氷壁の向こうで分身達が時間を稼いでる間に
「動けますか、お二人とも?」
時崎が問うと、路地裏に震える声が返った。
「ごめん、動けないんだ……多分ヒーロー殺しの個性だ……!!」
這いつくばったまま動けない緑谷。すぐそばには同じく重症のプロヒーロー、そして苦しげにうずくまる飯田がいた。
時崎はためらわず銃を構える。その銃口が向いたのは敵ではなく、仲間だった。
「【
乾いた銃声とともに、癒しの弾丸が緑谷と飯田、そしてヒーローに撃ち込まれる。淡い光が彼らの身体を包み込み、少しずつ血の気が戻っていった。
「轟さん、ステインの個性は……」
問いかけに轟が短く応じる。
「ああ。あいつに血を舐められたら体が動かなくなる」
十分時間を稼いだと判断し、時崎が分身達に影に戻れと命令する。
その言葉と同時に、氷の壁を刃が切り裂いた。軋む音とともに氷片が散り、血に濡れた男が姿を現す。
「ハア……また子供が増えたか……」
ステインの濁った瞳が、じりじりと時崎を射抜く。
その緊迫の中、飯田が息を吐きながら言葉を紡いだ。
「みんな、関係ないことで……申し訳ない……」
その声音に自責の念が滲む。
「またそんなことを……」
緑谷が呻くように返すが、飯田は首を振る。
「だからもう、これ以上血を流させるわけにはいかない」
ステインは吐き捨てるように言葉を重ねた。
「感化され取り繕っても無駄だ。人間の本質はそう易々と変わらない。お前は私欲を優先させる偽物にしかならない。ヒーローを歪ませる社会の癌だ。誰かが正さねばならないんだ」
その理屈に、轟が即座に噛みつく。
「時代錯誤の主張だ。飯田、人殺しの理屈に耳貸すな」
だがその直後、不意に割り込んだのは時崎の声だった。
「まぁ、理解は出来なくもない話ですわね」
「!?」
轟と緑谷が同時に目を見開く。意外すぎる言葉に、一瞬思考が凍りついた。
緑谷が慌てて詰め寄ろうとした瞬間、時崎は、涼やかな笑みを浮かべて続ける。
「ですが、正すために人を殺すという手段を取ったあなたには、理解しかねますわね。ヒーローを殺しても、結局あなたを捕まえる動きが強くなるだけですのに」
ステインの目が細められる。本質を突きながらも、飄々と告げるその声音には揺らぎがなかった。
紅い瞳に射抜かれながら、緑谷たちは悟る。時崎は敵の論理を認めはしても、決してその側には立たない。
彼女はあくまで己の理を持ち、そして笑う。血の臭いに満ちた路地裏で、冷徹に、優雅に。
その声に、偽物と言われた、飯田が苦渋に満ちた表情で応じた。
「僕にヒーローを名乗る資格などない。それでも折れるわけにはいかない。俺が折れれば……インゲニウムは死んでしまう」
ステインは鼻で笑い、短く吐き捨てる。
「論外」
時崎は紅茶を嗜む時と同じ優雅な声音で、ふと口を開いた。
「……あなたのことですわね」
挑発的な言葉に、ステインの瞳がぎらりと光る。次の瞬間、刃が閃いた。最も近い位置にいた時崎へと、一息に距離を詰める。
だが銃声が鳴り響く。狂三の弾丸と轟の炎が同時にステインを襲った。
「ふん……!」
ステインは身をひるがえし、炎の熱波を掠めると同時に刃物を投げ放つ。一直線に轟の左腕へ突き刺さり、炎の流れを封じた。
「くっ……!」
轟が顔を歪める。
一方で緑谷も動いた。新たに編み出した動きで食らいつくが、ステインは一枚も二枚も上手。ヒーローを狩り続けてきた経験は伊達ではなく、緑谷の攻撃がなかなか当たらない。
時崎に援護する暇を与えぬよう、ステインは一気に間合いを詰める。狙いは明白、遠距離攻撃を封じるため、時崎を潰す。
「……ッ!」
時崎は銃を撃つ。しかし、その全てをステインは回避し、刃が彼女の首筋に迫る。
その瞬間。
「そこまでですわ」
刃が届く直前、時崎の背後にもうひとりの狂三が現れた。分身である。冷徹に銃を構えたその姿に、ステインは反射的に距離を取る。
「……分身、やはり、女の個性か!」
しかし次の動作が異様だった。分身は躊躇なく、本体に向けて引き金を引いたのだ。
乾いた銃声。ステインの眉が跳ね上がる。
「自分に――!?」
だがそれは虚。弾丸は本体を傷つけるためではなかった。分身が持ってる銃は時崎本人が《刻々帝》の能力を込めたモノ。弾は時崎本人に当たる。
狂三の左目の時計が淡く輝き、弾丸が時を刻む。
【
弾を受けた瞬間、時崎本体の動きが一変する。
ステインの死角へと回り込み、その右腕を狙う。左手で右腕を上から、右手で関節を下から叩きつけ、ステインの手から刃を弾き落とした。
