転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。   作:菱形の面積

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第43話 前世知識チート

 ギルド地下倉庫での「農業革命」未遂事件から一夜明けた。俺は今後の不安、つまりは平穏な日常の崩壊という未来を抱えながら、ギルドの最上階にあるマスター執務室の扉を叩いていた。隣には、興奮冷めやらぬ様子で分厚い報告書を抱えたカミュさんがいる。いつ書いたんだこの人。彼の目は昨日の魔法実験の成功以来、どこか遠くの理想郷を見ているようでとても怖い。

 

「というわけで、栽培魔法とヒナビシ殿の手順書を組み合わせることで、シイタケの生育期間を劇的に短縮することに成功いたしました。これは食糧問題の解決に向けた、まさに大きな一歩です」

 

 カミュさんが熱弁を振るう。ガラステーブルの向こうでは、レーナさんが面白そうにその報告を聞いていた。その傍らには、会計官のリリア様さんも控えている。サキュバスの瞳が、俺とカミュさん、そして報告書に踊る数字を、まるで獲物を査定するように細められた。

 

「なるほどね。栽培魔法でキノコ栽培なんて、生育条件がわからなければ決して成功しない方法だわ。その『キモ』を的確に言語化したヒナビシ君はさすがね」

 

 レーナさんが俺に視線を向ける。褒められているはずなのに、俺の背筋には氷水をかけられたような寒気が走る。彼女の目には、俺がただの便利な道具にしか見えていないのが明白だからだ。もっとこう……あるだろ!? 同郷のよしみとか!!!

 

「ですがマスター。ヒナビシ殿は、この技術が急激に広まれば、シイタケを含むキノコ市場全体の価格バランスが崩壊し、従来の農家が生活の糧を失うことを懸念されています」

 

「あら、カミュ。あなたも随分と商人の視点を持つようになったじゃない。ヴァレンテが聞いたら喜ぶわよ」

 

 カミュさんの言葉に、リリアさんが艶然と微笑んだ。それ自体が魔法のようにも思える妖艶な笑み。カミュさんが恐縮です、と顔を赤らめる。違うんだよカミュさん、俺が心配してるのは俺の平穏な生活が、ギルドの怪物たちの手によって完全に叩き壊されることなんだよ! もう遅いって? それはそう。

 

「ヒナビシ君の言う通りね。技術の安売りは私たち自身を含め、関わる全てを滅ぼす。特にこのような魔術的な応用技術は、秘密にしていても必ずどこかで漏れるものよ。農村の子供でも使える程度の『栽培』魔法の応用で再現可能ならば、いずれ誰かが気づくでしょう。それが昨日なのか、来年なのか、100年後なのかの違いよ。問題は私たちが、その技術が漏れる前に、市場の支配権を握れるか、ただそれだけ」

 

 レーナさんは指先でテーブルをトントンと叩く。その冷静で冷酷な判断に、ギルドマスターとしての格の違いを見せつけられる。

 

「だから先手を打つわ。『認定制度』を作りましょう」

 

「認定、ですか?」

 

 俺が問うと、レーナさんは続ける。その口から出てくるのは、合理性と冷酷さで裏打ちされた、完璧な経済戦略だ。

 

「ええ。しばらくの間はギルドが認めた農家にのみ、この栽培技術を与えるの。具体的には、種菌となる原木はギルドが一括管理し、生産量も厳しく調整して生産品をギルドで買い上げる。これなら供給量をコントロールできるから価格崩壊も防げるし、認定料と原木の販売で、ギルドには長期にわたる継続的な利益が入るわ」

 

 出たよ。現代知識チート経営術。俺はただ美味いものが食べたかっただけなのに、なぜか巨大企業のサプライチェーンと農協の構築に貢献させられている。もちろん、俺は「フランチャイズ化」なんて発想は思いつかなかった。なぜなら前世で商売なんてしたことないからだよ!

 

「リリア、契約書の作成と、法的な枠組みの整備をお願いできるかしら? 王国の農業法や、魔術的な特許権に関する法律に抵触しない範囲で、最大限にこちらの権利、特に技術の第三者への流出を防ぐための懲罰的な違約金条項を主張できるやつを」

 

「お任せください、マスター。農家の方々が、ギルドの暖かさから二度と離れられなくなるような、素敵な契約書をご用意いたしますわ」

 

 サキュバスが舐めるように唇を湿らせた。怖い。この街の農家さんたちが可哀想になってきた。だが、これで無秩序な拡散は防げるはずだ。火をつけたのは俺だが、消火活動と管理を怪物たちに丸投げできたことに、俺はホッと胸を撫で下ろした。

 

「それで、ヒナビシ君。この『認定農家』第一号への技術指導と現場監督は、当然あなたがやってくれるのよね? だって、手順書を書いたのはあなただもの」

 

「んえっ?」

 

 レーナ様の悪魔的な提案に、俺の思考が完全に停止した。なんだ「んえっ?」て。声すらまともに出ないほど驚いているぞ俺。もう逃げたいぞ俺。

 

「カミュは全体の管理と、王国の役人への折衝で忙しくなるわ。現場で農家からの質問に答え、指導できる人間が必要なのよ」

 

「い、いえ! 俺は毎月のゲッコウダケの納品やリッカさんとの新製品の開発なんかがありますし!! そもそも俺は人の管理が死ぬほど苦手なので本当に勘弁してください!!」

 

 俺は必死に逃げ道を探す。指導員なんて、精神的なストレスの塊だ。泥まみれで働くのはいいが、人間関係の板挟みと責任の重さからは金輪際無縁でいたいんだ。手遅れ? 黙ってろ。俺のメンタルは、シイタケの傘の裏のヒダくらい繊細なんだ。あっ、今うまいこと言ったよな? 座布団もらえるかなこれ?

 

 ここでリリアさんが話に加わってきた。彼女は俺の保身ではなく、ギルドの利益を優先する。

 

「レーナ様、現在月雫のポーションの需要は最初期の爆発的なものよりは落ち着きましたが、在庫は依然として薄いのが現状です。それに先日納品された黒い板状の素材を用いた新製品が完成した暁には、これまでのギルドの収益とは比較にならないほどの増収が見込まれます。ヒナビシ殿を現場監督として農地に張り付かせるより、今まで通りの研究開発と納品業務に専念していただく方が、会計官の立場から見ても、圧倒的にギルドの利益となりますわ」

 

 俺の必死の抗弁とリリアさんの冷静で合理的な意見に、レーナ様はきょとんとした後で、楽しそうに笑った。彼女は合理主義者だ。俺の適材適所は、土ではないと判断したのだろう。

 

「ふふ、いいわ。それも大事なことね。君を指導員として泥をかぶらせるより、新しい金を産むキノコや素材を研究させる方が合理的だもの。じゃあ、生産管理はカミュとリリアに任せるわ。人員の雇用もあなたたちに一任します。そうそう、この町の失業者で希望する者がいたら優先的に雇用して。このギルドばかり儲かっても、町が豊かにならない限り持続的な発展はしないもの」

 

 首の皮一枚で繋がったー。俺は深々と頭を下げ、逃げるように執務室を後にした。背後でカミュさんが「ヒナビシ殿! さすがです!」と、新たな誤解を生んでいる声が聞こえたが、無視を決め込んだ。俺絶対なんかやっちゃっただろ……。

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