転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。   作:菱形の面積

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第37話 王都から来た男

 王都の、煤けた酒場。元アイセンタム商人ギルドの職員だったクラウスは、ブドランガから届いた友人アルベルトの手紙を、三度読み返しては、嘲るように鼻で笑った。

 

「(怪物? 伝説? 馬鹿げている。アルベルトめ、すっかり骨抜きにされてしまったらしい)」

 

 クラウスは、ギルドの中堅職員だった。プライドも、野心も、それなりにあった。ギルドがブドランガの成り上がり共に吸収された時、彼は、差し伸べられた移籍の手を、自ら振り払ったのだ。田舎ギルドの下で働くなど、冗談ではない。

 

「奴らのやったことなど、単純なことだ」

 

 クラウスは独りごちる。運よく画期的なポーションの試作品を開発し、それを餌に、愚かなブラドック侯爵を嵌めた。それだけのこと。奴らのギルドそのものに、それほどの力があるはずがない。運がよかっただけ。全ては、一つの『ハッタリ』の上に成り立った、砂上の楼閣だ

 

 アルベルトの手紙に書かれた、怪物たちの伝説。それは、アルベルトの劣等感が生み出した、惨めな幻想に違いない。クラウスの心に、一つの歪んだ正義感が、炎のように燃え上がった。

 

「(俺が、証明してやる。アルベルトの目を覚まさせ、そして、アイセンタム商人ギルドの名誉を取り戻す。ブドランガの化けの皮を、この俺が剥がしてみせる)」

 

 彼はなけなしの全財産をかき集めた。そして、架空の貿易商社の代表を名乗り、ブドランガのハッタリを暴くための、単純で、しかし、彼自身は完璧だと信じる計画を胸に、意気揚々と、その街へと向かった。

 

 変装してブドランガの街に足を踏み入れた瞬間、クラウスの自信は早くも、少しだけ揺らいだ。噂には聞いていた。だが、これほどの活気とは。王都のどの地区よりも、人々は力強く、市場は豊かで、そして、街全体が、未来への楽観的な熱気に満ち溢れている。

 

「(ま、まぐれ当たりで得た富だ。すぐに、底は尽きる)」

 

 彼は自らを鼓舞し、街にそびえ立つ、ブドランガ商人ギルドの巨大な建物へと向かった。その威容は、王都の本部さえ凌駕していた。

 

 受付でクラウスは、作り上げた尊大な態度で告げる。

 

「王都から来た、クラヴィス商会の『クラヴィス』だ。ポーションの大規模な取引について、責任者と話がしたい」

 

 彼は、せいぜい中堅クラスの者が出てくるだろうと高を括っていた。だが受付の女性は、涼やかな顔で、手元の水晶板を一瞥すると、こう言ったのだ。

 

「クラヴィス様ですね。会計官のリリア様が、15分後であれば、お時間が取れるとのことです。応接室へご案内します」

 

 会計官。ギルドの金庫番。いきなり、最高幹部の一人が出てくるというのか。しかも、リリア……アルベルトの手紙に記されている以上に、その名は王都にまで届いていた。ブドランガの心臓を握る、サキュバスだと。クラウスの喉が、ごくりと鳴った。

 

 応接室で待つ彼の前に、音もなく、そのサキュバスは現れた。リリアと名乗った彼女の、蜜のように甘い微笑と、魂の奥まで見透かすような瞳に、クラウスは完全に気圧されていた。

 

「本日は、『月雫のポーション』の、大規模な取引について、お話を」

 

 彼は必死に計画通りに言葉を紡ぐ。ポーションの存在をちらつかせ、しかし、その安定供給能力を疑うような、挑発的な言葉を並べた。全ては、相手に「ハッタリ」を認めさせ、ボロを出させるための、布石のはずだった。

 

 リリアは彼の話を、ただ黙って、微笑みながら聞いていた。そして、彼が話し終えると、そっと、一枚の羊皮紙をテーブルの上に滑らせた。

 

「クラウス殿」

 

 彼女が、初めて、彼の本当の名を呼んだ。

 

「元・アイセンタム商人ギルド、資産管理部所属。ギルド解体に伴い、自主退職。現在の個人負債、3400エルグ。この『クラヴィス商会』というのは、あなたのなけなしの退職金を元手に王都で登記したばかりの、従業員一名、資産ゼロの、架空の商会ですわよね?」

 

「なっ!?」

 

 クラウスは、凍り付いた。素性がすべてバレている。なぜ、それを知っているのだ?

