潮の匂いに、鉄の焦げたような気配が混じった。
村の中央にいた偉人たちが、ほとんど同時に顔を上げる。子供を庇うように一歩前へ出る者、道具を置いて周囲を見る者、何も言わずに退路を作る者。英雄や偉人なんて呼ばれていても、こういう時の動きは妙に生々しい。名を残したかどうかじゃない。危険が来た時、何を守るかを知っている動きだった。
その空を、三つの黒い影が裂いた。
重い剣を背負った赤い影。銃口の冷たさをそのまま人の形にしたような青い影。軽く笑っているくせに、一番嫌な匂いをさせる黄色い影。どれもネクロムに似ていた。似ているのに、見間違えようがない。あれは守るための形じゃない。奪うために真似た形だ。
「眼魂を渡せ」
赤い奴が、まず言った。
次に青い奴が村を見渡し、何かを数えるように目を細める。最後に黄色い奴が、つまらなそうに首を傾けた。
「……いねぇな」
その一言が、妙に耳に残った。
「ダーウィンの反応がない。骨折り損かよ」
その瞬間、ココロワヒメの目つきが変わる。
「葉様、今の発言を。彼らの最優先目標はダーウィンです」
「じゃが、ここにおらぬなら、代わりに他の英雄を奪うつもりじゃな」
サクナヒメが低く吐き捨てる。俺も同じ結論に辿り着いていた。こいつらは手ぶらでは帰らない。ここにダーウィンがいないからこそ、他の英雄眼魂で埋め合わせる。
「おい、村の皆!」
叫ぶと、近くにいた髭の老人が短く頷いた。説明はいらない顔だった。
「下がれ。狙いはあんたらだ」
言い終わる前に、黄色い影が消える。速い。いや、消えたように見せてるだけだ。視線を上げるより先に、俺は右へ跳んだ。直後、さっきまで俺がいた場所の地面に、鋭い刃の光が突き立つ。
「ちっ……!」
「反応は良し、か」
黄色い奴――ダークネクロムYが、いつの間にかクレオパトラの背後に立っていた。手には細い刃。けれど狙っているのは首でも心臓でもない。その胸の前に、薄い円のような光を浮かばせている。あれは斬るためじゃない。圧縮するための手つきだ。
「やっぱり、眼魂化かよ」
「えぇ。魂の定着を剥がして、眼魂の形へ圧し込むつもりです」
ココロワヒメの声が鋭い。考えるより先に走った。だが、その進路へ赤い影が真正面から割って入る。ダークネクロムR。大剣が振り下ろされる。受けるしかない。
ガンガンタマフを横へ出す。ぶつかった瞬間、腕の骨まで痺れた。
「っ、重……!」
ただ重いだけじゃない。受けた側をその場に縫いつけるみたいな圧だった。そこへ青い奴――ダークネクロムBの銃撃が飛ぶ。俺ではなく、後ろへ退こうとした村人たちの足元にだ。
地面が弾ける。退路が、細く削られていく。
「通すな」
青い奴の声は、感情が抜け落ちていた。
「了解、囲う」
黄色い奴が笑い、クレオパトラへもう一歩踏み込む。
「させるか!」
怒鳴って押し返す。Rの剣を弾き、身体を無理やり横へ滑らせた。まだ届かない。けれど、その一瞬の隙に、サクナヒメが吠える。
「葉! 真ん中を止めるのではない! 一番深く入った奴を折れ!」
同時にココロワヒメが重ねる。
「敵の中心はYです! 回収役を落とせば、戦場の意味が崩れます!」
分かった。全部を止めようとするな。まず、奪う手を断つ。
俺は足を止めた。止めると言っても、一瞬だけだ。息を吸う。周囲の空気が変わる。村そのものの呼吸が、俺の皮膚に触れる。
「繋ぐぞ、ココロワヒメ!」
「はい。位相、接続」
「サクナヒメ!」
「うむ。蹴り破れ!」
胸の奥で二つの気配が噛み合う。俺の中だけじゃない。この場そのものにいる英雄たちの“まだここに在る”という力が、細い糸になって集まり始めた。目には見えない。けれど分かる。ここに立っている者たちは、ただの残り滓じゃない。まだ終わっていない魂だ。
黄色い奴の掌に浮かんだ円が、急に揺らぐ。
「……何だ?」
クレオパトラの輪郭がぶれ、眼魂へ圧縮されかけていた光が、逆に元の姿へ引き戻される。村と、魂と、今ここに在る形を、俺が一瞬だけ結び直した。
「奪わせねぇよ」
その言葉と同時に踏み込んだ。