「ぐっ……!」
鈍い衝撃音と共に、刃が石畳を転がる。
間髪入れず時崎は踵でステインの右脚を蹴り抜いた。体勢を崩したステインの身体が後方へ傾いた瞬間、彼女は優雅に回り込み、その後頭部へ鋭い回し蹴りを放つ。鈍く乾いた音が響き、ステインの体が大きく揺らいだ。
(職場体験の訓練が役に立ちましたわ)
心中でそう呟きながら、狂三は銃口を構える。トリガーに指をかけ、勝負を終わらせようとした。
だが、ステインは執念深く跳躍し、必死に距離を取ろうとする。
「逃がしませんわ」
狂三の左目が輝き、冷徹に告げる。
「《刻々帝》――【
放たれた弾丸は、空気を切り裂きステインへと迫る。彼は咄嗟に予備のナイフで切り落とそうとした。だが、弾丸に触れた瞬間、ステインの動きが凍り付く。ステインの瞳は見開かれたまま、剣を振り下ろす途中で固まっていた。
「今ですわ、お二人とも」
時崎の声だけが、静止した世界に響いた。
次の瞬間、時間が動き出す。ステインの前には飛び上がった緑谷と飯田の姿があった。
二人の全力が重なる。緑谷の拳と飯田の脚がステインの身体を直撃し、重々しい衝撃が路地裏を揺らした。
吹き飛ばされたヒーロー殺しは、よろめきながらも立ち上がろうとした……だが、その足はもはや動かない。
崩れ落ちるように地面に膝をつき、力尽きたように前のめりに倒れた。
沈黙。
戦いの終わりを告げる音が、ただ夜気に溶けていった。
狂三は銃を下ろし、紅の瞳を細める。
「……これで、チェックメイトですわね」
彼女の声音は、どこまでも優雅で冷ややかだった。
緑谷がステインの様子を確認し、安堵の息を吐いた。
「流石に気絶してる……? っぽい?」
「じゃあ拘束して通りに出るぞ。なにか縛れるもんは……」
「念のため武器は全部外しておきましょう」
時崎は冷静に指示を飛ばす。分身を使い、ステインの持っていた刃物や装備をすべて取り上げ、近くに転がっていたロープでしっかりと縛り上げた。そして気絶した彼を引きずるようにして表通りまで出る。
その時、小柄な老人が現れた。
(ヒーローなのでしょうか?)
「む!?んなっ……何故お前がここに!」
「グラントリノ!」
「座ってろっつったろ!……まあよぅわからんが、とりあえず無事なら良かった」
緑谷とのやり取りで、この老人がグラントリノというヒーローであると時崎は理解する。さらに少し遅れて、エンデヴァーの連絡を受けた他のヒーローも駆けつけてきた。
飯田は俯きながら口を開く。
「みんな……僕のせいで傷を負わせた。本当に済まなかった……何も……見えなくなってしまっていた……」
飯田の兄であり、ヒーローでもあったインゲニウムがステインに再起不能にされてしまった事を周りに話した。それによって復讐するという思いが自分の心を縛っていたことも
緑谷も苦しげに続ける。
「……僕もごめんね。君があそこまで思い詰めていたのに全然見えていなかったんだ。友達なのに……」
「気にする必要はありませんわ」
時崎があっさりと返すと、轟も口を挟んだ。
「しっかりしてくれよ、委員長だろ」
「……うん……」
一件落着かと思われたその時だった。
「伏せろ‼︎」
グラントリノの叫びと同時に、上空から脳無に似た怪物が飛来し、緑谷を掴み取った。
時崎は咄嗟に【
「偽物が蔓延るこの社会も、徒に力を振りまく犯罪者も、粛清対象だ。全ては正しき社会のために」
その声は低く、鋭く、通り全体に響き渡った。
「なぜ一固まりに突っ立っている!そっちに一人逃げたはずだが!」
後を追ってきたエンデヴァーが脳無もどきを追い詰めつつ現れ、ステインの姿を認めて炎を構える。しかし、グラントリノが手で制止した。
「偽物……正さねば……誰かが血に染まらねば……ヒーローを取り戻さねば!来い、来てみろ偽物ども。俺を殺していいのは
ステインの圧倒的な威圧感に、周囲のヒーローも、警官も、誰一人として動けなかった。
ただ一人、時崎を除いて。
彼女は迷うことなく長銃を構え、引き金を引いた。鋭い銃声が夜空を裂き、弾丸がステインの額に命中する。ヒーロー殺しはそのまま力なく倒れ、再び意識を失った。
時崎の声は夜の空気を凍りつかせるほど冷ややかだった。
「憧れを拗らせるのではなく、あなた自身が、誰かに憧れられる"ヒーロー”になってくださいまし。民衆を不安にし、ヒーローを殺して、理想を語るような人間に、誰ひとりとしてついてはきませんわ」
その一言は、夜の街に重く刻まれた。