さとりとお空の華麗なる夏休み   作:おボロのやかん

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第拾壱話:

 突進するイノシシの牙が,さとりのおしりに突き刺さる瞬間――

 さとりは思い切りジャンプして,短い手足を駆使し鳥居の柱にしがみついた。

 イノシシの牙が空を切る。

「服が汚れちゃうじゃない」

 勢いのままイノシシは鳥居を横切り,向こう側の茂みの前で止まった。

 Uターンし,鳥居の足元に歩いてくる。

 イノシシはさとりが抱き着いた鳥居の足元で,ぶひぶひと威嚇しはじめた。

「ちょっと,お空。こいつを追い払って」

「いいんですか? 人里で私の力を解放して。19XX年,地球は核の炎に包まれた――のナレーション通りになっちゃいますよ」

「加減を知りなさい,加減を」

「さとりさま,知ってます? 核反応ってある程度のエネルギーを集約しないと始まらないんですよ。だから放出されるエネルギーもある程度まとまった量になっちゃうんですよ」

「そのくらい私でも知ってるわ。このカラス妖怪!」

 叫ぶさとりを無視し,イノシシはこともあろうに鼻で鳥居を押し始めた。

「この罰当たりなケモノめ」さとりは叫んだ。

 野生の力を受けて,鳥居全体が振動を始める。

「鳥居にぶらさった妖怪がいうことじゃないと思います」

 空が上から冷静にツッコむ。

「笠木の上に止まった妖怪にいわれたくはないわ」

「私は元が鳥だからいいんですよ。鳥は鳥居に止まるものですから」

「この薄情もの~」

 

 しゃらり

 その時,鈴が鳴った。

 ふたりは口を閉じる。

 しゃらり

 ふたたび鈴が鳴る。

「小野寺ね。境内の社にたどり着いたんだわ」

 さとりは柱にしがみつきながらいった。

 威嚇(いかく)の声が止んだ。

 鈴の音を聞き,イノシシは平静さを取り戻したようだった。

 しずしずと茂みの向こうに去っていく。

 

 イノシシが去った後もしばらくさとりと空は鳥居の上にいた。

 なんとなくイノシシが戻ってくる気配がしていた。

 木の葉を踏みしめる,かさりという音がした。

 さとりが弾かれたように音の方を見る。

「あんたら,何してんの? 楽しい?」

 音の主は小野寺だった。

 鈴を鳴らしゲーム機のケースを確保した小野寺が,参道を降りて来たのだ。

 少年の肌を照らす白い月光が,彼の顔の血色の悪さを際立たせている。

「楽しくはないわ。イノシシを避けるため仕方なかったの」

 さとりはそういいずるずると鳥居の柱から滑り落ちた。

 笠木の上の空はひらりと地面に降りた。

「行っとくけど鳥居の柱は地面に埋まってないよ。遊んでて倒れても自己責任だよ」

「わかってるわよ。でも緊急事態だったの」

「なにが起こったかは知らないけど」

 少年はゲーム機のケースを振ってみせた。軽い音が鳴る。

「神社の鈴に引っかかってたのはケースだけだよね。中身,返して」

 さとりはいった。

「壊れるとヤバいから吊るすのはケースだけにしたの。ケースだけなら千円もしないでしょ」

「そうだけど……」

「中身はウチの押し入れにしまってあるわ。貴方の勇気に免じて返してあげる。ついてきて」

 さとりたちは月の光の中,帰路についた。

 

