さとりとお空の華麗なる夏休み   作:おボロのやかん

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第弐話:パチュリーと早苗

「残機があって助かったわね」

 幻想郷の草原に倒れ込んだ魔理沙の顔をのぞき込みながらさとりがいう。

「クソっ! また抱え落ちしちまったか」魔理沙が服についた葉を払いながら起き上がる。

「せっかくの貴重な(さつ)も全部焦げちまった」

 魔理沙の両手を広げて見せた。手のひらから,灰と化した紙幣の残骸がこぼれ落ちた。

「魔理沙」さとりは胸元の単眼をゆっくり開きながらいった。

第三の目(サードアイ)が機能しないの。貴方にかけられた変な魔法のせいで映る景色は数式ばかり。どうしてくれるの?」

「私には関係ないな。時間が立てば元に戻るよ。じゃあな」

 魔理沙はほうきにまたがり,再び飛び立とうとした。

 さとりは手を一杯に伸ばし,ふたたび魔理沙のスカートのすそをつかんだ。

 魔理沙をほうきから引きずり落した。

「あきらめなさい。私はしつこいわよ。貴方がGAME OVERになるまで私の忠実なるペットたちに追いかけまわすよう命令するわ」

 魔理沙もようやく観念したようだ。

 地面にぺたんと座ったまま、帽子の中から一冊の青い本を取り出す。

「この本の内容を丸暗記しておいたんだ。ちなみに何が書いてあるかはわからん」

「魔理沙でもわからないの? じゃあ,相当難しい本なのね」

 さとりは本の題名を読み上げ,眉をひそめる。

「チャート式基礎からの数学Ⅰ+A……なにこれ。魔法の本?」

 魔理沙は首を横に振った。

「知らん。パチュリーの図書室から借りてきた本の中に紛れ込んでいたんだ」

「なるほど。それじゃあ,紅魔館の司書に聞くのが手っ取り早そうね。魔理沙,私を紅魔館まで運びなさい」

「なんでだよ」

「私をこんな風にした(むく)いよ。それとも核の炎に焼かれたい?」

 さとりはかたわらで,花占いをしている空をちらりと見た。

「わかったよ。連れて行きゃいいんだろ」魔理沙はいう。

「素直でよろしい」

 

 さとりは魔法使いのほうきに乗り,(うつほ)は空を飛び,湖のほとりの紅魔館に急行した。

 塀には巨大な穴が空いていた。

「いちいち美鈴(メイリン)の目を誤魔化すのもめんどくさいからな,マスタースパークで図書室までの近道をぶち開けておいたんだ」

「門番の妖怪に見つかって補修されないといいわね」

「そのときはまた穴を開けるだけさ」

 三人は魔理沙が作った近道を通り,図書室に向かった。

 

「よう,パチュリー。元気か?」

 壁に開いた巨大な穴から紅魔館の図書室に侵入した三人。

 魔理沙は本に目を落としていた司書パチュリーに声をかけた。

「壁に大穴開けられて元気なわけないじゃない」

 パチュリーが顔を上げる。鼻の上にしわを寄せ,迷惑千万という顔をしている。

「お前に借りた本について聞きたいことがあるんだ」

「貴方に本を貸した覚えはないんだけど」

「この本なんだけどさ」魔理沙はパチュリーの抗議を無視し,青本を突きつけた。

「全然わかんないんだ。解説してくれ」

 パチュリーは魔理沙の差し出した本の表紙をちらりと見てつぶやいた。

「……外の世界の受験参考書が紛れ込んでいたみたいね」

 パチュリーは続ける。

「司書は本を探すのが仕事。本の内容を解説するのが仕事じゃないわ」

「そういわずに中を見てくれよ」

 魔理沙はパチュリーの目の前で,青本のぺらぺらをめくってみせた。

「やめて!」

 パチュリーは叫ぶと,目線を机の下に向けた。

「その本を閉じて。そんな変な本見たら,ぜんそくの発作が出ちゃう」

 パチュリーは手を口元に当て、こほこほと(せき)を繰り返す。

 魔理沙は本を閉じる。

 パチュリーは目の端で魔理沙が本を閉じたことを確認したあと,かわいい咳ばらいをひとつし,さとりを見た。

「お困りのようすね,こいしさんのお姉ちゃんの引きこもりさん。地霊殿にはない資料が見たいの?」

「違うわ」さとりがいう。

「でも,なんで私がこいしの姉だってわかったの? 初対面のはずだけど」

「胸元の瞳を見れば想像はつく。でも,なんでそんなことを私に聞くの? 古明地さとりさんならたずねなくても私の心自体を読めるんじゃない」

「どうやらバレバレだったみたいね。私の能力が封印されたってこと」

「封印?」パチュリーが聞く。

 魔理沙が横から口をはさんだ。

「ああ,そうだ。私の心を読んだら急に第三の目(サードアイ)の能力が使えなくなったんだ」

 

