Ver1.11
唐突な来訪である上、話す内容が内容であるだけに中庭の
伝承派に属するであろうイロウルからすれば敵地のど真ん中に居る事になり、部屋で茶会の準備をする使用人の雰囲気も冷え切っていたものの――そんな家中を見遣る彼女の雰囲気は楽し気であり、その剛毅な反応を前にアメジストは身の内に宿る希望の光が大きくなっていくのを感じていた。
そうして場を整えた上で人払いを済ませたアメジストは「ダグラスで宰相の兵に使用した音を遮断する術を、この部屋に施す事は可能でしょうか?」と願い出てみるとイロウルはあっさりと術法を編み、戦場で何度も感じていた事のある魔力が部屋に満ちる。
手際よく密室を創り出したイロウルの術に驚きながらも、時間の限られているアメジストは当たり障りのない話をして場を温め――万を持して自分が妊娠してしまっている危惧を告げる。
伝承派の重鎮――爵位もない立場であるが、強かな内政手腕を持つソフィアと渡り合えるだけの政治力と教養を持ちつつもアバロン随一の魔術師として認知されているイロウルであればそれだけでアメジスト窮状を察してくれると踏んでいたのだが――。
「相手はオライオンよね? 今の頃だと急がないと式の前に産む事になると思うけれど――それとも産んだ後に式をするの?」
「――――」
その自分の命が掛かったアメジストの告白に対し、返って来たのは何とも能天気な言葉であり、半ば唖然としてしまった彼女の心を占めたのは「この人は何を言っているのだろう」という失望と落胆だった
ビーバー様の活躍によってジェラール帝の提唱した『伝承法』を信じる伝承派は勢いを増してきているものの、彼等と対立している貴族派は未だに健在であり、厳しい政情に比例するように内部への統制は厳しくなる一方であった。
そんな情勢の中で形式から外れればどのような処分が下されるか判ったものではなく、自らの身勝手の結果ではあるものの貴族の慣習を鑑みれば良くて自身の幽閉、最悪となればオライオン共々闇に葬られる未来が見えているのがアメジストの現状であったが―― 。
「ビーバーやそのは――っんん。……私は孤児院を運営していた事もあるから、子守には自信が――」
伝承派の重鎮のような立ち位置にありながらもそんな貴族の慣例を知らぬと見えるイロウルは、ただただアメジストの懐妊を我が事のように祝福し――彼女自身も願いたい未来を言葉とする。
「――――」
アメジストの中に生まれた絆の結果を我が事のように喜び、祝福してくれる人が居たという事実は彼女の心を幾分か解したものの、それで魔術師の置かれている状況が変わる訳でもなく――。
「……伝承派は、気楽でいいですわね」
同時に、その寵愛を一身に受けられるているであろうビーバー様の事を恐れ多くも羨ましいと思ってしまったのと同時に、追い詰められていた女の口から小さな呪詛が零れる。
「…………」
抑えられなかったその言葉が零れ出た後、自分を律し切れなかったアメジストが恥じる間もなくイロウルは何時ぞやに見せた時のような蜥蜴のような瞳でアメジストの事を見据える。
「――――話して。何が貴女達の幸せを邪魔しようとしているの?」
その変わりようは熟達した術者である筈のアメジストの背に得も言われぬ寒気を奔らせる程であったが、彼女の零した失言一つで全てを察したかのようなイロウルは口調すら変えて魔術師の置かれている状況を問うてくる。
「…………貴女は本来『家』を大きくさせる為の駒であるが、それでも能力があり――かつ『皇帝の覇道に貢献する』という家訓があった事から自由が認められていた。だけど、家の存在を高める相手――幾度か会った事しかない相手との婚約に近しい取り決めがあったのにも関わらず、それを破った事で苦境に立たされている。……これで間違いはない?」
その後、そう言って状況を取り纏めるまでのイロウルの言動は
「……はい、間違いありません」
言葉を誤れば今にも焼き殺さんとしているような『目』に晒されているアメジストは淡々と状況を述べ、結論への応えに考え込むように瞼を閉じたイロウルは「最後の確認だけれど、『まだ、本来の相手と契約交わした訳ではないのよね?』」と念を押してくる。
「――実際に婚礼の儀まで行かなければ、口約束の類ですわ。……証書が残っていた為に相手方が没落したのにも関わらずに有力な才女を差し出さねばならなかった例がある事から、御父様も書状の類を残しておりませんし」
