転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
それから数日、試行錯誤の末に出来上がったのは、リッカさんと一緒に、より緻密に製作した試作品の「防音箱」。その性能を前に、俺たちは子供のようにはしゃいだ。だが、工房で小さな箱の実験を成功させただけでは、まだ何も始まっていない。街の人々の暮らしを本当に豊かにするためには、これを実際の建物で試し、多くの人にその価値を知ってもらう必要がある。
「そのためには、今の俺の力だけでは無理だ」
工房の片隅で、俺はぽつりと呟いた。壁一面を防音仕様にするとなれば、それなりの量のキノコと、リッカさんの手間、そして木材などの費用がかかる。レーナさんは「研究費用はバックアップする」と言ってくれたが、そのためには、きちんと「研究成果」を報告し、次の段階への予算を申請しなくてはならない。社会人としての基本、ホウレンソウだ。この世界でもこれに縛られるとはね。
「よし、行ってくるか」
俺は完成したばかりの防音箱を大事に抱え、リッカさんに見送られながら、再び商人ギルドへと向かった。
今回は、いきなり最上階を目指すような無粋なことはしない。俺はまずカミュさんの受付で、マスターの秘書であるセリアさんへの取次を願うと、すぐに彼女は姿を現した。
「ヒナビシ様、いかがなさいましたか?」
「先日の『自由研究』の件で、進捗をご報告したく参りました。マスターは今、お時間よろしいでしょうか?」
俺の言葉に、セリアさんは完璧な微笑みを崩さない。
「マスターは現在、重要な来客中です。ご報告とあらば、このセリアがまずお伺いいたします」
セリアさんに連れられて応接室に入る。俺は持参した防音箱と普通の木箱、そして小さな鈴をテーブルの上に並べた。そして、ギリアムさんやリッカさんにしたのと同じように、二つの箱が立てる音の違いを、彼女に実演して見せた。
チリンチリン、という音が、防音箱に入れた途端にほぼ無音になる。その現象を目の当たりにして、常に冷静沈着なセリアさんの目に、初めて隠しきれない驚きと感嘆の色が浮かんだ。
「素晴らしい。これは魔法ではなくて?」
「はい。そして、この技術を開発してくださった、素晴らしいパートナーも見つけることができました」
俺がリッカさんのことを誇らしげに語ると、セリアさんはしばらく考え込むように黙っていたが、やがて静かに立ち上がった。
「ヒナビシ様。少々お待ちください。これは、マスターご自身の目で見ていただくべき案件です」
彼女がそう言って部屋を出てから十分も経たないうちに、俺は再び、あのギルド最上階へと続く廊下を歩いていた。途中執務室から出てきた、いかにも高位の貴族といった風情の壮年の男とすれ違う。男は、俺の持つ奇妙な木箱を一瞥し、探るような目で俺を値踏みすると、興味なさそうに立ち去っていった。あの人が、「重要な来客」だったのだろうか。
「面白いものを作ったそうじゃない、ヒナビシ君」
重要な来客を切り上げてよかったのか? 革張りの椅子に座ったレーナさんは、まるで全てを知っているかのように、楽しそうに微笑んでいた。俺は頷くと、彼女の前でもう一度、防音箱の実験を披露した。
鈴の音が魔法のように消える。その様子を、レーナさんは興味深そうに、じっと見つめていた。
「ふふ、すごいわね。素材を渡しただけなのに、もう形にしてしまうなんて。良いパートナーを見つけたようね、ヒナビシ君」
彼女の評価は、ヴァレンテさんのようにビジネスの損得でもなく、フィリアスさんのように技術の革新性でもない。ただ純粋に、俺が成し遂げた「創造」そのものに向けられているように感じられた。
「はい。リッカさんという、素晴らしい大工さんです。彼女と話していて、次の目標も決まりました。私がお世話になっていた宿屋の壁を、この技術で防音仕様に改装してみたいのです。皆に使ってもらって、その価値を実感してもらうために。つきましてはそのための資金援助と、商人ギルドで防音資材を販売網に乗せていただきたいのです」
俺は、次の計画を記した羊皮紙を、彼女に差し出した。
レーナさんはそれにさっと目を通すと、あっさりと頷いた。
「いいわ、許可しましょう。それと私からも発注するわ。宿屋の前にまずこの部屋で実験しなさい」
「え!?」
あまりの即決ぶりに、俺が驚きの声を上げる。しかもギルドマスターの執務室でデモンストレーションができるなんてこの上ないお披露目の場だ。
「ここなら、わたしの『重要なお客様』たちにも、あなたの素晴らしい発明を自慢できるでしょう? 口コミは、上から広げるのが一番早いのよ」
そう彼女は悪戯っぽく笑った。さすが前の人生を70年生きてきただけある、経験と含蓄に富んだアイディアだった。
「それに、あなたと、そのリッカさんという大工さんが、楽しそうに物作りをしている姿が目に浮かぶようだわ。その結果がどんなものになるのか、見てみたいじゃない」
彼女は、俺たちの事業を、まるで自分の趣味の延長のように、心から楽しんでくれているようだった。そのことが何よりも嬉しかった。
「ありがとうございます、マスター」
「礼には及ばないわ。思う存分、やってみなさい」
俺は、これ以上ないほどの力強い後押しを得て執務室を後にした。手の中には、次の夢へと進むための計画が握られている。
俺は工房へと駆けだした。一刻も早く、リッカさんにこの吉報を伝えたかった。