時崎に残された弾は、【
息を整えながらも、彼女の顔には優雅な微笑が張り付いていた。彼女の周囲には幾体もの分身が影のように浮かび、そのすべてが銃口を相澤へと向けている。
光景は、まるで一人の少女が指揮する小規模な部隊。圧力は数倍に膨れ上がり、静かな威圧感となって試験場を支配していた。
相澤先生は冷静さを崩さぬまま、無駄のない足取りで踏み込む。鋭い眼差しが獲物を射抜き、布がいつでも唸りを上げる準備を整えている。
しかしその一歩ごとに、背後から乾いた銃声が割り込む。
分身の一人が隙を逃さず引き金を引き、弾丸は彼の進路を塞ぐように飛ぶ。
「……くっ」
眉間に皺を寄せた相澤先生は、即座に跳び退いた。銃弾は紙一重で頬をかすめ、壁を抉る。ほんの一瞬の遅れが、命取りになる。緊張が空気を硬直させ、汗がじわりと額に滲む。
時崎の影は霧のように散り、気配を読ませない。だが、虚空のどこからか甘やかな声が響く。
「油断は禁物ですわ、相澤先生。わたくしの影は、常に貴方の死角に潜んでおりますのよ」
挑発めいた声音と同時に、銃声が木霊する。だが、時崎自身も理解していた。能力が込められた弾丸の残りはわずか。持久戦に持ち込まれれば、先に限界を迎えるのは自分だと。
「そろそろ……決着をつけましょうか」
艶やかに笑みを浮かべ、時崎は正面と背後から相澤を挟み込む。
しかし次の瞬間。
「捕まえたぞ」
布が閃き、正面にいた時崎の両腕を絡め取る。背へとねじられた銃口、硬く縛られる関節。迷いのない一連の動作は、熟練の捕縛者そのもの。背後にいた時崎も狙われ、やむなく撤退する。
「いい作戦だったと思うぞ、時崎」
相澤は捕縛布を締め上げながら淡々と告げる。
「個性が制限される中、唯一使える分身を活かし、俺の死角を突く……合理的だ」
そして瞳を細める。
「それに、自身の腕を時計の針に見立てる、あの癖だ。普段からやってなければ、俺も気づかなかっただろうな」
捕らえられた少女は、ふっと微笑んだ。
「ええ、その通りですわ。ですが……相澤先生。致命的なミスを犯していらっしゃいますの」
「……致命的なミス?」
「わたくしが最初から【
叫ぶと同時に、時崎は手中の銃を落とし、踵で後方へと蹴り飛ばす。相澤の瞳孔がわずかに収縮する。
【
撃たれた対象の時間を巻き戻し、負傷や疲労を癒す、唯一無二の回復の弾丸。
彼の思考が一瞬止まる。癒やしの弾丸をなぜ、わざわざ他者に託すのか。自らに撃てば形勢逆転の糸口になるはずだ。
脳裏に悪寒が走る。
「……まさか」
「ええ、そのまさかですわ」
捕らえられているのは――分身。
蹴り飛ばされた銃は、もう一人の分身の手に収まり、元から持っていた【一の弾】と合わせて二挺の銃口が迷いなく火を噴く。
狙うのは相澤ではない。その背後。
撤退したと思われた、分身……いや、
弾丸が彼女の胸を撃ち抜き、煌めきと共に疲弊した身体が癒えていく。赤黒いドレスが光に揺れ、次の瞬間、凛とした声が空気を震わせた。
「《刻々帝》ーー【
銃口が相澤へと向けられる。視線を返そうとするも、【一の弾】による加速を纏った狂三に追いつけなかった。
相澤先生は即座に悟った。ここまでの戦いはすべて、【七の弾】を撃つための布石だったと。
今まで相澤先生の正面で個性を使う時の癖を、わざと繰り返して見せつけ、正面こそが本体だと思い込ませる。
そのための演技だったのだ。布を振るわせ、警戒を正面に集中させたうえで……最後に背後を衝いた。
放たれた【七の弾】が相澤先生を撃ち抜いた。
その瞬間、世界が凍りつく。抹消の個性も布の操作も意味を失い、音も風も止む。時間そのものが、彼を縛り上げていた。
静寂の空間を狂三が優雅に歩み寄る。先ほど【四の弾】を放った分身が銃を消し去り、本体は手に捕縛手錠を持つ。
「これで、終わりですわね」
紅の瞳が妖しく輝き、相澤の両手首に冷たい鉄がかけられる。
カチリ。
その音と同時に、世界が再び動き出す。
「……っ!」
意識が戻った相澤は、自らの手首にかかった手錠を見下ろし、僅かに息を呑んだ。
「……まさか、捕らえたのが分身だったとはな」
低く吐き出す声には、驚きとわずかな感嘆が混じっていた。油断はしていなかった。だが最後の一手、決定的に出し抜かれた。
背後に立つ時崎は、愉悦に満ちた笑みを浮かべる。
「ええ、とても大変でしたわ。ですが、これで試験クリア、ですわね」
分身たちが霧散し、試験場は静寂を取り戻す。その中心で、赤黒いドレスの裾だけが余韻のように揺れていた。
相澤はわずかに息を吐き、天を仰ぐ。
「……生徒相手に、ここまで読み合いを強いられるとはな」
その声は敗北の言葉であると同時に、彼女の成長を確かに認めた教師の声でもあった。
狂三は恭しく一礼し、唇に小さく笑みを浮かべる。
「相澤先生、油断なさらないでくださいませ。次はもっと華麗に、欺いてご覧に入れますわ」
紅の瞳が爛と輝き、時崎は試験会場を後にする。
相澤は、静まり返った試験場を一瞥し、口の端をほんの僅かに持ち上げる。
「……あの癖を、あそこまで武器にするとはな」
深く息を吐き、肩を落とす。その姿は敗北者のそれでありながら、どこか満足げにも見えた。