フェイトオブエクシリア   作:シュキヨ

107 / 116
決戦前夜 前編

 濃い霧が地を這うように流れ、空は今にも泣き出しそうな灰色の雲で覆われている。沈黙をたたえたその場所、ファイザバード沼野は、まるで息をひそめているかのような静けさに包まれている。

 

 深い緑の木々は風に揺れることなく、静かにそびえ立ち、ところどころ傾いた倒木が、過去に起こった嵐の記憶を物語っていた。

 

 そんな場所に設けられた野営地は、湿った大地の匂いと、遠くの水鳥の鳴き声に包まれていた。

 兵士たちが行き交う中、ジュードたち一行にはひときわ大きな天幕が用意されている。

 

「お待ちしておりました。こちらが皆様のテントとなります。……もう、お休みになられますか?」

 

 兵士の問いかけに仲間たちは頷き、各々が休息の支度を始めた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 野営地の片隅、焚き火の残り火が赤々と煤けた丸太の陰を照らしている。

 そこに腰掛け、ぼんやりと薄暗い空を仰いでいる少女がいた。レイアだ。

 

 湿った風が髪を揺らす。けれど彼女の視線の先にあるのは曇天に覆われた空。

 どこまでも重く、どこまでも黒い。

 

 胸の内を映したような空の明るさに、思わずため息がこぼれる。

 

 足音が近づいた。

 レイアが振り返ると、炎に照らされ現れたのはミラだった。

 

「レイア?」

 

「あ、ミラ」

 

「どうした? こんな所で」

 

「ううん。何でもない。ちょっと空を眺めてただけ」

 

「空?」

 

 ミラが見上げる空には、一つの光も見えない。

 

「別に何かが見たかった訳じゃないよ。……たださ、色んなことが一気にありすぎて、疲れてるはずなのに、全然眠れないって感じ」

 

「そうか」

 

「ミラこそ、どうして?」

 

「ん? いや、私も特に理由はないさ。ただ君と同じで、眠れないってだけだ」

 

「そっか」

 

 ミラが隣に腰を下ろす。湿った丸太がきしみ、ふたりの間に小さな沈黙が落ちる。

 暗い空から吹く風が肌を撫で、遠くで兵士の声が薄っすらと聞こえてきた。

 

 やがてレイアが、膝の上で手をもじもじと組むと、胸の奥に溜め込んだ言葉を、つい口にしてしまう。

 

「……ね、ねぇミラ」

 

「どうした?」

 

「その……ジュードのことなんだけど……」

 

「ジュードがどうした?」

 

「その……」

 

 言葉が喉の奥で絡まり、目線が泳ぐ。

 伝えたい想いは確かにあるのに、それを口にすれば何かが変わってしまう気がして――レイアは慌てて首を振った。

 

「……あぁ、うん。やっぱいいや。何でもない」

 

「そうか」

 

 あっさりとしたミラの返事に、レイアは照れくさそうに肩をすくめた。

 だがミラはふと真剣な眼差しを向ける。

 

「代わりといっては何だが、私も気になっていたことを聞いてもいいだろうか?」

 

「おっけー♪ 何でも聞いて」

 

「黒匣(ジン)のこと、何か知っているのか?」

 

「え……ど、どうして?」

 

「ル・ロンドでジュードから黒匣の名を聞いた時、これまでの人間と驚き方が違った」

 

「よく……見てるんだね」

 

 その鋭さに、レイアの心臓が跳ねる。

 隠してきたものを見透かされたようで、戸惑いと恐れが胸を締めつけた。

 

 けれど、ミラの瞳はただ真っ直ぐで、糾弾ではなく理解を求めている。

 その眼差しに促され、レイアは小さく息を吐いた。

 

「……わたしね、小さい頃に怪我をしたことがあったんだけど――」

 

 レイアは膝に手を重ね、ぽつりと声を落とした。

 

 その言葉にミラの瞳がかすかに揺れる。

 

「うむ。ジュードが言っていたな」

 

「その時の事故の原因が……黒匣だったんだ」

 

 焚き火の赤い火の粉が、暗闇にぱちりと散った。

 重苦しい曇天の下、その告白はよりいっそう鮮やかに響く。

 

