仮面ライダーシャーマン   作:ボルメテウスさん

111 / 116
英雄の村

 足を踏み出した瞬間、空気の重さが変わった。

 

 大天空寺の土と木の匂いが、背中の向こうへ一気に遠ざかる。代わりに頬を撫でたのは、潮とも土ともつかない、ひどく生ぬるい風だった。視界が一度だけ白く反転し、次に色を取り戻した時、俺は見たこともない海辺の道に立っていた。

 

「……島?」

 

 思わずそう漏らすと、すぐ横で赤い袖が揺れた。

 

「どうやら、そのようじゃな」

 

 サクナヒメが、いつもの小柄な姿のまま、少し不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 その反対側では、ココロワヒメが青い衣の裾を整えながら、静かに目を細めていた。

 

「実体化の濃度が高いですね。こちらでは、わたくしたちも眼魂内部の声ではなく、普通に顕現できるようです」

 

 二人が並んで立っている。

 もうそれだけで、ここがまともな場所じゃないと分かる。

 

 俺は周囲を見回した。低い石垣の向こうに、小さな家々が並んでいる。漁村みたいに見えるのに、どこか変だ。人の営みの匂いはある。洗った布が干され、鍋の湯気が細く上がり、誰かが薪を割る音もする。なのに、景色全体が、少しだけ“現実の一歩外”にずれていた。

 

 道の先から、こちらを見ている老人がいた。

 髭の長いその横顔には、どこか絵巻物や古い教科書で見たような気配がある。さらに奥では、鎧を着た男が子供たちに木刀の持ち方を教え、その隣では細身の学者然とした男が、板に何かを書きつけていた。

 

「……何だ、ここ」

 

 誰にともなく呟く。

 

 ココロワヒメが、少し考えるように間を置いてから口を開いた。

 

「魂の定着が、極めて安定しています。しかも個体ごとの輪郭が、異様なほど鮮明です。普通の霊的残滓ではありません」

 

「もっと分かりやすく言ってくれ」

 

「はい。――ここにいるのは、“誰かだったもの”ではなく、“誰かそのもの”に近い存在です」

 

 背筋がぞくりとした。

 

 その時、坂の上から年配の女が下りてきて、俺たちを見るなり、どこか困ったように笑った。

 

「また外から来たのかい」

 

 声は柔らかい。だが、その“また”が気になった。

 

「ここは……何なんですか」

 

 俺が尋ねると、女は当たり前みたいに答える。

 

「ここは、為した者たちが暮らす村さ。戦を終えた者も、道を作った者も、書を残した者もいる。皆、生きたままではここへは来られない。けれど、想いだけで残るには、ちと濃すぎる連中ばかりでね」

 

 笑っているのに、その言葉は妙に重かった。

 

「つまり、偉人や英雄たちの……」

 

「実体化した集落、という理解で概ね正しいでしょう」

 

 ココロワヒメが補う。

 女はその言い方に首を傾げたが、否定はしなかった。

 

 サクナヒメが腕を組む。

 

「ふん。英雄だの偉人だの、実に肩の凝る場所じゃ。じゃが、悪くはない。少なくとも、目の濁った連中ではなさそうじゃな」

 

 その言葉に、近くにいた髭の老人が小さく笑う。

 見知らぬはずなのに、妙な親しみがあった。いや、親しみというより、“長く誰かを支えてきた者”の落ち着きかもしれない。

 

 村の中へ足を進める。

 すれ違う者たちは皆、どこかで名前を聞いたことがある気配をまとっていた。剣を腰に差したまま畑を見ている男。紙の束を抱えながら井戸端で笑う女。子供に星の見方を教える老人。肩書きで括れば英雄や偉人なのだろうが、ここでの彼らはただ、村人として暮らしているように見えた。

 

 それが逆に、不気味だった。

 

「英雄ってのは、もっと……こう、祭り上げられてるもんだと思ってた」

 

 俺が呟くと、サクナヒメが横目で見る。

 

「祭り上げられておるのは外の者の都合じゃろ。本人がそう在りたいとは限らぬ」

 

「名声と実在は別物です」

 

 ココロワヒメが続ける。

 

「ここは“記録された英雄”ではなく、“まだ終わっていない魂”が定着している場、と見るべきでしょう」

 

 まだ終わっていない。

 その言葉が妙に引っかかった。

 

 村の中央へ出た時だった。

 空が、ほんの少しだけ翳る。

 

 雲じゃない。もっと鋭い、切り裂くような影だ。

 

 ココロワヒメが即座に顔を上げる。

 

「来ます」

 

 同時に、サクナヒメの顔つきも変わった。

 

「……嫌な連中じゃな。さっきの匂いと同じじゃ」

 

 俺も空を見上げる。

 逆光の中から降りてくる三つの影。黒い。だが、ただ黒いだけじゃない。装甲の線はどこか見覚えがある。ネクロムに似ている。似ているのに、決定的に違う。あれは生者を守るための形じゃない。もっと乾いていて、もっと“奪うこと”に慣れた姿だ。

 

「ネクロム……?」

 

 思わず口にすると、ココロワヒメがすぐに否定した。

 

「酷似しています。ですが別系統です。外見をなぞっているだけで、中身の理がまるで違います」

 

 空から降り立った三人は、村を見渡し、それから俺たちを認める。

 一人は赤みを帯びた重い気配。

 一人は青く、射抜くような視線。

 もう一人は黄の残光を引き、妙に軽い笑みを浮かべていた。

 

 村人たち――いや、英雄たちの間に、一瞬だけ緊張が走る。

 けれど彼らは騒がない。ただ、静かに子供たちを背へ下げ、互いの位置を取り始める。戦場を知っている者の動きだった。

 

 赤い影が、低く言った。

 

「ここにある眼魂、全て引き渡せ」

 

 青い影が続ける。

 

「選別は始まっている」

 

 黄の影は、肩をすくめて笑った。

 

「従えば壊さずに済むかもしれないぜ?」

 

 村の空気が、一気に冷える。

 

 俺は一歩前へ出る。

 その左右に、サクナヒメとココロワヒメが並んだ。

 

「やっぱり追ってきて正解だったな」

 

 サクナヒメが口の端を吊り上げる。

 

「当然じゃ。英雄を狩るなど、ろくでもない真似を許す理由がない」

 

 ココロワヒメは、目を細めたまま短く告げた。

 

「葉様、警戒を。見た目はネクロムに似ていますが、あれは“似せている”側です。扱いを誤れば危険です」

 

「分かってる」

 

 喉が乾く。

 けれど、不思議と足は止まらない。

 

 ここがどういう場所か、まだ全部は分かっていない。

 だが、ようやく一つだけはっきりしたことがある。

 

 この村は、守らなきゃいけない。

 

 黒い三人が、同時に構えを取る。

 その背後で、英雄たちの村が静かに息を潜めた。

 

 次の瞬間、世界はまた、戦いの色に塗り替わろうとしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。