01-04 そして、始まる。
Ver1.0
この世界に流れ着いてから20年近くの時が流れた。
世界を知り、習慣に馴染み、日々を生きる為の娯楽を見つけるまでにそれだけの時間が掛かってしまったものの、その穏やかに過ぎさった年月はイロウル・ベルフェジールの2人にとって心地の良い思い出となっていた。
表層が‘人間(イロウル)’の外見(からだ)である事に変わりはないものの、‘竜(ベルフェジール)’の言う通り本質的な部分は竜の身体に準拠しているのかその身が衰える事はなく、シリウスとウィンドシードを看取ったイロウルはこの世界に居残る為の策を弄じた。
戸籍の管理が確かでないのであれば町から離れてしまうのが手っ取り早い上に確実な『消える手段』であり、共同体から離れてしまえば縁によって生きている普通の人間は生きていけない事を利用すればアバロンに居た『イロウル・ベルフェジール』を死んだ事にするのは簡単だった。
そうしてアバロンを離れたイロウルは東――ソーモンと呼ばれる港町に向かい、流れの剣士として10年近くを過ご事となった。
ソーモンでの生活はアバロンから『イロウル・ベルフェジール』を消す為の腰掛けであり、‘イロウル’としてはそう目新しい事の無い生活であったものの‘ベルフェジール’は港から望める海の景色をたいそう気に入り、朝日が登ってから日が落ちるまで眺めていた時もあった事から妙な噂が立ってしまったものの――。
ここでの主な目的であった経歴の抹消を成した2人(イロウル)は、若々しいままで居る事への噂が立つ前にソーモンを発る事で晴れて自由の身となった。
そうしてソーモン以外のどこにでも行けるようになったイロウルであったが、‘イロウル’が南に向かって見聞を広めたいと思ったのに対して、‘ベルフェジール’がその方向は人の“気配(いろ)”が少ないと渋った事で一悶着があったものの――結果として2人はアバロンに戻って来ていた。
ソーモンは港の喧騒と海の静寂が両立する心地の良い町であったがアバロンと比べてしまえば質素である事に疑いようがなく、人が生きていく上で必ず落とす想い出の残滓に触れていたい‘ベルフェジール’と、‘イロウル’の趣味である豊かな食事――竜の身体を使っている事から量はかなり細くなったが――は豊かな経済があってこそ栄えるものであり、最近では戻る選択こそ正解であったと結論付けていた。
こうしてアバロンへと舞い戻ったイロウルは再び城下に根を張り、シリウスとウィンドシードが居なくなっても存続していた術法組合に属しこそすれども姿を隠し、僅かな痕跡から彼女の技術や居場所を見つけた者の願いを叶える事で身銭を稼ぎながら日々を過ごしていた。
「…………」
そんな生活の中での‘ベルフェジール’のお気に入りはアバロンの端に位置する墓地の一角であり、無口な墓守が面倒くさそうな視線を向けているものの、ソレを気にもしていない彼女は人間が生きた後の残り香を吸い、風に乗ってくる大通りの喧噪を耳に収める事で平穏を楽しんでいた。
「――――」
シリウスとウィンドシードの墓も共同墓地という形でここにあるが、毎日墓参りをしていると知ればシリウスは「贅沢な時間の使い方をしているのぅ」と皮肉り、ウィンドシードは「そんなに時間があるのなら研究をなさぁい」と叱責しただろうか。
イロウルの中で微睡んでいる‘イロウル’の見る夢はまるで本物の幽霊がそこに居るかのような現実味があり、もう会えないと思っていた人間が紡ぐ“情動(いろ)”は‘ベルフェジール’の頬を大いに緩ませ、イロウルにこの世界の理を教えてくれた恩師達の情景に見入るように彼女は目を深く瞑る。
「…………ん?」
そんな幸福の中、最近よく聞く青年の足音を捉えた‘ベルフェジール’は自分の中でうたた寝をしている‘イロウル’を起こしに掛かる。
「――――」
そうしてその相手が十分に近付いた所で閉じていた目を開ければ、小奇麗な装丁を施された本を持つ青年が墓地の入り口に立っていた。
「――イロウル、また講釈をお願いしてもよいだろうか?」
「うん、構わないよ」
