転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
月雫のポーションのお披露目からしぱらく後。ヒナビシとリッカが防音について試行錯誤していた、ちょうどその頃。商人ギルドの最深部にある、地図にさえ記されていない一室では、氷のように冷たい空気が漂っていた。
円卓会議室。ギルドの最高幹部のみが入室を許される、意思決定の心臓部。マスターのレーナを議長に、サブマスターのヴァレンテ、会計官のリリア、錬金術師のフィリアス、鑑定士のマルコが、一切の感情を排した表情で席に着いていた。
議題はただ一つ。
「王都からの『御下問』について、よ」
レーナが静かに切り出した。その言葉だけで、フィリアスは冷ややかに鼻を鳴らし、マルコは石像のように表情を固める。
「昨日、王都で軍務大臣を務める『ブラドック侯爵家』から、公式の使者が来たわ。我々が開発中であるという『奇跡のポーション』について、詳細な報告を求める、と。そして、『国家の安全保障に関わる戦略物資は、王家の管理下に置かれるべきである』とも、ご丁寧に伝えてきたそうよ」
それは、丁寧な言葉で包まれた、あからさまな恫喝だった。ブドランガ商人ギルドの独立自治権を揺るがしかねない、あまりにも危険な内政干渉。
「愚かな」と吐き捨てたのはフィリアスだ。
「私の研究を、政治の道具に貶めるか。許しがたい冒涜だ」
「だが、相手は侯爵家、そして王家の名を使っている。下手に断れば、ギルドそのものに反逆の嫌疑がかけられかねん」
マルコが事実のみを淡々と述ベる。
リリアもまた、冷徹な会計官の顔で分析する。
「王家の管理下に置かれれば、我々に入る利益は、せいぜい製造委託費といったところでしょう。財政的にも到底受け入れられません」
三者三様の、しかし結論としては「拒絶」で一致した意見が出揃う中、ただ一人、ヴァレンテだけが、目を閉じて黙り込んでいた。
「ヴァレンテさん?」
レーナが促すと、老獪なサブマスターは、ゆっくりと、一切の感情を映さない、ガラス玉のような目を開けた。
「あなたはどう見るのかしら?」
「ブラドック侯爵……」
ヴァレンテは懐から小さなサイコロを取り出してもてあそびながら、盤上の駒を確認するかのように、その名を口にした。
「マスター。まず、結論から申し上げましょう。これは、脅威ではありません。またとない『好機』です」
ぎょっとしたように、その場にいた全員が、ヴァレンテの顔を凝視した。
「どういうことかしら?」
「私の『影』に、調べさせました」
ヴァレンテは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、円卓の中央に滑らせる。
「ブラドック侯爵は、莫大な負債を抱えている。そして、その返済のため、王都の錬金術ギルド……我々の商売敵と裏で手を組み、この話を持ちかけてきた。全ては、我々からポーションの権利を奪い、己の私腹を肥やすための茶番。王家の名など、ただの飾りにすぎません。本当に王家からの依頼ならば、王家が出すのが道理でしょう」
その冷徹な分析までは、他の幹部たちの予想の範囲内だった。だが、ヴァレンテの言葉は、そこでは終わらない。
「そして、この茶番こそ、私が長年待ち望んでいた、王都のギルドを喰らうための、最高の口実となる」
ヴァレンテの真の狙いを理解し、リリアの目に初めて、驚きではない、興奮の光が宿った。
「ごめんなさい。私にはいまいち理解できないわ、ヴァレンテさん」
レーナの言葉に、老獪な狐は、その悪魔的な策略の全貌を語り始めた。
「まず、侯爵の要求通り、『報告書』を提出します。フィリアスには、急ぎ、効果を十分の一ほどに薄めた『劣化版』の試作品を作っていただく。我々はその『出来損ない』を、さも重大な発見であるかのように報告し、侯爵には、王都のギルドと共同での独占販売権を、破格の値段で『お譲り』するのです」
「……奴らに利益を与えるというのか!?」
フィリアスの問いに、ヴァレンテは冷たく笑った。
「ええ。与えます。そして、その契約が王家にも承認され、彼らが大々的に『王家御用達』の看板を掲げて、その出来損ないのポーションを売り出したその瞬間に。我々は、市場に『本物』の月雫のポーションを、匿名で、しかも潤沢に流します。それも、同じ価格で」
ヴァレンテの目に、獲物を屠る捕食者の光が宿る。
「市場は、二つのポーションの、圧倒的な性能差に混乱に陥るでしょう。王家と王都ギルドの御墨付きを得た『公式品』が、どこの馬の骨とも知れぬ闇市場の『非公式品』に、赤子のように捻り潰される。侯爵は詐欺師として破滅し、王都のギルドは、王家と民草の両方から、その信用を完全に失墜させる。副作用を調べても月雫のポーションに副作用などない。……そこまでが、この芝居の第一幕」
静まり返った会議室に、ヴァレンテの声だけが淡々と響いていた。
「そして、第二幕の始まりです。信用を失い、経営危機に陥った王都のギルド。そこに、リリア、あなたの出番です。あなたの配下の金融専門家たちを使い、第三者を装って、彼らの負債を静かに買い集めさせる。同時に、私の『影』が、彼らの下で冷遇されている優秀な錬金術師や鑑定士、職員たちを、一人、また一人と、我々のギルドへと引き抜いていく。これは少しばかり金がかかりますな」
これは、敵の血を、一滴残らず吸い尽くすかのような、あまりにも冷徹な殲滅計画だった。人も、物資も、抵当権に入っているものはすべて買い集める算段なのだ。リリアは会計官という立場から、顔を青く染めた。こんなことは想像もしなかったし、やるとは思ってはいなかった。彼女は改めて、目の前の老人の冷徹さを認識していた。
「半月もすれば王都のギルドは、名ばかりの抜け殻となりましょう。そして、その時こそ、我々ブドランガ商人ギルドが、慈悲深い救済者として、彼らに『吸収合併』という名の引導を渡すのです。王都のギルドが持つ、全てのインフラ、全ての交易路、顧客、そして王家との繋がりさえも、合法的に、我々のものとなる。我々は、この街から一歩も出ることなく、我々の最大の拠点を築くのです」
語り終えたヴァレンテは、静かに目を閉じた。それは長年、あらゆる敵を返り討ちにした男が描く、あまりにも壮大で、そして完璧な侵略計画だった。
やがて、マスターのレーナが、くつくつと、喉の奥で笑い出した。その瞳はヴァレンテと同じく、獰猛な捕食者の色をしていた。
「素晴らしいわ、ヴァレンテさん。あなたをサブマスターに置いて、本当に良かった。本当は私に代わってギルドマスターを務めてほしいくらいなのに」
「もったいないお言葉にございます」
「良いでしょう。この件、全てあなたに一任します。自由にやりなさい。存分に、あなたの牙を、王都に突き立ててきて。……無理はしないでね」
レーナの承認を得て、ヴァレンテは、深く、恭しく頭を下げた。
その姿は、もはやギルドの影の宰相ではない。ギルドという名の帝国の、全権を委任された、冷徹なる総司令官。
ヒナビシという一人の転生者がもたらした「奇跡」は、今、二つのギルドの存亡を賭けた、壮絶な経済戦争の引き金になろうとしていたのだが、当のヒナビシはそんなことを知る余地はないのだった。