ターゲットマークにボールを命中させた瞬間、機械音声が冷たく響いた。
『通過者は控室に移動してください』
時崎は優雅に腰を伸ばし、唇に笑みを浮かべる。
「これで一次選考突破ですわね」
そう言うと、時崎達は他の通過者と共に控室へと移動した。そこにはすでに数名の雄英生が休息を取っている。
「皆は大丈夫だろうか……」
障子が不安げに口にする。
「アイツらなら大丈夫だろ」
先に居た轟が短く答える。その声には確信があった。ほどなくして、爆豪、上鳴、切島、そして緑谷、瀬呂、麗日が控室へと姿を見せた。
「あと八人か」
「アナウンスでは通過83名……枠はあと17人……大丈夫かしら……」
八百万が胸の前で手を組み、不安を隠さない。その時、試験監督の声が再び場内に響き渡った。
『ハイ、えーここで一気に八名通過来ましたー!残席は九名です!』
控え室の扉が開き、入ってきたのは傑物学園の面々。雄英の姿は見えない。
(残り九席……)
緊張感が漂う中、全員が固唾をのんでアナウンスを待った。
五分後。
『二名通過!!残りは七名!!六名!!四名!!続々と!この最終盤で一丸となった雄英が!コンボを決めて通っていく!!』
「!」
控え室の雄英生たちが息を呑む。声の抑揚から察するに、通過したのは彼らの仲間だ。
『ゼロ名!!百人!!今埋まり!終了です!ッハーー!!』
異様にハイテンションな声と共に、一次選考の幕は閉じられた。
『これより、残念ながら脱落してしまった皆さんの撤収に移ります』
急激にトーンダウンするアナウンスに、彼女は心中で呟いた。
(テンションの落差が激しいですわね……)
だが控え室の空気は一気に爆発する。
「おォオオ〜〜〜っしゃあああああ!!」
「雄英全員一次通っちゃったあ!!」
「スゲェ!!こんなんスゲェよ!!」
上鳴たちは喜びを隠しきれず、声を張り上げてはしゃいだ。過去の雄英生は選考突破率が低く、全員通過など前代未聞だという。
その熱気を冷ますかのように、モニターが不意に点灯した。
『えー100人の皆さん、これをご覧ください』
画面に映ったのは、先程まで戦っていた試験フィールド。だが次の瞬間――。
轟音と共に、フィールドの一角が爆ぜた。黒煙がモニターを覆い尽くす。
(まぁ……)
時崎が小さく目を細める。
『次の試験でラストになります!皆さんにはこれからこの被災現場で、「バイスタンダー」として救助演習を行ってもらいます!』
高らかに告げられた新たな試練に、控え室の空気が再び張り詰めていった。
「パイスライダー……?」
上鳴が首を傾げると、隣で耳朗が補足するように答えた。
「現場に居合わせた人のことよ。授業でやったでしょ」
さらに八百万が指摘した。
「一般市民を指す意味でも使われたりしますが……」
その言葉を遮るように、機械的なアナウンスが流れる。
『ここでは一般市民としてではなく、仮免許を取得した者として、どれだけ適切な救助を行えるか試して頂きます』
その瞬間、窓の外のモニターに人影が映り込んだ。
「む……人がいる……」
飯田が低く呟き、アナウンスは続いた。
『彼らはあらゆる訓練において今引っ張りだこの要救助者のプロ!HELP・US・COMPANY、略してHUCの皆さんです。傷病者に扮したHUCがフィールド全域にスタンバイ中。皆さんにはこれから彼らの救出を行ってもらいます』
(救助活動ですか……)
時崎狂三は顎に指を添え、静かに思索する。だがその表情はいつも通り余裕を崩さず、むしろ楽しげな色を浮かべていた。
そこへ場内にけたたましいサイレンが鳴り響く。
『ヴィランによる大規模破壊テロが発生!規模は〇〇市全域、建物倒壊により傷病者多数!』
アナウンスはさらに緊迫感を増していく。
『道路の損壊が激しく、救急先着隊の到着に著しい遅れ!!到着するまでの救助活動はその場にいるヒーロー達が指揮をとり行う、一人でも多くの命を救い出すこと!!』
