塔は、近づけば近づくほど建物には見えなくなった。
海を見下ろす高台に、黒い柱のように立っている。石でできているはずなのに、壁面には眼魂を思わせる模様が脈のように走り、上空では薄い光が渦を巻いていた。風はある。波の音も聞こえる。けれど塔の周囲だけ、音が内側へ吸われていくように鈍かった。
「……あれが、アルゴスの塔か」
俺が呟くと、前を歩いていた深海大悟が足を止めた。
「ああ。奴が眼魂を集めるために使っていた場所だ」
声は低かった。
懐かしさではない。嫌悪だけでもない。自分が知っている過去の一部が、まだそこに残っていることへの重さがあった。
ココロワヒメが塔を見上げる。
「建築物というより、魂を集め、循環させるための巨大な器に近いですね。内部に入れば、外よりさらに位相が歪んでいるはずです」
「見ておるだけで飯がまずくなりそうじゃ」
サクナヒメは露骨に顔をしかめた。
「英雄を集めるだの、魂を材料にするだの、つくづく気に食わぬ塔じゃ」
ヒヌカヒメは、胸元で手を握っていた。
怖がっているというより、何かの声を聞こうとしている顔だった。
「精霊たちが、近づきたがりません。あそこは……たくさんの声が混ざって、苦しそうです」
その言葉に、ダーウィンが静かに目を細めた。
「集められたものが、必ずしも良き変化へ至るとは限らない。閉じ込められた進化は、時に退化よりも危うい」
重い言葉だった。
返事を探す前に、塔の入口が低く唸った。
壁面の模様が光る。
次の瞬間、扉の隙間から黒い影が滲み出した。
「来るぞ!」
俺はガンガンタマフを構える。
現れたのは眼魔だった。一体、二体、三体。数を数える間にも増えていく。塔が吐き出している、としか言えない出方だった。
「門番にしては数が多いのう!」
サクナヒメの声と同時に、俺は前へ出た。
眼魔の刃を受け、横へ弾き、踏み込んで蹴り飛ばす。後ろではヒヌカヒメが精霊の灯火を足元に作り、ダーウィンの退路を示していた。
「葉さん、右から来ます!」
「分かった!」
右から伸びた槍をガンガンタマフで払う。
だが、倒しても倒しても数が減らない。むしろ、塔の奥から新しい影が押し寄せてくる。敵一体の強さはダークネクロムほどではない。けれど、時間を奪うには十分だった。
ココロワヒメが入口の紋様へ手をかざす。
「入口の位相が閉じています。開くには少し時間が必要です」
「なら、俺がまとめて止める!」
「駄目だ」
大悟の声が、俺の言葉を断ち切った。
振り返ると、彼はもうゴーストドライバーを構えていた。
「お前がここに残れば、塔へ登る者がいなくなる」
「でも、大悟さん一人でこの数は……!」
ヒヌカヒメの声が揺れる。
大悟は少しだけ笑った。
穏やかではない。覚悟を決めた者が、心配する相手を安心させるために作る笑みだった。
「一人ではない。俺には、守るべきものがある」
その言葉と共に、眼魂を装填する。
「変身」
『カイガン!スペクター!レディゴー!覚悟!ド・キ・ド・キ!ゴースト!』
光が大悟を包み、ゼロスペクターが塔の前へ立つ。
疲労は隠しきれていない。
さっきまでダークネクロムRと正面から打ち合っていた。負担がないはずがない。それでも、背中は崩れなかった。むしろ、ここで退くことだけは最初から選択肢にないと分かる背中だった。
眼魔の群れが押し寄せる。
ゼロスペクターは一歩前へ出て、その先頭を叩き伏せた。さらに横から迫る敵を、残像を散らすような動きで攪乱し、まとめて引きつける。
「ここは俺が止める」
「無茶だ!」
思わず叫んでいた。
「さっきの戦いで、もう相当――」
「無茶なら、昔からしてきた」
ゼロスペクターは振り返らない。
「お前たちは塔を登れ。ダーウィンを守り、アルゴスの企みを止める。それが今やるべきことだ」
言葉は分かる。
正しいことも分かる。けれど、正しいからといって簡単に頷けるわけじゃない。
ヒヌカヒメも拳を握っていた。
「でも……」
「進め」
大悟の声が、今度は少しだけ柔らかくなる。
「守られるだけではないと決めたなら、今度はお前たちが先へ行く番だ」
ヒヌカヒメの目が揺れた。
けれど、下は向かなかった。
「……はい」
ココロワヒメが入口の方で声を上げる。
「入口、開きます!」
同時に、ヒヌカヒメの足元から淡い灯火が塔の内側へ伸びた。
「精霊たちが、内側への道を示してくれています!」
扉が重く開く。
奥は暗い。けれど、その闇の中へ細い光が続いている。行ける。今なら。
「葉!」
サクナヒメが鋭く呼ぶ。
「あやつの覚悟を無駄にするでない」
分かってる。
分かっているのに、足が一瞬だけ止まる。
ゼロスペクターが眼魔の攻撃を受け止める。火花が散る。だが、倒れない。
その背中が、もう一度叫んだ。
「振り返るな!」
俺は歯を噛んだ。
「……必ず戻る!」
「戻るなら、勝って戻れ」
短い返事だった。
それだけで、胸の奥が熱くなる。
ダーウィンが静かに言う。
「進む者がいなければ、進化は止まる。ならば、今は進むべき時だ」
「行きます、葉さん」
ヒヌカヒメが俺の隣へ立つ。
怖さは残っている。けれど、その目は塔の奥を見ていた。
俺は頷き、塔の入口へ走った。
サクナヒメ、ココロワヒメ、ヒヌカヒメ、ダーウィンが続く。扉の向こうへ入る直前、どうしても一度だけ振り返った。
ゼロスペクターは、眼魔の群れを前に一歩も退いていなかった。
疲労しているはずなのに、背中は真っ直ぐだった。
扉が閉じ始める。
最後に見えたのは、ゼロスペクターがゆっくりと構え直す姿だった。
「来い」
その声だけが、閉じる扉の隙間から届く。
「ここから先へは行かせん」
重い音を立てて、扉が閉じた。
外の戦いの音が遠ざかる。
塔の中は冷たい。けれど、ヒヌカヒメの灯火だけが細く続いている。
俺は拳を握った。
大悟さんが開けてくれた時間だ。
無駄にするわけにはいかない。
「登るぞ」
俺の声に、皆が頷いた。
塔の奥から、何かが待っている気配がした。