転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。   作:菱形の面積

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第46話 ワサビ! 君に決めた!

「まあ楽にしてくれよ。水飲むか?」

 

 俺は、リビングの真新しいラグの上に鎮座した巨大な緑色の犬のような魔獣に、水を入れたボウルを差し出す。犬は黄金色の瞳で俺をじっと見つめると、礼を言うかのように短く鼻を鳴らしてから上品に水を飲み始めた。

 

 わふって言ったな。俺の思い出に残ってるラッキーの声にそっくりだ。今すぐめちゃくちゃに撫でまわしてやりたいが、ぐっと我慢する。

 

 落ち着いて見てみると、その姿はやはり只者ではない。大型犬サイズだが、全身を覆う深い緑色の体毛は、まるで苔むした古木のような風格がある。頭部には鹿のような二本の角。そして何より、その瞳には知性が宿っている。

 

「さて、どこから話したものか」

 

 水を飲み終えた犬が、ふう、と息をついて念話を再開する。頭の中に直接響くような渋いバリトンボイスだ。

 

「まずは、我輩のことから話そうか。我輩は『森羅の狼』と呼ばれる種族の、かつての長だ」

 

「森羅の狼?」

 

 なんだそれ? なんか強そうだな。

 

「我らは森の魔力を管理し、循環させる守護者である。我輩もこの使命を忠実に実行し、群れを導いてきた」

 

 そこまで話すと、彼は自嘲気味に笑った、ように見えた。

 

「だが老いには勝てなかった。長く生きすぎた我輩は力が衰えた。群れの掟は絶対だ。我輩とてそうしてきたのだ。若く力のある新たな長にその座を追われ、攻撃され、傷つき、死にきれずに死に場所を探して……それでも死にたくなくて……なんとも醜悪な姿でこの人間の街まで迷い込んだというわけだ」

 

 なるほど。リストラされた中間管理職、いや、追放された会長みたいなものか。世知辛い話だ。異世界の魔獣社会も実力主義の荒波にもまれているらしい。ひっでえ話だ。

 

「だが、貴殿がくれたあのキノコのおかげで、枯れかけた命の灯火が再び燃え上がった。全盛期の力とまではいかんが、余生を過ごすには十分すぎるほどの活力が戻った」

 

 彼は前足で、傷が完治した腹をポンと叩いた。かわいい。

 

「我輩は貴殿に恩がある。群れを追われた老害だが、番犬として働くぐらいの気概はあるぞ。もっとも、派手な戦闘は得意ではないがな」

 

「奇遇だな。俺も派手な戦闘は御免だ」

 

 俺は苦笑して握手を求めた。

 

「俺はヒナビシ。商人をやってる。よろしくな」

 

「……ヒナビシか。よろしく。我輩のことは好きに呼ぶと良い」

 

「じゃあ、ワサビ」

 

 緑色だから。我ながらなんとも安直な名前だ。

 

 ワサビの大きな前足をぷにりとした肉球の感触と共に受け止める。この瞬間、俺の癒やしを求める心は半分以上満たされた。巨大なもふもふ。知性ある同居人。これこそが俺の求めていたリスクのない幸福ではないか。

 

 ワサビは黄金色の瞳を細め、俺をじっと観察するように見つめた後、ふっと鼻を鳴らした。

 

「ヒナビシよ。貴殿の纏う空気は、やはりこの世界の住人のそれとは少し違うな。魂の波長が、理(ことわり)の隙間から滑り落ちてきた者のように歪んでいる」

 

 俺は心臓が跳ね上がるのを感じた。

 

「なんのことだ?」

 

 我ながら嘘が下手! バカ!! ウカツ!!!

 

「隠さずともよい。我ら『森羅の狼』は途方もない時間を生きる。我輩がまだ若かりし頃……そう、500年以上前にも、貴殿と同じような異質な魂を持った者に何人か出会ったことがあるのだ」

 

 ワサビは遠い目をしながら、念話を続ける。

 

「一人は、鉄の板を組み合わせた巨大な鳥を作ろうとして、空に消えた男。もう一人は、ありとあらゆる広範な知識をひたすら書物に記し続けた女。奴らも貴殿と同じ、この世界には存在しない概念を平然と形にしていた。貴殿も、おそらくはその類だろう?」

 

 過去にもいたのか。俺と同じ転生者が。まあレーナさんも元日本人だしいても不思議ではないが、500年のうちで2人しか知らないって相当レアなのでは? 小説だとみんなポンポン異世界に転生してるけどやっぱり現実って厳しいんだな。

 

「……バレたなら仕方ない。俺はただ、静かに暮らしたいだけのキノコ専門の商人だ。ワサビ、お前には秘密を守ってほしい。その代わり、この家で最高級の待遇を約束する。寝床も、飯も」

 

 ワサビは念話ではなく、一声鳴いた。

 

「老いたとはいえ恩人の秘密を売るほど我輩は落ちぶれてはおらんよ。それに、人間は、総じて『美味いもの』を知っているからな。馳走(ちそう)を期待させてもらおうか」

 

 ワサビはのっそりと立ち上がると、地上への階段を鼻で指し示す。

 

 俺は深く息を吐いた。転生者であることを見抜かれた衝撃よりも、それを「当たり前のこと」として受け入れてくれる存在ができたことへの安堵感が勝っていた。

 

「助かるよ、ワサビ。よし、まずは夕飯だ。食えないものは?」

 

「ない。好みは肉だ」

 

 いつもの酒場へと向かう俺の後ろを、巨大な緑の影が悠然とついてくる。胃の痛みは、いつの間にか消えていた。

 

 何を食べようかな。

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