転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
「ヒナビシ君、ちょうど昼時だ。一緒に食事でもどうかな?」
「えっ!?」
今月分のゲッコウダケのノルマを納品し終えてギルドを後にしようとしたら、あの狐目クソオヤジ、サブマスターのヴァレンテから直々の誘いを受けてしまった。たまらず俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。ヴァレンテはそんな俺の反応を楽しんでいるかのように、細い目をさらに細めた。
「君が最初に納品してくれた、あの見事なシイタケを卸した店がある。君の『商品』が、どのような価値を生み出しているのか、その目で確かめてみるのも一興だろう?」
その店が、以前カミュさんから聞かされた「黄金のさじ亭」であると俺はすぐに察した。断る理由などあるはずもなかったが、ヴァレンテと二人というのはかなり気まずい。だが、顔に出すことだけは何としても我慢して「ご一緒させていただきます」とかろうじて絞り出した。副社長と二人きりで昼食とか最悪だろ?
ヴァレンテに連れられてやってきた「黄金のさじ亭」は、俺が今まで利用してきた酒場とは全くの別世界だった。磨き上げられたオーク材の重厚な扉、それを静かに開ける制服姿のドアマン。中へ一歩足を踏み入れた瞬間、そこは喧騒とは無縁の、落ち着いた静寂と気品に満ちた空間が広がっていた。こんなところ前世でも入ったことないぞ。別の業種だが高級キャバクラってこんな感じなんだろうか? ドリームク〇ブってゲームで見たことあるぞ。あれはキャバクラじゃないかガハハ。笑ってる場合か。
ふかふかとした柔らかな絨毯が足音を吸い込み、壁には高価そうな絵画が飾られている。客層も、見るからに裕福な商人や、煌びやかな装いの貴族らしき人々ばかりだ。俺は完全に気圧されていた。
「ヴァレンテ様、お待ちしておりました」
支配人らしき男が深々と頭を下げ、俺たちを奥の個室へと案内する。通された部屋は、防音されているのか外の気配が全くしない、まさしく密談にうってつけの場所だった。なぜこんなところに連れてこられたんだ俺は。
「さて」と、革張りの椅子に深く腰掛けたヴァレンテが切り出す。
「単刀直入に言おう、ヒナビシ君。以前君の納めてくれたシイタケは、この店のメニューを一夜にして塗り替えた」
高級そうなワインボトル1本とワイングラス2つ、前菜の青々としたサラダ、琥珀色のスープと共に、一つの料理がテーブルに置かれる。分厚く形の良いシイタケが3つ分、艶やかなソースをまとって、銀の皿の上で湯気を立てている。「特製シイタケのソテー」と、運んできた給仕は恭しくそう説明した。
ナイフを入れると、驚くほど柔らかく、そして肉厚な断面が現れる。一口食べると、濃厚な旨味と芳醇な香りが口いっぱいに広がり、思わず目を見開いた。こんなにうまいシイタケなんて前世でも食べたことない。時折シイタケの傘とは違うコリコリとした食感が混ざる。ソースに混ぜられたシイタケの軸だと給仕が説明してくれた。
俺がスキルで生み出したシイタケが、最高の料理人の手によって、芸術品へと昇華されていた。
「うっま……」
思わず素の声が漏れた。誰だってこんなにうまいの食べたらそうなる。
「この一皿を求めて、連日客が殺到している。今や、予約は一月先まで埋まっているそうだ。おかげで商人ギルドは今血眼になって君が納品してくれたシイタケと同品質のものを探しているが、あのように高品質なものには滅多に出会えなくてね。君に追加の発注をしたいのだが、今はマスターの命令で忙しいのだろう?」
ヴァレンテは、俺の反応に満足そうに頷きながらワインの香りを吸い込み、一口含んだ。軽い気持ちで納品したシイタケがこの町の経済を塗り替えてしまった。
「君はもはや、ただのキノコ売りではない。この町の美食の世界に、新たな潮流を生み出したのだ。当然、君の存在に気づく者も出てくるだろう。他の商人、物好きな貴族……中には、君の『秘密』を力ずくで奪おうとする者も現れるやもしれん」
その言葉は十分すぎるほどの冷たい響きを持っていた。俺はごくりと喉を鳴らす。俺が最も恐れていたことが、現実になろうとしている。かなりヤバい。
「ヴァレンテ様。そのような輩とは、どう渡り合えばよろしいのでしょうか?」
俺の問いに、ヴァレンテはふっと口元を緩めた。それは、今までのヴァレンテの印象とは異なる、温和な翁さんが孫に向けるような笑みだった。
「良い問いだヒナビシ君。少し昔話を聞いてくれるかね」
ヴァレンテは給仕を呼び、氷と水のボトルを一本注文した。そのボトルに露が浮かび始めたころ、彼は遠い目をして語り始めた。
