ギャングオルカの巨体が壁に叩きつけられ、試験会場の空気が震えるような衝撃音が響き渡った。
その一瞬の隙を、時崎は逃さなかった。
周囲に散開していたギャングオルカのサイドキックたちが慌てて構える。彼らの腕には「セメントガン」と呼ばれる特殊なデバイスが装着されていた。発射されるのは液状のセメント。命中すれば瞬時に硬化し、標的を拘束する。ヒーロー相手の模擬戦を想定して作られた、実に厄介な兵装だ。
「……まずは、そのおもちゃを奪わせてもらいますわ」
時崎の唇に皮肉な笑みが浮かぶ。彼女は古銃を構え、黒曜石のように輝く銃口をセメントガンへと向けた。引き金が絞られる。
放たれた弾丸は、かつて印照との戦闘で見せた
銃声と同時に弾丸が炸裂し、眩い閃光と共にサイドキックたちの腕に装着されたセメントガンを次々と粉砕していく。爆ぜる破壊音が連鎖し、硝煙と破片が戦場を埋め尽くした。
その間も《トールギス》の推進機構を駆使し、時崎は俊敏に動き回る。狙いを外すことなく、一つまた一つと敵の武装を奪い去っていく姿は、もはや訓練相手ではなく悪夢そのものだった。
サイドキックたちの表情に浮かぶのは驚愕と恐怖。彼女の紅い瞳に見据えられた瞬間、全ての抵抗は無意味に思えた。
だが――。
壁に叩きつけられていたギャングオルカが、低く唸る声と共に再び立ち上がった。その巨体は揺れ、息も荒い。だが、その瞳から戦意が消えることはなかった。
「……流石に、今の攻撃は効いたな」
その声に場が張り詰める。
「どうする……時崎さん?」
隣で構える緑谷が問いかけた。
「さっきみたいに【七の弾】をもう一度、使えないかな?」
彼女は肩を竦め、小さく首を振る。
「いえ、それは難しいですわね。あれは不意を突いた一撃。二度も三度も同じ手が通じるほど、あのお方は甘くありませんわ」
「やっぱり……」
緑谷の顔が苦く歪む。
時崎の視線は戦場の隅へと向けられた。そこには倒れ込んだままの轟と夜嵐の姿がある。二人はまだ満足に動ける状態ではない。
それでも彼女は古銃を掲げ、【
「轟さん、夜嵐さん。お二人の協力が不可欠です。炎と風で、ギャングオルカの動きを止めてくださいます?」
だが、二人の瞳は互いに交わることなく、微かに逸れる。心の奥底に横たわる確執が、即答を阻んでいた。
幼き日の記憶。夜嵐が憧れのエンデヴァーにサインを求め、冷たく「邪魔だ」と一蹴された記憶。雄英推薦入試。僅差で勝利した夜嵐に歩み寄られながらも、轟は鋭い眼差しで拒絶を突きつけた記憶。
溝は深く、そして長かった。
「……出来ますわね?」
時崎が小首を傾げ、冷ややかな笑みを浮かべる。その圧力は言葉を超えたものだった。隣に立つ緑谷でさえ、思わず背筋に冷たいものが走るほどに。
轟と夜嵐は互いに視線を交わし、言葉なく頷いた。
轟の掌から炎が迸り、夜嵐の風がそれを巻き上げる。二人の個性が絡み合い、巨大な炎の渦が形成される。炎と風の檻が、ギャングオルカを中心に立ち塞がった。
「……これで封じ込めれば……」
時崎が細めた眼で光景を見つめる。だが、緑谷が小さく首を振った。
「ギャングオルカは乾燥に弱い……必ず、対策を持ってるはず。だから.....」
その言葉に、時崎は唇の端を吊り上げる。
「ふふ……なるほど。では、タイミングは任せますわよ、緑谷さん」
だがその瞬間。炎の檻の中心で、ギャングオルカが落ち着いた仕草でペットボトルを取り出す。水を頭から浴びせ、体を湿らせていく。
「……やはり、そうきましたか」
時崎の声には冷えた愉悦が滲む。
「いい連携だ。だが、技が通じないと分かったら、すぐに次を講じておくことだ!」
低く響く咆哮と共に、ギャングオルカの頭部から強烈な振動が走った。次の瞬間、広範囲に及ぶ超音波が解き放たれる。炎と風の檻は一瞬で掻き消え、轟と夜嵐は直撃を受けて膝を折った。
巨体を揺らし、二人へと迫るギャングオルカ。
「二人から離れてください!」
緑谷が飛び込み、蹴りを繰り出す。受け止められながらも、彼は壁となって立ちはだかった。
その直後――ギャングオルカの正面、死角に入り込む影。
彼女の紅い瞳が怪しく光り、漆黒のロングブーツ《トールギス》のリミッターが両脚同時に解放される。足元の床が爆ぜ、空気が弾ける音が体育館を震わせた。
時崎がトールギスで編み出した必殺技は二つ。一つはギャングオルカに最初に当てた、片脚を解放し、もう片脚を矛として叩き込む破壊力重視の蹴り。そして今、彼女が選んだのは両脚を解き放ち、純粋に吹き飛ばすことに特化した蹴り。
それら二つに、彼女は同じ名を与えていた。
尊敬する
「ドーバーガン」
宣言と同時、右脚が閃光のように振り抜かれ、ギャングオルカの顔面を直撃する。巨体が宙を舞い、一直線に壁へ叩きつけられた。
体育館全体が揺れるほどの衝撃。誰もが息を呑んだ。
そして――。
ブザー音が場内に鳴り響いた。
『えー、只今をもちまして、配置されたHUCが危険区域より救助されました。これにて仮免試験、全工程終了となります!』
張り詰めていた緊張が、一気に解き放たれる。時崎は静かに吐息を漏らし、額の汗を払った。
『集計の後、この場で合否発表を行います。怪我をされた方は医務室へ、他の方々は着替えてしばし待機してください』
アナウンスが響き、生徒たちはそれぞれの思いを抱えながら退場していく。
やがて――合格発表の時間。
壁一面に貼り出された名簿を前に、生徒たちが群がる。時崎は紅い瞳で冷静に名前を探し、やがて小さく呟いた。
「……ありましたわ」
唇の端に、わずかな笑み。
だが同時に、彼女の視線は二つの名前がそこにないことに気づく。
轟焦凍、爆豪勝己。
その名は、合格者一覧には記されていなかった。
ざわめきが広がる会場に、再びアナウンスが響く。
『えー、全員ご確認いただけましたでしょうか? 続きましてプリントを配布します。採点内容が詳しく記録されておりますので、必ず確認してください』
その言葉と同時に、目良の近くに控えていた黒服の人影が一斉に動き出した。サングラス越しの視線は鋭く、無言のまま整然とプリントを手にしていく。
会場の空気が、再び静まり返った。