彼は少し前に童女の願い――母親の病を治して貰うべく『噂の魔女』を探していた幼子――に付き合う形でイロウルを探し当てた青年であり、あまりにもお人好し過ぎるその言動に興味を持った‘ベルフェジール’は自分がよく居る場所を彼に伝え、その縁から時折話をする仲となっていた。
尚、ジェラールという名前以外の素性は聞いていないものの服装や所作から鑑みるに良家の御曹司の類だろうと‘イロウル’は当たりを付けており、「権力者の側に立つ事から深入りする面倒かもしれない」と‘ベルフェジール’に伝えていたものの、彼女は「面倒になったらアバロンから逃げればいい」と楽観視していた。
『( 今日は――農作物の成長について?)』
ジェラールの“感情(いろ)”と“遠見”の魔術で捉えたの本のタイトルから今日の話題を察した‘ベルフェジール’は起きたばかりの‘イロウル’が確りと目を覚ませるように促しながら状況を共有し、イロウル・ベルフェジールとして全力を尽くせる体勢を整える。
裕福な家の子息である為かジェラールから振られる話題は多岐に渡り、今回の始まりは‘ベルフェジール’の得意分野となりそうであるものの彼女にとってはチンプンカンプンな思想や哲学――と言うよりも生まれ持った概念に従う以外の生き方を語る意味が判らない――の話になる事もあり、彼と話す際には‘イロウル’の助けがまだまだ必要となると竜は考えていた。
「植物の類は水と太陽の光だけで生きるには栄養素が足りない事から土を食っていると思われたが、種から苗木にした植物を引き抜いて残った土の残量を計測してもあまり減っていない事から説明のつかない矛盾があると記されていた。……この件、イロウルならどう考えるだろうか?」
そうして始まった講釈の議題は‘ベルフェジール’が捉えていた本に書かれている『草木は何を食べて成長しているのだろうか?』という疑問に対する意見交換であり、自然に纏わる分野は彼女の得意とする所であった事から多くの提案を挙げる事が出来た。
「土は植物とその周囲の生物の住処であり、植物は光合成で得た栄養を自分以外のソレ等にも与え、同時に自分の周囲にいる生物の死骸や提供物を食って成長しているんだろうね」
元居た世界で同じ疑問に突き当たった事がある‘ベルフェジール’は数年間に渡っていくつかの植物を見続けていた事があり、その一環として“遠見”の魔術を使って至近に在る木々の隅々を見据えた時、その片鱗を垣間見ていた。
「――室内で実験しており、動物の糞などが入り込む術はないとされていたが……」
「世界には目に見えない微生物がいるよ」
「微生物……? 目に見えないような小さな生物が居ると言うのか?」
「“遠見”っていう遠くを見る術で近くを見ると見えるんだけど――見ていてもあんまり楽しくないから、気にしないようにしているかな」
話題に挙げたのは‘イロウル’の記憶にある『けんびきょう』という便利な道具もない世界では知りようもない存在ではあるが、「魔力以外の見えないものが関係しているなら、目に見えないこの生物が何かしているんじゃないの?」と提起した所で、ある程度の納得を得たらしいジェラールは別の話題に移る。
そこからは先は全く別の話となり、やはりと言うべきか話題は‘ベルフェジール’があまり得意ではない分野へと流れていく。
「……城下の方々と触れ合ってはいるものの、どうしても隔意を感じる時がある。――父上の部下が言うように、私達と彼等は共に在りこそすれども、決して解りあえない存在なのだろうか?」
「――――」
幾つか質問の後に本を閉じたジェラールはそう続け、こういう人間の本質を考えようとする質問は‘ベルフェジール’にとって最も苦手なの話であり、同じ人間である‘イロウル’に身体の主導権を渡そうとするも、「(これもベルフェジール様の望んだ事です)」と彼女は相談に乗る以上の事をしてくれない。
「――上流階級人間と庶民の感性に違いが生まれるのは確かだけど……それは、生きている世界が違うのだから当然の事だと思う」
進退窮まった‘ベルフェジール’は、そうしてまだ自信の持てない予測を口にする。
「だけど、形は違えども根本的にはみんな同じでだから、その本質を察する事が出来ているジェラール様の考えは間違っていないと思うよ」
「……同じ、とは?」
