転生特典が「キノコ栽培」だったので戦闘は避けるようにします。 作:菱形の面積
ある種の諦めにも似た決意をしてから、俺は少しばかりウトウトしていたらしい。気が付けばカーテン越しに眩しい日の光が差し込んでいる。やっべ!! 寝坊した!!!!!
いや、寝坊って概念ないのかこの世界には。びっくりさせんなよ。俺は商人ギルドに仮登録として所属しているだけだ。出勤時間も退勤時間も、今のところ何もないはずだ。
「でーもそれ確認しにいかないと精神衛生上やべーんだよなー」
結局、不安なのだ。ルールがわからない、というのが。最低限の身なりだけ整えて、俺は商人ギルドへと向かう。朝飯? 緊張で何も食えないが???
そうして俺は商人ギルドの扉に対峙する。商人ギルドの扉は、昨日よりもさらに重く感じられた。
ロビーには、朝早くから多くの人々が行き交い、活気に満ちている。だが、今日の俺には、その全てが、俺の挙動を監視するギルドの目に見えて仕方がなかった。
(落ち着け、俺。俺は客じゃない。今日から、この場所でのビジネスパートナーなんだ。堂々としろ)
自分にそう言い聞かせ、俺は受付カウンターへと向かった。しかし、どのカウンターも、見るからに忙しそうだ。でも俺が話すべき相手は、昨日俺の担当になった、あの神経質そうな眼鏡の男のはずだ。
キョロキョロと辺りを見回していると、ロビーの隅を、大量の羊皮紙を抱えて足早に横切っていく、見慣れた眼鏡の姿を発見した。
いた! 逃がさんぞ!!
俺は、慌てて彼を追いかけた。
「おはようございます!」
俺が声をかけると、神経質そうな男は、びくりと肩を震わせて振り返った。声がでかいのが俺の取り柄だ。
「ヒ、ヒナビシさん! おはようございます」
「すみません、お忙しいところ。ご都合の良い時に少しだけ、お時間をいただけますか? 業務上の確認事項がございまして」
俺が、できる限り爽やかなビジネスマンを装って言うと、男は抱えていた羊皮紙の山を片手で必死に支えながら、戸惑ったように頷いた。
「は、はあ。業務上の、確認……ですか?」
それから少し経って、俺たちはロビーの隅にある簡単な打ち合わせ用のテーブルへと移動した。神経質そうな男、カミュは、早く仕事に戻りたいというオーラを全身から放っている。手短に済ませなくては。
「単刀直入に伺います、カミュさん。昨日、ヴァレンテ様と口頭で契約をさせていただいた件ですが、その内容を記した『契約書』のようなものは、作成していただけるのでしょうか?」
「け、契約書……ですか?」
カミュは思いもよらない言葉に完全に思考が停止しているようだった。なんで?? 常識だろ??
「ええ。言った言わないの水掛け論になるのは、お互いにとって不利益かと。納品する商品の品質保証、納品頻度、そして、報酬の支払条件などを、書面で明確にしておきたいのです」
「なぜ……そのような。我々を信用できないとでも、おっしゃるのですか……?」
ダメだ。文化が違いすぎる。完全に、異世界人に、現代日本のビジネス感覚で話しかけるヤバい奴になっている。俺は慌てて、言葉を噛み砕いた。
「違います!!! つまり! 俺が、いつ、何を、どれだけ、どんな品質でギルドに納品すればいいのか。そして、ギルドは、いつ、いくら、俺に支払うのか。そういう『お約束』を、紙に書いてお互い持っておきましょう、ということです!」
「ああ、なるほど!」
カミュは、ようやく合点がいったというように、何度も頷いた。
「確かに、その方がお互いにとって明確ですね。……しかし、そのような前例は、ギルドにはありません。ヴァレンテ様との口約束は、このギルドにおいては、どのような羊皮紙よりも重い『絶対の契約』ですから……」
「いえ、ヴァレンテ様を疑っているわけでは断じてありません! ただ、俺のような若輩者が、間違いを犯さないために、指針が欲しいのです!」
俺が必死にフォローすると、カミュは「なるほど、なるほど」と、なぜか感心したように呟いた。
「承知いたしました。サブマスターにご相談し、ヒナビシ殿との間の『取引要綱』を作成するよう、進言してみましょう」
「ぜひお願いします!」
第一目標、クリア。
「それで、第二に、コンプライアンスについてですが……」
「こんぷらいあんす?」
