転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。   作:菱形の面積

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第44話 お金の悩み

 ギルドの一階にある預金部門の専用カウンターで、俺は完全に時が止まったかのように、手元の通帳に印字された無機質な数字の羅列を見つめていた。周囲の喧騒が遠のき、自分の心臓の音だけが嫌に大きく響く。

 

「あの……これ、本当なんですか? インクの染みがゼロに見えているとかではなく?」

 

 俺が震える声で、縋るように受付の女性に問う。彼女は営業用としては百点満点、今の俺にとっては死刑宣告にも等しい素晴らしい笑みを浮かべて答えてくれた。

 

「本当です! 間違いなく、ヒナビシ様の口座残高でございます!」

 

 うわーーーーー頭が爆発しそう。視界がグラグラと揺れる。  なぜなら、その残高の欄には『5,000,000』という、この世界に来てから見たこともない桁数の数字が鎮座しているからだ。  ごひゃくまんえるぐ……。この世界の貨幣価値を大雑把に日本円に換算すると、1エルグ=約100円。つまり、日本円にして多分5億円。

 

 どうしてこうなった???  理由は明白だ。あの『月雫のポーション』の契約。俺は謙虚に「純利益の」一割という条件で契約書にサインした。だが、その「純利益」の母数が、俺の予想を遥かに超えて天文学的な数字になっていたのだろう。あのポーションが世界中で馬鹿売れしているとは噂で聞いていたが、まさかここまでの規模だとは。

 

 俺はもう、どうしていいかわからなくなっていた。まだこの世界に来て1年たってねえんだぞ!?  庶民感覚が染みついた俺にとって、この金額はもはや暴力だ。  これは一人で抱えるには大きすぎる。もうこれからすれ違う全員が強盗に見えてくる自信がある。本当にどうしよう。「5億円持ってるんだけどどうしよう?」なんて相談したら、間違いなく次の日には俺の死体が路地裏に転がることになる。

 

 ならば頼れるのは、この元凶を作り出した組織のトップしかいない。

 

 俺はよろよろと、幽霊のような足取りでギルドの最上階へ向かう。心臓が早鐘を打っている。助けてくれーーーーーー!!

 

 重厚な扉をノックし、ふらふらと中に入ると、そこには優雅に紅茶を楽しむギルドマスター、レーナさんの姿があった。

 

「あら、ずいぶんとお金持ちになった顔をしているわね」

 

 レーナさんは、俺の様子を見るなり全てを察したように、そんな軽い言葉で俺を受け止める。その余裕たっぷりの態度に不思議と安心感を覚えたが、根本的な解決は何一つできていない。俺はテーブルに身を乗り出した。

 

「持て余します!! これは私の掌握できる金額ではありません!!!」

 

 俺が必死に叫ぶが、レーナさんは全く動じることなく、控えていた秘書のセリアさんを目配せだけで下がらせると、面白そうに俺に問いかけた。

 

「そんなに怯えることないじゃない。自分のために使ってもいいじゃないの。日本では何にお金を使ってたの?」

 

「ええと……」

 

 俺は前世の記憶を必死に探る。日本のサラリーマンの支出ってやつを教えてやるよ。

 

「所得税と、健康保険料と、国民年金と、あとはアパートの家賃に、食費……」

 

「ごめんなさい」

 

 レーナさんは素直に頭を下げる。いや、レーナさんが悪いわけじゃないし、俺も悪くはないはずだ。でも、この世知辛い返答のせいで場が凍りついた。誰のせいで俺の金がなくなってんだ!??!??

