待ち合わせのカフェには大きな空白が現れていた。
物理的な意味だけではなく、おそらく心理的な意味でも。
空白の中央にいるのは見覚えのある青年だ。
黙っていれば、あるいはゲームをせずに普通にしている限りでは好青年にも見える、ごく普通の男の人。
それが虚空に向かって話しかけている。
手振り身振りで無の機嫌を取ろうとしているようにも見える。
彼が変質者として手配されていること以外にも、その様が周囲との心の距離を物理的にも可視化している要因であることは疑いようもない。
まあなんというかちょっとアレに見えるかもしれないが、たぶんあの視線の先にはカードの精霊がいるのだろう。
たぶん、おそらく、きっと、例のカテゴリに属しているあんまり名前を呼びたくはない精霊さんが。
カードの精霊というのは見える人と見えない人が居る。
私は見えない人で、世間一般的にも見えない側の方に大きく比率が偏っている。
そのため処世術というかなんというか、マイノリティである見える側の人が彼らとの交信の際にはそれなりに配慮するというのが一般常識、らしい。
ぶっちゃけその辺あんまり詳しくないのだ。
そもそも私はこの世界の義務教育を学校で修めたわけではなく、家主からそれっぽい感じの手解きを受けているに過ぎない。
幼い頃から生活していく上で自然と学ぶことの出来るわざわざ言語化する必要もないような事柄、要は『この世界ではあまりにも常識的過ぎること』に私はどうしても疎いのだ。
カードゲーム関連の一部を除けば元の世界とあまり常識に差はないので大きな問題にこそなっていないものの、逆に細やかな差異で常識の違いが浮き彫りになってしまうことも多々ある。
今回の場合具体的には、精霊との付き合い方って学校で教えてくれるかどうかをそもそも知らない、とかである。
リアちゃんとかを見るに、ああいう姿を見せるのが一般的ではないのはまあ分かる。
たぶん脳内通信とかもやろうと思えば出来るのだろう。
あくまでホビアニ基準の想像ではあるのだけど。
「や、おにーさん。お久しぶりです」
「君は……? あぁっ! 君か! ……すまない、迷惑だっただろう?」
「え、はい、めっちゃ迷惑です」
そこは素直に答えておく。
ちょっとショボンとされてしまったが、線引きはしっかりするべきだろう。
今日だって休日を潰して付き合っているのだ。
そう何度もいい様に使われてたまるものか。
「そうか……そうだろうね。けれど来てくれてありがとう。どうか話を聞いてくれないだろうか?」
「いやまあ来たからには聞きますけど、カードの精霊は見えないんで力にはなれないと思いますが……」
「わざわざ君に頼んだのは、僕の周囲には、僕より確実に強いと言える相手がいなかったからなんだ。これでも中位一歩手前くらいの実力はあるからね。あまり自慢できるレベルではないのだけれど」
「あー我侭っ子なんですか。生まれたての精霊はそんな感じって聞いたことあります」
生まれたばかりのカードの精霊は力を持った子供のような存在だ。
この世界産の精霊であれば最低限のルールは弁えているそうだが、彼らが生まれつき身に付けているのは神様の敷いたルールであって、人のルールではない。
普通の人より出来ることが多いが、やってはいけないことに対する知識が不足していると言えばいいだろうか。
ちょっと話し合って決めるようなことにまでゲームを持ち出して無理矢理我侭を押し通そうとすることもあるらしい。
この世界はカードゲームで全てが決まるのは確かなのだが、一番強いからといって全てが許されるというわけではない。
カードゲームの強さは個々人の強さに依存し、群れたところで足し算のように強くなるわけではない。
右手を光らせ会心の一手を引き込んだとしても、この世界ではその程度、戦術の一端に過ぎないのだ。
いくら弱いプレイヤーが束になったところで、強者と相対すれば順繰りに倒されて終わるだろう。
だけど、この世界はちゃんと今日まで存続している。
ありていに言えば、圧倒的強者に弱者たちが抗うためのシステムも存在しているということだ。
その名もレイド戦。
一人の絶対強者に、無数の弱者が挑みかかるというゲーム形式。
なお薫さんは現在、このレイド戦のボス側に配置されて100万からなる一般人たちに取り囲まれている。
というのも、例のミソバゲットワンキルをゴールデンタイムのお茶の間にお届けしやがったからだ。
そのあまりにも酷い絵面は放送事故なんてものではなく、CCCやテレビ局にお便りが飛び交い阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのである。
