竜の目に映る者達   作:サーデェンス・ロー

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02-15 美女の秘め事と才女の憂鬱

Ver1.11

 

 

 『血と花束事件』から半年後。

 貴族派による乾坤一擲の大攻勢が頓挫した事により、宮殿内の政情は伝承派がその大多数を占める事となった。

 とは言え、そんな大混乱の中でも粛々と内政を進めていたビーバーは先帝達の経験を用いて最適な判断を取り続け、アバロンで再起不能となった貴族派がカンバーランド王国に逃げおおせて同国を混乱させる事を阻止しつつ、実務に当たる文官の待遇と権限の維持拡大に務めたりと八面六臂の活躍を見せていた。

 『血と花束事件』は‘2人(イロウル)’の独断で動いた結果であったものの、その後に皇帝たるビーバーの命によって貴族派の使っていたシティシーフのような動きをイロウルが成す事もあったが――それは‘ベルフェジール’が先延ばしにしていた『人間の世界の面白くない部分』を煮詰めたような経験となった。

 

『(――知っておく事は大事だったけれど、今後は誰に命じられても断るようにしよう)』

 

 それが政治の裏にある暗闘を行った‘ベルフェジール’の結論であり、今後は襲撃者の殲滅には協力しても逆襲には協力しない事を心に決めていた。

 事件の後にも竜がその手を更に血で染めたように、『血と花束事件』の後にも小さな波乱はあったものの――宮殿内の大勢が伝承派によって固められ、カンバーランド王国での外交における最大の享受者となった文官達はその政情の安定を期としたのか1つの進言を通して来た。

 

「――――北ロンギャットへの進出、ですか」

 

 荒みがちな昨今の宮殿から抜け出す口実として訪れたカンバーランド王国の大使館でソフィアと面会した‘ベルフェジール’は、世間話の先でそんな話題を持ち掛ける。

 根拠地であった祖国から離れてもあの驚異的な情報網は健在なのか、既に外征の兆候を察知していたソフィアの反応は薄かったものの、イロウルの目付役――貴族派のせめてもの抵抗であると共に、伝承派が貴族派の直参であるアメジストに圧力を掛ける意図もあるらしい――として同行していた魔術師は、帝国の内情を容易く漏らしたイロウルに驚いたような視線を向ける。

 

「詮無い話ではありますが……私に話してしまってもよろしかったのですか?」

「ソフィア様は未だにカンバーランド王国の経済を握っていると聞いていたので――ヴィクトール運河より南の航路が更に大きく開かれるとなれば、ダグラスで船の増産とかの準備をしておいた方がいいと思ったのだけれど……」

 

 アメジストが驚く理は判るが、この話の受益者となるソフィアも憂いを帯びている事に対し、‘ベルフェジール’が疑問の視線を返しながら言葉を向けると、目当ての2人はどちらも困ったような“気配(いろ)”を漂わせてしまう。

 運河に海運、それらを統括した先にある国家間の貿易と交易が及ぼす影響力。

 フォーファーに赴いた時にソフィアと『話』が出来たのは元居た世界で‘イロウル’が商人の真似事と歩荷で生計を立ていた経験があっての事だが、海運や経済といった大きな話に関しては手も足も出せずに圧倒されてしまった。

 その反省を踏まえ、アバロンに戻った‘ベルフェジール’が真っ先に頼み込んだのはバレンヌ帝国におけるこれまでの貿易関係の目録閲覧の許可であり、ビーバー経由で許しを得てから見せて貰った記録や統計を鑑みるに海運の物資輸送量は陸運の十数倍という驚異的な数字であり、ソーモンを版図に加わえてからはアバロンの西にある小さな港も使われる機会が多くなっていると記されていた。

 並列して確認していたバレンヌ帝国の歴史書を見るに、ヴィクトール運河が出来る前の帝国はソーモンを使った貿易でオレオン海を支配しており、その販路をロンギット海にも広げるべくヴィクトール運河を造ったらしい。