「アメジストの御父上が裁定を下すのはすぐ? それとも1週間ぐらいの時間はある?」
契約や取り決め、約束の類に関する確認は何度も問われており、アメジストが内心では辟易しながらも状況を真摯に伝えるとイロウルは唐突に話題を変える。
「……殆ど断定されているような状況ですが、陛下の直参として動ける状態であればすぐに処断されるような事は無いかと」
「――――10日後を目安に、アメジストの御父上との面会の予定を組んで。私は術法研究所に籠るから、不測の事態があった時の連絡はそちらに」
そう言い残し、アメジストが追い留める間もなく風のように去ってしまったイロウルを前に、魔術師は途方に暮れてしまった。
それが返せるあてもない程の献身の始まりであったというのはイロウルの示した日に判明したのだが――その過分な善意に応える機会に恵まれないまま彼女が手の届かない場所に行ってしまった事で、魔術師は生涯悔やみ続ける事になる。
「――――」
そうして訪れた面会当日、イロウルは人間の胴体程の大きさのある箱を2つ引っ提げながらノール家の門前に現れた。
アメジストが家の指針に背いて不貞を働いた事は薄々感じ取られており、元々針の筵に近かった状況でイロウル――貴族派内では伝承派の重役と考えられていた――を呼び込む旨を家長である父に伝えた後の家の雰囲気はナゼールに在るという氷の山よりも冷たかったと彼女は感じており、応接室の空気があれ程に張り詰めたのはノール家が始まって以来の事だっただろう。
「お目通りを許して頂き、ありがとうございます」
そんな中で家長に礼を送ったイロウルは左手に持っていた箱を差し出し――執事を経由して渡されたその中身を改めた時の父の顔を、アメジストは生涯忘れる事が出来なかった。
彼女が挨拶として献上したのは人の頭ほどの大きさをした巨大な竜魔石であり、アメジストと同じ魔術師である父がその価値を知らない筈がなく、あの厳粛な父が言葉は元より感情すら失念してしまうのは必然であった。
「…………金で解決しようなど、我が家を甘く見――」
「……? そちらはアメジストのご懐妊のお祝いの品ですが?」
巧く扱えば子爵位ぐらいは買える程の竜魔石から意識を現実に戻した父は、その意味を誤解して激高しようとするもののイロウルは献上したそれを『なんでもない手土産』と言い表す事でその出鼻を叩き落す。
「……一族の為に尽くし、家の為に子を生み育てるのが女の使命。それを否定する心算はありませんが――だからと言って、オライオンという帝国随一の戦士の血を拒むのは聡明な判断とは言えないのではありませんか?」
「――――」
そこから始まったのは感情を排した交渉であり、当事者でありながらも口を挟める力も立場もないアメジストは傍観者としてその場に立っている事しか出来なかった。
「生まれも育ちも判らぬオライオンが信用出来ないというのなら、私めが彼の母となり――ノール家の権威を害を成すような行動を取ったのであれば、私めの手で彼を処罰し、私めの血と力を以その咎を雪ぎましょう」
最後にそう言い切ったイロウルは上位の貴族に見合いを申し込む臣下のように頭を伏せ、爵位の類こそ持たぬものの充分過ぎる程の政治力と暴力を持つ彼女がそこまで骨を折る事に父は困惑したような顔を見せる。
「――何故、そこまでする?」
父とイロウルの関係は政敵に等しく、貴族派の重鎮としての尺度しか持たぬ父が答えを出せぬ中、イロウルは顔を伏せたまま「友人の幸せを願わない人間が居るのでしょうか?」と彼女の中の『当たり前』を返された事で呆気に取られた父の顔は、娘であるアメジストですら初めて見た表情であった。
「……派閥や家中の意向を無視し、父として娘を祝福する事が出来ない現実も存じておりますので――その懐柔や交渉の材料に、此方をお使いくだされば」
その沈黙を好機と見て、最適な状況で顔を上げたイロウルは床に伏した時に脇に置いていたもう1つの箱を差し出す。
先の竜魔石と同じ流れで父の元に届けられた箱の中身は巨大な透明の魔石であり、一時『ソレ』がなんであるかを理解出来なかった父であったが――その真価を正しく理解出来た時の狼狽たるや見ている方が気を揉んでしまう程であり、かく言うアメジスト自身もひどい顔をしていたのだろう。
「……貴女はいったい何がしたいのだ? 我々の流儀にも理解があるのなら、こんな手間を掛けずともアメジストを引き入れる事など造作もないだろう?」