勝利者インタビューで子供が真似したらどうするんですかと詰め寄られ、勝ち星が増えるよやったねとにこやかに返したその姿に、全国のPTAが立ち上がった。
彼らは虎視眈々と報復の機会を待ち望んでいたうんこまん被害者の会の方々と連携を取ると速やかに署名を集め、レイド戦の開催に託けたのだ。
よく考えてみて欲しいのだが、カードゲームというのは一回の試合にそこそこ時間がかかる。
女神様の開始宣言や勝利宣言でも地味に時間を取られるし、スムーズに終わっても大体5分から10分はかかるだろう。
では100万試合となるとどれほどの時間を浪費することになるのか、というのがレイド戦の重要な部分だ。
1試合5分としても500万分、83333時間で、3472日。9年と6ヶ月。
それだけでも十分過ぎるし、挑みかかる桁をひとつ増やせばほぼ100年だ。
試合から逃げた時点で不戦敗を取られるのも考えれれば、事実上詰んでいる。
また、【ビクトリカ】カテゴリには様々なビクトリカカードが存在していて、それぞれ特殊勝利の条件が異なっている。
中でも【完全勝利のビクトリカ】は【ライフが初期値以上のときに特定のカードが全て手札に揃うと勝利】というカード。
確率的には実に658008回に1度、運次第で、ゲーム開始と同時に勝利することが出来たりもする。
そして、確率は物量で埋めることが出来る。
老衰タイムアウト、あるいは、勝つまで群がるビクトリカ。
囲んで棒で叩くならぬ、囲んで札でしばくという、この世界に古来より伝わる必勝法である。
なお後日の話になるが、一斉にかかってこいやした薫さんは100万人を同時に相手取り、2名の完全勝利にぶち当たってクレーターの中でぷすぷすと煙を上げていたとリアちゃんから連絡を受けた。
あの子も恋人の愛用品であるバゲットカードがあんなふうに使われてぶちギレていたひとりである。
薫さんはそれからしばらく、同様にレイド戦で封印処置を施されている、けれどパックを入手できず環境のインフレには追いつけていない過去の強者たちをしばき回す仕事に励んでいたそうな。
3ヶ月ぶり、N度目の数え切れないほど起きている出来事だ。
あの人は定期的にやらかすのである。
話が大幅に脱線したが、ようは精霊の情操教育をするのにも一定の実力が必要ということだ。
言うまでもないかもしれないけれど、精霊が自分のカテゴリのデッキを使用する場合は大体LEDが発動する。
そしてLEDに対処できるかどうかが下位と中位の壁なわけで、下の上である彼にはちょっと手に余るというのも分からない話でもない。
「うーん、でも私も下位クラスですよ? 先生がいいのでそこそこやれてますけど、確実に対処できるかって聞かれるとかなり怪しいです。声も姿も分からないのでどうしたって迂遠なやり取りになっちゃいますし……」
正確には対処法を学んではいるが、その状況で適切なカードが盤面に配置できているか、というのに自信がない。
薫さんが言うには試合数の不足でランキングのポイントが足りていないだけで、今の私でも中の下くらいの実力はあるらしい。
あの人はそのあたり嘘を言う人ではないので目利きは信頼できるのだが、いかんせん相手が相手だ。
あと単純にこいつのデッキとは二度とやりたくないのもある。
同じ勝ち方が何度も通用すると思えるほど甘くはないだろうし、羞恥的な意味でも戦いたくはない。
どこかに中位以上の実力者で、精霊にも詳しくて、こんな頼みを聞いてくれそうな優しい人はいないかと考えたところで、ひとりの該当者が頭に浮かんだ。
浮かんだのだが、はたしてこんな面倒事を持ち込んでしまっていいのかとも考えてしまう。
普通に困ってる人であれば私も取り次ぎを渋ったりはしない。
だがこいつは変質者だ。
もう一度言おう、こいつは変質者である。
私も被害にあってる以上、甘い目で見たくはない。
「そもそもカードの精霊との関わり方ってそんな上から押さえつけるもんなんですか? 格上からのしつけを前提で考えてるって言うのがどうにも……」
「普通の精霊なら僕もこんなに悩まなかったんだけど……この子は【オーマン湖の精霊】の精霊なんだ」
「…………はい?」
困ったように苦笑を浮かべながら、何かを撫でるように虚空を掻く彼の言葉に、一瞬思考が止まる。
「信じられないかもしれないけれど……僕の演じていたキャラクターが、精霊として実体を持ったのがこの子なんだよ」
あ、これ完全にキャパ超えてるわ。
そう判断した私の指は、速やかに連絡先からDoll-Houseの番号を選んでいた。