転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
リッカさんの工房の天井を仰ぎ見ながら、俺たちは今日何度目かわからない深い溜息を吐き出す。肺の中にある空気をすべて出し切っても足りないくらいの、重く、沈んだ溜息だ。
作業台の上には、先日偶然の積み重ねによって開発された黒い板状の新素材が鎮座している。いちいち「あの黒くて硬くて軽いアレ」と呼ぶのは面倒なので、俺が勝手に「アダマンマッシュ」と名付けたものだ。
命名した時は「これぞ革命だ」なんて浮かれていたが、今となってはその名前すら呪わしく思えるほど、とんでもない欠点が見つかってしまった。
「……まさか、あんな燃え方をするなんて」
リッカさんが、絞り出すような声で呟く。その視線の先にあるのは、黒焦げになり、歪な形に焼き切れた炉の残骸だ。
そう、このアダマンマッシュ、信じられないことに「爆発的」に燃焼するのである。
最初は完璧な素材だと思っていた。試験的に火で炙ったときは表面が少し熱くなる程度で何ともなかったのだ。だが、ある程度の高温条件下で長時間加熱し続けると、ふとした瞬間に臨界点を突破するらしい。
「何の予兆も、煙の一筋も出ませんでしたよね……。ただ、いきなり世界が白くなったみたいに」
「ええ。思い出すだけで寿命が縮まる思いですよ」
今回、俺たちは耐熱性のテストのために、アダマンマッシュの端材を炉の中に放り込み、放置してみたのだ。
半分存在を忘れてほかの作業をしていたが、その瞬間、炉の隙間から眩い白光が漏れ出し、次の瞬間には凄まじい爆炎が工房の空気を焦がした。爆音こそ小さかったものの、その燃焼エネルギーは凄まじく、耐熱煉瓦でできた炉を吹き飛ばすほどの威力だったのだ。
正直に告白すれば、俺はそのとき、本気で小便をちびりそうになった。
「幸いにも……そう、幸いにも、まだ試験的にギルドだけに流通させている段階ですから、被害は最小限……というか、対応はまだマシな方ですよね?」
リッカさんは、自分に言い聞かせるように、震える声で微笑んでみせる。
マシかなあ? 本当に、これが「マシ」の範疇に入るのか??
「……リッカさん。これがもし調理場の建材や、騎士様の盾に使われた後に発覚してたら、俺たち、間違いなく反逆罪か何かで首が飛んでましたよ?」
俺が真顔で指摘すると、リッカさんの微笑みが、凍りついたようにピタリと止まった。
「今すぐに、レーナさんとヴァレンテさんに報告に行かないとマズイです。それも、一刻も早く。それでも、リッカさんは『マシ』だと言い切れますか?」
俺の言葉に、リッカさんは「ひうっ」と声にならない悲鳴を一つ上げると、みるみると顔を青ざめさせた。その反応は正しい。これから向かうのは、この町の経済を牛耳る「怪物」たちの巣穴だ。
商人ギルドのマスター、レーナ。そしてそのサブマスターである、ヴァレンテ。彼らに不祥事の報告、それも「新素材が爆弾になりました」なんて報告をしに行くのだ。
前世の感覚で言えば、期待の新製品に重大な欠陥が見つかって、会社のワンマン会長と冷酷な専務の部屋に、孤立無援で2人っきりで突撃するようなものである。俺は絶対に嫌だ。布団に潜って現実逃避したい。
だが、リッカさんのようなうら若い女性が、一人でその業火の中に飛び込むなんてあまりにも酷だし、なによりも俺はそんなことをさせるほど冷酷じゃない……はずだ。
「俺一人で行っても、間違いなくリッカさんも呼び出されるはずです。だから、一緒に行きましょう。……できるだけ矢面に立ちますから」
リッカさんは、捨てられた子犬のような目で俺を見つめてきたが、やがて覚悟を決めたように小さく頷いた。
俺は心の中で、前世で培った「謝罪のノウハウ」を総動員させる。足取りは鉛のように重かったが、俺たちは商人ギルドへと向かった。
商人ギルドの最上階、ギルドマスター執務室。豪華な装飾が施された部屋の中は、普段からは想像もつかないほど重苦しい空気が漂っていた。
デスクの奥でレーナさんが組み上げた指の上に顎を乗せ、鋭い眼光を俺たちに向けている。
その傍らに立つヴァレンテさんも、無表情のまま、手帳に何かを書き留めていた。
「……つまり、詳細な条件は未検証だけれど、800度以上の高温で長時間放置すると、爆発的に燃焼する。そういうことね?」
レーナさんの声は、低く、冷徹に響く。
俺の隣にいるリッカさんは、顔を真っ青にしたまま、まるで寒風に晒された小枝のように小刻みに震えている。視線は床の一点を見つめたまま、今にも膝から崩れ落ちそうだ。
それもそのはず、リッカさんはこれまで、レーナさんやヴァレンテさんといった「雲の上の存在」と直接面識があったわけではない。それなのに、初めての対面が、あわや工房を焼き落としかけた不祥事の報告なのだ。
かわいそうすぎる。もし俺が彼女の立場なら、その場で気絶している自信がある。
「はい。火で軽く炙った程度では、既存の石材よりも高い耐熱性を示しました。しかし、今回発覚した特定の状況下……具体的には炉の中におよそ四時間放置したところ、限界を超えたのか、一気に反応が起きたものと思われます」