 陸運というものが自分達の生活を支える生命線であるのに対し、海運とは即ちその領域を保持している存在の支配の証であるというのがアバロンの蔵書や‘イロウル’から聞いた話を統合した‘ベルフェジール’の結論であり、オレオン海周辺を完全に掌握し、南東にあるロンギット海にすら影響力を保持していた昔の帝国は紛うことのない大国であったのだろう。

 とは言え、報告書の類によるとジェラール帝の時代にヴィクトール運河の通行権こそ奪還した帝国であったが、ロンギット海への販路拡大はモーベルム(?)と呼ばれる港町に存在する武装勢力(?)の妨害によって芳しくないらしく、宮殿内の政情が安定する前からその打開策を思考していた文官達の青写真としては嘗ての帝国以上の栄華を今の帝国に齎したいttおいう意図があるようだった。

 

「――確かに、イロウル様の仰った事はカンバーランドにとって有益な情報となります。ですが、同盟国とは言え自国の計画を他国に伝えてしてしまう事は主君への裏切りになるのではないでしょうか?」

 

 試すようなソフィアの問いにアメジストからも同意するような“気配(いろ)”が滲むものの、‘ベルフェジール’の中には既に答えがあり、頭の中で様々な“思案”を重ねているソフィアに対し、この話に関しては考え過ぎであると諭すように竜は口を開く。

 

「帝国はカンバーランド王国に海上戦力で大きく溝を開けられておりますが、ヴィクトール運河の要であるミラマーを押さえているのは帝国側。……となれば、友人兼お客様であるカンバーランド側に話を通しておいて問題解決後の北ロンギット地方で得られる税収と運河の通行料で儲けた方が――皆が幸せになれるでしょう?」

 

 宮殿内の書庫で勉強した甲斐があったのか、文官達の進言を聞いてから‘ベルフェジール’が考えぬいた青写真を詳らかれたソフィアの“感情(いろ)”は眩しいものを見た時ように目を瞑ってしまい、才女のそんな反応を見られた竜は満足げに笑みを零す

 

「――――ご期待に沿えますよう、努力致しますわ」

「…………」

 

 対面に座ったまま静かに一礼したソフィアに対し、まだ猜疑的な“感情(いろ)”を隠せていないアメジストの“気配”はささくれたっていたものの、想定していた中で最善の状況を得られた‘ベルフェジール’は笑みを深くする。

 相手が何をするかが読めずとも相手を信頼しなければ良い結果は返って来ないのが世の常であり、内心を読み合える竜にとっては必要とあらば自分の魂と記憶の全てを晒け出して完全な信頼を得る事は珍しい事ではない。

 だが、限られた言葉でしか意思を語れない人間同士において完全な信頼を築く事など夢物語であり、アメジストのような反応が大多数を占めるのだろう。

 しかし、‘ベルフェジール’が語った今の言葉には彼女なりの人間同士の信頼の作り方も混ぜ込んでおり、問題解決に力を尽くした帝国を出し抜く形でカンバーランドがロンギット海の市場を独占しようと目論んだとなれば、ミラマーを封鎖してかの国の船団を締め出す事は十分に可能であり――。

 付け焼き刃ではあるが‘2人(イロウル)’で考え抜いた帝国の報復を見通す事などソフィアには容易い事であり、どう見積もっても大損しかない結果を示しておけば、この才女は両国にとっての最大効率を叩き出してくれるだろう。

 

「いつ始まるかは流石にお伝え出来ませんので、計画の差配に関しては上手く取り計らって頂ければ」

「――――」

 

 ‘ベルフェジール’の締めの言葉に任せてくださいと言うようにソフィアが頷いたのを確認した竜は、帝国やカンバーランド王国にも噂ぐらいしか届かぬ場所に向かえる未来――南ロンギットや東方の未開の地へ(おもむ)ける事に心を躍らせるも、その前に必ずあるであろう移動方法に表情を曇らせる。

 

「…………海を渡るのは、気が乗らないのだけれど」

 

 同時に零れてしまった心の底からの言葉に、実情を知るアメジストは黙して語らなぬまま視線を逸らし、オレオン海を渡る際に起こった珍事を知らぬソフィアが怪訝な表情をするも、立ち入ってはいけない内容であると察したらしい才女は静かに口をつむぐ。

 

『――――』

 

