転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
あれから一ヶ月。俺は何かに取り憑かれたようにギルドの資料室、オリヴィアの言う「記憶の森」に通い詰めていた。悠久の時を生きるエルフの司書は、最初こそ俺を「面白い子供」として見ていたが、俺が寝食も忘れてギルドの法規、取引の記録、街の歴史、その全てを恐ろしい速さで吸収していく様に、日に日にその瞳の奥の好奇心を深めていった。俺はといえば、すごーい! なんて思いながら片端から文字を読んでいたから苦労なんてない。たーのしー!
そして本日、俺は自ら、ギルドマスターへの面会の申し入れをしていた。セリアさんを通して伝えられた返事は、即答の「許可」だった。
再び通されたギルドの最上階。魔王の部屋。だが、俺の心境は以前とは全く違う。以前は圧倒的な格上を前にした、ただの緊張と恐怖。だが今は、この世界のルールを学び、天上人とも思える商人たちの人となりを知り、そして何より己の立ち位置を正確に把握した上での、冷静な覚悟があった。
「来たわね、ヒナビシ君」
レーナさんは、俺が部屋に入るなり、完璧な笑みでそう言った。怖いほどに美しい。
「オリヴィアさんから報告は受けているわ。このところ、記憶の森の虜になっていたそうじゃない。それで、賢くなった坊やは、一体何を学んだのかしら?」
試すような、値踏みするような、からかうような視線。これは、面談の皮を被った試験だ。俺は一度深く息を吸い込むと、淀みなく語り始めた。
「多くを学びました、マスター。このブドランガという街が、王国の法よりもギルド憲章が優先される、極めて特殊な商業独立都市であること。その心臓部である商人ギルドが、会計官、鑑定士、錬金術師という三本の柱によって支えられていること。そして、その全てを、マスター・レーナ、あなたの『未来予測』とも言うべき圧倒的な市場把握能力が束ねていること」
俺は一度言葉を切り、まっすぐに彼女の目を見据えた。
「そして、この私。ヒナビシという商人が、この完璧な生態系に投じられた、全く新しい『戦略資源』であるということを」
俺の言葉に、レーナさんの瞳が、初めて驚きに見開かれた。そして次の瞬間、彼女はくすくすと、心から楽しそうに笑った。
「ふふ、合格よ。思った以上に、あなたは物事の本質を見る目があるのね。嬉しい驚きだわ」
彼女は笑いながら立ち上がると、俺の元へ歩み寄ってきた。
「オリヴィアさんの知識の森で、あなたはその事実に自力で辿り着いた。私の期待を遥かに超える速さでね。その成長を心から歓迎するわ」
彼女から差し出された手を、俺は迷わず握り返した。その手は、驚くほど華奢で、そして底知れないほど力強かった。本当に70過ぎて死んだババアなのかこの人。
「さて」と、レーナさんは悪戯っぽく微笑む。「成長したあなたには、それにふさわしいご褒美をあげないとね」
ご褒美、という言葉に俺は首をかしげる。タバコでもくれるのか? しかし、彼女が示したのは一枚の羊皮紙。そこには、先日洞窟でたまたま見つけたキノコの一つ、「オンパキノコ」の名が記されていた。知ってるぞこれ。なんか嫌な予感がしてきた。
「ゲッコウダケの事業は、確かにギルドに莫大な利益をもたらしてくれるわ。でも、それは一部の富裕層や専門家を相手にするビジネス。成果が実感できない仕事は、少し飽きてこない?」
「は、はぁ」
「ねえ、ヒナビシ君。この街の多くの人々は、薄い壁一枚で隣の生活音を聞きながら暮らしているわ。特に、冒険者たちが使う安宿なんて、いびきも寝言も筒抜けでしょうね。もし、あなたのその不思議なキノコで、人々の暮らしを少しだけ静かで、快適なものにしてあげられたら……素敵だと思わないかしら?」
彼女の言葉は、俺がぼんやりと描いていた事業計画とは全く違う、優しくて、温かい響きを持っていた。俺自身、宿屋の隣室の騒音に悩まされた経験は一度や二度ではない。
「これは、ギルドの正式な業務じゃないわ」と、レーナさんは続ける。
「ビジネスでもない。ただ、あなたのその面白い力で、この街がほんの少しだけ良い場所に変わる瞬間を、わたくしが見てみたいだけ。いわば、あなたへの『自由研究』の課題よ。もちろん、研究費用はギルドが全面的にバックアップするわ。どうかしら? やってみる気、ある?」
それは、抗いがたい魅力を持つ、優しい提案だった。儲けや出世のためではない。ただ、純粋な好奇心と、ささやかな善意から始まるプロジェクト。社会貢献ってやつか?
「……面白いですね、それ」
俺は、心の底からの笑顔で答えた。レーナさんがやったように、俺も現代日本の知識をこの町に持ち込めると考えたら…なぜだかやりがいとかそんな感情が生まれてきた。前世では死ぬほど嫌いだった「やりがい」。この世では仲良くつきあおうぜ。
「はい。ぜひ、やらせてください」
目指すは、人々の暮らしを豊かにする、新しい道具作り。その第一歩として、俺は、まだ見ぬ最高のパートナーを探すため、職人たちの街へと足を踏み入れるのだった。