転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
家から少しばかり歩いて、俺たちはいつもの酒場の扉を開いた。家で料理したらいいのにって?
この世界には冷蔵庫みたいなものはあるが、電子レンジやコンロみたいなものはないのだ。どうしても自炊は面倒だし、何より洗い物がこの世の終わりみたいな面倒くささなのだ。お湯は出ないし、洗剤はないし、スポンジなんて気の利いたものもない。ならば金だけ払って食うだけ食ってさよならしたほうがはるかに気楽だ。
おそらく何らかの魔法で洗い物を片付けているんだろうが、そういう細かいところは俺の知ることではない。俺は、いや、俺たちは腹が減っているだけなんだ。
「おやまあ! ずいぶんと立派な護衛を連れてるじゃないのさ!」
威勢のいい女給仕はワサビを見るなり叫ぶように言う。その声に酒場の中の視線が俺に集まるが、俺はここではもう常連みたいなものだ。軽く手を挙げて挨拶を返す。
「ずいぶんと人が多いな、ここは。これほどの数の人間と食事を共にするのは初めてだ」
困惑したように、ワサビは俺にだけ聞こえる念話でそう問う。そのつぶやきに応えることはなく、俺はいつもの席へと向かった。
鉄斧ガントレットのメンバーのいるテーブル席。俺の姿に気づくと、ジェフは手を振って場所を示してくれた。
「おう! ヒナビシ! そいつは?」
顔を真っ赤にして酔っぱらいながらも、ジェフは目が座ったまま見慣れぬ緑色の犬を観察する。
「えーっと……俺の新しい『相棒』です」
その言葉にワサビが俺に向き、一声鳴いた。不満の声色ではなく、ペット扱いされなかったことへの喜びのようにも感じられる。
「苔狼(モス・ウルフ)ですか? 良い選択だと思いますよ」
ガントレットを外したクロエが慣れたようにワサビの背を撫でる。ちがうんだよ。こいつはなんだか大仰な名前の種族の、元「長」なんだよ。とはいえ、俺が否定して正体を暴露したとて何の意味もない。
「……違う」
いつものように眠たげな瞳でこちらを見ていたイリスは、それだけつぶやく。嫌な汗がどっと出た。
「違うけど、良い」
そう言ってイリスは手元のグラタンを食べ進める。よしよし。怪しまれてないな。俺が一息ついたのもつかの間。料理を注文しようとした俺が感じたのは、謎の緊張感だった。
「……」
「……」
ジェフとワサビが無言で見つめあっている。それも、ジェフは自慢の大斧に指が触れる距離まで手を伸ばし、ワサビは重心を低くしていつでも飛び掛かれる体勢だ。ちょっと待て。こんなところで何やってんだ???
「ワサビ!」
俺の声にハッとしたようにワサビと、そしてジェフが俺を見つめる。一人と一匹は大きく息を吐くと、ジェフは残っていたエールを煽るように飲み干し、ワサビは床で寝入るように丸くなってくつろぐ。
俺にはわからないが、ジェフとワサビの間に何か強烈な闘争と和解のようなものが訪れていたんだろうか?
「ふぅ。驚かせやがって」
ジェフが喉を鳴らし、握ろうとしていた手を戻してエールのジョッキを掴む。その顔は先ほどまでの酔いどれの赤ら顔ではなく、戦場に立つ戦士のそれへと引き締まっている。
「ヒナビシ。お前さんとんでもねえ『相棒』を連れてきやがったな」
ジェフの視線は、依然として床に丸くなるワサビに注がれている。だが、そこにあるのは怯えではない。ギラギラとした、獲物を狙う猛禽のような、あるいは等しき高みにある存在を見つけた時の歓喜に近い闘志だ。
「何のことやら」
バカ! ウカツ!!
俺は苦笑いしながら、店主にエールと肉料理を追加で注文した。
この男、ジェフ。脳筋の酔っ払いだと思っていたが、やはり『鉄斧ガントレット』を率いる一線級の冒険者だ。ワサビがどれだけ気配を殺して「ただの大きな犬」を演じようとも、彼の中の戦士としての本能が、ワサビの持つ圧倒的な暴力の気配を嗅ぎ取ったらしい。
「隠したって無駄だぜ。そいつの四肢の筋肉、重心の置き方……どれをとっても隙がねえ。俺が斧を振るうより早く俺の喉笛を食いちぎれる奴なんて、この街にそう何人もいねえからな」
ジェフはそう言って、ニィッと口角を上げた。不敵な笑みだ。
「この人間……面白いな。我輩の正体を察しながら、退くどころか牙を剥き出しにしてくるとは。たしかに我輩はこ奴の喉に造作もなく食らいつける。だが、そのあと我輩はその斧で首を刎ねられるだろう。互いに死ぬ戦闘ほどつまらぬものはない」
ワサビの念話が脳内に響く。心なしか、その黄金色の瞳も楽しげに細められている。ワサビお前戦闘嫌とか言ってなかったか?
「おい、新入り。お前、名は?」
ジェフがテーブル越しにワサビへ問いかける。言葉が通じないと思っているのか、それとも魂の対話を求めているのか。ワサビはゆっくりと顔を上げると、一度だけ短く「グルル……」と喉を鳴らした。
「ワサビ、ですよ」
「へっ、ワサビか。いい名だ」
ジェフは満足げに頷くと、自分の皿にあった特大の骨付き肉を、ひょいとワサビの前に放り投げた。
「食ってくれ。強え奴には敬意を払うのが、俺の流儀でな」
ワサビは空中を舞う肉を、音も立てずに見事な機敏さでキャッチした。そして、一瞬だけジェフの目を見据え、まるで「礼を言う」かのように小さく頭を下げてから食らいつく。
「ふふ。ジェフが食べ物を他人に、ましてや動物に分けるなんて珍しいわね」
クロエが呆れたように笑うが、ジェフは構わずに自分のエールを煽った。
「馬鹿言え。こいつはただの動物じゃねえ。……俺がいつか超えなきゃならねえ、デカい壁だ」
どうやらジェフの中で、ワサビは「守るべきペット」ではなく「いつか手合わせしたいライバル」に格上げされたらしい。俺の知らないところで、男の友情のような、あるいは一触即発のライバル関係が爆誕してしまった。
「イリス、お前もそう思うだろ?」
ジェフが話を振ると、グラタンを口に運んでいたイリスが、眠たげな目をワサビに向けた。
「……うん。ジェフじゃ、三秒もたない。でも……今のワサビは、戦うより、撫でられるほうが好き」
「嘘だろ!?」
イリスの毒舌というか直球な言葉に酒場に笑い声が戻ってきた。
「ま、何はともあれ。よろしくな、ワサビ。ヒナビシを泣かせるような真似をしたら、俺の斧が黙っちゃいねえからよ」
ジェフはそう言って、ワサビの大きな頭をガシガシと少しだけ強めに撫でた。ワサビは鬱陶しそうに鼻を鳴らしたが、その牙がジェフに向けられることはなかった。