時崎は慎重に足をブーツに通した。黒光りする《トールギス》は冷たく硬く、しかし足に馴染む感触を残している。
発目によれば、唯一の機能として普通に歩けるよう、任意でオンオフできる機能があるという。だがその正体は、「歩いた分の力を蓄えて解放する」という、力加減の難しい超危険仕様だった。
時崎は軽く膝を曲げ、深く息を吸い込むと、覚悟を決めるように声を上げた。
「では……参りましょう」
次の瞬間、黒のロングブーツ《トールギス》のバネが解放され、彼女の体は凄まじい勢いで空気を裂いた。視界が一瞬で流れ去り、風圧が刃のように頬を叩く。重力の感覚が消え、代わりに押し潰されるような加速の重みが内臓を掻き回した。
「……ッ、殺人的な……加速ッですわ……っ!」
壁が目前に迫る。制御不能のまま衝突しかけた彼女は、必死に体をひねり、片足を床に叩きつけて無理やり姿勢を変えた。だが衝撃は緩和されず、逆に跳ね返るように骨を直撃する。右脚に走った亀裂音で、時崎は自分の脛にヒビが入ったことを即座に悟った。
(死にますわね....⁉︎このままでは....!!)
それでも止まらない。止まれば、ただの肉塊と化して床に崩れ落ちるだけだ。
二度、三度と跳躍を繰り返すたび、彼女の体は限界を超えて悲鳴を上げた。呼吸は荒れ、視界の端が黒く滲み、脳は揺さぶられて吐き気が込み上げる。胸の奥から逆流する血の味を噛み殺しながら、時崎は足を止めた。
「はぁっ、はぁっ……ッ」
胸を上下させながら、震える手で銃口を脚に向ける。
「《刻々帝》——【
弾丸の赤光が肉体に吸い込まれ、骨折のヒビが閉じていく。砕けかけた筋は繋ぎ直され、呼吸のたびに走っていた痛みが薄れていく。だが、それは一時的な修復に過ぎない。回復するたびに、その直後の衝撃が再び肉体を叩き潰すのだ。
「……ッ、代償が、これほどとは……!」
時崎は奥歯を食いしばり、再び前を睨んだ。初めて扱う《トールギス》それは彼女の体を確実に殺しにかかる。だが同時に、彼女を“人間を超える弾丸”へと変える。
「大丈夫!?時崎さん!?」
麗日は、ふらつくように歩く時崎の姿を見て、心配そうに駆け寄った。
「その、かなり無理してるように見えるけど……」
声をかけられた時崎は、血の気を失った白い頬を僅かに歪め、しかし唇には微笑を浮かべたまま、ゆっくりと麗日の方を振り返った。
「一つだけ忠告しておきますわ」
唐突に告げられた言葉に、麗日は目を瞬かせる。
「え?」
時崎は銃口を軽く下げながら、優雅に首を傾げた。
その声音は冗談めかしているのに、瞳の奥には冴え冴えとした冷気が宿っている。
「死ぬほど痛いですわ」
その一言で、麗日は息を呑み、返す言葉を失った。軽口にも聞こえるのに、確かにそこには“実際に体験した者”だけが知る重みがあったからだ。
麗日は結局、黙り込むしかなかった。
まだ制御は程遠い。だが、逃げることは許されない。
時崎狂三は、己の命を削りながら、次の跳躍へと足を踏み出した。
瞳は紅く光り、冷静ながらも微かに昂ぶる感情が表れていた。新たな力を手に入れたその瞬間、彼女の戦闘スタイルは格段に広がったのだ。
時崎は、新たに装着した《トールギス》のブーツを何度か踏みしめ、その挙動を確かめていた。先ほどの試験走行では、制御を誤れば一瞬で壁に叩きつけられるほどの推力を体感している。今度は少しでも安定させたいと、緑谷に参考を求めた。
「緑谷さんの“フルカウル”は常時どの程度で稼働しているのです?」
問いかけに緑谷は頷きながら答える。
「えっと……僕は今、常時5%の出力を全身に分散させてるかな。前までは0か100しか出せなくて体が壊れかけたんだけど……分散してやっと扱えるようになって..」
「なるほど、常時5%を...」
そこから、彼の悪癖が発動した。
「でも、すごいな時崎さん。ある程度の空中戦が出来るとはいえ、扱いが極めて難しい《トールギス》を履いて初めてでこんなに動かせるなら、すぐに僕と同じ.....それ以上の動きができるはず……いやでも僕のフルカウルは全身に力を分散させるのに対して、時崎さんのは脚に強烈な負荷がかかるから、少し条件が変わってくるな……いや待て、それなら脚部だけで常時制御するとなると——」
止まらない独り言。緑谷の脳内では理論が暴走していた。
一方、時崎は紅い瞳を細め、彼の言葉を拾いながら自分なりに結論を出す。
(……確かに、緑谷さんのように全身へ分散できるわけではありませんわね。わたくしの場合、全てが脚に集中してしまう……)