「私も若い頃は、君のように一つの『幸運』を掴んだことがある。北方の辺境山脈で、誰もが見向きもしなかった『黒砂』の鉱脈をな」
黒砂、と俺は頭の中で繰り返した。なんだそれ。聞いたこともない鉱物だ。
「それはただの黒い砂だった。何の価値もない、ありふれた砂だ。だが、私は偶然にも、その砂がある種の木炭と混ぜて熱することで、驚くほど軽量で強靭な鋼を生み出すことを知った。今でこそ『北嶺鋼』として知られる、あの鋼の原型だ」
北嶺鋼。それは俺も聞いたことがある。鉄斧ガントレットのジェフがワイバーンの討伐で斧をダメにしたとき、今度はその北嶺鋼で斧を作ってもらうと息巻いてた。通常の鋼の数倍の値段で取引される、最高級の金属らしい。あれの発見者が、目の前のこの老人だったとは。
「さてヒナビシ君。君が私の立場ならどうする? その『黒砂』を売るか?」
突然の問いに、俺は少し考え込む。
「……いえ。黒砂そのものを売っても、価値を知る者でなければ買いません。それに、価値が知れ渡ればすぐに他の商人が鉱脈に殺到するでしょう。砂を加工して北嶺鋼を売ります」
その通りだ、とヴァレンテは深く頷いた。
「ヒナビシ君。君が持ってきたのはただのキノコではない。君は『奇跡』そのものを扱っている。だが、勘違いしてはいけない。商売で本当に価値があるのは奇跡そのものではない。奇跡がもたらす『結果』だ」
ヴァレンテの言葉が、俺の胸に鋭く突き刺さる。まさか異世界で顧客が求めているのはドリルではなく穴なのだという話を聞くとは思わなかった。
「君の考えと同じように、私は黒砂を売らなかった。その代わりに、なけなしの全財産をはたいて、その山一帯の採掘権を買い占めた。そして、その製法を知る唯一の鍛冶師と専属契約を結び、出来上がった『北嶺鋼の剣』だけを売った。皆が欲しがったのは砂ではない。その砂が生み出す、圧倒的な切れ味と軽さという『結果』だったのだ」
俺が売っているのは、シイタケやゲッコウダケという「モノ」。だが、人々が本当に買っているのは、その「モノ」がもたらす「最高の味」や「未知のポーションの効果」という「結果」なのだ。この人、根っからの商人だ。それも経験に裏打ちされた、百戦錬磨の、艱難辛苦を乗り越えた、凄腕の。
「君も同じだ、ヒナビシ君。君はキノコの供給源という、巨大な川の『水源』を握っている。水をそのまま売るのもいいだろう。だが、その水で水車を回し、粉を挽き、パンを焼いて売れば、利益は何倍にもなる。フィリアスが作るであろう新薬、この店が作るであろう新料理。それら全てが、君の川から生まれるのだ。その流れの全てを支配しろとは言わん。だが、君自身がその価値を正しく理解し、流れをどうしたいのかを考えねば、いずれ君の川は、狡猾な者たちに堰き止められ、奪われることになる」
ヴァレンテの昔話は、単なる武勇伝ではなかった。それは、彼が命を賭けた経験から得た、商売の本質そのものだった。
「当然、私も多くの敵を作った。鉱脈を奪おうとする地元の貴族、製法を盗もうとする同業者……何度も命の危険に晒された。それを乗り越えられたのはただ一つ。商人ギルドという巨大な『水車』を作り上げ、私たち構成員が上手く回したからに他ならん」
彼はワイングラスを置き、まっすぐに俺の目を見た。
「私の頃とは違い、今は成熟した商人ギルドという組織がある。ギルドはもちろん君の後ろ盾となる。だが、ギルドは万能ではない。最終的に己の身を守るのは、己の才覚と、時には金と力だ。ギルドは君にとって最高の盾であり、最高の矛にもなる。それをどう使うかは君次第だ。覚えておきたまえよ」
それはこの世界の厳しさを教える、サブマスターからの最初の薫陶であり、そして、彼が俺という後進に託した、熱い期待の言葉でもあった。俺はただゴクリと唾を飲み込み、目の前の凄腕の商人を見つめる。
「肝に銘じます。ヴァレンテ様」
俺は、深く深く頭を下げた。
商人ヒナビシとしての本当の戦いは、この華やかな高級レストランの一室から、今まさに始まろうとしていた。それは、もはや単なる金稼ぎではない。巨大な流れを生み出し、それを導くという、途方もなく、そして胸の躍るような大事業の幕開けだった。
「あぁ、そうそう」
ふっと雰囲気を緩めて、ヴァレンテが言葉を紡ぐ。
「いつまでも仮登録のままではいけないだろう? 商人ギルドサブマスター、ヴァレンテの名において、ヒナビシ君を正式に商人ギルド所属の商人と認める。今度ギルドに来たら正式な組合員証を渡すよ」
そういうのってもっと厳かにやるもんじゃないの??? 温和に笑う目の前の凄腕商人は、やっぱり食えない商人だった。