 

「『月雫のポーション』の存在を、お疑いかしら?」

 

 リリアは楽しそうに、もう一枚の羊皮紙を広げる。それは、ブドランガ商人ギルドの現在の資産状況を示す、きわめて重要な内部資料だった。そこに記された天文学的な数字。そして、その利益の源泉として、明確に記された、「月雫のポーション」の文字。そのほかにもいくつもの事業が、目が回るような数字とともに添えられていた。

 

「ご覧の通り、月雫のポーションは、我々の事業のほんの一部でしかありませんの。あなたのおっしゃる『大規模取引』、喜んでお受けいたしますわ。ただし、我々と取引する商会には、最低でも、五百万エルグの資本金をお願いしておりますの」

 

 クラウスの頭は、真っ白になった。彼の計画は、完璧に、粉々に、打ち砕かれた。

 

 その、とどめを刺すかのように、応接室の扉が、ゆっくりと開かれた。そこに立っていたのは、狐目の老人、サブマスターのヴァレンテだった。

 

「リリア。この男か」

 

 ヴァレンテは、クラウスを一瞥すると、まるで、道端の石ころでも見るかのような、無関心な目で、リリアに尋ねる。

 

「『影』たちが、王都の元職員たちには、『大人しくしていれば、命までは取らぬ』と、伝えたはずだが。どうやら理解できぬ者もいたらしいな」

 

 その言葉に、クラウスは、全身の血が凍るのを感じた。解雇も、ギルドの崩壊も、全て、この老人の、掌の上だったのだろう。

 

「若者よ」

 

 ヴァレンテは、初めて、クラウスに向き直った。その目には、怒りも、嘲りもない。ただ、絶対的な強者だけが持つ、深い、深い憐憫があった。

 

「教えてやろう。全て、我々がこの盤上で動かした。お前はこの勝負の駒ですらない。ただの、盤の外の、景色だ」

 

 完膚なきまでの、存在の否定。クラウスは、もはや、声も出なかった。だが、その時。

 

「……だが」

 

 ヴァレンテの雰囲気が、わずかに変わった。その細められた目が、初めて、クラウスという人間を、値踏みするように、じっと見つめている。

 

「だが、お前は、行動した。王都に残った他の者たちが、ただ己の不運を嘆き、酒場で愚痴をこぼしている間に、お主は、なけなしの全財産をかき集め、たった一人で、この『ブドランガ商人ギルド』に乗り込んできた。その計画は愚かだ。だが、その野心と、行動力は面白い」

 

 ヴァレンテは、クラウスの前に、ゆっくりと腰を下ろした。

 

「なぜここへ来た? 金のためか?」

 

「違う!」

 

 クラウスは、絞り出すように叫んだ。「王都のギルドの名誉のためだ! あんたたちのような、田舎の成り上がりに、我々の誇りが、汚されてたまるか!!」

 

 その、負け犬の遠吠えに、ヴァレンテは、初めて、喉の奥で笑った。それは、嘲笑ではない。どこか懐かしむような、そして感心したような、不思議な笑い声だった。

 

「名誉……誇り。青臭いな。だが、それこそが、時に、商人にとって、金よりも強い原動力となる。気に入ったぞ、若者」

 

 ヴァレンテは、テーブルに肘をつくと、悪魔のような提案を、クラウスに持ちかけた。

 

「お前のいたギルドは、もうない。お前の誇りも、今、この場で、完膚なきまでに砕かれた。お前には、二つの道がある。一つは、このまま、全てを失った敗北者として、王都に帰る道。もう一つは」

 

 彼は、目を細めて、にやりと笑った。

 

「その砕かれた誇りを拾い集め、我々の下で、本物の『力』に変える道だ。お前を、このブドランガ商人ギルドに迎えてやろう」

 

「なっ!?」

 

「勘違いするな。お前を幹部として迎えるのではない。お前は、今日から、一介の新人職員だ。まずは私の下で雑務から始めてもらう。給金も雀の涙ほどだ。だが」

 

 ヴァレンテの目に、老獪な光が宿る。

 

「お前は我々がこれから築き上げるこのギルドが、どのようにして作られていくのかを、見ることができる。本物の策略を、本物の交渉を、本物の『商売』を、その骨の髄まで叩き込んでやる。……どうだ? 敗北者として腐っていくか、それとも、私の流儀を学び、いずれ、喰らう側になるか」

 

 クラウスは、震えていた。恐怖ではない。あまりにも巨大な、そして、あまりにも抗いがたい選択肢を前にした、武者震いだ。彼は、目の前の老人が、自分という人間の、その奥底にある野心と渇望を、完全に見抜いていることを悟った。

 

 彼はゆっくりと、しかし力強く、椅子から立ち上がると、床に膝をつき深く、深く、頭を垂れた。

 

「……完敗です。どうか、この俺を、あなた様の元で一から鍛え直してください。……ヴァレンテ様」

 

 その言葉に、ヴァレンテは、満足そうに頷いた。

 

「よろしい。リリア、この男の身柄と、そして、その『負債』も、ギルドで引き取れ。明日から私の部下につける」

 

 クラウスは、衛兵に連行されるのではない。一人のギルド職員に導かれ、職員用の通用口へと、案内されていった。ロビーを横切る時、彼は、忙しそうに走り回るアルベルトの姿を見た。アルベルトも彼に気づくと、一瞬驚いた顔をしたが、やがて、何かを察したように、小さく、しかし、確かに、頷いてみせた。

 

 クラウスは叩き潰された。だが、彼は、その灰の中から、最も危険で、そして、最も刺激的な、新しい道を見つけたのだ。

 

 怪物に挑み、そして、自らもまた、怪物となるために。

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