ふたりはプリキュア BraveHeart   作:おかーちゃんサーナイト

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第2話 戦いたくない私の、知らない世界

 

 夕暮れの茜色はとうにコンクリートの向こうに沈み、街がネオンの光をぼんやりと反射し始める頃、雨津アリサは古びたアパートの階段を無心で駆け上がっていた。

 

 昼間の練習と、それに続く非日常的な戦闘の疲れが、鉛のように体に纏わりついている。

 

「……ただいま」

 

 誰に言うでもなく呟き、鍵を回してドアを開ける。

 

 カチャリ、と乾いた音が響くだけの、静かな空間。

 

 蛍光灯のスイッチを入れると、殺風景な部屋が白々しく照らし出された。

 

 最低限のベッドと小さなローテーブル。

 

 重ねられた漫画雑誌と、コンビニ弁当の空容器が、この部屋の主の生活を無機質に物語っている。

 

 家族の温もりや、誰かが帰りを待っている気配は、どこにも感じられなかった。

 

 アリサは胸元のネクタイを緩め、汗で張り付くワイシャツを脱ぎ捨て、肩から下げていたスポーツバッグを床に放り出す。

 

 スカートのポケットを探り、あの戦いの源となった白い筐体のガラケーを取り出した。

 

 今日の出来事は夢じゃない。

 

 その無骨な手触りが、確かな現実としてアリサに告げていた。

 

「へへっ、ブレイヴ・パンチ、ね……」

 

 自分の拳を見つめ、ハテンナーを砕いた時の衝撃と高揚感を思い出す。

 

 あの力が、また使える。そう思った瞬間だった。

 

 手の中のガラケーが、ふいに淡い光を放ち始めた。

 

「うおっ!?」

 

 光の中から、ポンッ、と軽い音を立てて小さな影が飛び出す。

 

 橋の上で会った、あの奇妙な生き物だった。

 

「見つけたッピ!」

 

「わっ!?」

 

 目の前にいきなり現れたそれに、アリサの体は考えるより先に反応していた。

 

 咄嗟に振り抜いた手が、綺麗なカウンターとなって妖精をひっぱたく。

 

「ぶべらっ!?」

 

 情けない悲鳴を上げて、妖精は床の上を数回転がり、壁にぶつかってようやく止まった。

 

「い、いきなり何するッピ! ひどいッピ!」

 

 目を回しながらも抗議の声を上げる妖精に、アリサは悪びれもせず言い放った。

 

「うるせぇな! 急に目の前に現れるからだろ、バーカ!」

 

 そう言いつつも、アリサはローテーブルの前にどかりと胡坐をかき、床に転がったままの妖精を顎でしゃくった。

 

「で? てめぇ、一体何なんだよ。それと、あの化け物……あれは何だ」

 

「話を聞く気になったッピね……」

 

 妖精はふらふらと立ち上がると、アリサの目の前に飛び、小さな胸を張った。

 

「ボクは夢の国『ドリームティア』からやって来た、レイハだッピ! そして、あのハテンナーは、ボクたちの国を支配した邪悪な存在なんだッピ」

 

 レイハは悲しそうに耳を伏せ、言葉を続けた。

 

「ハテンナーは、人の夢や希望を喰らって力にする悪いヤツだッピ。ドリームティアはもうアイツのせいでめちゃくちゃ……。このままだと、この世界も同じことになっちまうッピ!」

 

 レイハの必死の訴えに、アリサは「ふぅん」と興味深そうに相槌を打つ。

 

「この世界も危ない、ね。で、それを倒せるのが、伝説の戦士プリキュアってワケか」

 

「その通りッピ! ハテンナーを倒せるのは、強い『ブレイヴ』の心を持つ君たち二人しかいないッピ!」

 

 「二人しかいない」。

 

 その言葉を聞いて、アリサの口元に好戦的な笑みが浮かんだ。

 

 自分だけが特別。

 

 その響きは、何よりも心地よかった。

 

「上等じゃねぇか! やってやるよ、そんなヤツら、アタシ一人で……」

 

「ダメだッピ!」

 

 勢い込むアリサの言葉を、レイハが鋭く遮った。

 

「プリキュアは、二人揃わないと変身できないッピ! キュアスルーズとキュアオルト、光と影の力が合わさって、初めて伝説の戦士になれるんだッピ!」

 

「二人、ねぇ……」

 

 アリサはそう呟くと、脳裏にもう一人のプリキュアの顔を思い浮かべた。

 

 図書室の窓際で、いつも静かに本を読んでいた少女。

 

 おどおどと自分を見上げ、戦いの後には青ざめて俯いていた、柊このか。

 

 アリサから見ても、彼女が、虫も殺せないような、暴力沙汰とはおよそ無縁な人生を送ってきたことは明らかだった。

 

 あんなヤツと、これからずっと一緒に戦う?