 パチュリーは,ほうっとため息をついた。

「いったい何が見えたの? 黒いのが仕出かした数々の悪行でも見えたの?」

「ちがうわ。魔理沙の心をのぞいたら突然,数式がばーっと頭に飛び込んできて,それ以来そいつが頭から離れないの」

「なるほど」パチュリーはポンと手を叩いた。

「それは数学アレルギーかも。実はわたしも数式を見ると咳が出るの。あなた,数学苦手でしょ」

「数字を見ただけで寒気がするわ」

「可能性としては高そうね。医者じゃないから確かなことはいえないけど」

「治すにはどうしたらいい?」さとりは聞く。

「病気の源になるアレルゲンから離れるのが一番だけど,もう取り込んじゃったんでしょ,たっぷりとした数式」

「ええ,魔理沙の罠のせいでね」

「というと……治すなら暴露(ばくろ)療法しかないわ」

「暴露療法って……まさか」さとりは口ごもる。

「そう……その通りよ。考えたくもないけれど。数学嫌いが治るまで徹底的に勉強するほかないわ」

 

 さとりは後ずさりした。

「そんな……そんな恐ろしいこと……ありえないわ」

 顔を覆い,書棚のわきの椅子に座り込む。

「大丈夫か,さとり」魔理沙が一声かける。

「大丈夫じゃないわ。もういいわ。数学を勉強するぐらいなら心が読める程度の能力なんて使えなくてもいいわ」

「落ち着け。能力が戻るか戻らないかは別にして,数学嫌いを克服(こくふく)しない限り,お前の頭にこびりついた数式は離れないぞ」

「そ,そうよね」さとりはぼそりといった。

「勉強しないと,この強烈なトラウマみたいな数式から逃れられないのよね」

 さとりはすべてをあきらめた廃人めいた笑みを浮かべた。

「なあ,パチュリー。幻想郷で数学に強いのはだれだ?」魔理沙が聞く。

「うーん……基本的にはそんな者,存在しないけど。強いてあげれば神奈子さまかな,守矢神社の」

「わかった。早苗の所だな」

 魔理沙は床の上で大の字になり本を顔にかぶせ寝息を立てているカラスの妖怪に声をかけた。

「おい,空。いくぞ」

 空が身を起こした。顔を覆った薄い本がパサリと落ちた。

「にぇ? どこに? どこに行くの?」空がきょろきょろしながら聞く。

「守矢神社だ。お前のご主人さまを治しに行くんだよ」

「にぇにぇ? 治すって……さとりさまは病気なんですか?」空は聞き返す。

「そうだ」

「何の病気ですか?」

「アレルギーだ。神奈子が治療法を知っているらしい。あんたもついてくるか?」魔理沙がこたえる。

「もちろんだよ。ご主人さまのためなら,たとえ火焔(かえん)地獄の中でも,冷却水の中でも,どこにだってお供します」

 空の真紅の瞳に情熱の種火が燃え始めた。

 図書室の温度が上がった。

「どうでもいいけど,さっさとこの妖怪連れ出してくれない。光も熱も本には大敵なの。あと紅魔館の壁をぶち抜くにしても,図書室だけはやめてね」

 パチュリーがいった。

 

 魔理沙は戦意喪失(そうしつ)のさとりをほうきにのせ,守屋神社まで飛んだ。空も後に続く。

 守矢神社の境内には風祝(かぜはふり),東風谷早苗の姿があった。竹ぼうきで玉砂利を掃き清めている。

「おう,早苗。元気か?」魔理沙はほうきの上から,早苗に声をかける。

「私は元気だけど……」早苗は手を休め,こたえた。

「後ろの人は元気じゃないみたい」

 早苗は魔理沙の後ろに乗ったさとりを見ながらいった。

「その人……だれ?」

「人じゃない。地霊殿の引きこもりの妖怪だ」魔理沙とさとりはほうきから降り、玉砂利を踏んだ。

「ああ……古明地こいしさんの姉ね」早苗は一瞬、ほおをぴくつかせた。

「ご名答」魔理沙がいう。

「どうしたの? 顔色がすぐれないようだけど」

 早苗はさとりの顔をのぞき込んだ。

「顔色が優れないのは年中地底にいるせいさ。でも具合が悪いのはアレルギーのせい」

「へえ,妖怪もアレルギーになるんだ。えーりんにいって,抗ヒスタミン剤でも処方してもらえば」

「パチュリーの話だとこの病気に関しては,神奈子の方が詳しいらしい」

「へえ,神奈子様がねえ」

「こいつが原因だ」

 魔理沙は青表紙の本をめくると,早苗の鼻先に突きつけた。

「藪から棒になに?」本をながめていた早苗の顔が,見る見るうちに本の表紙と同じ真っ青になる。

「なにこれ……数学の参考書じゃない」

 口元を押さえよろよろと後ずさると,賽銭箱の後ろの階段にへたり込む。

「どうしたんだよ,早苗。おまえ,昔,高校生じゃなかったのか?」

 魔理沙は早苗の顔をのぞき込んだ。

「いい? 魔理沙。女子高生にとって数学なんて教科は存在しないのよ。数学の時間と書いて内職の時間って読むの」

 早苗は魔理沙にいう。

「だから数学なんて言葉,二度と口にしないで」

「ああ,わかった。()()()()と憶えておくぜ」

 そういいつつも魔理沙は笑った。

 ――うふふふ,早苗の弱点をまたひとつ知ってしまったぜ。

「神奈子様なら社殿にいるわ」

 早苗はこめかみを押さえ,立ち上がった。

「気分が悪いわ。掃除はこれでおしまい。私は社務所で休むわ」

 

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