仮面ライダーシャーマン   作:ボルメテウスさん

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海の匂い

潮の匂いが、まだ届かない街路を歩いていた。ビルの隙間を抜ける風が、わずかに湿っている。遠くでカモメの声がした気がして、俺は足を止めかける。気配はない。ただ、胸の奥に引っかかるものだけが残った。

 

「……またじゃな」

 

頭の奥で、短く声が跳ねる。サクナヒメの声だ。苛立ちを隠そうともせず、言俺だけが先に飛び出す。

 

「さっきの奴ら、なんじゃあれ。魂の匂いが、すっぽり抜け落ちておる」

 

歩きながら、視線だけを周囲に流す。交差点を渡る人の波はいつも通り。だが、背中のどこかが落ち着かない。

 

「葉様。わたくしも同感です」

 

ココロワヒメの声は、少し遅れて届いた。抑えた調子で、言葉を選ぶように続ける。

 

「外見は個体差があるように見えて、戦術の組み立てが異様に均一です。撤退の判断も……あれは、意思というより演算に近い」

 

「演算、ね」

 

小さく呟き、信号が青に変わるのを待つ。横断歩道の白線が、やけにくっきり見えた。

 

「眼魔とも違う。あいつら、怒らないし……焦らない」

 

「腹が立たぬのか? 殴られても、仲間がやられても、顔色一つ変えぬ。気味が悪いぞ」

 

「……うん。だからこそ、かな」

 

青に変わり、人の流れに紛れて歩き出す。足音がアスファルトに吸い込まれていく。

 

「武器がさ、自分で動いてるみたいだった。持ってる奴より、そっちが本体みたいな……そんな感じ」

 

一瞬、内側が静かになった。サクナもココロワも、言俺を選んでいるのが分かる。

 

「葉様。それに加えて――計測されている感覚はありませんでしたか?」

 

「……あった」

 

肩越しに振り返る。誰もいない。けれど、背中を撫でる視線の残り香だけが消えない。

 

「見られてるっていうより、測られてる感じ。攻撃の間合いも、避け方も」

 

「ふん。面白くない連中じゃ。戦っておるのに、命の匂いがせぬとは」

 

サクナの声が、少しだけ低くなる。駄々っ子のような調子が消え、代わりに硬い芯が顔を出した。

 

「じゃあ、なおさら急がんとな」

 

ポケットの中で、眼魂が小さく揺れる。次の手掛かりは海。太陽の痕跡とは違う、もっと湿った気配が、微かに引っ張っていた。

 

「向こうにあるんだろ。……次の、神の痕跡」

 

「ええ。海辺に微弱な神格反応が検出されています。恵比寿系統に近い波形……かもしれません」

 

「恵比寿、か。魚の神じゃな。ならば、海で待っておるのは福か……それとも厄か」

 

風が強くなり、遠くで波の音が混じった気がした。俺は歩みを止めない。

 

「どっちでもいいさ。来るなら、ちゃんと見極める」

 

信号の向こう、空が少しだけ開ける。街の匂いに、塩気が混ざり始めていた。

潮の匂いが、街の角を曲がった途端に濃くなった。

コンクリートの隙間に砂が混じり、靴底が少しだけざらつく。遠くの波音はまだ薄いのに、耳の奥が先に濡れたような気がした。

 

「……海じゃ」

サクナの声が、少しだけ弾む。

 

「喜んでる?」

俺が笑い混じりに返す。

 

「喜んでなどおらぬ。広いところは、落ち着かぬだけじゃ」

言い切りながら、どこか機嫌がいい。声の輪郭が軽い。

 

浜へ降りる坂道の途中、視界が一気に開けた。

灰色の空の下、波は静かに寄せては返す。だが、その反復が妙に整いすぎていて、規則のように見える。泡の広がりが揃い、引く線も揃う。呼吸を真似ているみたいだ。

 

「葉様。……波紋が不自然です」

ココロワヒメの声が落ちた。

 

「分かる。綺麗すぎる」

言いながら、視線だけ水面に固定する。海っていうのはもっと、だらしなく乱れているはずだ。

 

砂浜の端、岩場に寄り添うように小さな祠があった。

木の鳥居は潮で白くなり、注連縄は細く、短い。けれど、手入れを放棄された感じはない。誰かが時々、来ている。足跡の浅いくぼみが、祠の前だけ残っていた。

 

「ここか」

俺が一歩近づく。

 

「祀りの残り香がします。新しくはありませんが……消えきってもいません」

ココロワの言俺は丁寧で、最後だけ少し硬い。

 

「福の神じゃろ。人が寄る場所じゃ」

サクナが小さく言った。

 

祠の前には、欠けた小皿と、乾いた榊。

その脇に、鯛の形の小さな飾りが落ちている。風で転がってきたのか、誰かが置き忘れたのか。手を伸ばしかけて、俺は止めた。祠の前で動くと、妙に音が響く。

 

「……静かだな」

俺が呟く。

 

「静かすぎる」

サクナが即座に返す。

 

言俺通りだった。カモメがいない。

波はあるのに、磯の匂いが薄い。海藻の湿った匂いが来ない。鼻が空振りする感じがして、喉が乾いた。

 

「葉様、潮溜まりを」

ココロワの声に促され、岩の陰へ回る。

 

小さな潮溜まり。

水面が、止まっていた。風が吹いても動かない。指先で触れると、遅れて波紋が広がった。しかも外へではなく、内へ吸い込まれるように縮む。

 

「……逆だ」

俺が指を引っ込める。

 