 

「……でも、お金の使い道なんていくらでもあるじゃない。この街には何でもあるわよ。最高級の素材を使った美味しいご飯に、年代物の美味しいお酒。それに、あなたもまだ若いんだから」

 

 レーナさんは妖艶な笑みを浮かべ、少し声を潜める。

 

「『そういうお店』で、一夜の夢にお金を使ってもいいじゃないの。英雄色を好む、と言うでしょう?」

 

 うわー、直球のセクハラっすよそれ?  今の時代そういうこと言うと一発でアウトっすよ? あ、でもレーナさんババアだからそういうことわかんねっすか??? 俺はわざとらしく咳を一つ落とす。

 

「繰り返しますが、これは私には使い切れない金額です」

 

 俺は居住まいを正し、真っ直ぐにレーナさんを見つめた。

 

「できるならば、私を拾ってくれた恩のある、このブドランガのために使いたいんです。この街が豊かになれば、巡り巡って俺の生活も安全になりますから」

 

 

 

俺が本心からそう言うと、レーナさんはキョトンとして目を丸くした後、すぐに破顔した。その笑いは愉快であると同時に、どこか捕食者のようだった。

 

「あっははは! 素晴らしい! 気に入ったわ、ヒナビシくん」

 

 彼女はカップを置き、悪戯を思いついた子供のような顔をする。

 

「わかったわ。私に投資しなさい。私があなたの財産を、あなたの望む通り『ブドランガのために』使ってあげる」

 

 なんでだろう、猛烈に嫌な予感がする。背筋に冷たいものが走る。だが、彼女の瞳は真剣そのものだった。

 

「ねえヒナビシくん。『図書館』って行ったことあるでしょ?」

 

 図書館。 その単語が出た瞬間、俺の脳内に懐かしい風景が蘇った。静寂、紙の匂い、整然と並ぶ背表紙。独特な神秘性。俺の最も好きな場所の一つだ。他には競馬場とパチンコ屋と焼き肉屋と食べ放題飲み放題の店。

 

「この世界……いいえ、少なくともこのブドランガには、一般市民が自由に使える公共の図書館がないわ。知識は金貨よりも重く、一部の特権階級に独占されているのが現状よ」

 

 レーナさんは立ち上がり、窓の外に広がる街を見下ろした。

 

「それを、あなたの資金で作るっていうのはどう? 誰でも無料で入れて、知識を得られる場所。あなたのその莫大な資産を、建物と本という『形』に変えて街に還元するの。知識は必ず実を結ぶわ」

 

 そのアイディアに俺は目を見開く。 ドクン、と心臓が高鳴った。さっきまでの恐怖による動悸とは違う、純粋な興奮だ。

 

 こんなに素晴らしいことはない。図書館とは知識の集積のみならず、俺のよう暇人でも、一日中安全に時間をつぶせる最高の聖域なのだ。自分の金で、自分好みの最高の暇つぶし場所を作る。それは究極の贅沢ではないか。

 

「素晴らしいアイディアです。最高ですレーナさん」

 

 食い気味に、本心から俺が言うと、レーナさんは満足げに深く何度も頷いた。

 

「決まりね。善は急げよ」

 

 彼女はデスクの上の呼び鈴を鳴らし、控えていたセリアさんを呼び戻すと、矢継ぎ早に指示を飛ばした。

 

「セリア、オリヴィアさんを呼んできてちょうだい。最高に面白い話を持ってきた、と伝えて」

 

 セリアさんは一礼し、早足で部屋を出ていった。

 俺は紅茶を一口啜りながら、じわじわと込み上げてくる不安に襲われていた。

 オリヴィアさん。ギルドの『記憶の森』と呼ばれる資料室の管理人だ。二百年近く生きるエルフで、このギルドのありとあらゆる機密文書や古文書、記録の全てを管理している。

 

 

 レーナさん曰く「重度の本の虫」らしいが、その職務の重要性から、ほとんど公の場に姿を現さない。そんな人物に、俺の個人的な「暇つぶし」のための図書館の館長を依頼するなど、門前払いにされるのがオチだろう。

 