皇族やフィーニ家が家宝として扱っても良いような品を惜しげもなく献上するイロウルを前に、父は動揺を隠すように問いを向ける。
父の言うように『血と花束事件』を引き起こしたイロウルが力を振るえば衰退した貴族派の娘1人を伝承派に引き込む事など容易く、彼女単体であっても手が付けられないというのに皇帝の寵愛も受けている身となればその動きを止める事など出来よう筈もないのが今の貴族派の実情となる。
そんな状況に対し、直参として名が売れているとは言えアメジストの立場はノール家の駒の1つであり、失った所で貴族派の面子に更なる傷が付くだけの存在である彼女に対し、イロウルは今の世界には2つと無い巨大な魔石を供じようとしており――。
それはイロウルが属している伝承派に対する利敵行為のようにも見えた。
「自分の娘よりも家の安定に重きを置く思考は理解出来ますが――自分が育てた子供の幸せを祝福したいであろう父親を助けたいと思う事は間違っていますか?」
しかし、そんな貴族の理論に向けられたのは酷く単純な問いであり、それに言葉を失ったノール家の沈黙は長く――その何とも滑稽な静寂の中、アメジストは今更のように自分が惹かれているイロウルの一端を思考の隅に過らせていた。
「(そうでしたわね……。この人は、基本的にはとても聡明ですが――時折、爬虫類のような単純な反応を示す人でしたわね)」
アメジストがその思い出に目を瞑った後にも続いた長い沈黙の後、「…………委細承知した。オライオン・ベルフェジールが、当家と縁を結べる幸運に感謝する」とノール家当主である父が宣言した事でアメジストの問題は解消し、アメジストとオライオンは憚られる事なく会う事が出来るようになり、宮殿内でも噂される程の仲睦まじい夫婦として名を遺す事となった。
「もう、50年も前の話だけれど――それが我が家の始まりよ」
先日裳着を終え、術法の修練を本格化させたばかりの曾孫を前にした老婆は伝えるべき志の前置きとして、自分達の血の歴史を語る。
「――――」
そして、思い出話から想起されたのは波乱に溢れながらも充実した日々の記憶であり、自由過ぎるビーバー様の後に残った政局の混乱や足掻く貴族派の行動に邪魔されて遅々として進まぬ術法研究に悩む日々などの苦難もあったが――。
それでも途切れぬ事の無かった戦友達との縁や纏める事の出来た研究成果を鑑みれば、老婆の人生は良きものであったのだろう。
「積み重ねた知識と技術を維持し、更に発展させる事が本家を含めた宮廷魔術師に連なる家の義務であり――貴女は貴女の幸せを求める自由もありますが、この責務を忘れてはいけませんわ」
そう語りはしたものの、イロウルの慈悲と本家の温情によって生かされた身としては耳の痛い話ではあるが、この50年で時世は確実に変化しており、能力と実績を重ねれば愛する者を選ぶ自由が手に入る時代となっているのを肌で感じていた。
同時に、貪欲に成果を求める時代の潮流は確かな結果を表しており、立場としては分家ではあるものの偉大な祖であるエメラルド様の血が成せる才能は老婆の家系にも確かに引き継がれており、事実として大成した孫は本家の人間を押し退けて当代の宮廷魔術師の座を勝ち取っている。
「あと、術法とは関係のない話となりますが――バレンヌ帝国が大きな変化を迎える時代に姿を見せる特異な魔術師……『次の時』も『イロウル・ベルフェジール』を名乗っているとは限りませんが、彼女やその後継を名乗る一族は皇帝陛下の支えとなる大きな力を持った存在であり――陛下とあの方の間に立って仲を深める事が帝国の……延いてはノール家に連なる者達を大きく発展させる要因である事を伝えていきなさい」
当事者としてビーバー様と共に歩んだ頃には実感が生まれなかった話であったが、齢を経た事でジェラール帝の時代にも理解が及べば、帝国やノール家に連なる者が『イロウル・ベルフェジール』と仲を深める事が出来たのは彼女からの働き掛けによる所が大きく、次に現れる『彼女』を蔑ろにする事は今までの善意を無下にする事となり、それだけは絶対に避けなければならない。
しかし、その力に縋ろうとして『イロウル・ベルフェジ―ル』を追い続けた貴族派の一派が何の成果も得られずに擦り潰れた末路も聞き及んでおり、あくまでも共に歩む事で高め合える存在である事が彼女の望む形であり、老婆は逃げに入った『彼女』を追う事は自らの破滅に繋がる事も言い伝えさせる。
「――大婆様、あまり長く話されますと、お身体に障ります」
