床を走った三角の光が、塔の屋上を切り分けた。
蒼い解析線の上へ、さらに鋭い辺が重なる。一つ、二つではない。三つの頂点が脈を打ち、その度に空気の張りが変わる。息を吸っただけで、喉の奥が少し痛んだ。見えない刃が、もうこの場に引かれている。
「では、次は閉じた理を見せよう」
アルゴスが静かに眼魂を掲げる。
『カイガン! ピタゴラス! 三角の定理!俺の言う通り!』
黒いパーカーが揺れ、その輪郭が少しずつ変わる。形そのものはダークゴーストのままだ。けれど、そこにまとわりつく気配が違った。雷の荒々しさが引き、代わりに、冷たい定規の先みたいな鋭さが場を支配していく。黒い装甲の向こうで、アルゴスの視線だけが、妙に真っ直ぐだった。
「葉様、来ます」
ココロワヒメの声が落ちる。
次の瞬間、三つの頂点から光が走った。真正面から来たのは一本だけだ。だが、その一本が途中で鋭角に折れた。さらに折れた。目で追った時には、もう脇腹を狙う線へ変わっている。
「っ!」
俺は身体をひねってかわす。すぐ横を光が裂いた。避け切ったと思った矢先、別の一本が床で跳ねるように角度を変え、足元へ潜り込んでくる。飛ぶ。着地しようとした先に、また別の三角光線がある。こっちの動きを読んでいるんじゃない。逃げ場そのものを図形で囲ってくる。
「面倒なやり方じゃのう!」
サクナヒメが苛立った声を上げる。
「理で閉じ込める気です。普通に避け続けるだけでは、じきに追い詰められます」
ココロワヒメが続けた。声は落ち着いているが、硬い。
俺は屋上の端近くまで滑る。床に刻まれた三角形の光が、足の動きに合わせてじわりと位置を変える。こちらが踏む先、跳ぶ先、受ける角度。全部、辺の内側に戻される感覚があった。
「逃げても同じだ」
アルゴスの声が、やけに近く聞こえた。
「お前の道も、この理の内に収まる」
「だったら、その理ごと壊す!」
言い返した瞬間、ダークゴーストが踏み込んできた。ガンガンセイバーが振り下ろされる。受ける。火花が散る。そこへ三角光線が二本、剣戟の隙間を縫って差し込まれた。無理に身体をずらし、片方だけかわす。もう片方が肩をかすめ、装甲が熱を持った。
痛い。けれど、止まるほどじゃない。
「葉様、今のままでは消耗します!」
「分かってる!」
言いながら、俺はドライバーへ手をかけた。
ここで欲しいのは速さじゃない。閉じた理の外へ出る足でもない。必要なのは、あの理屈そのものへ別の理屈をぶつける力だ。
「ココロワヒメ、頼む!」
「はい」
短い返事。迷いがない。
眼魂を装填する。
『カイガン!ココロワヒメ!発明は希望!創造は奇跡!』
蒼い光が身体を包んだ。背中に歯車のような装飾が広がり、視界の端に細かな術式線が浮かぶ。空気の密度。床のきしみ。三角形の光陣を走るエネルギーの偏り。さっきまではただ厄介だったものが、今は構造として見えた。
「なるほど」
アルゴスが低く呟く。
「また理で対抗するか」
「理を押しつけるだけが、理屈じゃない」
俺はガンガンタマフを握り直し、床へ切っ先を触れさせる。蒼い線が、そこから放射状に走った。三角の頂点へ触れるたび、線が軋む。強い。けれど、完全じゃない。頂点に負荷が集まっている。流れを少し狂わせれば、辺の形も歪む。
「葉様、右の頂点が最も不安定です。ただし、接近すると反対側の頂点から折り返し光線が来ます」
「だったら――」
俺は視線を上げた。
屋上の端には崩れた石材がある。塔の装飾が割れ、転がっている。柱の破片もある。ここは戦場だ。同時に、材料の山でもある。
「作るぞ、ココロワヒメ」
「えぇ。参ります」
ガンガンタマフを振るう。蒼い光が石材へ走り、砕けた破片が浮き上がる。柱の欠片、床石、金属片。ばらばらだったものが、術式で繋がり、組み変わっていく。腕が生え、脚が整い、胸部に蒼い核が灯る。一つ、二つ、三つ、小型の機械兵士が、俺の左右に並んだ。
「ほう」
アルゴスの声に、わずかに興味が混じった。
「その程度の数で、理を崩せると?」
「その程度かどうか、試してみろ!」