(わたくしの分身達が活躍出来ますわね)
狂三の紅い瞳が妖しく細められる。
次の瞬間――開始の合図が鳴り響いた。
重苦しい緊張を切り裂くように、控え室から一斉に飛び出す受験生たち。百人の若きヒーロー候補生が、瓦礫に沈むフィールドへと駆け出していく。
(採点とは言いましたが、基準や採点方法は一切明かされていませんわね……)
時崎はそう胸中で呟きながらも、現場に向かった。
⸻
時崎が崩れた建物の影を駆け抜けていたその時、瓦礫の脇にうずくまる二人の老人を発見した。足を止め、彼女はすぐに声をかける。
「大丈夫ですか?」
「儂は平気なんじゃが、こっちが……」
白髪の老人が隣にいる女性を指差す。時崎は視線を落とし、女性に問いかけた。
「お婆様、立てますか?」
老婆は苦しげに首を横に振る。呼吸は安定しているが、下肢に力が入らないらしい。周りに患部を固定する物もない。こうした状況での判断力こそ、試験の狙いであろうと時崎はすぐに理解した。
(となると……手荒ですが、抱きかかえて運んだ方が良いですわね)
「分かりました。お爺様、お婆様。わたくしが分身を出しますので、以後は彼女達の指示に従ってくださいまし」
時崎は時を裂くようにして分身を二体顕現させる。
その姿を見た老人役の二人は目を丸くし、軽く身をすくませた。
「頼みますわよ、「わたくし」くれぐれも変な粗相はしないように……」
冷たい声音で本体が告げる。
分身達が老婆と老人を抱き上げながら、口の端を僅かに上げた。
「あらあら、怖いですわ。ねぇ、お爺様?」
「う、うむ……」
老人役の男性は思わず頷いてしまう。
その瞬間、背後から刺すような声が落ちた。
「……何か言いましたか?」
本体の時崎の冷ややかな眼差しに、老人役の二人は背筋を凍らせる。
「なんでもありませんわ」
「早くお二人を安全な所につれていきませんと」
分身と本体が同じ声色で交錯する、今までそういう個性を目にしてきたが、この不気味な状況に、彼らは試験であることを一瞬忘れそうになるのだった。
時崎が分身を駆使して傷病者を救助している最中、轟音がフィールドを揺るがした。
突如として立ち上る黒煙、爆ぜる炎――爆発音はただの演出ではなく、次の試練の合図であった。
(爆発……?)
瞳を細めた時崎は、即座に状況を測る。直後、場内スピーカーから鋭い声が響き渡った。
『ヴィランが姿を現し追撃を開始!現場のヒーロー候補生は、ヴィランを制圧しつつ救助を続行してください!』
(そういうことですの……)
煙の中から現れたのは、ただの敵役ではなかった。
白と黒のコントラストを纏った巨躯。サメではなく、シャチを思わせる異形の姿、その正体は、プロヒーロー・ギャングオルカ。そしてその背後に控えるのは、彼のサイドキック達。
「さあ如何する……全てを平行して出来るか。戦うか、守るか、助けるか、それとも逃げるか……どうする、ヒーロー!」
その威圧的な声と共に、試験場の空気が一変した。救助と戦闘を同時に求められる状況。候補生にとってこれ以上ない難題だ。
時崎は一瞬だけ思案するが、次の瞬間、彼女の分身の一人がすっと前に出た。
「救助は「わたくし」達に任せてくださいまし、本体の『わたくし』は足止めを」
その言葉に
だがその逆もまた真実だった。分身を信じ切れなければ、救助活動は成立しない。
それでも、時崎は躊躇しなかった。
時崎狂三という存在に、偽物など存在しない。本体も、分身も、すべてが”わたくし”であり、そこに優劣も虚実もない。
静かに笑みを浮かべ、時崎はギャングオルカの所に向かった。
「任せましたわよ、「わたくし」」
その声と共に、戦場の空気は一層張り詰めていった。
時崎は救助を分身に任せ、ギャングオルカが現れた場所に駆け出していた。彼女の視界の端に映ったのは、別行動で救助活動に奔走していた麗日の姿だった。
