林間合宿は、終わってみれば最悪の結末と言うほかなかった。
生徒たちの被害は甚大で、有毒ガスにより意識不明の重体となった者、重傷・軽傷を負った者を合わせれば三十名を超えていた。さらに、プロヒーロー、一名が行方不明となり、生徒一人も連れ去られてしまった。
時崎は、A組の仲間たちと共に入院している緑谷と八百万の見舞いに訪れていた。病室を訪れると、緑谷はすでに目を覚ましていた。
「テレビ見たか!? 学校、いまマスコミがやべーぞ!」
「春のときも酷かったけど、今回はそれ以上ね」
「メロンあるぞ。皆で買ったんだ!」
明るく振る舞おうとする声が続く中、常闇が俯き加減に口を開いた。
「……迷惑をかけたな、緑谷」
来る途中に聞いたが、常闇は個性を制御できず暴走してしまったという。しかも、あと一歩で自分も連れ去られかけていた。
「ううん……僕の方こそ……。A組のみんなで来てくれたの?」
緑谷の問いに、天哉がきっぱりと答えた。
「いや。八百万くんが頭部を強くやられ、この病院に入院している。昨日になって意識が戻ったそうだ。だから、彼女を除いた──」
「……十七人だよ」
低く轟が付け加える。その名を出すまでもなく、皆が欠けた存在を理解していた。
「爆豪が……いねぇからな」
「ちょっ、轟……!」
張り詰めた空気が一瞬広がる。しかし、それを押し切るように緑谷は必死の声で言葉を続けた。
彼の悔しげな言葉に、病室の空気はさらに沈む。
幼馴染を攫われて、何もできなかった悔しさ。
その痛みは、彼の胸に深く突き刺さっていた。
時崎はその様子を静かに見つめながら、心の奥で小さく思う。
(幼馴染を攫われたのに、何もできなかった……辛いですわね)
その声音は誰に聞かせるわけでもなく、ただ彼女自身の胸の内に沈んでいった。
誰もが緑谷の悔恨を受け止め、言葉を選びあぐねていると、切島が唐突に声を上げた。
「じゃあ今度は救けよう」
『『『『え!?』』』』
一同の視線が一斉に彼へ向く。唐突な言葉に困惑が広がったが、切島は怯むことなく続けた。
「昨日な、八百万の病室に顔を出したんだ。そしたら聞いたんだよ。あいつ、敵ヴィランの一人に発信機を取り付けたって。受信できるデバイスも作ってもらったらしい。……だったら、行けるだろ。救けに」
その一言に、空気が一変する。しかし、誰よりも早く反応したのは飯田だった。
「馬鹿者っ!」
机を叩く勢いで立ち上がり、顔を真っ赤にして怒鳴る。
「これはプロに任せるべき案件!俺たちの出ていい舞台ではないんだ!」
「んなもんわかってるよ!」
切島も負けじと吠える。
「でもさぁ!何っもできなかったんだ!ダチが狙われてるって聞いて、何っもできなかった!しなかった!……ここで動かなきゃ俺ぁ、ヒーローでも男でもなくなっちまうんだよ!」
その声は必死で、真っ直ぐで、しかし危うい。
皆も切島の言うことが分からなくはなかった。だが、それを認めてしまえば一線を越えることになる。
「切島、落ち着けよ。こだわりはいいけどよ、今回は……」
「飯田ちゃんが正しいわ」
「でも!まだ手は届くんだよ!」
議論が熱を帯びる中、轟が口を開いた。
「敵ヴィランは俺たちを“殺害対象”と呼んだ。けど、爆豪は殺さず攫った。……生かされるだろうが、殺されないとも限らねえ。俺と切島は行く」
その宣言は、病室をさらに揺るがせた。
「ふっ、ふざけるのも大概にしたまえ!」
飯田が声を裏返らせる。
「待て、落ち着け」
障子は低い声で制した。
「切島の、何もできなかった悔しさも。轟の、眼前で奪われた悔しさも……分かる。俺だって悔しい。だが、これは感情で動いていい問題じゃない」
その冷静な意見に、幾人かはうなずいた。
「オールマイトに任せようよ……戦闘許可は解除されてるんだし」
青山が言葉を重ねる。
「青山の言うとおりだ……」
「救けられてばかりだった俺には強く言えんが……」
重苦しい空気の中、蛙吹が静かに口を開いた。
「皆……爆豪ちゃんが攫われてショックなのよ」
