転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
翌朝、俺はまだ薄暗い中、待ち合わせ場所である酒場の前に立っていた。
ひんやりとした早朝の空気が、緊張とほんの少しの興奮で火照った頬に心地よい。俺が着ているのは、昨日クロエさんたちに選んでもらった、真新しい冒険者見習い用の服と革のベスト。腰には護身用のナイフと救急ポーチ。その様にならない格好がなんだかむず痒くて、俺は手慰みに何度もポーチの中身とナイフの刃を確認した。
「よう、ヒナビシ。早いじゃないか」
背後から聞き慣れた声がして、俺はびくりと肩を震わせる。振り返ると、そこには既に完璧な戦闘準備を整えた「鉄斧ガントレット」の三人が立っていた。
ジェフは昨夜の酔いが嘘のようにその目に鋭い光を宿している。クロエは静かに腕のガントレットの感触を確かめ、イリスは小さなポーチの中の薬草と触媒の数を確認している。
酒場で見る陽気な彼らとは全く違う。プロの冒険者の顔だった。
「おはようございます! 本日はよろしくお願いします!」
俺が前世で培った一番の笑顔で頭を下げると、ジェフがニカッと笑って俺の肩を力強く叩いた。
「おうよ! 今から俺たちは一心同体だ! お前さんの依頼、きっちり付き合ってやらあ!」
こうして、俺の初めての冒険は幕を開けた。
森へ入ると、パーティのフォーメーションは自然と決まっていく。ジェフが先頭を歩き、その巨大な斧で邪魔な枝や下草を切り拓いていく。俺とイリスがその中央に位置し、最後尾をクロエが固める。
俺はただ守られているだけだ。だが、その絶対的な安心感は何物にも代えがたかった。横に並ぶイリスと雑談でもしたかったが、とてもそういう雰囲気ではない。皆、プロとして周囲の警戒を怠っていなかった。
「そんでヒナビシ。お目当ての『宝物』はどんな場所にありそうなんだ?」
振り返らずにジェフが俺に尋ねる。俺は頭の中の『キノコ大百科』に記されたゲッコウダケの生育条件を思い出した。
「陽の光が届かない、暗くて湿った場所。できれば、洞窟のような場所が理想です」
「洞窟か。それならこの先に一つ心当たりがあるぜ。『雫石の洞窟』って呼ばれてる小さな洞窟だ。昔ゴブリンの寝ぐらになってたが、俺たちが全部掃討してやった。安全な場所のはずだぞ」
俺たちはジェフの案内で森のさらに奥深くへと進んでいった。
道中、俺は彼らのプロとしての能力の高さに改めて舌を巻いていた。ジェフは地面のわずかな足跡からそこに生息する魔物の種類と数を正確に言い当てる。「足跡を踏むな!」と怒鳴られた時は、本気で泣きそうになった。
クロエは風の音に混じる微かな物音を聞き分け、何度か進路を変えさせた。後で聞くと、巨大な熊の魔物が近くで眠っていたらしい。彼女の鋭い聴力がなければ、俺たちは今頃、熊の朝食になっていたかもしれない。
イリスは道端に生えている薬草や毒草を的確に見分け、俺にその知識を教えてくれる。「えぇー、そうなんですかー!?」なんて相槌を打っていたら、いつの間にか二人してクロエに「私語は慎め」と首根っこを掴まれた。
俺のチートスキルとは違う。彼らのその力は全て、長年の経験と修練によって培われた本物の技術だった。
やがて俺たちの目の前に、苔むした岩肌にぽっかりと口を開けた洞窟が姿を現した。
「ここだ。雫石の洞窟。中は入り組んでる、はぐれるなよ。死ぬぞ」
イリスがが松明の魔法を使い、光の玉を虚空にふわふわと浮かべる。俺たちは慎重に洞窟の中へと足を踏み入れた。死の気配が、肌にまとわりついてくるようだった。
