転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
「……重い」
目が覚めると視界が緑色の毛皮で埋め尽くされていた。
そして腹部には、重い毛布を4枚くらい重ねたかのような鈍重な圧迫感。
俺は呼吸困難に陥りながら、その圧迫感の正体をどかそうと試みるが、びくともしない。
『騒がしいぞヒナビシ。我輩はまだ眠い』
脳内に直接響く、重低音の渋い声。
目を開けると、すぐ目の前に黄金色の瞳がこちらを見下ろしていた。
先日、なし崩し的に俺の家に住み着くことになった元・森の王こと、森羅の狼ワサビである。
「おはようワサビ……頼むから乗らないでくれ。内臓が口から出る」
『軟弱な。朝の挨拶代わりだ』
フンと鼻を鳴らし、ワサビがのっそりと俺の上から退く。
その動きは優雅そのものだが、いかんせんデカい。そして重い。
昨日の酒場は薄暗かったし、客は酔っ払っていたから誤魔化せたかもしれない。だが、朝の光の下で改めて見ると、こいつはどう見ても「ただの犬」で押し通すには無理がある風格をしていた。
鹿のように枝分かれした二本の角、深い森の色を映したような緑色の体毛。そして何より、百戦錬磨の戦士のような鋭い眼光。
完全にファンタジー世界のボスキャラです。本当にありがとうございました。
「朝飯はどうする? 昨日もらってきたシチューがあるけど」
『肉が喰いたい』
「はいはい……干し肉があったはずだがね」
俺は寝ぼけ眼をこすりながらキッチンへ向かう。
足元にはライオン・キング級のサイズの狼が、尻尾をブンブンと振ってついてくる。
威厳ある長老のような口調と、食欲に忠実な行動のギャップが激しい。これがギャップ萌えというやつか。いや、そんなにかわいいもんじゃねえか。かわいいだろうが!? ナメてんのか!? ごめんなさい。
さて、今日は商人ギルドへ行かなければならない。
図書館建設プロジェクトの詳細な打ち合わせと、リッカさんの工房で生産体制に入った黒い新素材の進捗報告だ。
問題は、この巨大な同居人をどうするかだが。
『我輩も行くぞ』
「え? いや、ギルドは犬連れ込み禁止かもしれないし……留守番しててくれないかな?」
『断る。その細い首を嚙みちぎれる奴らは無数にいる。我輩を含めて』
「連れて行きます! 是非ご同行ください!」
『うむ、殊勝な心がけだ』
脅迫じゃねえか。スジモンみてえだな。
俺は深いため息をつきながら、出かける支度を整えはじめる。
とはいえ、昨日のジェフの反応を見る限り、ワサビがいるだけで物理的な戦闘はほぼ回避できるだろう。
「戦闘は避ける」という俺のポリシーを遵守するためには、最強のボディガードと言えなくもない。目立つこと以外は。
ブドランガの朝は早い。
活気に満ちた大通りを、俺とワサビは歩く。
当然ながら、すれ違う人々がギョッとして道を空ける。綺麗に人が割れていく。
「おい見ろよ、あの獣」
「あれ、ヒナビシさんじゃないか?」
「噂のキノコ商人か……連れてるのが護衛ってわけ?」
「すげえ迫力だ……どこで手懐けたんだ?」
ひそひそ話が聞こえてくる。
どうやら「ヒナビシ=規格外の商人」という認知のおかげで、「とんでもない猛獣を連れている」という異常事態も、「あのヒナビシならやりかねない」という納得感に変換されているらしい。なんで俺こんなに有名になってんの??? 本当にやめてくださいよ?
評判って怖い。俺、ただ拾った犬(元王様)に脅されて連れてるだけなんですけど。
『人間どもが見ておるな。我輩に見惚れているのか?』
「怖がってるだけだよ。頼むから唸ったりしないでくれよ」
『安心しろ。弱き者に牙は剥かぬ。……ふむ、あの屋台から良い匂いがするな』
「買い食いしない! 行くぞ」
商人ギルドの重厚な扉の前に立つ。
衛兵たちが槍を交差させて立っているが、俺の顔と、その横に侍るワサビを見ると、一瞬ビクリと体を震わせ、それから慌てて敬礼をして道を空けた。この人たち、この間までいなかったよな? なんでいきなり?