彼女の声音は淡々としていたが、確かな重みがあった。
「でも冷静になりましょう。どれ程正当な感情であろうと……また戦闘を行うのなら、ルールを破るというのなら……その行為はヴィランのそれと同じなのよ」
その正論に、誰も反論できなかった。
病室を満たすのは、悔しさと焦燥、そして深い沈黙だけだった。
蛙吹の冷静な言葉に、熱くなっていた切島も轟も口を閉ざした。誰もが反論できず、病室は張りつめた沈黙に包まれる。
その時だった。
「確かに、ルールを破れば、ヴィランと同じかもしれませんわね」
落ち着いた声音が空気を切り裂いた。振り返れば、そこに立っていたのは時崎だった。彼女の瞳が静かに皆を見渡している。
「ですが、そのルールのせいで大切な人を見捨てるのなら、わたくしは喜んで“ヴィランと同じ”になりましょう」
思わぬ言葉に、一同は息を呑んだ。蛙吹は面をくらい、緑谷や切島でさえ言葉を失う。静かながら、確かな反論。
先に口を開いたのは飯田だった。
「時崎くん……なぜ君がそんなことを言うんだ!そんなことをすれば最悪の場合、ヒーローになれないかもしれないんだぞ!」
真面目な声色に、狂三は小さく笑みを浮かべた。
「そうですわね。その時は、探偵業でも始めましょう」
冗談めかすように言う。
「わたくし、頭の回転には自信がありますの。事件を解くのも、人を救うのも、そう変わりませんわ」
その余裕ある笑みに、誰もすぐには言い返せなかった。
時崎の言葉は、クラスに再び波紋を広げる。正義か、それとも大切な者か、答えを迫られるように。
「お話し中ごめんね。緑谷くんの診察の時間なんだが……」
医師が病室に入ってきて、張り詰めていた空気を和らげた。
「い……行こか。ここにいても邪魔だし……」
皆はそれぞれの思いを胸に、部屋を後にした。
そんな中で切島は声を潜め、しかしはっきりと告げた。
「八百万には昨日話をした。行くなら即行……今晩だ。重症のおめーが動けるかは知らねえ。それでも誘ってんのは、おめーが一番悔しいと思うからだ。今晩、病院前で待つ」
決意に満ちた眼差し。その言葉は、緑谷の胸に重く響いた。
そして夜。
病院の前には既に切島と轟、時崎が集まっていた。
「八百万……考えさせてっつってくれた……どうだろうな……」
切島が口を開く。
轟は腕を組み、短く応じた。
「まぁ……いくら逸っても結局あいつ次第……」
その時、視界の端に人影が映る。
「お、来た」
ゆっくりと歩み寄ってきたのは緑谷だった。
(緑谷さん...)
まだ包帯も多く、顔色も万全とは程遠い。それでも瞳は強く燃えていた。
「緑谷……まだ動いていい体じゃないが……」
切島は苦笑する。来るだろうとは思っていた。だが実際に姿を見せられると、胸の奥で複雑な感情が揺れる。
「八百万、答え……」
問いかけようとした瞬間、鋭い声が背後から響いた。
「待て」
振り返ると、そこに立っていたのは飯田だった。
「……何で、何でよりにもよって君たちなんだ……!」
彼の声は震えていた。だが怒りだけではない。悲しみと焦燥が入り混じっている。
「俺の私的暴走を止めてくれた君たち3人が……!何で俺と同じ過ちを犯そうとしている!あんまりじゃないか……!」
切島と八百万は目を瞬かせ、戸惑いを隠せなかった。
「何の話してんだよ……」
八百万も眉をひそめる。飯田の言葉の真意が読めず、沈黙するしかない。
飯田は苦しげに視線を落とし、唇を噛んだ。
「……俺はあの時、周りが見えてなかった。だから暴走した。けど……助けてくれたのは君たちだった。時崎くん、轟くん、緑谷くん……君たちが止めてくれたんだ。なのに今度は、どうして……」
彼の声はどこまでも切実だった。ヒーロー殺しの件を詳しく語ることはできない。それでも、その時に抱いた後悔と感謝が込められていた。
沈黙の夜風が、彼らの胸の迷いを冷たく撫でていった。
「飯田くん、違うんだよ。僕らだってルールを破っていいなんて」