やっべ。俺は、できるかぎり言葉を尽くして説明した。
「俺がやってはいけないことのリストです! 例えば、ギルドに秘密で、友人に商品をプレゼントしたり!」
「……それは、明確な契約違反、横流し行為にあたります。ですが」
カミュは、少しだけ声をひそめた。
「例えば、世話になった冒険者パーティに、労いの意味で数本贈る、など、常識の範囲内の『心付け』であれば、ギルドも目くじらは立てません。あくまで、非公認ですが」
「よかったー! では、俺が納品した品が、法律で禁止されている『禁制品』だった場合は!?」
「き、禁制品!?」
カミュの顔が、サッと青ざめた。
「その場合は、ヒナビシ殿はもちろん、それを受け取った我々も、厳罰は免れません! 最悪、ギルドの認可取り消しもありえます!」
「ですよねー!!」
俺は、自分の仮説が正しかったことに、喜びと恐怖を同時に感じていた。
「ですから、カミュさん! 俺は、そういう危険を、絶対に避けたいのです! 何せつい先日この町に来たんです!! 俺の無知が、ギルドの皆様にご迷惑をおかけする事態だけは、断固として避けたい! つきましては、現在、ここで指定されている禁制品のリストを、いただけないでしょうか!」
俺が、かつてないほど真剣な表情で頭を下げると、カミュは呆気に取られたような顔で、しばらく俺を見つめていたが、やがて、その表情が、深い感心に変わっていくのがわかった。
「……ヒナビシ殿。あなたは……あなたは、なんと、真摯な商人なのだ……。自分の利益だけでなく、取引相手である我々ギルドのリスクまでを、そこまで深く考えてくださるとは……。近年、これほどまでに、商人の『信義』を体現した方を、私は見たことがありません……」
「え、あ、いや、俺はただ、俺が縛り首になるのが嫌なだけで……」
「いえ、何も言わずに! 感服いたしました! そのお心遣い、誠に感謝いたします! 禁制品のリストについては、私が責任をもって、本日中にご用意いたします!」
「ありがとうございます!! 無理はしないでね!!」
カミュは、なぜか感動で目を潤ませながら、固く、固く、約束してくれた。よっぽど商人って自分本位だったんだね……わかるよぉ……。今度一緒にご飯行こうぜカミュさん。愚痴ならいくらでも聞くからさ。
ともあれ、第二目標も、なんか、すごい勘違いをされた上で、クリアだ。
「それで、あの……報告・連絡・相談は、カミュさん宛にすればよろしいですかね?」
「はい! 僭越ながら私、カミュが、責任をもって、ヒナビシ殿の補佐を務めさせていただきます!」
重いんだよ!! まあいい。第三目標も、クリア。
全ての懸案事項を解決し、俺が安堵のため息をついた、その時だった。
「ああ、そうだ。ヒナビシ殿に、ヴァレンテ様からの伝言が」
今まで気づかなかったけど殿って言ったか??? カミュは、そう言うと、一枚のメモを取り出した。
「昨日、ヒナビシ殿が納品されたシイタケですが、早速、懇意にしているレストラン『黄金のさじ亭』に卸したところ、大変な評判となりまして。つきましては、追加の注文です」
「えっ」
「『極上品のシイタケを、明日までに、もう一箱』。以上です」
……は? 「明日」「まで」? 追加注文? 明日の朝日が出るまでにってこと? いや、そんなわけはないんだろうけど、遅れたら絶対にやばいってことはわかる。たとえるなら副社長からの仕事だ。
この世界安全係数とか存在するのか? まさかいつも100要求したら100納品されると思ってるのか?
俺は、自分の耳を疑った。
こうして、俺の異世界初出勤は、終わった。深夜の不安は、おおむね解消された。ギルドのルールも、少しだけわかった。
だが、それと引き換えに、俺は「納期」という、前世で最も忌み嫌っていた言葉を、異世界でまで背負うことになった。
「のんびりゆったりした生活は、どこだ……」
俺は、ギルドを後にしながら、青い空を見上げて、力なく呟くのだった。
この俺、商人ヒナビシの、社畜生活の幕開けである。まあスキルでキノコ栽培するだけだからあとは口八丁でうまいことやればいいんだがな! ガハハ!
結局、俺の心は、すぐに逞しく復活するのだった。まるでキノコのようだね。この俺の心もスキルで栽培出来たらいいのにね。本当だよまったく。