塔の屋上へ出た瞬間、風の音が消えた。
海は見える。空もある。けれど、ここだけが外の世界から切り抜かれたみたいに冷えていた。床には眼魂を思わせる円形の紋様が刻まれ、中央の祭壇めいた装置から、薄い光がゆっくりと空へ昇っている。綺麗だとは思えなかった。あれは祈りじゃない。集められた魂を、ひとつの形へ押し込めるための光だ。
「……ここが、核か」
俺が呟くと、ココロワヒメが静かに頷いた。
「はい。塔全体の反応が、この場所へ収束しています。おそらく、ここで究極の眼魂を完成させるつもりでしょう」
ヒヌカヒメは胸元に手を当てていた。
顔色が少し悪い。
「精霊たちが、震えています。声が多すぎるのに……全部、同じ場所へ押し込められているみたいです」
「胸糞悪いのう」
サクナヒメが低く吐き捨てる。
「魂を蔵の米みたいに積み上げおって。米なら食えるが、これは食えぬ。見ているだけで腹が立つ」
その時、祭壇の向こうから声がした。
「よくここまで来た」
黒衣の男が、そこに立っていた。
静かな男だった。怒っているようには見えない。焦ってもいない。ただ、自分が正しい場所に立っていると疑っていない目をしていた。俺は、その冷たさに覚えがあった。アデルとも違う。けれど、相手の意思を置き去りにして、自分の理屈だけで世界を塗り替えようとする目だ。
「お前がアルゴスか」
「そうだ」
アルゴスは、淡々と答えた。
「眼魔の世界の大帝アドニスが子。そして、この島の行く末を定める者だ」
「ずいぶん偉そうじゃな」
サクナヒメが睨む。
アルゴスは、そちらへ目だけを向けた。
「事実を述べたまでだ」
その言い方が、余計に腹立たしい。
俺は一歩前へ出た。
「何が目的だ。英雄眼魂を集めて、何をするつもりだ」
「究極の眼魂を完成させる」
迷いのない答えだった。
「肉体とは不完全な器だ。飢え、眠り、傷つき、老い、やがて死ぬ」
「それの何が悪い」
サクナヒメの声が、鋭く割り込む。
「腹が減るから飯が美味い。疲れるから眠りが深い。土を耕し、米を育て、口へ運ぶ。それを弱さと呼ぶなら、おぬしは生きることを何も分かっておらぬ」
「その営みこそ、弱さだ」
アルゴスは揺れない。
「ゴーストとなれば、肉体に縛られない。飢えも眠りも死もない。永遠に存在し続けることができる」
ヒヌカヒメが、かすかに首を振った。
「でも、それは……生きているって言えるんですか」
「生と死の区別に縛られているから、その問いが生まれる」
言葉だけなら、筋は通っているように聞こえる。
でも、そこに温度がない。誰かが笑うことも、泣くことも、黙って手を握ることも、全部切り捨てた後に残る理屈だった。
「違う」
俺の声は、思っていたより低かった。
「お前は救おうとしてるんじゃない。みんなを、自分と同じ場所へ引きずり込もうとしているだけだ」
「同じ場所ではない。上位の存在へ導くのだ」
「導くって言葉で、奪うことを誤魔化すな」
ココロワヒメが、静かに前へ出る。
「苦しみを消すために器を捨てる。確かに一見、合理的に見えます。ですが、それは苦しむ主体そのものを変質させているにすぎません」
「苦しみを残す必要がどこにある」
「苦しみだけを切り取ることはできません。喜びも、学びも、関係も、同じ器の中にあります」
ヒヌカヒメも、震える声で続けた。
「精霊たちは、みんな違う声で話します。火も、波も、木も、風も、同じじゃありません。全部を一つにするなんて……それは、声を消すことです」
アルゴスの目が、少しだけ細くなる。
「声が多すぎるから、世界は乱れる」
「声が違うから、繋がる意味があるんだ」
俺は、ドライバーへ手をかけた。
アルゴスの視線が、俺の腰へ落ちる。
「神の眼魂か。英雄とは異なる系統の力を持ちながら、魂を繋ぐ」
「だったら何だ」
「危険だ。お前の力は、私の世界に不要な個別性を残す」
「個別性って言葉で、人の想いを邪魔者扱いするな」
アルゴスは、そこで初めて少し笑った。
冷たい笑みだった。
「ならば見せてやろう。肉体を越えた魂の力を」
その手に、黒い眼魂が現れる。
空気が沈んだ。塔の紋様が脈打ち、屋上の光が一斉にアルゴスへ集まる。
「変身」
『カイガン!ダークライダー!闇の力!悪いやつら!』
黒いパーカーゴーストがアルゴスへ重なる。
白と黒の装甲。雷を帯びた影。タケルのゴーストに似ているのに、そこには命の明るさがない。死者の静けさだけが、歪んだ完成として立っていた。
ダークゴースト。
俺はヒヌカヒメ眼魂を握る。
足元で、淡い灯火が揺れた。怖がっているのか。それでも、消えてはいない。
「見せてやるよ」
俺は眼魂を装填する。
「魂は奪うものじゃなく、繋ぐものだってことを」
『カイガン!ヒヌカヒメ!スピリット!リンク!巡る灯火!導け精霊!』
緋色と橙の光が身体を包む。
塔の冷たい床に、精霊の灯火が細く走った。ここにも道はある。どれだけ閉じ込められていても、まだ消えていない声がある。
サクナヒメが叫ぶ。
「叩き潰すぞ、葉!」
ココロワヒメが低く告げる。
「敵は高速戦闘を得意とします。油断は禁物です」
ヒヌカヒメは、俺の背中へ声を送る。
「精霊たちが怯えています。でも……道は、まだあります」
「ああ」
俺はガンガンタマフを構えた。
「なら、進む」
ダークゴーストが一歩踏み出す。
足元に雷が走る。
「その道ごと、消してやろう」
「消せるもんなら、やってみろ」
次の瞬間、俺たちは同時に地を蹴った。
雷と灯火が、塔の屋上でぶつかった。