緑谷が言い終える前に、乾いた音が響いた。
飯田の拳が彼の頬を打ったのだ。
(まぁ……)
時崎は、わずかに目を見開いた。
「俺だって悔しいさ!心配さ!当然だ!」
飯田は叫ぶように吐き出した。拳を震わせ、声も震えていた。
「俺は学級委員長だ!クラスメイトを心配するんだ!爆豪くんだけじゃない!君の怪我を見て、床に臥せる兄の姿を重ねた!君たちが暴走した挙句、兄のように取り返しのつかない事態になったら……!僕の心配はどうでもいいっていうのか!僕の気持ちは……どうでもいいっていうのか……!」
静まり返る一同。飯田の叫びは、苦悩と焦燥が剥き出しになったものだった。
呼びかける声は震えていた。だが飯田の瞳はなおも揺るがず、必死に仲間を引き止めようとしている。
その空気を切り裂くように、轟が口を開いた。
「俺たちだって、何も正面切ってかち込む気なんざねえよ」
低く、だがはっきりとした声だった。
「戦闘なしで救けだす。それだけだ」
その言葉に場の緊張が少し緩んだ。しかし同時に、その決意の重さも皆の胸にずしりと残った。
切島は腕を組み、周囲の面々を見渡しながら言葉を発した。
「今、俺たちに出来るのは隠密活動だ。それならルールに触れねえ」
「切島さんのいう通りですわね。わたくし達がする事は.....蛇の名が入った伝説の傭兵のように、スニーキングすることですわ」
その一言で、場の空気が一転する。
まさか時崎の口から、日本が誇る“ステルスゲーム”の名を思わせる例えが飛び出すとは、誰が想像しただろう。
一同は言葉を失い、驚きに目を丸くする。緑谷と切島は「お、おお……?」と目をしばたたかせ、轟でさえ僅かに眉をひそめた。
その一言に、場の空気が静まる。しばし沈黙が続いたのち、ついに八百万が口を開いた。
「分かりました、ですが……私は万が一を考え、私がストッパーとなれるよう……同行するつもりで参りました」
その声音は揺らぎなく、彼女の決意が込められていた。緊張した面々の視線が集まる。
「…………平行線か……ならば、俺も連れて行け」
飯田は言った。もし戦闘になるのなら問答無用で連れて帰ると、
その時、時崎が一歩進み出て、扇情的な笑みを浮かべる。
「安心してくださいまし。飯田さん、八百万さん」
艶やかな声が、薄闇の中に響く。
「もし、みなさんが暴走しようものなら……わたくしが銃なり、「わたくし」達で抑えつけますわ。後ろから....」
まるで冗談めかすように軽く言い放ったが、その眼差しに一片の揺るぎはない。その言葉を耳にした瞬間、緑谷たちの表情が一斉に引きつった。
彼女がそれを実際にやりかねないことを、誰もが想像してしまったのだ。
発信機が示す場所横浜市神野区。ついに辿り着いた一行は、誰ひとりとして引き返す気配を見せなかった。
「さあどこだ!八百万!」
到着早々、切島が気合いを込めて声を張り上げる。
(……隠密行動と言ったのは切島さんなのですが...)
時崎は、冒頭から雲行きが怪しいと肩をすくめた。
「お待ちください!ここからは用心に用心を重ねませんと!私たちはすでにヴィランに顔を知られているんですのよ!」
彼女が真っ当な指摘をすると、緑谷が勢いよく両腕をクロスし顔を隠した。
「う、うん……オンミツだ!」
(余計に目立ってますわね……)
時崎は額を押さえた。これではまるで「ここにいます」と自己紹介しているようなものだ。
「しかし……それでは偵察もままならんな。時崎くん、何か方法はあるか?」
飯田が真剣な顔で問いかけてくる。
「そうですわね……せめて服ぐらいは変えないといけませんわね。八百万さん?」
時崎は視線を八百万に向ける。
「ええ、実は私に提案がありましてよ!」
意を決した八百万が一歩前に出た。その表情は、少しの緊張を帯びていたが妙にテンションが高くも見えた。
八百万が指差した先には、煌々としたネオンを放つ激安の殿堂ドンキ・オオテがあった。
(……またもや波乱の予感がしますわね)
時崎の苦労は続く。