俺はできるだけ落ち着いた声を意識して報告を続けた。俺まで焦ったら、きっとリッカさんは本当に倒れるだろう。
「燃焼時の温度はそれを加熱時の温度を遥かに上回り、周囲の煉瓦を焦げさせるほどでした。製品としての安全性を保証できない以上、現在進めている流通計画は一度、全面的に凍結すべきだと判断いたしました」
……あー、消えたい。
前世で、シャレにならないミスを報告した時の上司の顔を思い出す。あの時も、今と同じように「どうか一思いに殺してくれ」と願ったものだ。
俺の報告が終わると、部屋に死んだような静寂が訪れた。
レーナさんとヴァレンテさんが、ゆっくりと顔を見合わせる。
この沈黙が、リッカさんをさらに追い詰めていくのがわかる。
やがて、ヴァレンテさんが口を開く。
「報告を聞く限り、リッカ嬢、貴女が今にも倒れそうになるほどの大ごとだとは、到底思えないのだが?」
ヴァレンテさんの意外な言葉に、リッカさんは弾かれたように顔を上げた。
大きな瞳には、困惑の色が浮かんでいる。
「私もヴァレンテさんに同意見だわ」
レーナさんが、ふっと表情を和らげた。
「それどころか、期待以上よ。炉の中で、しかもその温度で四時間も耐える素材なんて、この大陸のどこを探しても存在しないわ。それだけの熱耐性があるなら、むしろ新しい活用法が山ほど思いつくわね」
「……え?」
リッカさんの口から、呆けたような声が漏れた。俺もまた、レーナさんの言葉にポカンとしてしまう。
「ヒナビシ君、君は『欠陥』だと言ったけれど、それは見方の問題よ。爆発的に燃えるなら、それは強力な『燃料』や『触媒』として使えるということ。あるいは、その臨界点を利用した安全装置、もっと言えば強力な攻撃兵器の芯材にだってなるわ」
「それは……確かに、そうかもしれませんが」
「素材の性質を知り、それを制御するのが職人の仕事であり、商人の商売でしょう? 貴女たちは、その第一歩を完璧に踏み出したのよ。事故が起きる前にその性質を見抜いた。これのどこが不祥事なの?」
レーナさんの言葉には、圧倒的な肯定の力が宿っていた。
俺はたまらず、大きく、長く、肺の底から息を吐き出した。
張り詰めていた緊張が一気に霧散していく。
「よかった……よかったよぉ……!」
隣で、リッカさんが膝から崩れ落ちた。堰を切ったように、彼女の目から大粒の涙が溢れ出す。あまりの恐怖と重圧から解放され、感情のコントロールが効かなくなったのだろう。リッカさんは床に手をつき、子供のように声を上げて泣き始めた。
非常に、気まずい。
一回りも年下の少女が目の前で号泣している図というのは、どう接していいか正解が見つからない。俺は助けを求めるようにヴァレンテさんを見たが、彼は「私に振るな」と言わんばかりに、ふいと顔をそらして窓の外の景色を眺め始めた。
このジジイ……! こういう時こそ、大人の対応を見せてくれよ! 俺も大人だって? 黙ってろ。俺も泣くぞ。
俺がオロオロとしていると、レーナさんがデスクから立ち上がり、ゆっくりとリッカさんのもとへ歩み寄ると、リッカさんの震える肩に、そっと優しく手を置いた。
その仕草は、ギルドマスターとしての峻厳なものではなく、一人の先達としての温かみに満ちていた。
「貴女たちの作った防音衝立や、この『アダマンマッシュ』のおかげで、この町はもっと便利に、そして快適になるわ。それは、私が描く未来に不可欠なものよ」
リッカさんは涙で濡れた顔を上げ、レーナさんを見上げた。
「技術には光と影がある。でも、それを恐れていては何も生まれない。貴女たちが今日持ってきた『影』の情報は、明日には新しい技術を照らす『光』になる。……これからも、まだ見ぬ新しい驚きを、私に見せてくれるでしょう?」
「……は、い」
リッカさんの声は、まだ震えていた。
だが、その瞳に宿る光は、先ほどまでの恐怖によるものではなかった。
「貴女たちの力で、もっともっと、この町を便利にして頂戴。期待しているわよ、職人と、その頼もしいパートナーさん」
レーナさんは、俺の方を見て悪戯っぽく微笑んだ。
「はい……はいっ!」
リッカさんは力強く涙を拭うと、まっすぐにレーナさんの目を見つめて返事をする。その顔には、職人としての、そして一人の人間としての、今まで見たこともないほど力強く、誇り高い輝きが宿っていた。
ギルドを出ると、夕暮れのブドランガの街並みが、オレンジ色に美しく輝いていた。
「……疲れましたね」
俺が声をかけると、リッカさんは少し照れくさそうに笑った。
泣き腫らした目は少し赤いけれど、その表情は憑き物が落ちたように晴れやかだ。
「はい。でも……なんだか、もっとすごいものが作れる気がしてきました。あのレーナ様に、あんな風に言っていただけるなんて」
「リッカさんなら、できますよ。俺の変なキノコを、まともな製品にできるのは世界であなただけですから」
「ふふ、またそんなこと言って」
二人の笑い声が石畳の路地に溶けていく。背後ではいつの間にか、ワサビが尾を振って歩いていた。こいつ今までどこに居やがった???
災い転じて福となす。沈む夕日を背に、俺たちは軽やかな足取りで、愛着ある工房へと帰路を急いだ。