転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。   作:菱形の面積

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第33話 劣化

 ある日の昼。俺はサブマスターのヴァレンテに、彼の執務室へと呼び出されていた。リッカさんとの工房での作業が楽しくて仕方ない俺にとっては、少しばかり気乗りしない呼び出しだった。

 

「ヒナビシくん。我々ブドランガ商人ギルドは王都のアイセンタム商人ギルドに経済戦争を仕掛ける」

 

 ヴァレンテは、俺が部屋に入るなり、そう切り出した。なんで俺にそんなこと言うの??? 頭の中が疑問符で一杯になったが、彼の前には、フィリアスさんが一夜にして作り上げたという、水晶の小瓶が一本置かれている。中に入っているのは、月雫のポーションによく似た、しかし、あの幻想的な輝きが幾分か抑えられた、銀色の液体だった。

 

「フィリアスに作らせた、劣化版の月雫のポーションだ。効果は本物の十分の一」

 

 彼は、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「それでも、今市場に出回っているどのマナ・ポーションより、遥かに高性能だ。そして、この劣化版のポーションを、王都のブラドック侯爵に売りつけるための、壮大な宣伝芝居を、今から始める」

 

 ヴァレンテの計画は、こうだった。まず、このポーションがいかに素晴らしいかを、ブドランガ中の冒険者たちの前で、大々的に披露する。その噂を、彼の配下の者たちが王都まで届け、侯爵が喉から手が出るほど欲しがるように仕向ける、というのだ。なぜだろう。俺はこういう腹芸とか工作とかが死ぬほど苦手なのだ。好き嫌いとかの話ではなく、俺は一生考えても思いつかないのだ。

 

「そこで、君の友人たちに、一役買ってもらおうと思ってな」

 

 友人たち、という言葉に、俺は鉄斧ガントレットの三人の顔を思い浮かべる。ちょっと待て、なんで知ってるんだ? どこまで知ってるんだ?? 俺はたまらず、冷や汗を一つ流した。

 

 そうして俺とヴァレンテが向かったのは、いつもの酒場だった。扉を開いてヴァレンテの姿を見た威勢のいい女給仕は挨拶も忘れて立ち尽くし、酒場は水を打ったように静まりかえった。テーブルで陽気に酒を酌み交わしていた三人はその異変に気付き、ヴァレンテの姿を認めるなり驚きに目を丸くする。商人ギルドのサブマスターが、自らこんな場末の酒場に現れるなど、前代未聞なのだろう。

 

「鉄斧ガントレットの諸君。君たちの武勇は、かねてより聞き及んでいる。特に先日のワイバーン討伐の報せは胸が躍ったよ」

 

 ヴァレンテは、冒険者たちへの敬意を払った、完璧な営業スマイルで切り出した。

 

「実は、我々のギルドで新しいマナ・ポーションを開発した。そのお披露目にあたり、君たちのような、街一番の冒険者に、是非ともその効果を実演してもらいたいのだ。もちろん、報酬は弾ませてもらう。一日拘束で、500エルグ。加えて、このポーションの現物を君たちが望むだけ支給する。どうかな?」

 

 一日で500エルグ。それは、彼らが命がけでダンジョンに潜って得る稼ぎよりも、遥かに多い額だった。ジェフは目を輝かせ、クロエも驚きを隠せないでいる。

 

 だが、ヒーラーであるイリスだけは、冷静にヴァレンテを見つめていた。

 

「そのポーションは、本当に、信頼できるものなのでしょうか? 私は仲間たちの命を預かっています。効果の不確かなものを、宣伝するわけにはいきません」

 

 その実直な問いに、ヴァレンテは満足そうに頷いた。

 

「もちろんだ。だからこそ、君たちに頼むのだよ。ヒナビシくん、例のものを」

 

 俺は頷くと、懐から「劣化版のポーション」を取り出し、イリスに手渡した。彼女は、それをヒーラーとしての目でじっと観察し、そして、一口だけ、静かに口に含んだ。

 

 その次の瞬間、イリスの眠たげな瞳が驚愕に見開かれた。

 

「すごい。こんなに澄んだ魔力が、体に……。今までのポーションにあった不快な感覚が全くない」

 

 その反応こそが、何よりの答えだった。そして俺はなぜヴァレンテが直接こんな場所までやってきたのかを思い知った。冒険者の集まる酒場で、鉄斧ガントレットのヒーラーがそう述べたのだ。周囲の血気盛んな冒険者もその仕事に名乗りを上げ始める。

 

 一体この狐目の老人は、どこまで計算していたのか。解けない数式をずーっと眺めている気分になったのである。

 

 翌日。冒険者ギルドの訓練場は、異様な熱気に包まれていた。ヴァレンテが流した「ギルド開発の新型ポーションを、冒険者たちが実演する」という噂を聞きつけ、さらに多くの冒険者たちが見物に集まっていたのだ。

 

 そして、その中には、王都から来たという触れ込みの、一人の「報道員」の姿もあった。

 

 実演が始まった。まず、比較対象として、一人の魔術師が、市場で最高級とされるマナ・ポーションを飲み干し、魔法を放つ。五発、六発と撃ったところで、彼の魔力は尽き、ぜえぜえと肩で息をし始め、ついにはがっくりと膝を折る。

 

 次に、いよいよ鉄斧ガントレットの番だ。壇上に上がったイリスは、おもむろに、高位の治癒魔法を、立て続けに詠唱し始めた。仲間であるジェフとクロエの、かすり傷一つない体に向けて、何度も、何度も。それは、自らの魔力を、観衆の目の前で、意図的に空にしてみせるための、パフォーマンスだった。

 

 やがて、彼女の額に大粒の汗が浮かび、顔が青ざめ、足元がふらつき始めた。誰の目にも、彼女が魔力欠乏寸前であることが明らかだった。

 

 その瞬間、彼女は「劣化版のポーション」を、一気に煽った。

 

 変化は、劇的だった。

 

 イリスの青ざめていた頬に、さっと血の気が戻る。ふらついていた足が、地面に力強く根を張る。そして、彼女は、天に向かって、高々と手を掲げる。そして周囲は柔らかな光と癒しの風に包まれた。

 

 広範囲治癒魔法。それは、並のヒーラーであれば、魔力が満タンの状態でなければ決して使えない、大魔法。それを、魔力欠乏に陥った直後の彼女が、いとも簡単に、そして完璧に発動させてみせたのだ。

 

 訓練場が、地鳴りのような歓声とどよめきに包まれた。

 

「嘘だろ!?」

 

「あの回復速度は、今までのポーションの三倍、いや、五倍以上だ!」

 

「あれさえあれば、どんな強敵とも戦える……!」

 

 冒険者たちのどよめきが止み始めたころ、ジェフが壇上で叫ぶ。

 

「すげえぜイリス! そのポーションがあれば、前のワイバーンだってもう一匹は狩れたな!」

 

 その言葉が、決定打だった。冒険者たちの興奮は、最高潮に達した。誰もが、その奇跡のポーションを、熱狂的な目で見つめている。

 

 訓練場の片隅でその光景を眺めながら、ヴァレンテは冷ややかに、そして満足そうに頷いた。

 

 その隣で、俺は、友人たちが熱狂の渦の中心にいるのを、複雑な気持ちで見ていた。彼らが宣伝しているのが、本当は「劣化版」のポーションであることも知らずに。

 

 ヴァレンテの壮大な謀略の舞台で、俺も、そして友人たちも、知らず知らずのうちに、重要な役を演じさせられているのだ。そのことに俺は、言いようのない寒気を覚えていた。

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