俺が腕を振ると、機械兵士たちが一斉に駆け出した。
三角光線が迎え撃つ。一体の肩が吹き飛ぶ。別の一体は脚を貫かれ、床を滑る。だが、それでいい。目的は突破じゃない。頂点に負荷をかけることだ。機械兵士が辺へ触れ、折れ曲がる光線の軌道を乱し、別の一体がさらに踏み込む。
「小賢しい」
アルゴスがガンガンセイバーを振るう。機械兵士が斬り飛ばされる。けれど、一つ壊される度に、別の一つが別角度から迫る。数で押す。単純だが、今はそれが効く。閉じた理は、乱されるのが嫌いだ。
「今です、葉様。右頂点、歪みます!」
ココロワヒメの声に合わせ、俺も踏み込んだ。
ダークゴーストの目の前で、機械兵士が二体、両側から組みつく。振り払われる。そこへ残った一体が足元へ滑り込み、床の光陣へ杭のように腕を突き立てた。三角の一角が、がくりと揺れる。
「っ」
アルゴスの動きが、ほんのわずかに止まった。
その隙に、俺は距離を詰める。ガンガンタマフを振るい、ダークゴーストの胸元へ蒼い火花を散らせた。浅い。だが、確かに入った。アルゴスは後ろへ跳ぶ。三角の辺が一度ほどけ、すぐにまた組み上がる。
「数で乱し、起点を作る。悪くない」
「評価なんかいらない」
「だが、まだ足りない」
言葉と同時に、ダークゴーストの周囲で三つの光点が強く脈打った。屋上に残った機械兵士たちの輪郭が、その光に照らされる。嫌な予感が走る。
「葉様、来ます!」
ココロワヒメが叫ぶ。
アルゴスがガンガンセイバーを掲げた。
『ダイカイガン!ピタゴラス!オメガドライブ!』
三角の光が、一斉に収束した。一本じゃない。何本もの光線が鋭角に折れ、辺を渡り、頂点から頂点へ飛ぶ。その全部が、最後には一点へ集まる。避け道を計算して潰しながら、最後に本命だけが真っ直ぐこちらへ来る攻撃だ。
「葉様!」
「分かってる!」
俺は残った機械兵士へ手を伸ばす。
「全部、寄越せ!」
壊れかけた機械兵士たちが、蒼い線で引かれるように中央へ集まる。腕が砲身へ変わり、脚が土台へ沈み、胸の核が一つへ重なっていく。石と金属の軋む音が、屋上でひどく大きく響いた。次の瞬間、俺の前には巨大な砲が立っていた。即席で粗い。だが、足りる。
「撃ち抜く!」
ガンガンタマフを砲身へ突き立てる。
『ダイカイガン!ココロワヒメ!オメガドライブ!』
蒼い砲口が開く。
光が唸る。
次の瞬間、こちらの光線が撃ち出された。
三角に折れる黒い光と、一直線に貫く蒼い閃光。
空中でぶつかった。最初は拮抗した。けれど、ピタゴラス魂の光は曲がる。折れる。蒼い砲撃の側面へ回り込もうとする。対して、こちらは機械兵士たちを束ねた質量ごと押し込む光だ。砲身が軋む。土台が割れる。蒼と黒がこすれ合い、火花のような粒が雨みたいに散った。
押し切れない。
向こうも崩せない。
「……なるほど」
アルゴスが低く言った。
次の瞬間、互いにほぼ同時に力を解いた。黒い光線がほどけ、こちらの砲も限界で砕ける。衝撃波だけが屋上を走り、俺は半歩、いや一歩後ろへ滑った。アルゴスもまた、同じだけ距離を取る。
静かになる。
いや、静かじゃない。砕けた石の転がる音と、焼けた空気の匂いが残っている。けれど、さっきまでの殺気が、一度だけ引いた。
俺は浅く息を吐く。肩が熱い。腕が痺れる。砲へ変えた機械兵士たちは、もう元の形にも戻れず、床へ崩れていた。
ダークゴーストが、こちらを見据える。
「創造の神気か」
その一言が、妙に耳へ残った。
「面白い」
「面白がってる余裕、あるのかよ」
「ある。だから次へ進める」
アルゴスの声は変わらない。
追い詰めた感触はない。だが、こちらの力を見せつけた感触はあった。嫌な手応えだ。勝っていないのに、見られた気がする。
ココロワヒメが小さく言う。
「葉様。今の一撃……塔の中央装置が、また反応しています」
「……やっぱりか」
サクナヒメが舌打ちする。
「気に食わぬのう。戦えば戦うほど、あやつの思い通りに近づいておる気がする」
俺はガンガンタマフを握り直した。
距離の向こうで、アルゴスもまた静かに立っている。次の眼魂へ手をかける気配が、もうある。