転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。   作:菱形の面積

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第26話 騒音対策のキノコ

 ギルドマスターの執務室を後にした俺の足取りは、自分でも驚くほど軽かった。

 

 背負わされたのは、ギルドの未来や巨大な産業の創出といった、重圧に満ちた使命ではない。街の人々の暮らしを、ほんの少しだけ豊かにする、心温まる「自由研究」。俺が望んでいた、誰かの役に立ち、それでいて安全で、胸が躍るような仕事。その最高のスタート地点に、俺は今、立っているのだ。

 

 俺はまっすぐ、先日自分の家を探す際にお世話になった不動産屋へと向かった。目指すは、職人街の入り口に居を構える「石と木材不動産」。元大工の棟梁だったという、人の良さそうな店主のギリアムさんの顔が、真っ先に思い浮かんだのだ。

 

「おや、ヒナビシさん。どうかなさいましたか? 家に何か不具合でも?」

 

 店に入ると、木の温もりに満ちた空間で、ギリアムさんがにこやかに出迎えてくれた。

 

「いえ、家は最高です。今日は家賃の支払いと、別のことでご相談がありまして。ギリアムさんが、元は大工の棟梁だったと伺いましたのでね」

 

 俺がそう切り出すと、ギリアムさんの目が、少しだけ職人のそれへと変わった。

 

 俺はストレージから、布に包んだオンパキノコを一つ、そっとカウンターの上に置いた。水晶のように半透明で、不思議な模様が浮かぶキノコに、ギリアムさんは興味深そうに目を細める。

 

「ほう、これは珍しいキノコですな。して、これが一体……?」

 

「『音を吸う』んです」

 

 俺がそう言うと、ギリアムさんは怪訝な顔をした。無理もない。言葉だけでは信じられないだろう。ちょうどその時、店の外の石畳を、鉄の車輪を軋ませながら荷馬車が通りかかった。ガタガタガタ、という耳障りな騒音が店の中に響き渡る。

 

 俺は、その騒音に向かって、オンパキノコをそっとかざした。すると、どうだろう。キノコがまるで音を食べるかように、耳障りな騒音の角が取れ、くぐもった柔らかな音へと変わったのだ。

 

「なっ!?」

 

 ギリアムさんは、自分の耳を疑うように、キノコと通りを交互に見た。馬車が通り過ぎ、静寂が戻ると、彼はゴクリと喉を鳴らした。その目は、もはやただの不動産屋の店主ではない。新しい素材を前にした、熟練の職人の目に変わっていた。

 

「面白い。いや、これはとんでもない素材だ」

 

 その反応を見て、俺は意を決して頭を下げた。

 

「ギリアムさん、あなたは元棟梁だと伺いました。もしよろしければ、この不思議な素材で、あなたに何かを作っていただけないでしょうか?」

 

 俺の真っ直ぐな申し出に、ギリアムさんは一瞬、本当に嬉しそうな、誇らしげな顔をした。だが、その光はすぐに消え、彼は寂しそうに微笑むと、自分の手を見つめた。それは、鑿(のみ)や鉋(かんな)ではなく、羊皮紙とペンを握ることに慣れてしまった商人の手だった。

 

「……ありがたいお話ですが、今の私には、もう無理ですな」

 

 彼の声には、深い悔しさが滲んでいる。

 

「大工の腕というものは、毎日木に触れ、道具を握っていなければ、すぐに鈍ってしまう。今の私にあるのは、昔の知識だけ。この素晴らしい素材を、今の私の鈍った腕で駄目にしてしまうのは、職人としての誇りが許しません」

 

 その言葉は、彼がどれほど深く、木と、そして職人であるということを愛していたかを物語っていた。俺はかける言葉も見つからず、ただ黙って彼の言葉を聞いていた。

 

「ですが」

 

 ギリアムさんは顔を上げた。その瞳には、再び職人の鋭い光が宿っていた。

 

「この素材を見ていると、昔の血が騒ぎますな。最高の素材には、最高の腕利きが必要です。……一人、心当たりがいます。腕は確かですがちいとばかし、変わり者でしてな」

 

 彼が紹介してくれたのは、職人街のさらに奥まった路地裏で、小さな工房を一人で営んでいるという、若い女性の大工だった。

 

「名前はリッカ。あの子の作る家具は、丁寧で、温かみがあって、素晴らしい。……ただ、少しばかり、考え方が新しすぎる。伝統的な形よりも、住む人がどうすれば快適になるかを考え抜いた、奇妙な仕掛けやデザインを好む。おかげで、古い考えの親方衆からは敬遠されて、なかなか大きな仕事が回ってこないようですが」

 

 ギリアムさんは、どこか自分の娘を語るような、優しい目で言った。

 

「あの子ならきっと、この不思議なキノコの価値を、誰よりも理解してくれるはずです」

 

 彼は一枚の羊皮紙に、リッカの工房の場所を記した地図と、彼からの紹介状を書いてくれた。

 

「ありがとうございます、ギリアムさん! このご恩は必ず!」

 

「はっはっは、恩だなんて大げさな。わしも、このキノコがどんな『作品』になるのか、一人の職人として楽しみなだけですよ」

 

 紹介状を手に、俺はリッカの工房へと向かった。職人街の喧騒の中、金槌の音、鋸の音、そして職人たちの怒声が、不思議と心地よく聞こえる。

 

 この音に満ちた街を、俺のキノコが、もっと快適な場所に変えられるかもしれない。

 

 そう思うと、自然と笑みがこぼれた。儲け話でも、出世街道でもない。ただ、良いものを作りたい。その純粋な想いが、俺の心を温かく満たしていた。

 

 路地裏に、古びてはいるが、丁寧に手入れされた、小さな工房を見つけた。看板には、丸みを帯びた文字で、「リッカ木工房」と書かれている。

 

 俺は少しだけ深呼吸をして、その木の扉を、そっとノックした。

 

 

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