入学早々の体力測定。雄英高校の新入生たちは、己の力を示す舞台に立たされている。個性の使用が許可されている以上、ただのテストではない。最下位は除籍というあまりにも理不尽な仕様であり、時崎もそのうちの1人であった。
[50メートル走]
時崎狂三は深紅の瞳を細め、手にした短銃を迷わず自分に向ける。
「《刻々帝》――【
乾いた銃声と共に時間の流れが狂三の身に宿る。次の瞬間、彼女は風を裂き、ゴールラインを四秒で駆け抜けた。
「は、速ぇ……!」
周囲がざわめく中、狂三は涼しい顔で息を整えるだけだった。しかし時崎より良い記録の者もおり特別に速いわけではない。
[握力]
握力計の前に立った狂三は、再び銃を掲げる。
「【
ぱん、と影からもう一人の自分が現れる。そのまま二人同時に計測器を握り込み。
「61キロ……!?」
女生徒陣の眉が動く。女子としては破格の数値だが、狂三の表情は変わらない。
[立ち幅跳び]
助走をつけ、飛び出す直前に再び自らを撃ち抜く。
「【一の弾】……ふふっ」
空気を裂いて跳躍は伸びたが、結果1m72cm。平均よりは上だが、特別な数値ではない。狂三は軽く肩を竦めて「相性が悪いですわね」と呟くだけだった。
[反復横跳び]
再び【八の弾】で二人の分身を生み出し、全員に【一の弾】を付与し全員で反復する。
結果――記録は212回。
生徒たちが目を見開く中、狂三は軽やかに銃を収めた。
そして。
ハンドボール投げを見学していたとき。轟音と共に誰かの叫び声がグラウンドに響き渡った。
「SMASH!!!」
振り返ると、緑谷が指から血を滴らせながら立ち尽くしていた。投げられたボールは信じがたい弾道を描き、雲の向こうへ消えていった。
(……緑谷さん、指でボールを弾き飛ばしたのでしょうか?ですが、その折れ方……個性が身体に合っていませんわね)
狂三が冷静に見定めている一方、爆豪はすでに爆ぜる寸前だった。
「どーいうことだコラァ!ワケを言えデクてめぇ!!」
「うわああっ!?」
案の定、爆豪が緑谷に詰め寄ろうとする、その瞬間。
カチリ
彼の後頭部に冷たい金属が押し当てられた。
「……動かないでくださいまし、爆豪さん。それ以上のオイタは許されませんわ」
『『『!?』』』
クラスメイトが驚く。
時崎の影から顕現した短銃が、容赦なく彼を制した。深紅の瞳は氷のように冷たく、銃口は寸分の迷いもなく爆豪に押し付けられている。
「テメェ!なんのつもりだ!」
怒声を上げて振り向こうとした爆豪だったが、銃口がさらに強く押し付けられた。
「動かないでください、と言ったでしょう?」
声は穏やかだが、そこに揺らぎはない。
「緑谷さんは、ただ個性を使ってボールを飛ばしただけですわ。それのどこに、不満がございますの?」
爆豪と時崎の間に、火花のような緊張が走った。
爆豪からは見えないが時崎は微笑んでいた。その表情は柔らかく、まるで日常の雑談でもしているかのように穏やかだ。だが口から紡がれた言葉は、氷の刃に他ならなかった。
「わたくし、普段は銃の威力をせいぜいゴム弾程度に抑えておりますの。人が死なない様に....」
にっこりと笑みを浮かべながら、時崎は爆豪の耳元に囁く。声は低く、しかしはっきりと響いた。
「ですが、その気になれば....あなたの頭を吹き飛ばすことだって、簡単に出来ますの。それでもいいなら、わたくしを殴るなり、蹴るなり、爆破したり、好きにしても構いませんわ」
さらりと告げられた言葉に、周囲の空気が一瞬にして凍りつく。まるで遊戯のように語られる“死の可能性”その場にいた生徒たちが息を呑むのが分かった。
「なっ……!」
爆豪の喉がごくりと鳴った。彼は怒鳴り声を上げようとするが、背後から押し付けられる銃口の存在が、彼の動きを一瞬だけ縛りつける。