 “目”を持たぬというのに波風の立ちそうな空気を読み、それを避けるのが人間の生さ――女性の変な癖であり、逸らした事を後になって蒸し返す悪習も在るのなら小さい火種の内に解消してしまえば良いのにと思う‘ベルフェジール’であるが、竜の里に居る古参の『姫』達からも似たような“気配(いろ)”を感じる時がある事から、子を生む側に共通した欠陥なのだろうと幼い竜は思う。

 

「――ご歓談中に失礼致します。アメジスト様宛てに書状が届けられたのですが……」

 

 雑談の中で得られた気付きに‘ベルフェジール’が沈黙し、ソフィア達の方もそれに習って様子見を始めた事で訪れてしまった静寂をどうしようかと竜が考えている中、応接室へと入室した大使館の職員はアメジストの前にあまり上質ではない手紙が差し出す。

 

『(…………あぁ、なるほど)』

 

 座っている場所の角度の都合から“遠見”の魔術でも手紙の内容は読めなかったものの、“目”で周囲を見渡せばオライオンの“気配(いろ)”が近くに在った事で状況を察した‘ベルフェジール’はアメジスト達にとって最適であろう対応を考える。

 

「――アメジスト様。私は日が落ちる頃までソフィア様と術法や両国の貿易に関する話をしたいと存じております。何らかの所用があるようでしたら、夕食を終えた頃に大使館に戻って来て頂ければ誰に咎めらる事も無く城内に戻れると存じますが」

「そ、そうですか……。――で、では…………失礼ながら、お言葉に甘えて中座させて頂きますわ」

 

 書状に集中していた上に唐突に意図を読まれた事で動揺を示したアメジストであったが、自分にとって都合の良い状況への欲求には抗えなかったらしく、言葉の最後の方から滲み始めた喜びの“感情(いろ)”を表に出さぬように意識しながら応接室から退室する。

 

「…………よろしいのでしょうか」

「――? 何の話でしょうか?」

 

 楚々(そそ)とした所作で中座したアメジストを見送った後、ソフィアが唐突に零した言葉の意味――“目”で“感情(いろ)”を読んでも懸念を主軸に僅かな呆れと怒りを抱いている事しか判らなかった‘ベルフェジール’が更なる言葉を求めるも、人間にとっては難しい問題なのか才女からの応えは無かった。

 ならばと‘イロウル’に問い合わせてみるも此方も此方でどうにも要領を得ず、『(オライオンとアメジストが『番』と『姫』のような関係になるのは間違った事なの?)』と確信を問うてみるも「(……相性は良さそうですので、羨ましいとは思ってしまいます)」と、どうにもはぐらかされている感覚が拭えない。

 

「……イロウル様?」

「――――ソフィア様から見て、あの2人――オライオンとアメジスト様の関係をどう思いますか?」

「…………。他国の事情故、お答えしかねるお話となります。――私に対する引き合いも、少々苛烈かと存じますが」

 

 ならばと自分から状況の是非を突いてみるも明確な返答は来ず、逆にこの件とは別の疲れとも怒りとも取れる“感情(いろ)”がそれに続いて来る。

 

「気に入った戦と――男性がいたら正式な縁談にするけど、気に入らない人は貿易とか政争の人脈づくりの足しにしてくれれば良いかな」

 

 意図こそ不明な事もあるが“魔力(いろ)”に溢れるソフィアの“感情”はとても読みやすく、昨今行なっている自分の伝手を総動員したソフィアの『番』探し――伝承派の若手貴族や有力商家や商会の若頭との面談に関する話――だと理解出来た‘ベルフェジール’は自分の意図を隠す事なく詳らく。

 

「私の進退はトーマ王が決める事であり――そもそも、女が相手を選ぶような事は……」

「力を出したのは帝国とゲオルグ様だけど、カンバーランド王国を救ったのはソフィア様がサイフリートの策略を挫いた結果でしょう? ソレを理解出来る人は少ないだろうけれど、それだけの偉業を成した貴女様にはそれ位の自由は許されると思うのだけれど……」

「――――――」

 

