転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
俺の家、兼、キノコ研究所とも呼べるこの「小さなお城」のリビングで、俺ワサビの背中を撫でながら束の間の平和を噛み締めていた。
窓の外からは小鳥のさえずりが聞こえ、リッカさんが俺を労うために作ってくれた特製のロッキングチェアが心地よい音を立てている。
最高だ。これこそが俺が求めていたスローライフだ。
命のやり取りもなければ、胃の痛くなるような商談もない。ただ流れる雲を眺め、モフモフの毛並みを堪能するだけの贅沢な時間。
この前カミュさんにキノコ栽培のマニュアルを渡してからというもの、彼からの連絡はぱったりと途絶えているが、便りがないのは良い便り、とは前世からの格言だ。その通りだと思うが、進捗報告くらいは聞きたい。
きっとあの真面目な彼のことだ、地下倉庫の片隅で、数人の部下と共に慎ましやかに実験を繰り返しているのだろう。失敗していてもいいし、成功していても小規模ならそれでいい。
俺の平穏を脅かさない範囲で、彼が充実感を得られているのなら、それが一番なのだから。
「先ほどから表に奇妙な気配がするが」
ワサビが顔も上げずに、脳内に語りかけてくる。
その声には警戒心というよりは、何か得体の知れないものに対する困惑が混じっていた。
「気配? 誰だ?」
「安心しろ。殺気ではない。もっとこう……整然とした、質量のある圧のようなものだ」
質量のある圧。ワサビの言語センスは時々詩的で分かりにくいところもある。
はて? と俺が首を傾げた、その時だ。控えめだが、確固たる意志を感じさせるノックの音が部屋に転がった。
「ヒナビシ殿、突然のご訪問失礼します」
聞き慣れた声だ。俺は安堵の息を吐く。なんだ、カミュさんか。
きっと実験の進捗報告か、あるいはちょっとした相談だろう。
俺はワサビに「待て」のハンドサインを送り、気楽な調子で扉を開けた。
「やあどうもカミュさん、ご無沙汰しておりま――」
言葉が、喉の奥で凍りつく。
そこにいたのは、確かにカミュさんだった。以前と変わらぬ、少し神経質そうな眼鏡の奥の瞳。
だが、その身に纏う雰囲気が、俺の知っている「中間管理職の悲哀を背負ったギルド職員」のそれとは、決定的に異なっていた。
背筋はピンと伸び、その表情には揺るぎない自信と、ある種の狂信的なまでの使命感が漲っている。
そして何より、彼の背後に控えている集団だ。
揃いの深緑色の作業着に身を包み、腕には「キノコ管理班」と刺繍された腕章をつけた男たちが、十人ほど整列している。彼らは一様に、軍隊のような規律正しさで俺に敬礼を送った。もしかして俺、拘束されるのか???
「お迎えに上がりました、ヒナビシ殿。第一試験農場における『第一次収穫祭』の準備が整いましたので」
「だい、いちじ?」
「はい。ヒナビシ殿が記された聖典……いえ、マニュアルの実証実験の成果を、ぜひその目でご確認いただきたく」
聖典って言ったか今???
訂正する間もなく、俺はカミュさんに促され、表に停められていた馬車へと案内された。ただの荷馬車ではない。商人ギルドの紋章が刻印された、要人輸送用の上等な屋根付き馬車だ。
なぜかワサビまで「護衛任務だ」と言わんばかりに当然のように乗り込んできたので、車内は少し手狭になったが、カミュさんは嫌な顔一つせず、むしろワサビに深々と一礼までしている。
馬車は滑るように走り出す。
向かう先はブドランガの郊外、以前は放棄されていた痩せた土地だと聞いた。
「ヒナビシ殿、本日は歴史的な日になります」
揺れる車内で、カミュさんが静かに、しかし熱っぽく語り始めた。
「貴方がもたらした知識は、単なる栽培技術ではありませんでした。あれは、管理と効率化の哲学そのものです」
「大げさな。俺はただの手順書用意しただけで……」
「温度管理、湿度調整、そして菌の植え付けのタイミング。全てが論理的で、魔法による強制的な成長に頼り切りだった我々の浅はかさをつきつけられました」
カミュさんは懐から、俺が用意した栽培の手順書を取り出した。
それは既にボロボロになるまで読み込まれ、端々にはびっしりと彼なりの注釈や考察が書き込まれている。
怖い。本当に怖い。俺のスキル頼りで書いた適当な手順書が、なんだかすごい学術書みたいに扱われているのが怖い。
「到着しました」
カミュさんによって馬車の扉が開かれる。
俺は外に足を踏み出し――そして、言葉を失った。
そこは、俺の知っている「農地」ではなかった。
見渡す限りの広大な土地に、黒い遮光幕で覆われた巨大なビニールハウスのような建物が、いくつも整然と並んでいる。