狂三の笑みは変わらない。むしろ愉悦すら滲ませながら、平然と銃を押し付け続ける。それはつまり、『これ以上の狼藉を働くなら、あなたの命をここで終わらせる』という宣告に等しかった。
爆豪が苛立ちを露わにし、狂三の銃口が彼を押さえ込んでいたその瞬間。
「やめろ」
乾いた声がグラウンドに響いた。
いつの間にか、そこに相澤先生が立っていた。寝不足の影を残す瞳で、しかし確かな威圧感を纏って。
「……よく止めたな、時崎」
淡々とした声だったが、明らかに状況を見極めた上での言葉だった。
狂三は銃口を静かに下ろし、涼しい笑みを崩さぬまま一礼する。
「ありがとうございます、先生」
相澤はわずかに目を細め、髪の下から視線を鋭く送った。
「……俺の個性を何度も使わせようとするな。俺はドライアイなんだ」
言葉は短く、だが重かった。さきほどまで時崎の影から漂っていた死の気配を、確実に感じ取っていたのだろう。
「……だが、それはやり過ぎだ。二度とやるな」
狂三は肩をすくめ、銃を音もなく霧散させた。
「ええ、承知しておりますわ。わたくしも、こんなことは好んでやりたいわけではありませんもの」
にこやかな表情を浮かべながらも、その声にはどこかひんやりとした色が残っていた。
周囲の生徒たちは固唾を呑んで見守っていた。あれほど荒れていた爆豪ですら、一瞬だけ声を失っている。
相澤先生の一言で場は収束した。だが沈黙が続いたのはほんの一瞬だけだった。
「……お、おい今の見たかよ……」
「銃、だよな?……」
「マジで爆豪の頭吹き飛ぶとこだったじゃん……」
生徒たちは小声で囁き合いながらも、視線は一様に時崎へと集まっていた。彼女はそんなざわめきをものともせず、口元に微笑を浮かべて涼しい顔をしている。
「……やっぱ首席って、普通じゃねぇな」
「首席とか関係なく、あの人絶対やべーよ」
「でも……止めたのは事実だし。爆豪くん、本気で殴りかかるつもりだったし……」
言葉は錯綜する。畏怖、驚き、そして一抹の感心。どの感情も、今や時崎という名を鮮烈に脳裏へ刻みつけていた。
爆豪は歯を食いしばり、悔しげに狂三を睨みつける。だが銃口を突きつけられた時の緊張は、まだ完全には拭い去れていない。
そんな生徒を一望し、相澤はわずかに息を吐いた。
時崎はそんな視線を一切気にせず、ゆったりと歩みを緑谷のもとへと向けた。
「大丈夫ですか?緑谷さん」
「あ、時崎さん……ありがとう。だ、大丈夫だよ。あ、いや……指は大丈夫じゃないかな……」
緑谷の顔は苦痛と気まずさで歪んでいた。ハンドボールを投げ飛ばした時に右手の人差し指が完全に折れ曲がってしまったのだ。
狂三は小さくため息をつき、
「手をお出しくださいまし」
緑谷は戸惑いつつも、言われるがままに震える指を差し出す。次の瞬間、時崎は短銃を顕現させ、指先に向けて小さく囁いた。
「【
パァン、と乾いた銃声。光の弾丸が緑谷の指に吸い込まれる。すると折れていたはずの指が、まるで巻き戻しの映像を見るかのように変化し、骨折する前の状態へと修復されていった。
「えっ……!ど、どうやって!?」
緑谷が目を丸くし、自分の手をまじまじと見つめる。動かしても痛みはなく、違和感もない。
狂三はにこやかに、しかしどこか秘密を抱えたような表情で答える。
「わたくしの個性ですわ」
淡々と告げられたその一言に、周囲の生徒たちは再びざわめいた。
その後、長座体前屈、上体起こし、持久走。いずれの種目も、時崎にとっては決して悪い数字ではなかった。女子として見れば平均より明らかに上、むしろ優秀といえるだろう。
だが雄英ヒーロー科という環境においては、その評価は相対的に薄まってしまう。
純粋な身体能力を強化する個性を持つ者たちと比べれば、彼女の《刻々帝》はどうしても体力テストと相性が悪かったのだ。
「んじゃ、パパッと結果発表」
相澤の気だるげな声が響く。だがその一言で、生徒たちの胸に緊張が走った。
(どうか、僕じゃありませんように……!)
