転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
経済戦争の圧倒的な勝利は俺にとっては現実感がない。俺の心は、晴れない霧の中にいるようだった。リッカさんとの新素材開発は、確かに心からの喜びと、純粋な達成感を俺に与えてくれた。だが、その裏で俺の生み出す「奇跡」が、誰かの破滅と、友人たちの命を危険に晒す、冷徹な「兵器」として使われている。その事実は重い枷のように、俺の心にのしかかっていた。
俺の価値は、この世界で唯一、希少なキノコを安定供給できるという、その一点にかかっている。それはギルドにとっての「強み」であると同時に、俺個人にとってはあまりにも危険な「弱点」だ。
もし、俺が死んだら? あるいは、このスキルが使えなくなったら?
その瞬間に全てが崩壊する。ブドランガ商人ギルドも、月雫のポーションも、すべてがご破産だ。俺は、俺自身の未来のために、そして俺が関わってしまった人々の未来のために、この歪な構造を変えなければならない。そう、確信した。
答えは一つしかない。独占の放棄。いや、より正確に言うならば、知識の「解放」だ。
俺は、数日をかけて、一つの計画書を書き上げた。そして完成したそれを手に、ギルドマスター、レーナさんへの面会を申し入れた。
「面白いことを考えるのね。ヒナビシ君」
ギルド最上階の執務室。俺が提出した計画書『食用キノコの栽培手引書の出版及び、関連市場の創出について』に目を通したレーナさんは、心の底から楽しそうに、くすくすと笑った。
俺は彼女に、自分の考えを正直に、しかし、商人としての言葉で伝えた。
「現在、シイタケなどのキノコは、希少価値の高さから富裕層向けの高級品として取引されています。ですが、もし、基本的な栽培方法を公開し、一般の農家でも生産が可能になればどうなるか」
俺は、一呼吸置いて続ける。
「キノコは高級品から、誰もが食べられる『食料』へと変わります。市場の規模は、今の何十倍、何百倍にも膨れ上がるでしょう。我々は、素材の独占という小さな利益を失う代わりに、加工品、栽培用の道具、そして、何よりも『キノコ栽培の知識』そのものを売るという、全く新しい、巨大な市場を、この手で創り出すことができるのです」
それは俺が、オリヴィアさんの「記憶の森」で学んだ、この世界の経済の仕組みと、前世の知識を組み合わせた、俺なりの未来への投資計画だった。
「それと」
俺は小さく息を吸い込み、いたずらっぽく言葉を放つ。
「きのこ鍋、たべたくないですか?」
レーナさんは、しばらく、黙って俺の目を見つめていたが、やがて、その瞳に、満足げな光を宿した。
「……ヴァレンテさんが惚れ込むはずだわ。あなたは、川から水を汲んで売るのではなく、その川の流れそのものを、作り変えようとしている」
彼女のスキル「需要と供給の把握」は、俺の計画がもたらす、爆発的な経済効果を瞬時に弾き出していたに違いない。
「いいでしょう。その計画、ギルドが全面的にバックアップするわ。それで、この壮大な事業の、責任者は、誰に任せるつもりかしら?」
「え?」
「あなたに管理業務のやる気がないことくらい、わかっているわよ」
と、彼女は悪戯っぽく笑った。失礼だな。本当のことだけど。
「あなたは、あくまで『源泉』。その流れを正確に、そして淀みなくギルドの利益へと繋げる。実直で、信頼できる『水路』が必要でしょう?」
彼女は、秘書のセリアさんに目配せをした。数分後、執務室の扉が、おずおずとノックされ、カミュさんが緊張でガチガチの顔で入ってきた。
「お、お呼びでしょうか、マスター。ヒナビシ殿? なぜ、ここに!?」
「カミュ」
レーナさんの凛とした声が響く。
「あなたに新しい仕事を与えます。ヒナビシくんが立案した、この『キノコ栽培計画』。その、責任者として、この事業を成功に導きなさい。ヒナビシくんとよく計画を話し合ってね」
「………………はい?」
カミュさんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、完全に、固まった。無理もない。一介のギルド職員である彼が、いきなり、国家の農業政策を根底から覆しかねない、巨大プロジェクトの責任者に任命されたのだから。
「で、ですが、マスター! わ、私のような者に、そのような大役はとても!」
「ヒナビシくんはどう思うかしら?」
レーナさんのさらなる一言に、カミュさんの視線が驚愕と、そして、かすかな期待を込めて俺に突き刺さる。俺は慌てて、しかし、力強く、頷いてみせた。
「カミュさんなら、絶対にできると思いますよ。あなたのあの、真摯で、正確な仕事ぶりを俺は、誰よりも信頼しています」
それは俺の、心からの言葉だった。
「ヒナビシ殿……!」
カミュさんの目に、じわり、と涙が浮かんだ。彼は俺とレーナさんを交互に見ると、やがて、覚悟を決めたように、背筋を伸ばし、今まで聞いたこともないような、力強い声で言った。
「拝命いたします! このカミュ、ヒナビシ殿のご期待と、マスターのご命令に、この身命を賭して、お応えしてみせます!」
その姿は、もはや、ただの神経質なギルド職員ではなかった。一つの大きな使命を与えられ、その重圧と誇りを胸に、立ち上がろうとする、一人の男の顔だった。
こうして、俺が、自らの未来のために、そしてささやかな善意のために始めた計画は、またしても俺の想像を遥かに超える、巨大なプロジェクトへと、変貌を遂げた。
だが、不思議と以前のような不安はない。隣には、俺が心から信頼できる、最高の仕事仲間がいてくれるのだから。
「ああ、それから」
レーナさんが言う。
「私、舞茸が好きなの」
その言葉に、俺はカラカラと笑った。