「ヒ、ヒナビシ様! おはようございます!」
「おはようございます。ご苦労様です。様はやめてください」
「そ、そちらの……立派なワンちゃんは……?」
「ああ、護衛です。最近物騒なんで」
「な、なるほど! ヒナビシ様の護衛となれば、これほどのクラスでないと務まりませんよね! どうぞお通りください!」
顔パスだ。
顔パスどころかVIP待遇である。
俺は軽く会釈をして、ロビーへと足を踏み入れた。
瞬間、ギルド内の空気が変わった。
朝の忙しない喧騒が、ピタリと止む。
数百人の視線が、俺と──その隣を悠然と歩くワサビに集中する。
『ほう……中々の活気だな。人間の巣にしては悪くない』
「心の中に直接話しかけるのやめてくれない? 周りが静かだから余計にビクッとする」
『ふぅん』
ワサビは周囲の視線など意に介さず、王者の風格でロビーを歩く。
俺とワサビの足音がコツ、コツ、と大理石の床に響くたびに、職員たちが慌てて道を譲る。
「ヒ、ヒナビシ殿!!」
階段の上から転がり落ちるような勢いで駆け下りてきたのは、農業革命(仮)の責任者として多忙を極めているはずのカミュさんだった。
目の下にはクマができているが、その目は爛々と輝いている。
「おはようございます、カミュさん。お疲れのようですね」
「いえ! これしきの激務、ヒナビシ殿の偉業に比べればっ!?」
カミュさんの視線がワサビに釘付けになり、顔色が青を通り越して白になった。
書類を抱えたまま、へなへなと腰を抜かしそうになるのを、俺は慌てて支える。
「あ、これ、新しい護衛のワサビです。ちょっと育ちすぎた犬なんですが」
「い、い、犬……!? ヒナビシ殿、ご冗談を! こ、これはどう見ても……高位の魔獣……いや、文献でしか見たことのない『森羅の狼』では……!?」
やっぱりバレたー!
さすがカミュさん、知識が豊富すぎる。
俺は人差し指を口元に当てて「シーッ」とジェスチャーをする。
「カミュさん。これは『犬』です。いいですね?」
「は、はひ……! そ、そうですね! ヒナビシ殿が犬とおっしゃるなら、これは犬です! 例えドラゴンでもヒナビシ殿がトカゲと言えばトカゲです!」
どんな忠誠心だ。本当にかわいそうになってくる。落ち着いたらうまい飯食べようぜ。思いっきり。
カミュさんはガクガクと震えながらも、必死に自分を納得させているようだった。
一方のワサビは、カミュさんの匂いをフンフンと嗅いでから、『無害だ』と判定したのか興味を失って欠伸をしている。
「それで、今日はどのようなご用件が?」
「図書館計画の件で、レーナ様に呼ばれていまして」
「なるほど、マスターへの謁見ですね……! では、その……『彼』もご一緒に?」
「ええ、離れると拗ねるんで」
『誰が拗ねるか、小僧。貴様の身を守ってやると言っているのだ』
脳内にワサビのツッコミが響くが無視する。
カミュさんは「さすがヒナビシ殿、伝説級の魔獣さえも愛玩動物のように従えるとは……器が違いすぎる」とブツブツ呟きながら、最上階への案内を申し出てくれた。
ギルド最上階。
選ばれた者しか入室を許されない、ギルドマスターの執務室。
その重厚な扉の前に立つ。
案内してくれたカミュさんは、ここまで来るだけで精神力を使い果たしたのか、「ご武運を」と言い残して去っていった。戦場に行くんじゃないんだから。
「ヒナビシ様、お待ちしておりました」
扉を開けてくれたのは、秘書のセリアさんだ。
彼女はワサビを見ても眉一つ動かさなかった。さすが鉄の女。いや、一瞬だけワサビのツヤツヤの毛並みを見て目が輝いたような気がしたが、気のせいだろうか。
「どうぞ、中へ」
通された部屋は、相変わらず洗練された空間だった。
大きな窓からはブドランガの街が一望でき、壁には現代アートのような絵画。
そして部屋の中央にあるガラス張りのテーブルの向こうに、彼女はいた。
この街の支配者にして、経済の魔王。
そして俺と同じ日本からの転生者、相川玲奈こと、レーナさん。
彼女は優雅にコーヒーカップを傾けていたが、俺たちが入室すると、ゆっくりとその黒曜石のような瞳をこちらに向けた。
「いらっしゃい、ユウ君。……あら?」
彼女の視線が、俺の足元で悠然と佇むワサビに止まる。
時が止まったような静寂。
俺は緊張で胃が痛くなりそうだった。
ペット禁止だから罰金、とか言われないだろうか。それとも「獣臭い」とか言われて追い出されるだろうか。
だが、次の瞬間。
レーナさんの顔に浮かんだのは、満面の笑みだった。
「まあとっても可愛いわんちゃん!」
えっ、そっち?