「――――貴族であれば失政を繰り返す事で断頭台に送られ、商人であれば顧客の求めを無視し続ければ店を畳む事になり、民草であれば仕事を蔑ろにすると生活の基盤を失って死に至る。――形は違えども終わりが同じなら、その道程も似ている事になるでしょう?」
人間とは、個々の欲望を有しつつも規格的に動く事で自分達の世界を稼働させる特異な生き物である。
それは己の欲望のままに生きる動物とも、規格的に動く事で種を保つ虫の類とも明確に異なる生き方をしている生物であり――個としては弱い方であるのにも関わらず、欲望に忠実でありながら竜すら圧倒する勢力圏を維持出来ているのは情動(ソレ)を律して虫に寄った生き方を出来ているからであり、この認識はそう間違っていないだろうと‘ベルフェジール’は当たりを付けていた。
まぁ、虫に寄った生き方で見惚れる程の“魂(いろ)”を生み出せる筈も無い事から、人間を人間として足らしめている概念は虫と竜の間にあるのだろうとも‘ベルフェジール’は考えていたものの、確定できていないその理を聞かされたジェラールは難しい顔で黙考してしまう。
「――――」
ジェラールから滲み出る“気配(いろ)”から鑑みるに、‘ベルフェジール’の言葉は彼の望むモノでは無かったようだが、『全ての人間が同じであろう』とする考えや『皆で幸せになろう』とする方向を探る事は良いと思うものの、役割が違うモノが同じ事を考える事など土台無理な事であり――
例えるなら、その日暮らしをしても問題にならない市民と同じような事を頂点に立つ者がすればその下に居る全てが割を食う羽目となり、長大な命を持つ竜であれば「そんな頃もあったか」と笑って済まされるが短い命しかない人間からすればその人生全てが潰れてしまう事態となり――それは不幸以外の何物でも無いのだろう。
「…………イロウルがその考えに至った本質はなんだろうか?」
「自らの役目を果たす事。――人間が人間である事の根幹は、此処にあると私は考えているからだよ」
黙考の後に呻くように問われたジェラールの質問に、その答えは既に知っている‘ベルフェジール’は即答する。
統率者である貴族は民の幸福の最大化を計り、広く大きな手を持つ商人はその手で経済を回し、出来る事の少ない市民はその数でもって国を支える。
‘イロウル’から聴いた知識とこれまで見てきた人間の行動を鑑みるに、彼等の生活が上手く回っているのはその状態が維持されている時であり、まだ本質を掴めていないという不安があったものの、目の前に居るジェラールと内に居る‘イロウル’の“色”から自分の考えが人間の認識と近しい考えであると理解した‘ベルフェジール’は、安堵と共に言葉を続ける。
「勿論、役目を果たすだけだと虫と大差ない存在に成り下がるから、趣味や娯楽も大切だけれど……役目を果たす事を止めた時、そいつは虫にも劣る存在に成り下がる。――私はそうであると考えているよ」
「…………」
思っている事を伝えた後に残ったのは町からの喧噪が遠くなる程の沈黙であり、それが少し怖いと思う‘ベルフェジール’であったがジェラールの纏う“気配(いろ)”はそう険しいものではなく、彼女は恐らく間違っていないであろう自分の言葉の応えを待つ。
「――ありがとう、イロウル。有意義な時間だった」
その沈黙は長く続いたものの、‘ベルフェジール’の言葉に折り合いを付けたのであろうジェラールは黙考の後に彼女を見据え、静かに一礼する。
「未来ある若者の一助になったのであれば、幸いかな」
「――――君ほどの知識と術法の腕があれば引く手数多だと思うが、王宮には仕えないのか?」
「奔放で移り気な私に、形式の多い宮仕えは無理だと思うよ?」
「……そうか」
後ろ髪を引かれるように迷っていたジェラールであったが、最後には「――失礼する」と別れの言葉をイロウルに向け、そんな彼に‘ベルフェジール’もまた‘イロウル’から教えられた知識の中にあるカーテシで応じ、背を向けた青年を見送る。
「…………」
その背中が見えなくなった頃、‘ベルフェジール’は自分の内側に意識を向け――。
『(……どうだったと思う)』
