さとりとお空の華麗なる夏休み   作:おボロのやかん

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第拾話:古明地さとりと霊烏路空はお腹いっぱいお寿司を食べる

「いつも孫がお世話になっております」

 寿司の半分は瞬く間に消えた。

 長田(おさだ)婦人がいう。

「引っ越してきたばかりの四月には全然元気がなくて,口もきけなくて本当にどうしようかと思っていたんです。でも夏が始まってあの塾に通うようになったずいぶん変わりまして……」

「うるせえよ,ばあちゃん」小野寺はいう。

「最初,孫は食事の時ですら口を聞かなかったんですが……人間変るものですね。今では口を開けばあなたたちの事ばかりいっています。いや,感謝してもしきれません」

 長田老人がいう。

「うるせえよ,じいちゃん」小野寺はあぐらを解くと、立ち上がった。

「もう腹いっぱい。ごちそうさま」

 小野寺はそういい,仏間を後にした。

 寿司はまだ四分の一残っている。

「ちょっと待って。りょーちゃん」婦人が立ち上がり,小野寺のあとをおう。

 ふたりが行ってしまうと長田老人はつぶやいた。

「このまま学校に行ってくれるといいんですが……」

 さとりと空も無言で寿司をつまんでいる。

 しばらくすると長田婦人が戻って来た。

「りょーちゃん。ああ,見えても苦労しているんですよ」

 婦人は続ける。

「りょーちゃん,昔はあんな引っ込み思案じゃなかったんです。どちらかといえば,いえ祖父母のひいき目かもしれませんが,明るい性格の子だったんです。でも関東から関西に引っ越してすべてが変ってしまった」

「なにがあったんですか?」さとりの牽制じみた目線を無視し,空がたずねる。

「学校でツラいことがあったんですよ。ほら,中学生って難しい時期じゃないですか? しかも関東から関西の引っ越しとなると……水が合わなかったんでしょうね」

「水……ねえ」

 さとりはひとつの疑問を口にする。

「公立の中学校だったんですか?」

「ええ,そうと聞いています」

「私立に行けばよかったのに」

「まあ,それはそうなんでしょうけど,りょーちゃんのパパの会社の事業の統廃合に伴う急な転勤とかなんとかで,半年も準備の期間が与えられず,社宅を追い出されるように引っ越しさせられたんです」

 婦人は膝の上に置いた手を持ち上げ,親指で両の目尻を払った。

「だから東京の男に嫁にやるのは反対だったんだ。地元の役人にでも嫁がせれば良かったんだ」長田老人が語気を強めた。

「まあまあ,あなた」婦人は令和時代には珍しい昭和気質の夫をなだめる。「娘が選んだひとですよ。仕方ないじゃないですか」

 そしてもう一度,今度は自分にいい聞かせるようにいった。

「仕方がないじゃないですか……」

「そう仕方ないことよ……子どもはいつだって親の事情に振り回されるもんよ。子どもは親を選べない」さとりはいう。

「そういわれると身もふたもないですけど……」婦人がこたえる。

 

 その後,気まずい空気の中ぎこちない雑談少しだけして,さとりたちは長田家を後にした。

 お寿司は少し余った。

 夜食に――と婦人は残ったお寿司を箱詰めにしてくれた。

「やっぱり持つべきものは金よね」

 さとりは隣家同士を結ぶ五十歩ほどの夜道を歩きながらいった。

「そこは持つべきものは『友』じゃないんですか?」空が聞き返す。

「うん? まあ,そうかもしれないけれどやっぱり友も知り合いも金次第よ。いや,友達料を払って友達続けろっていうわけじゃないわよ。でも,たまには歓待して友達とか知り合いに気分良くなってもらうのも長く関係を続けるコツじゃない?」

「うーん」それは空はアゴに人差し指をあてていった。ふたりは借家の門をくぐる。

「それって私がさとりさまに付け届けしなくちゃいけないってことですか?」

 さとりは声を上げて笑った。

「違うわよ。ペットを管理するのは主の仕事。お空に物をあげるのは私。間違ってもあなたの拾ってきたビールの王冠なんて欲しくないからね」

「そ,そうですか? ビールの王冠っていろいろデザインがあって集めるの,結構楽しいんですよ」

 

 借家に戻った空がお土産のいなりずしを食べながらいう。

「小野寺くんが学校にいけるようになるためには何が必要でしょうか?」

漢気(おとこぎ)よ」

 さとりは短くこたえ,カッパ巻きをつまんだ。

「あと,恥を恐れぬ蛮勇さ。分別のある勇気じゃなくて」

「漢気と蛮勇ですか……」

「私には両方ないものよ」さとりは堂々という。

 空が笑った。

「そんなことないですよ」

「だからこそ,どうすれば涵養(かんよう)できるかわかるの」

 さとりは上着のすそをまくり上げ,服の下に隠していたものを出した。

 ゲーム機のケースだった。

「トイレに中座するフリして,小野寺の部屋から借りてきたの。かわりに書き置きを残してきたわ。『お前のゲーム機は預かった。返してほしくば明日の日没後に八坂神社の本殿の鈴を鳴らせ。妖怪S.K.』って」