まるで現代日本の工場地帯のような、無機質で、それでいて圧倒的な生産性を予感させる光景。こんな異世界ファンタジーには似つかわしくない光景だった。
建物の間を、「キノコ管理班」と同じ深緑色の作業着を着た人々が、忙しなく、しかし一切の無駄なく行き交っている。彼らの手には、木製のクリップボードと、何か見慣れない器具。
「ここは?」
「『第一キノコプラント』です」
プラント。中世ファンタジー風の世界観で聞いていい単語じゃない。
「ご案内します」
頭の混乱が収まらないまま、俺はカミュさんに先導され、俺は一番手前の巨大な建屋へと足を踏み入れた。中は薄暗く、ひんやりとした湿気が肌にまとわりつく。
だが、不快な感じではない。森の奥深く、生命が静かに、しかし爆発的に息づいているような、濃厚な気配。
目が暗さに慣れてくると、その全貌が明らかになった。
整列。圧倒的な、整列だ。
巨大な棚に、規格の揃えられた原木が、地平線の彼方まで続くかのようにずらりと並べられている。
数千、いや、数万本はあるだろうか。
その一本一本に、俺の記憶にあるシイタケが発生していた。
しかも、そのどれもが肉厚で、傘の開き具合も均一で、まるで工芸品のように美しい。
「す、すごい!!」
思わず漏れた俺の声は、建屋の広さに吸い込まれていった。
ここにあるシイタケは、俺のスキル「キノコ栽培」で作ったものと遜色ない。いや、数だけで言えば、俺一人の生産能力を遥かに凌駕している。
「成長促進の魔法担当班、配置につけ」
建屋の中央で、現場監督らしき男が号令をかける。すると、棚の間に待機していた数名の魔術師たちが、一斉に杖を構えた。
彼らは高位の魔術師ではない。街でくすぶっていた、生活魔法しか使えないような「落ちこぼれ」や、引退した老人たちだと、カミュさんが説明してくれた。
「栽培開始!」
合図と共に、淡い緑色の光が建屋全体を包み込む。
それは俺が地下倉庫で見た実験の時とは比べ物にならない、洗練された光景だった。
彼らの魔力は微弱だという。だが、その微弱な魔力が、計算され尽くした通気孔からの風に乗り、計算され尽くした湿度の霧に溶け込み、原木の一本一本に均等に行き渡っていく。
ポコ、ポコ、ポコポコポコポコ……。
静かな雨音のような音が響き渡る。それは、小さなシイタケの芽が、一斉に膨らみ、傘を開き、収穫の時を迎える音だった。
強引な成長ではない。環境を完璧に整えることで、キノコ自身の「育ちたい」という力を、魔法が優しく後押ししているようだ。
「どうでしょう、ヒナビシ殿」
カミュさんが誇らしげに俺を見る。
「魔法使いの魔力消費を最小限に抑えるため、換気と散水システムには、リッカ殿の工房と共同開発した自動装置を組み込みました。これにより、24時間体制での生育管理が可能となったのです」
リッカさんまで巻き込んでたのか。どうりで最近、工房に行っても忙しそうにしているわけだ。
「完璧です、カミュさん。俺が想像していた以上の光景です。すいません、うまく言葉にできなくて……」
俺は正直に称賛した。お世辞抜きでこれはすごい。
前世のキノコ農家が見たら腰を抜かすレベルのシステムが、魔法という触媒を得て完成している。たぶんキノコ栽培だけに限れば、前世の企業レベルの生産能力はあるだろう。
「ありがとうございます!」
カミュさんは感極まったように眼鏡の位置を直した。
そして、建屋の奥にいる作業員たちに向かって、右手を高く掲げた。
「総員、収穫開始! 傷一つつけぬよう、慎重かつ迅速に! こまめに『固定ストレージ』に入れるように!!」
「ハッ!!」
怒号のような返事が響き、作業員たちが一斉に動き出す。彼らの手つきはもはや熟練の職人のそれだった。
原木からシイタケを摘み取る動きには迷いがなく、摘み取られたシイタケは即座に選別され、保管用の木箱へと詰められていく。
その流れ作業の美しさたるや、見ていて惚れ惚れするほどだ。
だが、俺はある違和感に気づいてしまった。
作業員たちの目が。彼らは過酷な労働をしているはずなのに、その瞳がギラギラと輝いている。
そして、収穫したシイタケを箱に詰める際、必ず建屋の入り口――つまり俺が立っている方向に向かって、一瞬だけ祈るような仕草をしているのだ。ふと上を見ると、抽象化されたキノコの形をした像が天井近くに据え付けられていた。
「カミュさん、あの一瞬のお祈りみたいなポーズは何ですか?」
俺は恐る恐る尋ねる。
カミュさんは「ああ」と、さも当然のことのように頷いた。
「『祈り』です」
「はい?」
「この農場で働く者たちは、皆、かつてブドランガで職を失い、貧困に喘いでいた者たちです。彼らに職を与え、生きる希望を与え、そして何よりこの革命的な技術をもたらした創造主への、自然発生的な感謝の現れなのです」
宗教生まれてんじゃん!!!