俺が拍子抜けしていると、レーナさんは椅子から立ち上がり、躊躇なくこちらへ歩み寄ってくる。
その足取りには、魔獣に対する恐怖など微塵もない。
『……おい、ヒナビシ』
ワサビの声が、今までになく低く、緊張を含んだ響きで脳内に届く。
『なんだ、この女は』
「え? ギルドマスターのレーナさんだけど」
『違う。そういう役職の話ではない……こやつの魂、貴様と同じ匂いがするぞ。だが、貴様よりも遥かに濃い。"こちら側"の匂いもしながら、圧倒的な"異物"の気配だ』
ワサビの全身の毛が、わずかに逆立つ。
野生の本能が警鐘を鳴らしているのだ。目の前の美女が、ただの人間ではないことに。
この世界という盤面を支配するプレイヤー特有の、底知れぬ圧力を感じ取っているらしい。
レーナさんはワサビの目の前まで来ると、屈み込んでその顔を覗き込んだ。
「初めまして。素敵なお顔ね。お名前は?」
「あ、えっと……ワサビです」
「ワサビ?」
レーナさんがクスリと笑う。
その名前に込められた意味──日本の食卓に欠かせない、あの鼻にツンとくる緑色の薬味──を理解できるのは、この世界で俺と彼女だけだ。
「ふふ、いい名前ね。ピリリと辛い大人の味かしら? それとも、主食を引き立てる名脇役?」
彼女はそう言うと、恐れげもなくワサビの鼻先に手を差し出した。
普通の犬なら匂いを嗅がせる挨拶だが、相手は誇り高き『森羅の狼』だ。下手をすれば腕ごと持っていかれるぞ。
『……ほう』
ワサビが、小さく鼻を鳴らした。
そして、あろうことか、レーナさんの掌の匂いを嗅ぎ、その手に自らの鼻先を押し付けたのだ。
「あら、いい子ね」
レーナさんは嬉しそうにワサビの頭を撫でる。
角のあたりを指先で掻いてやると、ワサビは気持ちよさそうに目を細め、喉をグルグルと鳴らし始めた。
おい、王者の威厳どこ行った。
『悪くない手つきだ。それに、この女からは良い魔力の香りがする』
「お前、チョロいな」
俺が呆れていると、レーナさんは立ち上がり、俺に向き直った。
その目は、先ほどまでの「犬好きのお姉さん」の目ではなく、冷徹な「支配者」の目に戻っていた。
「それで、ユウ君。この子、ただのペットじゃないわよね?」
「……バレてます?」
「当然です。その角、その毛並み。この辺りの生態系には存在しない種族だわ。古文書にある『森羅の狼』……いえ、それ以上の変異種かしら? カミュの見立てとマルコの意見も聞きたいわね」
やっぱりこの人は誤魔化せない。
俺は観念して、ワサビとの出会い。キノコで命を救ったこと、群れを追われたこと。を簡単に説明した。もちろん、ワサビが人語を解することや念話のことは伏せて。
『隠す必要はないぞ、ヒナビシ』
突然、第三者の声が部屋に響いた。
いや、違う。これは念話だ。俺だけでなく、この場にいる全員の脳内に直接響く声。
「!?」
俺は驚いてワサビを見る。
ワサビは黄金色の瞳でレーナさんをじっと見つめていた。
『この女は貴様と同類だ。隠し事は通用せぬよ』
「ワサビ、お前……!」
レーナさんは、一瞬だけ目を見開いた。
だが、すぐにその表情は歓喜のそれに変わる。
「喋れるのね! まあ、素敵!」
『驚かぬのか、人間よ』
「驚いているわよ? でも、それ以上に感動しているわ。知性ある魔獣との対話なんて、おとぎ話の中だけの出来事だと思っていたもの」
レーナさんは再び屈み込み、今度はワサビと視線を同じ高さに合わせた。
「私はレーナ。このギルドのマスターよ。誇り高き狼さん、あなた、ユウ君の従魔になったの?」
『従魔ではない。我輩はこやつの食客……いや、相棒(パートナー)だ』
「相棒……ふふ、いい響きね」
レーナさんは立ち上がり、悪戯っぽく俺にウィンクした。
「ユウ君、あなた本当に退屈させないわね。今度は伝説の魔獣を『相棒』にして連れてくるなんて」
「いや、成り行きで……。それで、連れて歩くのはやっぱりマズいですかね? ギルドの規則的に」
俺がおずおずと尋ねると、レーナさんは面白そうに笑った。
「普通の商人なら即刻つまみ出すところだけど……あなたなら例外よ」
「例外?」
「ええ。あなたは今や、この街の経済を動かすキーパーソンの一人だわ。いつ殺されてもおかしくないもの」
レーナさんは窓の外、広がるブドランガの街並みに視線を向けた。
「図書館計画に、あの黒い新素材の流通。利権が絡めば、ならず者を雇って邪魔をしてくる輩も出てくるでしょう。そんな時、あなた自身が戦うのは非効率的だわ」
彼女は振り返り、鋭い視線で俺を射抜く。
「王は剣を持たず、剣を持つ者を従えるものよ。ユウ君、その子はあなたの『剣』であり『盾』。最強のボディガードとして、常に傍に置きなさい」
『剣か。この老いぼれの、錆びついた剣か』
そうは言いつつも、ワサビも満更でもなさそうだ。
「ギルドへの入館パスは発行してあげるわ。『特別警護獣』としての許可証をね。これで堂々と連れて歩けるでしょう?」
「あ、ありがとうございます」
助かった。これで「犬連れ込み禁止」で門前払いされる心配はなくなった。
というか、レーナさん公認の「特別警護獣」なんて肩書きがついたら、いよいよ誰も俺に手出しできなくなるんじゃないか?