「…………もう老い先短い身ですもの。貴女に多くの事を残す方が、重要ですわ」
「貴女の母からも聴かされているでしょうが、私が残す魔導書も含め、これからの貴女が描く未来も記し続ける事で『私達』の術法技術を後世に残し続けなさい」
老婆が生涯に渡って研究した天術の集大成は既に孫へと渡しており、あの子が書き加えた魔導書も巡り廻ってこの曾孫へと渡り――この子へと受け継がれた知識と熱情はその先の子孫や写本を読んだ誰かを介して次の『イロウル・ベルフェジール』の目に届く事だろう。
「――とはいえ……今日は限界ね。この老骨の話もきちんと己の技術の糧とし、帝国と自らの発展に尽くしなさい」
まだ幼さの残る曾孫には退屈な話だったかもしれないが老婆にとっては輝かしい記憶であり、その熱を帯びた思考を覚ますように区切りを入れれば窓の外が闇に染まっているのが見て取れ、流石に話し過ぎたと自重した老婆は曾孫に退室を促すと彼女はまだ拙さの残る
「…………ふぅ」
そんな愛しい曾孫の背中を見送った老婆は、あの子には深く語らなかった恩人との最後の思い出を脳裏に過らせる。
ビーバー様と共にカンバーランドに渡ったイロウルであったが、当時の老婆を人質のように使った貴族派の策略によってビーバー様やゲオルグ殿達の子供達の教育係をしていた彼女はアバロンへと引き戻されてしまった。
そうしてバレンヌ帝国中枢に引き戻された彼女であったが、老婆の助命を約束させた後に南方への視察を強く志願し――ルドン高原に入ってから10年近く消息不明となった事でバレンヌ帝国の記録においてはそこで死亡したとされている。
かの地の調査は『ルドン送り』とも呼ばれる懲罰にも近しい命令とされており、経緯はどうであれビーバー様の覇道を支えた恩人を死に追いやったという風評は弱体化の一途を辿っていた貴族派を表舞台から消す決定打となったとされているが、家と血で縛らなくとも志が受け継がれる『伝承法』が生まれた時点で貴族派の未来は断たれたのだと老婆は考えていた。
同時にイロウルと共に激動を駆け抜けた元皇帝一行は「あのイロウルがあの程度で死ぬ筈が無い」という共通認識を持っており、かれこれ40年近く姿を見ていないものの、夫や友人も最期まで彼女の生存を疑ってはいなかった。
「それはそうなのでしょうが……」
「(存外近くにいらっしゃるのでしょうね)」と、老婆は心の中で続ける。
代替わりして隠居されているかもしれないし、孫が提唱し、今も尚研究しているような人知を超える長命種であり、あの時の姿のまま市井に紛れ、華やかさを増していくアバロンを眺めているのかもしれない。
「……人の傍に居るのが、好きな方でしたからね」
逃げたイロウルを追ってはいけないと曾孫に言い含めたものの、この命を終える前にもう一度だけ会いたいと願いながら老婆は目を瞑る。
「――――?」
そうして眠りへと至る中――ふと身に覚えのある魔力が私室に広がったのを察した老婆は、ゆっくりと閉じていた瞼を開く。
その先には質素な天蓋と見知った私室の天井が見えたものの――夜中であるというのに淡く光を帯びている事に気付いて身を起こしたのと同時に、『老婆の私室』にだけノックの音が静かに響く。
「――こんばんは、アメジスト」
灰色の髪、同じ色の瞳に、帝国ではあまり見ない意匠を施された赤い外套を纏った長身の女性。
その姿は老婆の記憶の中に在り続けた命の恩人であり、その術理を焼く事で老婆の人生の全てを天術研究へと邁進させる切っ掛けとなった女性は、最後に見た時のままの姿で静かに手を振る。
「……あぁ、貴女様はやはり――」
この瞬間が夢でない事を願いながら、老婆は――。
ベルフェジールが力尽くでアメジストを引き込まなかった理由は、「02-03聖騎士」で彼女自身が言っている通りとなります。
ベルフェジールが人間であれば安易に踏み潰したでしょうが、百年や二百年先に同じ事をされる可能性を考えてしまう竜はその口実を相手に与えない事に全力を尽くします。
――話は変わりますが、02シリーズを最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。
次は03シリーズとなりますが――04シリーズの方が下書きの厚みがある状態であり、再開は少々時間がかかるかもしれません。
(地味な話を全部押し付けるので、出てくる皇帝も2世代ですし)
気長に待っていただければ幸いです。
別記:
上記とは別に、先人に倣った1話を予定未定で1発のみ投稿します。