「止めた方がいいんじゃ……」
「無理です。この事業の発案者であるヒナビシ殿の銅像を建立しようという動きもあるくらいですから」
「絶対やめてくださいよ!!?」
俺の悲鳴は、活気ある収穫作業の音にかき消された。
そうして建屋を出て、俺たちは併設された出荷管理棟へと向かった。
そこでは、ギルドの会計官リリアさんの部下たちが、積み上げられた木箱の山を前に、猛烈な勢いで帳簿をつけていた。
「本日の収穫量、シイタケ約300! シメジ約150! マイタケ約180!」
「王都方面への出荷分確保完了! 保存の術式、充填よし!」
「周辺の農村からの技術研修生、第三陣が到着しました!」
まるで戦場だ。いや、間違いなくここはキノコ経済の最前線基地だ。
カミュさんは、その混沌とした現場を、歴戦の将軍のように捌いていく。
「リリア様からの通達通り、A品は王都の富裕層及び高級料亭へ。B品は一般市場へ流通させ、価格を調整しろ。C品は加工食品部門へ回し、乾燥シイタケの原料とする」
乾燥シイタケまで作ってんのかい。いやまあそうだろうよ。保存食で干し肉があるんだから乾燥シイタケくらいあるだろうけど……少し前までシイタケって高級品だったんだろ!?
「ヒナビシ殿、ご覧ください」
カミュさんが指差した先には、出荷を待つ馬車の列があった。
その荷台には、ギルドの紋章と共に、建屋の天井近くにあったものと同じマークが焼印された木箱が満載されている。
抽象化されたキノコのイラストと、その下に書かれた文字。
『ブドランガ特選キノコ』
「ブランド化しちゃった」
「はい! レーナ様のご提案で、最高品質の証としてブランド化することになりました。今やこのロゴが入っているだけで、市場価格が二倍になります」
俺は頭を抱えたもっと流通させるにしても刻むだろ!! 段階を!!! それにこういうことはもっと波乱万丈で山あり谷ありだろ普通!!!
キノコ関連の技術だけが歪ににこの世界で発展してしまった……。
だが、不思議と悪い気分だけではなかった。出荷場の隅で、休憩中の作業員たちが、賄いのキノコスープを飲んでいる姿が見えたからだ。
彼らの顔色は良く、何より笑顔があった。
「うめえなあ、このスープ」
「ああ、こんなに美味いものが、俺たちの手で作れるなんてなあ」
「今月の給金が出たら、娘に新しい靴を買ってやるんだ」
そんな会話が聞こえてくる。
俺が「美味しいものが食べたい」という欲求と、「自分が安全に暮らしたい」という保身から始めたこと。それが、巡り巡って、彼らの生活を支え、ささやかな幸福を生み出している。
俺はヴァレンテさんの言う「経済戦争」の道具かもしれない。
俺はカミュさんの言う「農業革命」の旗印かもしれない。
でも、目の前の彼らにとっては、明日の希望そのものなのだ。
「カミュさん」
「はい?」
「すごいですよ。本当に、あなたはすごいことをやってのけた」
俺は心からの賞賛を、この実直で有能すぎる同僚(?)に送った。
俺の作った手順書なんて、ただの紙切れだ。ただの紙切れの上の文字列に過ぎない。見て腹が膨れるわけじゃない。
だがそれをここまでの形にして、実際に腹が膨れるようにしたのは、間違いなくカミュさんの情熱と努力だ。
カミュさんは眼鏡の奥の目を潤ませ、深く頭を下げた。
「もったいないお言葉です。ですが、これはまだ始まりに過ぎません」
彼は顔を上げ、遠くの山々を見据えた。
その瞳には、もはや一介のギルド職員の枠には収まらない、野心と希望の炎が燃え盛っていた。
「来月には第二、第三プラントが稼働します。その他キノコの栽培条件の研究も、量産体制も、整いつつあります。そしてゆくゆくは」
彼はしばらく左の掌を見つめ、そして力強く拳を握りしめた。
「キノコによる、飢えのない世界を。ヒナビシ殿の名の下に」
話がデカい。デカすぎる。
俺はブドランガの片隅でキノコ鍋がつつけれればそれでよかったはずなのに。
隣でワサビが「王の誕生だな」みたいな顔で頷いているのが腹立たしい。
帰り道、馬車に揺られながら、俺は今日の光景を反芻していた。
キノコ栽培事業は成功だ。文句なしの大成功だ。100点満点中で8億点くらい叩き出している。
カミュさんのプロジェクトは、俺の想像を遥かに超えるスピードと規模で、現実を変え始めている。
俺は窓の外、夕焼けに染まる広大なキノコプラント群を眺めながら、小さく呟いた。
「これ、絶対どっかで良くないイベント起きるやつだよな」
フラグの建設速度も猛烈な勢いで進んでいる気がしてならなかった。
俺はちらりと、足元でまるくなって眠るワサビを見やる。
備えあれば憂いなし。最強の護衛だ。
そして何より、商人ギルドの頼もしくも恐ろしい怪物たち。
彼らがいる限り、まあ、なんとかなるだろう。たぶん。恐らく。そうであってほしい。
馬車は夕闇の中、光り輝くブドランガの街へと戻っていく。
そこには、俺を待つ「自由研究」という名の、次の仕事が待っているはずだ。
……待ってるよね? また変な仕事増えてないよね?
俺の祈りは車輪の音にかき消され、夜の闇へと溶けていった。