時崎達は轟を捕まえ、残る相手は障子目蔵。轟のような派手さはないが、彼の存在は決して軽視できるものではなかった。
障子の個性『複製腕』は、肩から伸びる二対の触手の先端に、目や耳、腕など自身の器官を複製させるというものだ。その特性によって索敵能力はずば抜けており、仲間を守り、敵を捕らえるには打ってつけの能力。しかも身体能力も高く、握力は常人を遥かに超える540キロという数値を誇る。
そのフィジカルは、時崎にとってまさしく天敵といえる相手だった。力と力で押し合えば、一瞬で押し潰されるのは彼女の方だろう。だが時崎は、最初からそれを理解していた。
彼女は銃口を弄ぶように撫でる。戦いはただ力をぶつけ合うものではない。想定外を押し付け、相手の思考の隙をつく。それこそが彼女の得意とする領域だった。
障子目蔵は迷わずビルへ足を踏み入れる。オールマイトからの通信で轟の捕縛を知らされた瞬間、胸の奥に熱が走った。轟が倒れるとは思っていなかった。だからこそ、次は自分が全力でやる番だと、そう覚悟を固めた。
しかし一歩目を踏み入れたその先、影がすっと揺らぎ、そこから姿を現す者がいた。
「お待ちしてましたわ。障子さん」
長銃を抱え、余裕の笑みを浮かべる時崎。その声音は、挑発でも威嚇でもなく、まるで客人を迎えるかのように穏やかだった。
障子は反射的に数歩後ろへと跳びビルの外に出る。肩から伸びた触手の瘤がぞくりと揺れ、複製された目と耳が瞬時に周囲を探る。
「……轟を捕まえたのはお前か?」
低く鋭い声。だが狂三は首を横に振り、楽しげに返した。
「いいえ、捕まえたのは葉隠さんですわ」
「葉隠が?」
障子の眉が動く。あの透明少女が、自分のパートナーを捕まえた。時崎は銃口を軽く傾け、愉快そうに言葉を続ける。
「ええ、彼女がいなかったらこの作戦は上手くいきませんでしたわ。それに、尾白さんがいなかったら時間稼ぎがもっと大変でしたでしょうね」
障子の瞳が細められた。この女は、自分たちを明確に役割分担させ、そして確実に成果を上げている。ただの見せ場ではなく、緻密に組み立てられた戦術だった。
「……なるほど。だから轟が負けたのか」
障子の声には驚きと同時に、相手を認める色が混じっていた。
障子は肩から伸ばした触手を一気に広げ、先端に「目」と「耳」を複製した。複製された器官は瞬く間に四方へと散り、視覚と聴覚を網の目のように張り巡らせていく。死角はない、彼の確信は揺るがなかった。
「……索敵なら俺は負けない」
障子の声には静かな自負が滲んでいた。事実、同年代でここまで広範囲かつ正確に周囲を把握できる者はそういない。
彼の耳は、わずかな足音すら拾い上げていた。葉隠が死角から忍び寄ろうとしている事も。尾白が核のある部屋に控えている事も。すべて、障子には見えていた。
だが、それを承知で時崎は微笑んでいた。長銃を軽く傾けながら、優雅に言葉を紡ぐ。
「ええ、葉隠さんはあなたの死角に。尾白さんは核を守って待機しております。……ならば、ここでわたくしが取るべき選択肢は一つ」
赤黒のドレスの裾が揺れる。艶めかしい声音が、場を支配した。
「あなたを、この場で倒すこと一択ですわ」
設置されたモニターを通して見守っていたクラスメイトたちは一斉にざわめいた。オールマイトですら、わずかに表情を険しくする。
障子目蔵。生徒の中でも屈指のフィジカルを誇り、その握力は常人の比ではない。しかも「複製腕」による索敵能力は狂三にとって相性の悪い部類の個性のはずだ。
常識的に考えれば、まともにぶつかれば勝ち目はない。誰もがそう思った。だが、
「……あの女なら、なんかやる」
腕を組んでモニターを睨みつけていた爆豪だけは、確信をもっていた。時崎が自分より弱い相手に真正面から挑むはずがないことを。彼女は必ず、想像を越えた策を隠している。そう確信していた。
時崎が掲げた短銃の銃口がわずかに輝き、次の瞬間、彼女の姿が掻き消えた。
「【
加速した時崎は、疾風のような動きで障子に肉薄し、連射した銃弾が鋭い光線のように一直線に走る。
だが、障子は怯まない。複製した「目」と「耳」で弾道を正確に読み取り、身をひるがえして軽やかにかわすと、巨腕を振り抜いた。