試験官に評価を問うようなその言葉に、自分の内に居る‘友人(イロウル)’は気弱が過ぎるソレに苦笑しているような“気配(いろ)”を見せながら「(人間のような受け答えが出来ていたと思いますよ)」と応えてくる。
それがここ最近の2人の在り方であり、混じり合った状態でこの世界に降り立ってから20年近くが経った事による変化でもあった。
この世界に来たばかりの頃は明確に分かれていた2人の意識であったが、イロウル・ベルフェジールという1つの存在の中に2人(?)の人格が在る事はやはり無理があったのか最近では随分と同化が進み――やはりと言うべきか、本来の身体である‘ベルフェジール’が主導的な立ち位置に収まる形で落ち着き、‘イロウル’はその補佐を務めるのが日常となっていた。
この状態を初めて認知した‘イロウル’は『自分が居なくなる』事を危惧し、‘ベルフェジール’だけになっても彼女がこの世界で生きていけるようにと人間の世界であっても主導権を引き受けない事が多くなり――。
『そこまでの事は起こらない』と確信している‘ベルフェジール’であったものの、外界を自由に動ける事への興味は抗い難く――結果としてその方針を承諾してしまった。
そうして、元居た世界においては外界と接する事のない竜の里の奥で大事に育てられていた幼い竜は生まれて初めての自由を得たのだが、竜の常識にあっては『判らない事がある』という現実は恐怖以外の何物でもなく、目の当たりにする何事においても全能力を総動員して当たるような状況に陥っていた。
「(――あのような反応が出来るのでしたら、このまま実践して反応を確かめた方が理解が進むと存じますが)」
『(間違えたら命に関わる事があるから、判らない事を判らないまま応えるのはダメなんだよ?)』
人間とは比べ物にならない程に優れた存在が発したとは思えぬ臆病な対応の連続に‘イロウル’が疑問を投げかけるも‘ベルフェジール’の対応に変化はなく、彼女が混乱の極地に至ってどうしようもない時にのみ‘イロウル’が手を差し伸べるような日々が続いていた。
とは言え、‘ベルフェジール’の視点で見れば進退窮まっていようとも‘イロウル’が問題ないと判断すれば放置され、進退窮まった彼女が地獄を見るのが最近の日常となっていたが――個人がどんな足踏みをしていようとも世界の時間は進んでいく。
最近では『これだけの年数を波風なく生きられた』のだから次の目的である『この世界に来てしまった原因の究明』に移った方が良いのではと考えているものの、此方の進捗は困難を極めていた。
『転移』という事象が未知の現象である事に変わりはなく、この世界に馴染む片手間で調べた限りでは今の人の世にソレに関わる術もなく、この世界で最大規模の国家であるらしいバレンヌ帝国に無いとなれば人の世では手詰まり感が強い状態となる。
そして、『可能であれば帰りたい』という考えは2人の共通認識であるものの‘ベルフェジール’は広い世界を制約も無く動き回れる今の状況をたいそう気に入っており、‘イロウル’としても諍(いさか)いの類から離れられる今の生活に愛着を覚えており――。
永遠にも等しい寿命を持つ竜にとっての時間は最大の味方であり、自力で開発するなりこの世界の人間が生み出すのを待つ等の手段を選ぶ事も出来る事実が次の行動に移る事を鈍らせていた。
『人間と接する事に飽きたら考えようかな?』
そんな怠惰な思考に幾ばくかの罪悪感を抱きつつも、目に入った才有る者の手助けや自分を探し当てた者の治療で身銭を稼ぎながら市井に溶け込んだイロウル・ベルフェジールは平穏な世界を享受していた。
「(十数年後、またアバロンを出なくてはならなくなった時に観光がてら辺境と言いわれている南方に足を伸ばしてもらい――遺跡という物を探してみましょうか)」
‘イロウル’の思うその青写真は『遺跡には超絶的な術法技術を持った古代人の遺物がある』という町のどこかで聞いた与太話から着想を得た未来絵図であるものの長い時間を持つ‘ベルフェジール’にとっては無駄足も苦ではなく、そんな長命種特有の気楽過ぎる思考に毒されつつある彼女はそれを見越した気の長い予定を立てるも――。
20年近く続いていたその静寂は、唐突に破られる事となる。