 ‘ベルフェジール’の行動は昨今確定させた人間への理に即した対応であり、竜としては一点の迷いもない行動であったがその一端を開示されたソフィアにとっては思いも寄らぬ言葉であったようで、才女は返答に詰まる所か思考すらも止めて固まってしまう。

 ソフィアや貴族派の人間達が考えているように、家長が自分の娘の処遇を差配するのは『生産ユニット』としての役割を果たせる期間が極めて短い上、その期間が精神的に未発達であるというのに生存期間における存在価値が最も高いという致命的な矛盾を持つ人間の女性を無難な幸せに落とし込むのに最適な方策であり、華や才能が無かろうとも役目を果たした後に平穏な余生を過ごせる可能性が最も高くなる真理である。

 ‘イロウル’にこの結論を伝えた時は氷の剣のように冷めたく鋭い“感情(いろ)”で睨まれたものの、反論出来るだけの理が無かったのか対案を発する事なく終わった事からこれが人間の理の1つであると断定した‘ベルフェジール’であったが、幾つかの例外がある事も認めていた。

 それは帝国の直参に成れる者や稀に居る商家の才女のような優れた“資質(いろ)”を持つ者達であり、自分の道を自らの切り開き、それを維持出来る彼女等にとっては『家長の囲い』という善意はその高い“才能”を広げる可能性を狭める枷になってしまうとも考えていた。

 その最たる例がソフィアであり、能力だけでも素晴らしいというのに自らが引き寄せた実績も在るとなればその努力に見合った幸せ享受する権利が才女にはあり、そんな素晴らしい存在の人生を守るという義務を受けもつ事の出来る幸せな『番』を選ぶのは彼女自身でなければならないと竜は考えていた。

 

「私めとしては、アバロンに残って頂けたらとても嬉しいと存じておりますが……大使としての任期はいつか終わりますので、一緒にカンバーランドに行く事を許容出来る方を選ぶのがよろしいかと存じております」

「――私が、カンバーランドに戻れる可能性があると?」

「……? 人質とかじゃないのですから、後任が育てば好きに出来るでしょう?」

 

 アバロンの商業組合にとってソフィアの息の入った新しい商業集団は明確な脅威となっているだろうが、人間とは敵が居る時にこそ最大の力を発揮する存在であり、そういう意味で見ても帝国に残って貰う事で得られる利益は大きい。

 しかし、それとは別に人間にとっての故郷というものは決して忘れぬ事の出来ぬ拠り所となり、統治者の側に立つソフィアにとっては幼年から築いた基盤は何物にも代えがたい資産でもある事から、それを原資に領主に返り咲くなり影の支配者として君臨するなりの未来が取れる事だろう。

 

「――――アバロン宮殿内の立ち振る舞いといい……帝国で最も恐ろしいのは、やはり貴女様なのかもしれませんね」

「……? 私めからすると、どうやっても権謀術数の類で勝てそうに無いソフィア様の方が怖いのですが?」

 

 ‘ベルフェジール’としてはそうおかしな事を言っている心算はないのだが、らしくなく思考を諦めてしまっているように見えるソフィアは憑き物が落ちたように朗らかな微笑みを浮かべ、零れ出た言葉に竜が本心を返せば才女はその微笑みを強くする。

 

「――ふふ。……この地に残って貴女様を手に入れ、帝国の有力者を伴侶に迎えた序に帝国の頂点を目指すのも楽しいかもしれませんね」

「ビーバーが悲しむから止めて欲しいかなぁ」

 

 “感情(いろ)”からして明らかな冗談であるソフィアの言葉に傍仕えとして控えている大使館の人間が何やら青い顔をしているが、‘ベルフェジール’が微笑みながら白旗を上げれると才女は華のような微笑みを浮かべ、扉の傍に立ったままの彼に実験用の術具や記録用の書面、それに昨今の貿易品の目録と新しい茶菓子を用意させる。

 

「あぁ、そうだ――サイフリートに付いた兵士の家族で処罰されなかった人達……以前に文通しながら資金提供をしている事を追及された女性や子供を引き取る話、進めても良いかな?」