 数分後。 重厚な扉が再び開いた。入ってきたのは、秘書のセリアさんではない。 そこに立っていたのは、月光を編み込んだかのような銀色の長髪を持つ、人目を引く美しさのエルフだった。深い森の色をしたローブを纏い、フードの奥から覗く瞳はラピスラズリのような深い青。その存在は、部屋に置かれた優雅な調度品とは異質な、図書館の静寂と知識の重みを体現しているかのようだった。

 

 彼女は一歩踏み出すたびに、ローブの下からわずかに古い紙とインクの匂いを漂わせる。

 

「レーナ様。このオリヴィアを『記憶の森』から呼び出すとは、よほどの事態と拝察いたします」

 

 その声は、森の奥の泉のように涼やかで、悠久の時を感じさせる響きを持っていた。俺は思わず居住まいを正す。

 

「ふふ、ようこそオリヴィア。アイセンタムから流れ込んだ退屈な本の整理に飽き飽きしていたでしょう? 今日は最高に面白い話よ」

 

 レーナさんは楽しそうに笑い、俺を指差した。

 

「そこの彼。ヒナビシ君が、あなたに『終生の仕事』を依頼したいそうよ。どうぞ、ヒナビシ君から説明してあげて」

 

 俺は喉が渇ききっているのを感じた。ゴクリと唾を飲み込み、意を決してオリヴィアさんに向き合った。

 

「商人のヒナビシと申します。以前は大変お世話になりました。あなたに、どうしてもお願いしたいことがあって参りました」

 

 オリヴィアさんは長い耳をわずかに傾け、深淵を覗き込むような瞳で俺を見た。その視線に、俺の薄っぺらい人間性が全て見透かされているような錯覚を覚える。

 

「お願い? 私に? 『記憶の森』の管理業務から外れるほどの価値があるご用件かしら」

 

「はい! あります!」

 

 俺は勢いで叫んだ。ここでひるんだら負けだ。

 

「俺の全財産を使って、この街に巨大な図書館を作ります! 世界中のあらゆる本を集めて、誰もが自由に読める場所を! その館長を、あなたにお願いしたいんです!」

 

 ピタリ。

 オリヴィアさんの表情筋が完全に停止した。彼女は瞬きもせず、ただただ俺の言葉を反芻しているようだった。

 

「図書館? 誰でも無料で、あらゆる本を」

 

 その言葉を口にした瞬間、ラピスラズリの瞳が一瞬にして熱を帯び、凄まじい好奇心の光が宿った。 知ってるぞこれ、フィリアス所長も似たような眼になってたな?

 

「詳しく聞きたいわ。世界中の本とは、具体的に何を指すのかしら? 禁書? それとも失われた古代魔術の文献? 予算は? どれほどの速さで蔵書を増やせるの?」

 

 その尋常ではない熱気に、俺はたじろいだ。これこそが、レーナさんが言っていた「重度の本の虫」の正体か!

 

「予算は現時点で四百万エルグ用意できます。建物の外観と蔵書の内容は、すべてあなたに一任します」

 

「やりましょう。新しい知識、新しい物語。ああ、なんて甘美な響きかしら。私に、飽きるほど本を管理させて」

 

「や、約束します!」

 

 俺が力強く答えると、レーナさんに向き直った。

 

「レーナ様。この図書館計画、オリヴィアが全権を担います。すぐにでも構想を練り、世界中のあらゆる情報網を使って蔵書を集めにかかります。つきましては図書館本体を建築するうえでのご助力をお願いいたします」

 

 仕事が早い。そして、もう俺のことは見ていない。既に彼女の頭の中は「図書館」という名の無限の書架で満たされているのだろう。

 

「ふふ、話が早くて助かるわ」

 

 レーナさんは満足げに頷くと、俺に向かって宣言した。

 

「さあ、ヒナビシ君。あなたの『暇つぶし』のために、この国で一番巨大で、一番贅沢な知識の城塞を作りましょう。……覚悟はいいかしら?」

 

 俺は、彼女たちの熱狂的な視線から逃れるように、そっと顔を覆った。

 

 

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