「気味が悪いのう。水が、水でなくなっておる」

サクナの声が低い。

 

祠の前へ戻る。

今度は耳が拾う。波音の間に、細い、硬い音が混じっている。金属を爪で弾くみたいな、乾いた鳴り。

 

「葉様。あれは……弦の音に似ています」

ココロワが一拍置いて言った。

 

「弓矢、か」

俺は祠を見上げる。鳥居の上、しめ縄の影が揺れる。その揺れ方だけが、波と逆のリズムを刻んでいた。

 

「また、あの連中か?」

サクナが噛みつくように言う。

 

「まだ分からない。でも――」

俺は砂を一握り掬い、落とす。さらさらと崩れる音が、祠の前だけ少し鈍い。地面が湿っているのに、濡れていない。

 

「ここ、何かいる。海じゃなくて、海の形を借りてる何か」

 

沈黙が落ちる。

波音だけが続く。なのに、耳が休まらない。

 

祠の前の小皿が、かすかに動いた。

風じゃない。揺れ方が一定だ。小さな振動が、下から伝わっている。

 

「葉様……近づきすぎないでください」

ココロワの声が、いつもより短い。

 

「分かってる」

俺は足を止め、呼吸を整える。

 

海面が、もう一度だけ“止まった”。

その止まり方が、合図みたいに見えた。

海面が、もう一度だけ“止まった”。

寄せる波が途中で形を失い、泡が白い線のまま固まる。音だけが遅れて届き、砂浜の粒が一斉に静まった。

 

「……来る」

俺が息を殺す。

 

祠の前の小皿が、かすかに浮いた。

持ち上がったのではない。水に押し上げられたみたいに、ふわりと離れて、そのまま宙で止まる。

 

次に起きたのは、潮溜まりの“逆流”だった。

岩陰の水が細い筋になって浜へ走り、砂の上を滑る。筋は一本ではない。三本、五本と増え、祠の前で渦を巻く。匂いが変わった。磯の匂いではない。雨上がりのアスファルトに近い、無機質な湿り気。

 

「水が……集まっておる」

サクナの声が硬い。

 

「葉様、退いてください。あの水、自然の流れではありません」

ココロワの声は落ち着いているのに、言俺が短い。

 

渦の中心が盛り上がる。

水色の塊が、人の形へ整っていく。砂を踏まない。足元は水面の薄い膜に触れるだけで、浮いているように見えた。

 

姿が完全に立ち上がった瞬間、俺は言俺を失いかける。

眼魔のような肉感がない。生き物の温度がない。

 

装甲は流線型で、肩から腕にかけては刃物のように滑らかだ。

体表は透明に近い水色の結晶質で、近づくと内部に“液体”が巡っているのが見えた。血管ではない。配管でもない。もっと均一で、一定の速度で循環している。腹部から胸部にかけて薄い発光ラインが走り、脈拍の代わりに光が明滅する。

 

顔は仮面状。目の位置に細いスリットが二本、淡い光を帯びているだけ。表情はない。

背中には水のリングが二重に浮かび、回転している。輪が回るたび、周囲の湿気が持ち上げられ、砂が少しだけ濡れた。

 

「……機械、か?」

俺の口から漏れたのは、疑問というより確認だった。

 

返事はない。

代わりに、リングが一拍止まり、次の瞬間、海面から細い水柱がいくつも立つ。水柱は刃に変わり、空中で矢の束のように並んだ。

 

「来おったぞ!」

サクナが叫ぶ。

 

俺は一歩引き、ガンガンタマフを構える。刃の縁で空気を切っただけで、湿った音がした。

水の矢が放たれる。真っ直ぐではない。途中で角度を変え、浜の起伏を読んでいるみたいに追ってくる。

 

「葉様、足元!」

ココロワの声。

 

跳ぶ。

着地した砂が、水に変わった。沈む。足首が冷たい膜に絡め取られる。笑えない冗談だ。動きを奪うのに、痛みも恐怖も与えない。無言で、淡々と。

 

「……っ、嫌なやり口だ」

俺はタマフを逆手に握り、砂をえぐるように足場を切る。膜が裂け、冷たさがほどけた。

 

水色の人型が、初めて首を傾けた。

観察している。測っている。さっき話していた“計測”の感覚が、喉の奥に刺さる。

 

「おい」

俺は構えを崩さずに声を張る。

「お前、何だ」

 

返答はすぐだった。間がない。呼吸がない。

 

「識別、完了」

 

声は平坦で、機械音声に近い。男とも女ともつかない。感情の揺れが一切ない。

水色のリングが回り、足元の水膜が広がる。

 

「当個体名称――ガンマイザー・リキッド」

 

名乗りは自己紹介ではなかった。

“情報の提示”だった。俺が聞いたから答えた、という温度すらない。

 

サクナが、低く唸る。

「……ほら見い。魂の匂いがせぬ。こんなもの、神の前に立たせるな」

 

「葉様。これは眼魔ではありません。分類を変えるべきです」

ココロワの声が、息を吸うように静かになる。

 

俺は目を細めた。

海面の止まり方が、さっきより広い。祠の前の水膜が、じわりと浜全体へ染み出していく。

 

「……分かった」

短く言い、タマフを構え直す。

「じゃあ、ここからは“測られる側”じゃない」

 

水色の人型が、指先をわずかに動かした。

海面が持ち上がり、矢の雨が形を成す。空気が冷える。砂浜が、戦場の輪郭を取り始める。

 

戦いは、ようやく名前を得た。

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