「ただの嫌がらせじゃないですか」

「肝試しよ。漢気を育てるのにはこれがいちばん。さ,お空。今から,こいつを八坂神社の鈴に結び付けてきて。揺らしたらすぐ落ちるように工夫して」

「え~,やですよ。私,鳥目なんですよ。夜は全然見えないんです」

「じゃ,明日でいいや」

 

 翌日,夕日が西の山に半分隠れたころ,小野寺がさとりの借家にやってきた。

「古明地さあ,イタズラしたのお前だろ」

 玄関に立ったさとりに小野寺は書置きを突きつけた。

「よくわかったわね」さとりは全く悪びれない。

「返せよ,俺のSwitch」

「返すも何も私,もう持ってないわ」さとりはおおげさに肩をすくめてみせた。「取り返したかったら脅迫状の通りに神社に行きなさい」

 さとりは小野寺の背が背にしている空を見つめながらいった。

 世界はすでに夜に染まりつつあった。

逢魔(おうま)が時ね。肝試しにはいい時間よ。人の時間は終わり,代わりに魑魅魍魎(ちみもうりょう)が支配する時間が始まるわ」

 さとりの声に呼応するかのように庭の外灯が瞬いた。

 古びた蛍光灯は低い羽虫のような低周波をまき散らしながら,黄色く汚れた光を放っている。

 庇の影がさとりの顔に伸び,上半分を影に染めた。

 さとりは薄桃色のくちびるを弓なりに曲げ,(わら)った。

 刹那(せつな)――小野寺は尋常ならざる怪異を目の当たりにしたかのように――凍り付いた。

 影に喰われたさとりの顔の上半分,双眸(そうぼう)だけが鮮血のようなぎらぎらとした朱い光を発している。

 小野寺はかすかにうめき声を発しながら,ぎこちなくさとりに背を向けた。

 さとりは小野寺の恐怖を,ふたつの目で確かに見取った。

 

「分かった。取りに行けばいいんだろ。中学生にもなって……中学生にもなって夜の……夜の神社が怖いはずがないんだ」

 さとりの瞳から逃れるように背を向けた小野寺は,半ば自分にいい聞かせるようにいった。

「そう,今は科学の時代。夜は怖くはないわ」

 小野寺は肩を丸め,とぼとぼとさとりの借家の門を出て行った。

「こっそり後をつけましょ,お空」すぐさまさとりは空を呼んだ。

「もちろんです,さとりさま。そうこなくちゃ」

 

 さとりたちは鳥居の所で立ち止まった。あたりは闇に包まれていた。

 鳥居から境内へと伸びるこんもりとした木々のアーチの先からはぱたぱたという弾むような音が聞こえる。

 参道を駆けあがっていく小野寺の足音だった。

「ここで彼が戻ってくるのを待ちましょう」

「ええ」

 西に沈んだ日に変わり,東の空に月が昇る。

 白き月光が一面に銀化粧をほどこす。

 昼間のセミに変わって,コオロギが合奏を始めた。夏の終わりは近い。

「お空,ちゃんと仕掛けは(ほどこ)したわよね」

「ばっちりです。今回は忘れませんでした。でもゲーム機ってあんなに軽かったかな……?」

「し!」

 さとりは人差し指を口の前に立てる。

 鳥居のわきの茂みがごそごそ鳴った。

「なに? あの少年,夜の神社は怖くないって大見得切ったのに戻ってきたの?」

「違うみたいですよ」空が耳打ちする。

「茂みのごそごそは人じゃなくて……」

 茂みから二本の小さなバナナがのぞいた。

「ケモノですよ。イノシシです」

 にゅっ,とブタ鼻が茂みからのぞいた

 空は羽ばたき舞い上がり、さとりを残して鳥居の笠木の上に止まる。

「ちょ,ちょっとまってお空。なに逃げってんの。貴方が追い払って」

 さとりが叫ぶ。

 ブタ鼻に続き丸い頭,そして四つ足のずんぐりとした体躯(たいく)が見えた。

 バナナに見えたのは,イノシシの白い牙だった。

「いやですよ。私,イノシシと戦えるほど強くありません」

「ウソつけ」

 縄張りで騒ぎ立てるふたりにイラだったのだろうか,イノシシが,ぐう,と唸り声を上げた。

「ぐ~,ですって,ぐ~。きっと,おなかが空いているんですよ,さとりさま」

「違うわよ。突進前の威嚇(いかく)よ」

 イノシシは前脚で地面をかいた。突撃はもはや時間の問題であった。

「さとりさま,ぴ~んち」お空が気楽に笠木の上からさとりに声をかける。

「なにのんびりしてるのよ。ペットでしょ。私を助けて」

「ペットからもらうものは何にもないっていったのはさとりさまでしょ」

「前言撤回。ペットは身を呈して(あるじ)を守りな……」

 イノシシが突進を開始した。狙いはもちろんさとりだ。

 空は鳥居の上で眉尻を下げ,困っている。だが,それはフリだ。お空の口元に笑みが浮かんでいるのをさとりは見逃さない。

「こ、この……薄情(はくじょう)者のカラス妖怪!」

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