特に緑谷は心臓が破裂しそうなほどに鼓動を高鳴らせていた。額には汗、手は強張り、唇は何度も噛みしめられる。彼の記録はハンドボール投げ以外、振るわなかった。
間違いなく最下位争いに絡んでいるそう確信しているからこそ、全身で「頼む」と祈っていた。
その必死の願いを、相澤はまるで見透かしたように口を開いた。
「トータル成績が最下位の者は除籍。そのつもりで見ていたが」
呼吸が止まる。空気が張り詰める。次に出る一言で、誰かの夢が終わるのか。
「ちなみに、除籍はウソな」
『『『!?』』』
一瞬、全員が耳を疑った。だが確かに言った。担任の男は、眼を瞬きもせず「ウソ」と断言したのだ。
「君らの最大限を引き出すための合理的虚偽」
『『『はーーーーーーーーーー!?』』』
絶叫がグラウンドに響き渡る。
全員が一様に驚愕し、口を開けて固まる者もいれば、崩れ落ちる者もいた。中には怒りと安堵が入り混じった表情を浮かべる者もいる。
「あらあら……」
狂三は小さく微笑む。まるで一人だけ別の舞台を楽しんでいるような調子だった。
緑谷に至っては、その顔が、もはや別人のように歪んでいた。
結果は八百万百という女生徒が1位、時崎は9位と言ったところだった。
「……あんなの、噓に決まってますわ。ちょっと考えれば分かりますわよ」
安堵に胸を撫で下ろすクラスメイトの声が混じる中、八百万がぽつりと呟いた。
その言葉に、狂三は静かに微笑んで首を振る。
「いいえ。あれは噓ではなく……相澤先生は本気で、除籍を考えていましたわ」
「……え?ど、どういうことですの?」
同じく上品な口調を使う八百万が目を丸くし、そっと耳打ちを促す。
狂三は唇を寄せ、紅の瞳を細めた。
「相澤先生は、昨年度、担当した生徒を全員除籍にした前歴をお持ちですの」
「……っ!?ほ、本当ですの!?」
声を荒げそうになった少女を、狂三は扇子で制するような仕草をして押しとどめる。
「ええ。これは確かな情報ですわ」
実のところ。時崎は、体力テストが始まる前から一部始終を把握していた。
彼女の個性、《刻々帝》の一部である“時喰みの城”。それは周囲に影を張り巡らせ、踏んだ者の時間を奪い取る、恐るべき能力である。普段は倫理的にも決して使わない。ちなみに時崎の任意で時間を奪う人を選べるらしい。
だが、今回ばかりはほんの僅か、別の用途に応用していた。
“時喰みの城”には、【八の弾】で作った自らの“分身”を溜め込み、必要に応じて顕現させる副次的な機能がある。時崎はこっそりと影から分身を送り出し、校舎裏で様子を伺っていたのだ。
そこで見たのはオールマイトが、陰から1年A組を見守っていることだった。そして彼が相澤先生の経歴をファイルで確認していたことを。
分身は背後から、その資料を一瞥した。結果、時崎は相澤消太が「合理性」という名の下に、本当に除籍を繰り返してきた現実を知ったのである。
「だからこそ、先程の“合理的虚偽”は半ば本気、半ば方便ですわ。どちらに転んでもおかしくなかったのです」
相澤先生は結果を公表した後に教室に戻って教科書やプリントに目を通せと言って去って行ってしまった。
(本当に、凄い学校ですわ)
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