「――――我が国では扱いに困っている……いえ、反乱の残り香として憎悪を引き受け、そのまま無残な最期を迎えるのが彼女達の役割であると存じております。――個人としては思う所もありますが、貴女様がそこまで気に掛ける意図が判らない事には私としてもトーマ王に伝える言葉がありません」

 

 ソフィアの機嫌を捉えた‘ベルフェジール’は期を伺っていた話を唐突に挙げるも、才女はそれまでの朗らかな“感情(いろ)”が嘘であったかのよに“思考”を正し、何時ぞやの査問会と同じ“気配”でその時と似たような答えを返す。

 

 竜が話題に挙げたのは先のカンバーランド王国での反乱の折、ダグラスから逃げおおせる時に竜が切り殺しまくったシニアー達の配偶者の顛末であり、トーマ新王からは反乱分子として放逐され、市井では国の混乱に加担した者として石を投げられている人間達となる。

 

「以前に私めに向けられた反乱教唆の嫌疑の申し開きの時に挙げた2組の母子以外は、此方も気にしない――というより、変に生き残る手段を得る前に処分した方がカンバーランド王国の為になると存じます。だけど、あの2組は純粋に国家の為に尽くしていると考えたまま間違えた人間達の配偶者ですので……再起の機会をあげたい」

 

 反乱の関係者に金品を贈っていた事は再び動乱を引き起こそうとしていると誤解されてもおかしくない行為であり、それが発覚した際にはゲオルグは元よりビーバーやアメジストからも睨まれたのだが‘ベルフェジール’は意思と言葉を翻す事はなく、‘イロウル’が驚くほど頑強に主張を曲げなかった事で協議の場はかなり拗れる事となった。

 あわやゲオルグと一触即発する事態にまで発展しかけた所でソフィアが上手く取り成してくれた事でその場は収められたものの――発覚するまでに提供していた金品がそろそろ尽きる筈であり、生活が立ち行かなくなった結果として‘ベルフェジール’が未だに納得出来ていない行為走る前に引き込みたいというのが竜の思惑であった。

 

「同じ境遇の者でも殺せと仰りながらも、一部は助けたいと仰る。……貴女様と居ると、人間とはどのように生きるのが正しいのかを考えさせられますね」

「……調べれば判ると思うのだけれど」

 

 “感情(いろ)”や言動から鑑みるに‘ベルフェジール’の意図は理解していると思われるソフィアに対し、竜はそこまで難しい事では無い筈だけれどという意味をもって才女に問いを向けるも、彼女は応じる事なく目を伏せる。

 

「皆が幸せに成れる制度を築き、それを続けて行くのが国家でありますが――国家は個人を助ける事を想定しておりません。……トーマ王に向けた私的な手紙をお渡ししますので、対処の詰めは我が王とお話頂ければ」

「勝手に入国してどうするかを相手に選ばせる心算だったけれど、これではダメかな?」

「……貴女様は――もう……。――自由意志ではなく、国外追放処分という体にしなければ誰の納得も得られませんし、貴女様にも類が及びます。ソーモンの邸宅に使用人として匿う心算なのでしょうが、我が国への渡航禁止を厳命してから雇い入れてくださいね?」

「そうか……そうなんだ。うん、ではそのように」

 

 自ら並び立つ程の知性を見せたかと思えば、子供のように安直で禍根を残そうな行動を取ろうとする‘ベルフェジール’の言動に、なんとも複雑な溜息を洩らしたソフィアは机の上の小さな鐘を鳴らし、追加の書面――体裁からして、此方はトーマ王への書簡をしたため始める。

 

『(……楽しいけれど――もっと頑張らないとね)』

 

 その綺麗な筆さばきを眺めながら、‘ベルフェジール’はあまり進捗していない我が身の至らなさを鑑みる。

 ‘イロウル’とは異なる視点を持った『人間の世界の先生である』と認識しているソフィアとの会話はとても楽しい事であり、詮無い話ではあるが自分が『イロウル・ベルフェジール』と成っておらず、育てた人間(ビーバー)の未来に責任を持つ事も定めていなければ自分が竜である事を曝け出し、この才女の人生の全てを間近で見続ける対価として竜の力の全てを預ける契約(※)を交わしても良いと思えるような存在が‘ベルフェジール’にとってのソフィアであった。

