転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。   作:菱形の面積

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第38話 いままでのあらすじ

 とても静かな夜だった。

 

 俺はすっかり寝心地にも慣れたベッドの上で、ぼんやりと天井を眺めていた。窓の外からは前世では聞き覚えのない虫の声が聞こえる。数ヶ月前、この街に来たばかりの頃は、隣の部屋のいびきに悩まされていたのが、嘘のようだ。

 

「ずいぶん、遠くまで来たもんだ」

 

 ぽつりと、そんなことを呟く。

 

 死んだはずだった。三十年の人生を、車に突っ込まれて。あっけなく幕を下ろした。それなのに、次に目を開けた時、俺は見知らぬ森の中にいた。手にした「転生特典」は、よりにもよって、「キノコ栽培」。前世でもやったことのないスキルに、本気で膝から崩れ落ちたっけな。

 

 あの頃は本当に単純だった。

 

 このふざけたスキルが、実はとんでもないチート性能を秘めた「クソバカスキル」だって気づいてからは、とにかく、金だった。野垂れ死にしないための、屋根のある場所で眠るための、温かい飯を食うための、金。森の中であっという間に育つシイタケを、クソみたいに便利なストレージに放り込んで、冒険者ギルドの受付嬢を驚愕させたのが、この世界での、俺の初仕事だった。

 

 あの頃はそれだけで良かったんだ。ある程度の金を稼いで、誰にも迷惑をかけず、誰からも注目されず。ただ適当に、快適に、のんびりと暮らす。それが俺の、たった一つの夢だったはずなのに。

 

 いつから、こんがらがってしまったんだろう。

 

 いや、分かってるとも。俺がやったんだもの。原因はおそらく、人との出会いだ。

 

 酒場で出会った鉄斧ガントレットの三人。リーダーのジェフは、酔っ払うと面倒だけど、誰よりも頼りになる男だ。クロエは、躊躇なくジェフに拳をぶち込むが、その拳と同じくらい、仲間を思う気持ちは、まっすぐで、強い。イリスは、いつも眠そうだけど、その祈りは誰よりも、温かいと思う。彼らが、この殺伐とした世界で、俺が初めて、心から「友人」と呼べる存在になった。

 

 商人ギルドで出会ったカミュさん。最初は、ただの、神経質そうな眼鏡の事務員だと思っていた。俺が前世の社畜根性で、当たり前の「ホウレンソウ」を求めただけで、彼は俺を、まるで伝説の商人か何かのように尊敬し始めた。今や彼は、俺が始めた、ささやかな「善意」を、国を揺るがす「革命」へと、昇華させようとしている。あの、真面目すぎる男の暴走を、俺は止められるんだろうか。

 

 そして、あの怪物たち。

 

「面白い」という一言で、俺という存在の価値を見抜き、ギルドへと引き入れた、サブマスターのヴァレンテ。鑑定士のマルコ。錬金術師のフィリアス。彼らは、俺が持ち込む「奇跡」に、子供のようにはしゃぎ、そして、その価値を、俺の想像を、遥かに超える「結果」へと、変えていく。

 

 極めつけは、マスターのレーナさんだ。俺と同じ、「日本」からの転生者。彼女が、あの執務室で、「君は何年の日本で死んだの?」と静かに、しかし有無を言わさぬ力で、俺の秘密を暴いた瞬間。俺の「のんびりゆったりスローライフ計画」は、完全に死亡宣告を受けたんだ。

 

 そこから俺の人生は、二つに分かれてしまった。

 

 一つは、レーナさんとヴァレンテの、巨大な野望の上で踊らされる道だ。「月雫のポーション」 のための、ゲッコウダケの供給。友人たちを欺いてまで加担させられた、王都ギルドを滅ぼすための、壮大な宣伝芝居。俺のキノコが友人たちに、富と、そして、より危険な戦場を与え、この街に血の匂いのする熱狂的な好景気をもたらしている。その中心に俺がいる。その事実は今も、俺の心を、重くさせる。

 

 そしてもう一つは、リッカさんと共に、物を作る道だ。

 

 防音の衝立。彼女の工房にいる時だけ、俺は、ギルドの怪物たちのことも、自分の罪悪感も、全て、忘れることができる。ただ、モノづくりの、純粋な喜びに、没頭できる。あの、温かい時間こそが、今の、俺の、唯一の「救い」だ。

 

 恋でもしてるのか? バカバカしい。三十過ぎのおっさんだぞ俺は。リッカさんはせいぜい二十歳そこそこじゃないか

 

 ベッドからゆっくりと身を起こす。窓の外には俺が守りたかったはずの、静かな夜が広がっている。

 

 この家も、この静けさも、俺が二つの道を歩き続けた「結果」として手に入れたものだ。

 

 のんびりした生活はもう、望めないのかもしれない。俺は、いつの間にか、この街のあまりにも多くの人々の運命を、背負い込んでしまった。

 

 だがそれでも。

 

 俺は俺自身の「物語」を諦めたわけじゃない。カミュさんと始めた、知識の「解放」。リッカさんと始めた、暮らしの「創造」。それは、ヴァレンテの言う「戦争」とは全く違う。俺が、心の底から、正しいと信じられる、俺自身の「商売」だ。

 

「やりたくねえけどやるか」

 

 俺は誰に言うでもなく、前世からの口癖を呟いた。そして再び、ベッドに横になる。

 

 今は休もう。明日にはまた、二つの世界の、全く違う顔をした俺が待っているのだから。

 

 

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