黄色い奴が後ろへ跳ぶ。遅い。さっきまでなら間に合っていたんだろう。だが今は違う。村の魂の位相を一時的に固定したことで、こいつの“回収のための速度”だけが狂っている。
ガンガンタマフを振るう。細い刃が受けに来る。軽い。軽いくせに、角度だけは嫌らしい。弾かれる前に、俺は柄を返して殴りつけた。仮面の横を掠め、黄色い体がよろける。
「R!」
助けを求める声。だが、赤い奴は動けない。間へ、サクナヒメの熱を乗せた俺が割って入っているからだ。
「行かせるか!」
赤い大剣が落ちる。受けない。半歩ずらす。刃の通り道を外れた瞬間、青の銃撃がまた飛ぶ。だが今度はココロワヒメが先に読む。
「左、低く」
地を滑るように沈む。光弾が頭上を抜け、そのまま黄色い奴の退路側の岩を砕いた。敵同士で逃げ道を潰した形になる。
「っ、鬱陶しい!」
黄色い奴が苛立ちを隠さず、腕から鎖状の武器を展開した。俺へ巻きつけるつもりだ。迎え撃つ。鎖が来るより先に、俺の足が懐へ入る。
「英雄を物みたいに扱うな!」
腹の底から声が出た。
蹴りを叩き込む。黄色い装甲がきしむ。だが浅い。まだだ。
その瞬間、クレオパトラの背後から、透き通るような声がした。
「なら、こちらも逃げてはなりませんね」
振り向くと、彼女が一歩だけ前へ出ていた。完璧な戦闘姿勢じゃない。けれど、ただ奪われる側の目ではなかった。それで十分だった。俺は勢いを殺さず、そのままタマフを逆手に持ち替える。
「ココロワヒメ、今!」
「はい。回収回路、逆接続します」
世界が一瞬だけ白くなる。
黄色い奴の掌から伸びていた“眼魂へ圧縮するための線”が、俺の周囲で向きを変えた。奪うための力が、奪われる側の魂に弾かれ、逆流する。
「何を……した……!」
「お前が伸ばした手を、そのまま返しただけだ!」
叫びながら、最後の一撃を振り抜く。ガンガンタマフの刃が、黄色い奴の胸の中心を斜めに裂いた。逆流した回収の光が装甲の内側で暴れ、仮面に走るひびが一気に広がる。
黄色いダークネクロムは、そこで初めて本当に悲鳴を上げた。
次の瞬間、弾けた。
黒と黄の破片が風に散り、その中心にいたはずの個体は、光の粒を残して消える。
「Y……!」
赤い奴の声に、初めて怒りが混じった。
青い奴も銃口を向けたまま、ほんのわずかに間を置く。そこへココロワヒメが冷たく告げた。
「回収効率はもう維持できません。続けても、得るものより損失の方が大きいはずです」
青い奴の視線が揺れる。見抜かれた、とでも思ったのかもしれない。赤い奴は大剣を握り直したが、村の英雄たちももう下がってはいなかった。髭の老人が杖を前へ出し、音楽家たちは逃げ遅れた子らを背へ庇いながらも、ただ守られるだけの顔をしていない。
赤い奴が舌打ちする。
「……ダーウィン不在。回収一体喪失。撤退だ」
青い奴がすぐに応じた。
「次は本命を狙う」
残った二人の足元に暗い紋様が広がる。追うべきか、一瞬だけ迷う。だがココロワヒメが先に止めた。
「葉様、深追いは危険です。今は村の安定化が先です」
サクナヒメも短く言う。
「逃がすのは癪じゃが、今は守り切った方を取れ」
俺は歯を噛んで、足を止めた。
赤と青の影が消える。
残ったのは、荒れた村の中央と、まだ消えきらない緊張だけだった。
しばらく誰も動かなかった。
やがてクレオパトラが静かに息を吐き、俺へ頭を下げる。
「助かりました」
「礼はいい。……それより、ダーウィンってのはどこにいる」
そう聞いた瞬間、村の空気がまた一段深くなる。
さっきまでの戦いとは別の重さだった。
ココロワヒメが、俺の横で静かに呟く。
「やはり、次はそこですね」
サクナヒメは拳を握る。
「ならば今度こそ、逃がさぬぞ」
俺も同じだった。
一体は倒した。村も守った。だが、本命はまだ別の場所にいる。こいつらは、そこへまた来る。
「来るなら迎え撃つ」
言いながら、俺は散った光の跡を睨んだ。
今度は追うだけじゃない。先に待って、叩き潰す。
村に戻り始めた風は、さっきよりも少しだけ冷たかった。