 長田家の門の前につくと,小野寺はいった。

「ちょっとここで待ってて」

 そういうと走って家に戻っていった。

「なにかしら」長田家の門の前でさとりは空に聞く。

「なんでしょうね」

 いい終わらない内に小野寺は戻って来た。

 白いビニール袋を手にしている。

「おまたせ」

「それ,なに?」さとりは言葉短く聞く。

「花火」小野寺はこたえた。

「もう中三だってのに,さ。おばあちゃんが買ってきてんだ。捨てるのももったいないから,今日使っちゃおうと思って」

「わあ,花火。素敵」空の声が半オクターブ高くなる。

「なんで私が貴方のわがままに付き合わなくちゃならないの?」対照的にさとりは声を低くする。

「おれだって古明地の茶番に付き合ったんだ。少しくらいはおれのわがままに付き合ってくれてもいいだろ」

「蚊に刺されない?」さとりが聞く。

「そういうと思って蚊取り線香も持ってきた」

「小野寺にしちゃ,気が利くじゃない」

 さとりは鼻を鳴らす。

 小野寺は庭の一本の外灯を頼りに井戸水を洗面器に張り,花火の準備をする。

「古明地,火!」

 小野寺は箱マッチをさとりに手渡した。

 さとりはマッチを押し返す。

「自分でやりなさい」

 小野寺はしばしば箱マッチを見ていたが,中からマッチ棒を取り出し,たどたどしい手つきでツクシのようなマッチ棒の頭を箱の側面にこすりつけた。

 軽い音がしてマッチがぽっきり折れた。

 さとりは首を振る。

「ダメねえ。貸してみんしゃい。少し力を入れて表面を押し込むようになでるだけでいいの」

 さとりは慣れた手つきでマッチ棒に火をつけると,ローソク,続いて蚊取り線香に火を移した。

「古明地ってさあ,小学生みたいな見た目だけど,ババ臭いよね」小野寺がいう。

「うっさいわよ」

 

 さとりたちは手持ち花火を楽しんだ。

 瞬くに花火は枯れた。

 あたりには硝煙と蚊取り線香が混じり合った奇妙なにおいが漂っていた。

「帰るわ」さとりがいう

「いえ」空が背中からなにか取り出した。

「まだ花火はありますよ」

 空の手には細いひものような花火が握られている。

「お空……」さとりがいった。「線香花火,隠してたのね」

「はい」空は悪びれずにうなずく。「夏の花火の〆は線香花火って決まってますから」

「六本あるわね」さとりが花火の本数を数えながらいう。「ひとり二本ずつね」

 小野寺は火の消えたローソクに目線を投げた。

「火……消しちゃった」

 さとりはマッチ箱を差し出した。

「貴方がつけなさい」

 小野寺は渋々マッチ箱を手に取ると,マッチを擦った。

 マッチ棒がまた折れた。

「まだあるわ。落ち着いて。肩の力を抜いて。箱の側面に先端を押し付けるように」

 小野寺は再びマッチを擦った。

 しゅっ,という音ともにマッチ棒に火がついた。

「できた」

 小野寺は弾む声でそういい,赤々と燃えるマッチ棒の先端を見つめた。

 音もなく炎は燃える。

 マッチの火は化粧でも塗りたくたかのように少年の白いほおを桃色に染めた。

 小野寺はその火の中に何を見たのだろうか。

 暖炉? ご馳走? それともクリスマスツリー?

 まさか――マッチ売りの少女でもあるまいに。

 さとりは薄ら笑いを浮かべた。

「はやくローソクに火を移しなさい。指が焦げるわ」

 さとりは注意した。

 小野寺は夢から()めたようにはっと顔を上げ,地べたに立てたローソクに火をつけた。

 移した後でも,小野寺は自分で起こしたマッチの炎をまだ見つめている。

「火傷するわよ」

 指に熱を感じたのか,小野寺は顔を一瞬ゆがめ,短くなったマッチを水のはった洗面器に投げ捨てた。

 

「じゃ,いきますよ」

 空が線香花火に火をつけた。

 線香花火の先端は朱くふくらみ,糸くずのような火花を放った。

「いいですね。線香花火って」

 空の黄昏 (たそがれ)色の瞳に線香花火の光が映った。

「夏の終わりって気がして……」

 空は続ける。

「さとりさま,ローソク時計って知ってます」

「ローソクの燃える速度で時間を計るやつね。前科学時代の遺物ね」

「さすがさとりさま。物知りです」

 線香花火の先端の球がぼとりと地面に落ちた。

 続けて,空はもう一本の花火に火をつけた。

 線香花火が頼りない火花を散らす。

「この花火も時計です。この炎が落ちるたび,後戻りできない夏の日々が一歩ずつ進んでいく,そんな感じがします」

 花火は音もたてず炎を発し,消えた。

「終わっちゃいました」

 空は燃え終わった花火の先の闇を見つめていた。

 親指の腹で目尻を触る。

「なんだか悲しくなっちゃいますね。悪いことはなにもないのに」

 空はうつむき,目を落とした。

「今日の想い出も忘れちゃうのかな? 私……本当に鳥頭だから全然想い出が残らない」

「残したいの,想い出?」さとりがたずねる。

「もちろんですよ」空が大きくうなずく。

「大丈夫。私が覚えているから。必要になったらいつだって今日のことが話せる」

「そうやって私は,私の体験したことを初めて聞く物語として聞くんですね」

 空はまた,うつむいた。

 