風圧だけでも壁が震え、拳が叩き込まれたビルの壁は深々と陥没し、破片が弾丸のように四方へ飛び散る。
「あらあら、見事な攻撃力ですわね」
時崎は優雅に笑いながらも、一瞬も気を抜かず後方に跳ぶ。
「……やはり、強力な個性だ。油断ならない」
障子も冷静に分析していた。拳を振るうたびにビルそのものが軋みを上げる。
二人の攻防は長く続き、外に火花のような衝撃音が響き渡る。障子は次第に悟り始めていた。フィジカルで押し切れると思ったが、時崎の速度は想像以上に速く、正面から捕らえるのは難しい。
ならば戦う必要はない。核に触れれば勝利条件は満たされる。
障子はそう結論づけ、時崎との距離を一瞬で断ち切ると、ビルの入り口へ向けて駆け出した。
「そうはさせませんわ」
時崎の銃口がわずかに傾き、妖艶な声が響く。
「【
放たれた弾丸は障子を狙ったものではなかった。狙いは先ほど彼が殴り飛ばして撒き散らした壁の破片。弾丸が触れた瞬間、破片はまるで時間を逆再生するように軌道を戻していった。
「っ……!?」
その直線上にいたのは障子自身。戻ろうとする破片が彼の背中に激突し、鈍い衝撃とともに彼の巨体がぐらりと揺れる。避ける間もなく、障子は膝をついた。
時崎は【四の弾】を回復として使っているが、本質は「回復」ではない。真の能力は、対象の時間ごと「元の状態に巻き戻す」こと。
壊れた破片ならば砕ける前の位置に戻ろうとする。時崎はその原理を戦闘に応用し、障子が通り過ぎた直線上に破片を戻したのだ。
「くっ……!」
膝をついた障子だったが、それでも崩れ落ちはしない。肩の触手で地面を掴み、体を支え、必死に前へ進む。
「……っく……まだだ……!」
その執念は凄まじかった。巨体が揺れながら突き進む。ビルを抜け、核が安置された部屋まであとわずかだった。
そのとき。
『タイムアップ!!』
オールマイトの声が響き渡った。
「……っ!?」
障子は思わず足を止める。目に映る核が、遠くのように見えた。
静かに銃口を下ろした時崎は、艶やかな笑みを浮かべる。
「お疲れ様ですわ、障子さん。……わたくし、最初からあなたを倒すつもりはございませんでした」
「……何?」
かすれた声で問い返す障子。その瞳には悔しさと困惑が入り混じっていた。
「ヴィラン側の勝利条件は二つ。ヒーロー全員を捕縛すること。そして、制限時間まで核を守り抜くこと。……核を守るのに必要だったのは、あなたを足止めし、時間を稼ぐことですわ」
淡々と告げられる言葉は、残酷なまでに冷静だった。それにと続けて、
「ヒーローがヴィランの言う事を真に受けてはいけませんわ」
その言葉が響いた。障子は己の索敵力を誇っていた。複製した目と耳で死角を潰し、仲間の位置を把握し、強靭なフィジカルで押し切る。それこそが自分の戦い方。だが、時崎は初めから正面から挑むつもりなど毛頭なかったのだ。
彼女はただ、倒す必要のない相手を、無理に倒そうとはしなかった。
狂三は銃をくるりと回し、背を向ける。その姿は余裕に満ち、まるで戦場の舞台を優雅に去る女優のようであった。
「さぁ、講評の時間だ!!」
オールマイトの朗々たる声がモニタールームに響き渡る。戦闘訓練を終えた生徒たちは、それぞれ疲労を浮かべた表情で席に着き、巨大なスクリーンを見上げていた。そこには先ほどまでの模擬戦の映像が繰り返し映し出されている。
「今回の焦点は誰が最もMVPに相応しかったのか、そしてその理由だ!」
全員がごくりと唾を飲み込む。爆豪は不機嫌そうに腕を組み、轟は表情を変えずに黙して映像を見つめていた。
「勝敗の結果は既に知っての通りだ。しかし、ただ勝つことが全てではない! この訓練で最も価値ある働きをした者こそが真の意味での勝者だ!」
そう言ってオールマイトが力強く指を差したのは、端に座る時崎狂三だった。
「今回のMVPは、時崎少女だ!」
ざわめきが広がる。
「彼女はまず戦況を正確に分析し、仲間二人を活かす立ち回りを徹底した。尾白少年と交代しながら時間を稼ぎ、葉隠少女を死角に潜ませて捕縛の決定打を与えた。そして最後は障子少年を真正面から相手取り、倒す必要はないと見抜き、制限時間切れという勝利条件を完璧に守り抜いたのだ!」