「まさか、アルクノア……?」

 

「どうだろう? よく覚えてないんだ。事故の後遺症なのか、小さかったからなのかはわからないけど……。でもね、誰かが黒匣の暴発で事故が起きたって言ってたのは、ずっと記憶に残ってる」

 

 レイアの横顔は、焚き火の影の中で柔らかく揺れていた。

 彼女の声は淡々としていたが、その奥には長い痛みの記憶が隠されているのが分かる。

 

「おかげで、ずいぶん長い間、その治療を受けることにもなったし」

 

「そうか……体の方は、もういいのか?」

 

「全然だいじょぶ♪」

 無理に明るい声で笑う。しかし、その後に続いた言葉は、わずかに震えていた。

「……でもね、治る前は何度も諦めそうになってたんだ。治療はすごく痛かったし、全然良くならない日もあって……。いくら治療しても、もう治らないんじゃないかって。何をしても無駄なんじゃないかって」

 

 その吐露には幼い日の絶望がにじんでいた。

 

 ミラは思わず息を呑む。

「君がそんな風に思っていたとは……」

 

「けどね、その度にジュードが励ましてくれたから私、頑張れたんだ」

 

「ジュードが?」

 

「うん。退屈でつらい治療の毎日だったんだけど、ある日ジュードが言ってくれたの。――『僕が医者になってレイアを絶対に治すから、だからレイアも頑張って』って」

 

 レイアの頬が、思い出に照らされるようにほのかに赤らんだ。

 

「それで、これか」

 

 ミラは懐から小さな手紙を取り出す。レイアがかつて彼に託した、決意の証。

 

「うん。わたしはそうしてジュードから頑張る勇気をもらったから……だから今度はわたしが、ジュードの力になってあげる番」

 

「『ジュードが怪我したら困る』『ジュードが医者になれなかったら困る』……すべて、ジュードが理由だな」

 

「ちょっ! 読み上げないで! 恥ずかしいでしょ。それに、ジュードには絶対言わないでね!」

 

 レイアが真っ赤になって抗議すると、ミラは口元をほころばせた。

 

「ふふ、そうか。恥ずかしいのか。言われた本人は嬉しいと思うが……人間は複雑だな。ふふふ」

 

「いいから! ぜーったい言わないでよ!」

 

「ああ。わかったよ」

 

 安堵したレイアはふっと笑みを浮かべ、そしてまた目を伏せる。

 

「……だけどね。いっぱいいっぱい失敗する度に気付かされちゃうの。わたし、完全にお荷物になってるな~って」

 

 吐き出されたその弱音は、夜気の中でかすかに震えていた。

 

「気後れすることはあるまい。レイアは精一杯やっているじゃないか。できるかどうかなど、些細なことだ」

 

「慰めてくれるのは嬉しいけど……ちゃんとできるのって、とっても大事じゃない?」

 

「確かに否定しきれるものではないが……やろうとする意志、その心の方が大切だと思う」

 

「そうかな……?」

 

「ああ。私はそう信じている」

 

 ミラの声は、曇天の下でも不思議なほど澄んでいた。

 レイアはその響きに包まれ、肩の力をゆるめていく。

 

「……不思議だな。ミラが言うと、そんな気がしてくる。……よ~し! うじうじタイム終わり!」

 彼女は勢いよく立ち上がり、空へ拳を突き上げた。

「ジュードがちゃんとお医者さんになれるようにするためにも、さっさとクルスニクの槍を壊さないとね!」

 

「ああ、期待してるよ」

 

「というわけで、もう寝ます! おやすみ、ミラ!」

 

 弾むように声を残して、レイアはテントの中へと駆け戻っていった。

 

 残されたのは、炎に照らされるミラただひとり。

 曇天の夜空を仰ぎ、彼女は小さく呟く。

 

「……ジュードが医者を目指せるように、か……」

 

 レイアの言葉を胸の奥で反芻しながら、ミラは焚き火の傍を離れた。

お聞きしたいのですが、1話何文字ぐらいが読みやすいでしょうか?

  • 1000文字以内
  • 1~2000文字以内
  • 2~3000文字以内
  • 3~4000文字以内
  • 4~5000文字以内
  • 5000文字以上
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。