「あら轟さん。あなたもこちらの方面のヒーロー事務所に?」
「ああ」
轟は短く答え、じっと彼女を見る。
「時崎はどこを選んだんだ?」
時崎は迷うことなく微笑みを返した。
「わたくしはエンデヴァーですわ」
轟の足が一瞬止まる。
「……お前が?」
意外そうな眼差しだった。轟にとってエンデヴァーは父親であり、そして重すぎる存在だ。だが時崎にとっては違った。
「わたくしの戦い方は銃と策を用いるもの。圧倒的な力で押し切る術はありませんの。だからこそ――そこを鍛えようと思いまして」
あくまで優雅に、しかしその言葉には確固とした意思があった。
⸻
新幹線に揺られながら、二人は言葉少なに過ごした。轟は窓の外を睨むように見つめ、時崎は膝の上で手を組んだまま瞼を伏せる。目的地は同じ。だが胸に抱く思惑はまるで違う。
やがて都心に到着。雑踏を抜け、巨大なビルの前で立ち止まる。鋼のようにそびえ立つ建物の上に掲げられた看板、エンデヴァー事務所。
(……大きいですわね)
狂三は率直にそう思った。轟は一言も発さず、その視線を建物に突き立てる。
受付で名乗り、案内を受けて奥へ進む。そして、重い扉が開かれた先、炎のような威圧感が待ち構えていた。
赤髪と鬚を燃やすように纏った男。背を伸ばし、腕を組み、視線を鋭く突き刺す。No2ヒーロー、エンデヴァー。
「……来たか」
その一言で、空気が一変しエンデヴァーがゆっくりと歩み出る。
「焦凍、時崎。今日から一週間、みっちりしごいてやる。覚悟しておけ」
炎を纏った巨躯が言い放つ声は重く、室内の空気を一瞬にして緊張に染め上げた。
「よろしくお願い致します」
時崎狂三は背筋を正し、丁寧に一礼した。仕草ひとつに隙がない。
「一応聞いておく……お前たちのヒーローネームはなんだ?」
「ショート」
「ナイトメアですわ」
「ナイトメア……ヒーロー名に“悪夢”か。まあいい。職場体験を始めるぞ」
エンデヴァーは特に感情を交えず、ただ受け入れるように言った。その声音は冷徹にも聞こえたが、時崎は動じない。
やがて二人は事務所の案内を受け、それぞれコスチュームへ着替えることになり、時崎は轟と一旦別れた。
着替えを済ませ、廊下に戻ると、鮮やかな緑髪の女性が勢いよく扉を開けて入ってきた。
「着替え終わった?」
火のように跳ねる髪を揺らしながら、彼女は朗らかに笑う。事務所のサイドキック、バーニンだ。
「終わりましたわ」
「よし、じゃあ早速行こうか!」
バーニンは豪快に手を振り、数人のサイドキックを引き連れる。その列の中に時崎と轟も加わり、先頭にはエンデヴァーの背中が炎のように揺れていた。