その解説に、生徒たちは改めて時崎の戦いを思い返す。あの艶やかな笑みを浮かべ、相手を翻弄していた姿。戦局そのものを支配していた姿。
「戦闘とは力を誇示することではない。状況を制する者こそが真の勝者だ!それを示したのが時崎少女であった!」
オールマイトの声が講評を締めくくると、狂三はゆるやかに立ち上がり、深々と一礼した。
「光栄ですわ」
その声音は艶やかでありながら、どこか涼やかでもあった。
反応は様々で爆豪はいつものように暴言を吐くがその声は小さく、背を預けた。
「……戦い方を学ぶなら、彼女から学ぶべき点は多いな……」
轟は無表情のまま小さく言葉を落とした。
「だが!」
オールマイトはわざと声を張り上げ、全員の意識を一気に引き寄せた。
「今回の戦闘を支えた“陰の功労者”がいることを、決して忘れてはならない!」
その言葉に、生徒たちは思わずざわめいた。視線が一斉に時崎に集まっていたのを、強引に引き剝がすような響きだったからだ。
「尾白少年、そして葉隠少女!」
突然名前を呼ばれた二人は驚きに目を丸くする。
「君たち二人が果たした役割は決して小さなものではない!尾白少年は交代しながらの戦闘で敵の視線を引きつけ、時崎少女の策を成立させるために絶え間なく身体を張っていた!その献身なくして、あの瓦礫の積み上げは到底間に合わなかっただろう!」
尾白は気恥ずかしそうに頭をかきながら、ちらりと狂三を見る。彼女は軽く頷き、静かに微笑み返した。
「そして葉隠少女!」
「は、はいっ!」
透明な身体が反射的に直立し、声だけが響く。
「君は最後の最後で核を守り切った立役者だ! その存在を“気づかせない”ことそのものが最大の武器となった!ヴィランに必要な狡猾さを完璧に体現していたぞ!」
「え、えへへ……」と声が消える。姿は見えなくとも、照れているのがありありと伝わる。
オールマイトは両腕を広げ、堂々と総括した。
「時崎少女の知略は見事だった!だがそれを支えた尾白少年と葉隠少女の働きなくして、あの勝利は成立しなかった!チーム全員が役割を果たしたからこそ勝利を掴んだのだ!」
生徒たちは一斉に拍手を送る。その中で、尾白と葉隠はまだ実感が湧かぬように互いを見合い、小さく笑い合った。
放課後。戦闘訓練を終えた生徒たちがそれぞれ帰路につく中、時崎は図書室で静かに本を閉じた。気づけば一冊を読み終えており、時の流れを忘れるほど没頭していたのだ。
「そろそろ帰りましょうか」
小さく呟き、彼女は玄関で靴を履き替え、校舎の外へと歩みを進めた。夕焼けの光が差し込むその瞬間、耳に飛び込んできたのは荒々しい怒声だった。
「爆豪さんに……緑谷さん?」
時崎は足を止め、少し距離を置きながら耳を傾ける。聞こえてきたのは、二人のねじれた関係を象徴するような会話。そして爆豪が、自分こそがナンバーワンヒーローになると高らかに誓う声だった。
会話が終わり、何事もなかったかのように歩き出したその時。
「おい!片目隠れ!!」
爆豪勝己の怒鳴り声が、背中に突き刺さる。彼女の左目を髪で覆っている特徴を指した言葉だろう。だが時崎は振り返らず、静かに歩を進めようとした。彼女は時崎狂三であり、決して「片目隠れ」などという存在ではないからだ。
「無視すんじゃねぇ、クソがッ!」
振り返った狂三は、涼やかに微笑んだ。
「あらあら、片目隠れとは一体誰のことでしょう?わたくしには時崎狂三という名前がございますの。わたくしのことは『時崎』か『狂三』、なんでしたら『時崎ちゃん』か『狂三ちゃん』でも構いませんわ」
「誰が呼ぶか、クソが!!」
爆豪は苛立ちながらも、渋々と名前を呼ぶ。
「おい、時崎!俺はここで氷の奴や……テメェを超えて、一番になってやる!!必ずだ!!」
狂三は一瞬目を細め、その宣言を受け止めると、わざと挑発するように微笑んだ。
「ええ、どうぞ頑張って超えてくださいまし。もっとも……わたくしを簡単に超えられるなんて.....思い上がらないよう、お気をつけくださいまし」
爆豪の眉間に青筋が浮かぶ。夕暮れに照らされた二人の間には、火花のような緊張が漂っていた。