「いいかい?」

 今度は小野寺が線香花火に火をつけた。

 ぱちぱちと()ぜる火の玉を見つめる。

「こいつを見ていると,なぜおれが引きこもらなくちゃいけないのか不思議に思うよ」

「じゃあ,引きこもりやめれば」さとりはいう。

「気楽にいってくれるね」

「他人事だからね。気楽なもんよ」

 さとりは続ける。

「なんかあったの?」

「色々あったよ,色々。我慢するのが難しいことが,ね」

 小野寺は絞り出すようにいう。

「そう……」さとりはいう。

「正直,親を恨んだ。いや,今でも恨んでる。おれを地獄の(おり)にぶち込んでおいて……涼しい顔している」

「表情で示さなかっただけかもよ。本音はどうかわからないわ。人間はね,本当に困ったことがあるとどういう顔をしたらいいのかわからなくなるのよ」

「どうだか……」

「ところで,あんた阪神ファン?」さとりは聞く。

 小野寺はじろりとさとりの顔を見た。

「ヤクルトファンだよ」

「関西では肩身が狭かったでしょうね」

「よくわかったね。古明地が想像する以上に,気まずかったよ。ま,なにがあったかはあえて口にはしないけど」

「賢明ね。自分の不幸を笑いものにされちゃたまったもんじゃないものね」

 小野寺はさとりの軽口を無視し続ける。

「中一の夏までは学校に通えたけど,夏休み明け家を出るまではなんともなかったのに,玄関を出たら急に腹がいたくなって,そのままトイレにこもっていたらいつの間にか九時になっていた。もうそれから先は全然ダメ。玄関から一歩出るだけで腹が痛くなった」

「トラウマねえ」さとりはいった。

「そう,トラウマ」小野寺はオウム返しに繰り返した。

「記憶があるのも考え物ね」さとりがいう。

 小野寺の線香花火はとっくに燃え尽きていた。

「学校に通うのが大変っていうわりには夏期講習,通えてたじゃない」さとりはいった。

「あれは学校じゃない。それに,なんかあんたたちが面白そうだったから」

「そりゃ良かった」さとりは続ける。

「ここの中学には通えそう?」

 小野寺はうつむき,黙った。

 その隙にさとりは線香花火を二本燃やした。

 さとりの二本目の線香花火の赤い玉が燃え尽き,ぽとりと落ちたのを見てから小野寺はようやく口を開いた。

「面白いやつがいれば……」

 ふふふ,さとりが笑った。

 だしぬけに縁側の引き戸ががらりと開いた。

 長田婦人が顔を出す。

「りょーちゃん,西瓜(スイカ)の用意が……あら,花火をしていらっしゃったの。いってくださればよかったのに。うちで取れた西瓜ですが,あまりおいしくはないと思いますが」

 縁側には西瓜が用意されている。

 さとりたちは縁側に腰を掛け,西瓜を食べた。

 自家製の西瓜は前食べた時と同じように熟している割には水っぽく,冷えていなければとても食べられたものではない代物だった。

 さとりは火の始末をしたあと,借家の押し入れにしまっておいたゲーム機を忘れずに小野寺に返し,別れた。

 

 空は長田家の門を出るなり,さとりに話しかけた。

「ねえ,さとりさま」

「ん?」

 田んぼのカエルの合唱がふたりの会話を邪魔する。

「想い出ってあったほうがいいんでしょうか? 楽しい想い出も永遠に残るけど,つらい想い出とも永遠に付き合わなくちゃいけない」

「わからないわ。たとえ苦い記憶はぼやけたとしても,傷ついた心とは永遠に付き合わなければいけないとも聞くし……もちろん私にとってはあったほうが都合がいいわ。能力が戻ればのぞき見できるからね」

「そりゃ,さとりさまにとってはそうでしょうけど……」

 ふたりは借家の門をくぐり,話はそこで打ち切りになった。

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