「それにしても……ワサビ、か」
レーナさんは許可証の手続きをするセリアさんに指示を出しながら、懐かしそうに呟いた。
「お刺身、食べたいわね」
「!!」
その一言は、俺の魂を激しく揺さぶった。
刺身。醤油。そして本物のワサビ。
この世界に来てから一度も口にしていない、望郷の味。
「レーナさん。まさか」
「ええ。先日、ヴァレンテが開発した高速船が試験航行を終えたわ。北の港町から新鮮な魚介類を、生きたまま運べるようになる。氷室の技術と合わせれば、鮮度を保ったままブドランガに届くわ」
「マジですか……!」
マジですか!? ヴァレンテさんなにしてくれてんですか!?
「そこにあなたの『キノコ』、そうね……殺菌作用や毒消し効果のある薬味的なキノコがあれば、完璧な刺身がこの街で食べられるわ」
彼女は妖艶に微笑む。
「名前が良いわね、ワサビ君。あなたの名前を聞いて、急に計画を進めたくなったわ。ユウ君、協力してくれるわよね?」
「……はい。見つけてきます」
ワサビが「なんだ、肉じゃないのか」とつまらなそうな顔をしたが、俺はそれどころじゃなかった。
俺たちのソウルフードのためなら、どんな品種改良だってやってやる。俺だって刺身は喰いたい。
『おいヒナビシ』
「なんだよ」
『サシミとは、そんなに美味いものなのか?』
「ああ、美味いぞ。肉もいいが、魚も最高だ。特に新鮮なやつは、舌の上でとろけるんだ」
『……ほう。とろける、か』
ワサビが口の端からダラリと涎を垂らした。
こいつ、食い意地に関しては俺以上かもしれない。
『ならば、我輩もそのプロジェクトとやらに協力してやろう。護衛の報酬は、そのサシミとやらで手を打ってやる』
「交渉成立だな」
こうして、俺とレーナさん、そしてワサビによる「刺身プロジェクト」が極秘裏に始動することになった。
世界を変えるような大事業の話をしているはずなのに、動機が全員「美味いものが食いたい」なのが、なんとも俺たちらしい。
帰り道。
首にギルドの紋章が入った立派な銀のタグ(特別許可証)をつけたワサビが、誇らしげに俺の横を歩く。
街の人々の視線は相変わらずだ。
恐怖と、畏敬と、好奇心がないまぜになった視線。
だが、今の俺にはそれが少し心地よかった。
隣に頼れる相棒がいて、目指すべき美味しい目標がある。
「さて、帰ったらリッカさんのところに納めるキノコの研究だ」
『その前に飯だ、ヒナビシ。肉を出せ』
「はいはい、わかってますよ、旦那」
俺はワサビのフカフカの背中をポンと叩く。
最強の護衛を手に入れた俺の異世界スローライフ(戦闘回避生活)は、ますます盤石なものになりそうだ。
……まあ、その分だけ周囲からの「大物扱い」は加速していくのだけど、それはもう諦めることにしよう。
美味しい刺身が食えるなら、それくらいの代償は安いものだ。
俺は空を見上げ、遠い日本の味を思い浮かべながら、家路を急ぐのだった。あ、でも醤油がねえな。俺の望郷の半分は、醤油でできているにちがいない。