中はひんやりとした湿った空気が漂っている。壁からは常に水が滴り落ち、それが苔を育てているようだ。
そして、「それ」はいた。
洞窟の暗闇の中で、カサカサと蠢く無数の影。
「大蜘蛛(ジャイアントスパイダー)の巣か!!」
ジェフが吐き捨てるように叫ぶ。ゴブリンを掃討した後、新たな主が住み着いていたらしい。
「ヒナビシさんは下がって!」
クロエの鋭い声と同時に、ジェフが雄叫びを上げて突進した。
大斧が唸りを上げて蜘蛛の群れを薙ぎ払う。だが蜘蛛たちは天井や壁を自在に這い回り、次々とジェフに襲い掛かる。一匹がジェフの死角から飛びかかった瞬間、クロエが動いた。
彼女は風のようにその蜘蛛の懐へ飛び込むと、鋼鉄の拳をその醜悪な顔面へと叩き込んだ。
ぐちっ、という、硬い殻が砕け、その下の柔らかい何かまで破壊するような音が響く。
巨体を吹き飛ばされた蜘蛛が壁に叩きつけられ、動かなくなった。
「聖なる光よ、彼の者を守りたまえ」
イリスの澄んだ詠唱が響くと、ジェフの体を淡い光が包み込み、蜘蛛の牙で受けたかすり傷がみるみるうちに塞がっていく。
俺はそのあまりの光景に、声も出せず、ただ震えながら見守るしかできなかった。
やがて全ての蜘蛛を倒し終えた時、洞窟には再び静寂が戻ってきた。
「……大丈夫か、ヒナビシ」
ジェフが息を弾ませながら俺に声をかけてくれた。
「は、はい……! 皆さんは、お怪我は!?」
「へっ、この通りピンピンしてるぜ。なあ?」
ジェフが笑うと、クロエとイリスも静かに頷いた。
警戒しながら洞窟の奥へと進んで、俺はついにそれを発見した。洞窟の最も奥深く。水の滴る倒木の上に、それはまるで夜空に浮かぶ月のように、静かに群生していた。
青白い傘が、暗闇の中で自ら淡い幻想的な光を放っている。ここがセーブポイントだって言われたら、絶対に納得しそうな光景だ。たぶんHPもMPも一緒に回復するタイプのセーブポイントだ。
「ゲッコウダケ……」
俺はそのあまりの美しさに思わず呟く。
「これが、ヒナビシの目当ての宝物か」
ジェフが感心したように言う。その視線はゲッコウダケに釘付けだ。
「ええ。ですが、俺が本当に必要なのは、このキノコそのものじゃないんです」
俺はそう言うと、パーティの三人に向き直った。キノコを採るんじゃない。俺は、この菌が染みついた「原木」が欲しいのだ。
「ありがとうございます。少しだけ時間をください。ここからは、俺の仕事です」
俺はゲッコウダケが生えた倒木の中から、最も菌糸が活性化している手頃な大きさのものを一本選び出した。そしてその倒木にそっと手を触れる。
「ストレージ」
念じると、倒木は音もなく俺のストレージへと収納された。これで、俺の家の地下室でいつでもゲッコウダケを栽培できる。
「(こんなに簡単でいいのか? もう少し波乱万丈なのが普通だろ)」
俺は、あまりのチートっぷりに若干の申し訳なさを感じつつ、ふと、隣にあった別の種類の倒木に目が留まった。単純な好奇心だった。
「(こっちの木からは、何が生えるんだ?)」
俺はスキルを発動させる。すると、見たこともない、様々なキノコが一瞬で姿を現し、ストレージに収納されていく。同時に、大百科の情報が、脳内で更新された。
「ザンコウタケ」「オンパキノコ」「シジマタケ」「リュウケツダケ」……。
「(なんだこれ知らねえ! 後で詳しく見てみよう!)」
「おい、ヒナビシ。お前さん、一体、何者なんだ?」
ジェフの、呆気にとられた問いに、俺はただ、にやりと笑って答えるだけだった。
「しがない、キノコ専門の商人ですよ」