「麗日さん、状況は?」
黒のロングブーツ《トールギス》を小さく鳴らしながら彼女が問うと、麗日は額の汗を拭いながら答えた。
「今は、みんなで救助者を安全な所に避難してるところ。……向こう側で轟くんと士傑の夜嵐くんが戦っとるんだけど……」
「どうしましたの?」
問い返すと、麗日の表情は曇った。どうやら、あの二人の間には確執があるらしい。時崎は小さく息を吐く。
(あのお二人……こんな場面で言い争いなど、愚かにも程がありますわ)
麗日に軽く頷き返すと、彼女は戦闘の加勢に向かうことを告げ、走り出した。視線の先には、遠目にも協力的とは言えない光景が広がっている。轟の炎は、夜嵐の旋風に巻き上げられ、ギャングオルカへと届かない。
「なんで炎だ!!熱で風が浮くんだよ!!」
「さっき氷結を防がれたからだ。お前が合わせてきたんじゃねえのか? 俺の炎だって風で飛ばされた」
二人の声は遠くからでもはっきりと聞き取れた。
(言い争っている場面ではありませんでしょうに……)
その瞬間だった。轟の炎が夜嵐の風に押し出され、狙いを逸れてしまう。だが問題はそこからだった。
逸れた炎は、ギャングオルカに叩き伏せられて倒れていた真堂を目掛けて一直線に迫っていた。
(まずいですわね……トールギスを——)
彼女がリミッターを解放しようとしたその時、影のように飛び込んだ緑谷出久が真堂を抱え込み、炎から救い出した。
(緑谷さん、ナイスタイミングですわ)
息を呑みつつも、時崎は状況を冷静に見極める。いま、ヴィラン役のギャングオルカとその配下たちの視線は完全に緑谷へと向いていた。
(……この好機、逃すわけには参りませんわね)
黒い銃口がギャングオルカへと狙いを定める。紅い瞳が細く光った。
「《刻々帝》——【
乾いた銃声が響き渡り、黒い弾丸がオルカの胸を撃ち抜く。その瞬間、巨体は不自然に硬直し、まるで世界から切り離されたかのように動きを止めた。
時間が、止まったのだ。
(不意を突かれましたわね、ギャングオルカさん……)
時崎の唇がわずかに弧を描いた。
ギャングオルカの動きが《七の弾〈ザイン〉》によって凍りついた瞬間、時崎狂三は片脚のリミッターを外した。
「——ッ!」
黒のロングブーツ《トールギス》が床を削り、爆ぜるような音を立てて地面を蹴る。片脚だけの解放とはいえ、その速度はすでに人間の領域を逸脱していた。
次の瞬間には、時崎の姿は視界から掻き消え、気づけばギャングオルカの眼前に迫っていた。
(やはり……10%は現実的ではありませんわね)
彼女はここ数日の練習で学び取っていた。出力10%は、確かに凄まじい破壊力を誇る。しかし代償はあまりに大きい。
骨が砕け、筋が裂け、加速に脳がついていかず気絶する。
彼女が怪我を抑えつつ戦える現実的な出力は7〜8%。ただし、それは数値だけの話ではなく、時崎自身の感覚と制御が全てを握っていた。
彼女は止まっているギャングオルカに狙いを定め、空中でリミッターを解消した片脚を振り抜いた。
トールギスの内蔵スプリングは、地を蹴らずとも解放できる。
その場合、力は“足を振り出した方向”に推進力として変換される。つまり——跳躍よりもはるかに制御が難しい。だが成功すれば、この蹴りは破壊力に特化した蹴りとなる。
紅の瞳が細く光り、彼女の脚が弾丸のように閃く。
「はぁッ!」
解放された推進力がそのまま蹴撃へと昇華される。黒い残影を伴った脚がギャングオルカの胴を直撃し、鈍い衝撃音と共に巨体を蹴る。
時が動き出す。ギャングオルカの巨体は真っ直ぐに吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
周囲の受験生たちが息を呑む。
それは、ただの蹴りではなかった。人の体から繰り出されたとは思えぬ、まさしく弾丸そのものの威力。
時崎は、わずかに血の滲む唇を舐め、笑みを浮かべた。