壁を避けるために咄嗟に蹴りを入れたとき、膝に鈍い痛みが走ったのを思い出す。最悪、戦闘中に骨折するかもしれない....いや確実にする。
あれが連続すれば、いずれ大怪我に繋がるのは明らかだった。
(となれば……常時の出力は、5%では足りませんわ。扱える範囲で、なおかつ動きに支障が出ない……常時10%。そのあたりが最適解ですわね)
紅の唇に浮かぶ微笑みは、自信と危うさを孕んでいた。
その姿を見て、緑谷は少しだけ背筋を凍らせた。彼女は、本気でこのじゃじゃ馬トールギスを乗りこなすつもりなのだ。
トールギスの試運転を終えて四日後。雄英の体育館γ、広いフロアに設置された《TDL》に時崎の姿があった。
黒のロングブーツ《トールギス》が床を蹴るたび、甲高い音と共に彼女の体は矢のように射出される。だが、その速度は常人が目で追える領域を超えていた。たった数秒で何十メートル以上も駆け抜け、次の瞬間には壁を蹴って跳ね返る。
しかし、少し前まで、まともに直進すらできなかったのも事実だ。
制御を誤れば即座に壁へ叩きつけられ、鋼鉄の衝撃が骨を砕く。実際、右肩にや肋骨に小さな亀裂骨折が走り、呼吸のたびに痛みに耐えねばならなかった。
脚部の反動を受け止めきれず膝を打ち砕き、床を転げたことも数え切れない。衝撃吸収などという甘い補助はなく、ただ鋼の脚が生む推進力を肉体で受け止めるしかない。
さらに加速に耐えきれず、視界が暗転した瞬間もある。強烈なGが脳を揺さぶり、思考が飛んでいく。無様に床へ倒れ込み、舌を噛んで血の味を吐きながら目を覚ましたことも一度や二度ではなかった。
トールギスの力加減は使用者の意志と肉体に完璧に依存している。出力を抑えるも暴走させるも、全ては操る者次第。緑谷からの助言で「常時10%を維持すること」を目標に据えたが、それは簡単に聞こえて恐ろしく難しい課題だった。
常時10%――つまり、どんな局面であろうと出力を崩さず保ち続けること。加速中に怯んでも、着地の衝撃に脚が悲鳴をあげても、血が滲もうとも、その数字を乱さぬようにしなければならない。
それは精神と肉体の双方に極限の緊張を強いる行為だった。
(……維持し続けなければ、全てが無に帰すのですわ)
そう理解しながらも、体は限界を迎えるたびに悲鳴をあげた。痣だらけの両脚、火を噴くように痛む筋肉、
幾度となく倒れ込み、その度に【
「……はぁっ!」
紅い瞳が鋭く細まり、息を吐いた瞬間、彼女は壁を蹴って宙を舞った。天井すれすれにまで跳躍し、体をひねりながら逆方向へと滑り込む。その残影は、人間というよりも、一発の弾丸そのもの。
時崎は、正直なところトールギスを短期間で扱えると信じていた。
慢心ではなかった。初めてであそこまで動けたなら上手くいく。そう思い込んでいた。
しかし、その想いはあまりに容易く打ち砕かれる。トールギスは、彼女の予想など嘲笑うかのように暴れ、叩き潰した。
黒のロングブーツが生む殺人的な加速は、まるで彼女の身体を人として扱ってはいなかった。
加速に耐えきれず視界は何度も暗転し、脳が揺さぶられ、床に転がるたび血の味が口内に広がる。骨が軋み、筋肉が裂け、呼吸をするだけで全身が悲鳴を上げる。
一歩間違えれば、死ぬ。
その現実を、時崎は身をもって思い知らされた。
「制御を誤れば命を落とす」それはただの警告ではなく、彼女の肉体に刻み込まれた事実だった。
(四日で、ここまで……。ですが代償は……決して、軽くはありませんでしたわね)
唇の端に滲んだ血を舌で拭い取り、時崎はなおも走り続ける。もはや彼女にとって痛みや恐怖は訓練の一部に過ぎなかった。
その姿は、己を弾丸と化す狂気の修練者、まさしく《トールギス》の適合者であった。
そんな緑谷も新たな装備「アイアンソール」を足に装着していた。鋼鉄製の補助パーツによって蹴り技の威力を強化し、フルカウルとの相性を高める。その名もシュートスタイル。従来の拳よりも脚の方が力を込めやすく、彼は今後これを戦闘の軸に据えるつもりでいた。
一方で、時崎もまた工夫を重ねていた。いくつかの足技を磨き、銃撃の威力も調整。より柔軟に、状況に応じた新技を身につけている。
互いの成長を確かめ合っている最中、突然、訓練場に響き渡る大声が空気を揺らした。
いや、違うんですよ。本当ならここでもう仮免試験開始しようとしたんですけど、仮にも《トールギス》の名を持つ装備を扱いこなす描写があまりに簡素で、自分に納得できなかったので、大幅に書き直した結果、こうなったんです....
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