転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
俺はずっと、テーブルに一人座ったまま動けなかった。酒場の喧騒がなぜかひどく遠くに聞こえる。頭の中を占めているのはただ一つ。今朝この場所を険しい顔で去っていった、三人の冒険者のことだけだった。
「(無事なんだろうか)」
俺はなぜ彼らのことがこんなに気になるのだろう。
思えば、彼らは俺がこの世界に来て初めてまともに口を利いた相手だった。何も知らない俺にこの街のことを教えてくれた。俺の下手な世辞に本気で照れてくれた。
俺は彼らのことをただのビジネスパートナー候補としてだけではなく、一人の友人として案じていたのだ。
「(……柄にもないな)」
俺が自嘲するように呟いた、その時だった。
「『鉄斧ガントレット』の連中、今度は全員無事だといいがな」
近くのテーブルで飲んでいた、熊のように大きな冒険者が、ぽつりとそう漏らした。
「今度『は』?」
俺が聞き返すと、男は一度、ため息をついた。
「あんた、新顔だな。知らねえのも無理はねえ。とはいえ、俺が知ってるのも、噂話だけだがな」
彼はエールを一口呷ると、声を潜めた。
「なんでも、一年前に隣町を半壊させた『呪われた鉱山のワイバーン』。奴らの因縁の相手さ。その討伐に、向かったらしい」
「ワイバーン!?」
俺は息を呑んだ。ワイバーンといえば、ドラゴンに準ずる、それはそれは凶暴なモンスターのはずだ。そんなもの相手に、たった三人で?
「無謀だ。誰もがそう言ってる。だがな、あいつらにとっちゃ、ただの魔物退治じゃねえんだ」
男は、続けた。
「一年前、そのワイバーンとの戦いで、『鉄斧ガントレット』は仲間を一人殺されてる。昔は、四人パーティだったのさ。だから、これはただの仕事じゃねえ。残されたあいつらの……弔い合戦なんだろうよ」
その言葉に、俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。
弔い合戦。
そうだ。彼らのあの目は、金や名誉のために危険に飛び込む者の目ではなかった。仲間を失った悲しみと、消えない怒り。そして、その無念を晴らさんとする、揺るぎない覚悟。
俺が足を踏み入れることのできない、彼らの世界。それはただ命のやり取りがあるというだけではない。仲間との絆、守るべき誇り。そういう、金では決して測れないもののために、彼らは命を懸けているのだ。
俺には、その覚悟の全てを理解することはできなかった。だが、その生き様のあまりの気高さに、胸が熱くなるのを感じていた。
うらやましいな。素直に、そう思った。
その時だった。
ガラン、と酒場の扉が勢いよく開かれ、そしてそこに三つの人影が現れた。
「戻ったぞ!!」
ジェフの、疲れ切ってはいるが、確かな歓喜に満ちた声が、酒場中に響き渡る。
瞬間、それまで騒がしかった酒場の中が、水を打ったように静まり返った。
そして。
「おおおお! 『鉄斧ガントレット』が、帰ってきたぞ!!!」
誰かのその叫び声を皮切りに、店中が、地鳴りのような歓声と割れんばかりの拍手に包まれた。
三人ともボロボロだった。
ジェフの自慢の大斧は、何か巨大な獣の爪で抉られたかのように、無残にひしゃげている。
クロエの鋼鉄のガントレットは、赤黒いワイバーンの返り血で汚れ、彼女自身の顔にもいくつもの細かい傷がついている。
イリスは気丈に立ってはいるが、その顔は魔力を使い果たしたのか、雪のように真っ白だった。
だが、三人は確かに生きていた。そして、その顔には、死線を乗り越え、宿願を果たした者だけが浮かべることのできる、誇りと、深い安堵の色が浮かんでいた。
「おかえりなさい」
俺はいつの間にか立ち上がっていた。その声に気づいたジェフがこちらを見て、ニヤリと歯を見せて笑った。
「おう、ヒナビシ。待たせたな」
三人は歓声の中を掻き分けるようにして俺のテーブルへとやってきた。
「席、空いてるわね」
クロエがそう言うと、俺の向かいにどさりと腰を下ろす。
俺は慌てて女給仕を呼び止め、一番高いエールと、ありったけの肉料理を注文した。
「すごかったですよ。皆さんがいなくなった後、酒場の皆が噂してました。誰もが無事には帰れないだろうって」
俺は運ばれてきたエールを彼らの前に並べながら言った。
「へっ、どこのどいつだ、そんな縁起でもねえこと言ってたのは!」
ジェフはエールを一息に飲み干すと豪快に笑い飛ばし、じろりと店内を見渡した。そこかしこで「死にぞこないが!」「うるせえ、次はてめえの番だ!」といった、荒々しいが、温かい祝福の罵声が、笑い声交じりで飛び交った。
「確かにちいとばかし厄介なトカゲではあったがな! クロエの拳があいつの顎を砕いて、怯んだところを、俺が首をたたき切ってやった! イリスも、ボロボロになりながら、最後まで俺たちを回復し続けてくれた!」
「……治癒魔法が、間に合って、よかった」
イリスがテーブルに突っ伏しながら、か細い声で呟く。
それからしばらく、俺は彼らの武勇伝をただ夢中で聞いていた。
鉱山に巣食う巨大なワイバーンの吐き出す灼熱の炎。ジェフが盾となりそれを受け止め、クロエがその隙に懐へ飛び込む。クロエの拳が竜の硬い鱗を粉々に砕き、怒り狂ったワイバーンによって受けた傷を、イリスの聖なる光が癒していく。
それは俺が今まで生きてきた平和な世界とは全く違う、命のやり取り。俺はそのあまりの壮絶さに、ただただ圧倒されていた。
ひとしきり話し終えた後、クロエがふと俺の方へ向き直った。
「……それで、ヒナビシさん。あなたの依頼の話、まだ有効かしら?」
俺ははっと我に返る。そしてまっすぐに彼女の目を見据え返した。
「はい、もちろんです。ですが皆さん、これほどの死闘の後です。しばらく休みが必要なのでは?」
俺の気遣うような言葉に、クロエはふっとその厳しい表情を緩めた。
「ありがとう。でも、大丈夫。それに」
彼女はちらりとジェフとイリスを見た。
「たまには、あなたのような依頼主と、のんびり森を散歩するような仕事も、悪くないわ」
その言葉に、俺は救われたような気持ちになった。
「……では改めて。俺の最初の冒険の護衛を、あなた方にお願いできますか?」
俺がそう言うと、ジェフはニカッと笑う。
「おう、任せとけ! 明日、一緒に冒険者ギルドで手続きして、明後日には出発しようぜ!」
クロエとイリスも静かに頷く。
こうして、俺と「鉄斧ガントレット」との間に、正式な契約が結ばれた。
それはただの金で雇われた関係ではない。互いの生きる世界を認め、尊敬しあう、仲間としての最初の一歩だった。
その夜、俺たちは、空が白むまで語り明かした。彼らが語るのは、命を懸けた冒険譚。それに、周りの客たちが茶々を入れ、酒場全体が、一つの大きな宴会場のようになっていた。
とてもうらやましくて、そして、とても楽しい夜だった。