 しかし、前提からして有り得ぬ話である事からそれは夢物語の類であり――理に沿った答えを考えるのであれば、ビーバーの配下という身分のままでソフィアと接する事の出来る状況を作り続け、互いの利益を提供する傍らで才女の“(いろ)”を見て学ぶのが正しい道となるだろう。

 それが昨今の滞在理由であり、更に言えば今の‘ベルフェジール’がソフィアの反応に付いて行けているのは“目”で才女の意図を読んでいる事が大きく、そんな“魔眼”の補助無しで才女に対抗出来るようになったとすればそれはとても誇らしい成果となるとも竜は考えていた。

 

『(……人間のご飯も、最近になって違いが判るようになったけれど――こういうのも、楽しい事だね)』

 

 そんな事情を思い返しながら、ソフィアに進められた焼き菓子を齧った‘ベルフェジール’はその仄かな甘みを感じながら焼けた小麦を口の中で転がす。

 外界に漂う感情(おもいで)の残滓たる空気(まそ)を取り込む事で自身の形状を維持出来てしまう竜は『食事』という文化を失って久しいものの、カンバーランドの大使館に寄り付くようになってからは提供される料理に手を付けざるを得ない状況となり、新しい娯楽を得る事となった。

 これまでも人間の振りをするべく食事を摂る事はあったもののそれらと真摯に向き合うようになったのは最近の事であり、供された菓子に込められた作り手の“感情(いろ)”を取り込むのはなんとも新鮮な感覚であり、『塩気』や『甘み』、『匂い』という食品としての違いを感じる事も近頃の‘ベルフェジール’の楽しみとなっていた。

 尚、それらは度重なる来訪によってイロウルが極めて少食である事を把握したソフィアの差配の結果でもあり、量ではなく個々の質と色彩で楽しめるように図られている品々の成果であったものの――。

 同じ感覚を共有している‘イロウル’もそれらに集中せざるを得なくなった事で「(……元居た世界では考えもしませんでしたが、塩や砂糖以外の調味料がこんなにも恋しくなる日が来ようとは――)」と、昔の記憶との落差を明確に感じる事で嘆くようになっていた。

 

『(…………こんな時間がずっと続けばいいと思うけれど――)』

 

 そんな穏やかな日常の中、自らの未熟の証ともいえる不可能な願いを想ってしまった‘ベルフェジール’はそれを否定する理を思い出すように目を瞑る。

 他国(ていこく)在住の大使となったソフィアにはやらねば成らぬ事は山のようにあり、ビーバーの直参の1人として生きている今の自分にも力ある者の責務として動く義務がある。

 そして、永い時のある竜が『ただの思い出での1つ』として今日を終わらせられるのに対し、短い時間しか持たぬ人間にとっての今日という日は貴重な時間であり、停滞を望む事は短い生を有意義に過ごさねばならない彼等へ負担を押し付ける恥ずべき行為である。

 

『(……ジェラールの時には避けていた事をもっと学んで、ソフィアの役に立つ事を話せる状態を作らないと)』

 

 この時代のイロウルの故郷とも言えるソーモンの知り合い達は2人(イロウル)が館に戻るだけでも喜んでくれる事から忘れそうになるものの、それはあの港町に残した仕事を堅実に熟しているからであり、アバロンでも同じように在り続け為には気を張らねばならない。

 

「(――――)」

 

 そんな中、またしても‘イロウル’の方から何か言いたげな“気配(いろ)”を感じるものの、明確な否定の感情は含まれていない事から間違ってはいないのであろう人間の理に従う事にした‘ベルフェジール’はソフィアにとっても有意義であろう話題に花を咲かせ、逢瀬を済ませたアメジストと共に宮殿への帰路に就いた。

 




(※)の翻訳:私と契約して、竜騎士になってよ
――なんか、白くて赤い目の可愛らしい物体が脳裏を過りますが、契約者に一欠けらの損もない借受人優位の契約ですよ。
(ほぼ無尽蔵の財を生み出す素材の山と莫大な戦闘能力に溺れない、強固な自制心を求められますが)
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