転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。   作:菱形の面積

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第30話 月雫のポーション

 レーナさんへのデモンストレーションからあっという間に数週間が過ぎた。光陰矢の如しとはまさにこのことだな。俺とリッカさんは、試作品の防音箱を元に、より薄く、より施工しやすく、そして見た目も美しい「防音パネル」の開発に夢中になっていた。ギリアムさんが時折、差し入れを持って様子を見に来ては、楽しそうに俺たちの議論に加わっていく。そんな、穏やかで充実した日々が続いていた、ある日のことだった。

 

「ヒナビシ様。マスター・レーナがお呼びです。錬金術部門の研究所へお越しください」

 

 俺の家にやってきた秘書のセリアさんは、そう言って一枚の招待状を差し出した。錬金術部門……フィリアスさんの研究所。それはつまり、俺が納品したゲッコウダケを使った、新しいポーションが完成したということに他ならない。

 

 来た。俺の育てたキノコがこの世界の常識を覆すかもしれない。その歴史的瞬間に、俺は今から立ち会うのだ。

 

 新しく増築された錬金術部門の研究所は、俺の想像を遥かに超えていた。雑然とした実験室などではない。そこは、静寂と知性に満ちた、ガラス張りの神殿のようだった。天井まで届く薬品棚には薬品の入った小瓶が色ごとに整然と並べられ、中央の黒曜石の実験台には水晶と白金でできた、見たこともないような錬金装置が鎮座している。

 

 そして、その場には他の錬金術師たちだけではなく、商人ギルドの最高幹部が勢ぞろいしていた。

 

 マスターのレーナ。サブマスターのヴァレンテ。鑑定士のマルコ。そして、この研究所の主である、フィリアス。

 

「来たかヒナビシ君。君が来なければこの場は始まらんよ」

 

 フィリアスは上機嫌な様子で俺を手招きする。その手には、一本の水晶の小瓶が握られていた。

 

 小瓶の中で揺らめいていたのは、ただの液体ではなかった。まるで、夜空から掬い取ってきた月光そのものを溶かし込んだかのような、淡く、そして幻想的な光を放つ液体。その液体は、それ自体が生命を持っているかのように、ゆっくりと小瓶の中で渦を巻いている。

 

「紹介しよう。君のゲッコウダケから生まれた、我々の最高傑作だ。その名を、『月雫(つきしずく)のポーション』という」

 

 フィリアスは、我が子を披露するかのように、誇らしげに言った。

 

「既存のマナポーションは、魔力を回復させる際に、不純物によって術者の体に少なからず負荷をかける。だが、このポーションは違う。ゲッコウダケの持つ、純粋なマナの結晶。それは、術者の魔力回路に、一滴の淀みもなく、完璧に溶け込むのだ」

 

 言葉だけではその本当の価値は分からない。フィリアスは、実験台の上に置かれた、魔力を測定するための大きな水晶玉を指さした。彼は水晶玉に手をかざし、その魔力を完全に空にする。光を失い、ただの石になった水晶玉の横に、彼は「月雫のポーション」を置いた。

 

 そして、スポイトで、たった一滴。

 

 その銀色に輝く雫が水晶玉に触れた瞬間。

 

 閃光が迸った。部屋中が眩い光に包まれる。俺たちがようやく目を開けると、そこには、以前よりも遥かに力強い輝きを放ち、みちみちと魔力に満ち溢れた水晶玉の姿があった。

 

「ほう」

 

 最初に声を発したのはヴァレンテだった。その細められた瞳の奥で、金貨の山を幻視しているかのような、ギラついた光が明滅している。

 

「マルコ」

 

 ヴァレンテに促され、鑑定士のマルコが、おもむろにポーションへ近づいた。彼は鑑定用のルーペを目に当て、小瓶の中の液体を、魂を覗き込むかのようにじっと見つめている。やがて、彼はルーペを外すと、短く、しかし決定的な一言を告げた。

 

「偽りなし。純粋な魔力の塊だ。価値? 計れんな。既存の貨幣価値では、この奇跡の値段はつけられんよ」

 

 その場にいた全員が、息を呑んだ。

 

 最後に、マスター・レーナが、静かに口を開いた。彼女はこの結果を最初から知っていたかのように、穏やかに微笑んでいる。

 

「見事な仕事ね、フィリアス。そして、ヒナビシ君」

 

 彼女は俺の方へ向き直った。

 

「この『月雫のポーション』は、我々ブドランガ商人ギルドの、新たな切り札となるわ。これ一つで、ポーション市場の勢力図を完全に塗り替えることができる。だが、そのためには、一つだけ、絶対的な条件がある」

 

 レーナさんの視線が、フィリアスの視線が、そしてヴァレンテとマルコの視線が、全て、俺一人に突き刺さる。

 

 ヒナビシ君、とフィリアスが言った。その声は、渇望に震えていた。

 

「この奇跡を、安定して、我々に供給し続けることができるか? 全ては、君の双肩にかかっている」

 

 穏やかな工房で、リッカさんと笑い合いながら、小さな防音パネルを作っていた日々。その「ほのぼの」とした日常とは全く違う、巨大な期待と、国家間の戦争さえ左右しかねない戦略物資の供給という、あまりにも重い責任。

 

 俺は、二つの全く異なる世界に、同時に足をかけているのだと、改めて実感させられた。

 

 俺は、ゴクリと喉を鳴らし、そして、ギルドの怪物たちに、笑って見せた。

 

「お任せください。最高の素材を、いつでも」

 

 思えば最初にシイタケを納品したときから、こんなふうになることは決まっていたのかもしれない。今までよりはるかに品質の良いキノコを安定して納品できるなんて、滅茶苦茶な話だ。

 

 もうこの際だ! 暴れるならできるだけいい舞台で暴れてやるぞ俺は!!

 

 でも、苦しいのと痛いのは勘弁な。

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