 

 正直、面倒くさいことこの上ない。

 

 だが、あの力が使えなくなるのはもっとごめんだ。

 

「……しゃーねぇな」

 

 アリサは小さく呟くと、決意を固めた。

 

「取り敢えず、事情は説明しとかねぇと、話が進まねぇか」

 

 彼女は手の中の白いガラケー──レイハが言うところの「ブレイヴフォン」を、カシャリと小気味良い音を立てて開いた。

 

 そして、ダイヤルボタンを押し、履歴に残っていた唯一の番号へと、発信ボタンを押すのだった。

 

 

±±±±±

 

 

「おかえりなさい、このか。ご飯、もうすぐできるわよ」

 

 玄関のドアを開けると、キッチンから母の温かい声と、味噌汁の香ばしい匂いがふわりと漂ってきた。

 

 いつもなら「ただいま」と返しながら、その匂いにお腹を鳴らすところだ。

 

 しかし、今日のこのかの口から漏れたのは、か細く、力のない返事だけだった。

 

「……うん」

 

 心配そうにこちらを窺う母の視線を感じながらも、それに答える余裕はない。

 

 逃げるように自分の部屋へ向かい、パタンとドアを閉めた。

 

 外界から遮断された静かな空間に、ようやく重い息を吐き出す。

 

 学生カバンをベッドに放り出し、制服の上着のポケットにそっと手を入れる。

 

 指先に触れたのは、硬くて、冷たい、無機質な感触。

 

 取り出したのは、今日の非日常の象徴である、武骨な黒いガラケーだった。

 

 そして、脳裏に蘇る。

 

 あの化け物を自分のこの手で殴った時の、あの感触が。

 

 このかはガラケーを机の上にそっと置くと、自分の右手をまじまじと見つめた。

 

 そして、その右手の拳を確かめるように、左手でゆっくりと撫でる。

 

 硬くて、でもどこか弾力があった手応え。

 

 自分の力が、他の何かを傷つける、その生々しい暴力の感触。

 

 物凄く、嫌な感じがした。

 

 物語の中で知っていたはずの「戦い」という言葉が、全く違う意味を持つ、おぞましい現実として体に刻み付けられた瞬間だった。

 

 初めての経験がもたらした強烈な忌避感に、このかは小さく身震いした。

 

 そんな感傷に浸っていた、その時だった。

 

 ピリリリリッ!

 

 静寂を切り裂いて、机の上のガラケーがけたたましい電子音と共に振動を始めた。

 

 ビクッと肩を震わせ、このかはそれを見つめる。

 

 手に入れたばかりの、誰の連絡先も知らないはずのこの携帯電話にかかってくる電話。

 

 心当たりは、たった一つしかなかった。

 

 震える指で、おそるおそる通話ボタンを押す。

 

『……よう』

 

 耳に当てたスピーカーから聞こえてきたのは、思った通りの人物の、ぶっきらぼうな声だった。

 

「……雨津、さん」

 

『アリサでいい。で、単刀直入に言うぞ』

 

 電話の向こうで、アリサは昼間に現れた妖精──レイハと名乗ったこと、彼が夢の国から来たこと、そしてハテンナーが人々の夢を奪い、この世界をも支配しようとしていることを、一方的に、だが要点だけを掻い摘んで説明した。

 

 荒唐無稽な、まさにおとぎ話のような内容。

 

 普通なら一笑に付すか、悪質ないたずらだと思うだろう。

 

 しかし、本の虫であるこのかは、数々の物語を通してファンタジーの世界に親しんでいた。

 

 何より、今日、実際に怪物を目の当たりにし、不思議な力で変身したのだ。

 

 その話は、意外なほどすんなりと心に落ちていった。

 

『……で、だ。あの変身は、てめぇとアタシ、二人が揃わねぇとできねぇらしい』

 

「……うん」

 

『見たところ、てめぇは暴力沙汰とか苦手そうだ。別にそれでも構わねぇよ。変身する時だけ、そこにいて手伝え。あとは全部アタシがやる』

 

「え……」

 

『じゃあな』

 

 言いたいことだけ言うと、通話は一方的に切られた。

 

 ツーツー、という無機質な音が、部屋の静寂を一層際立たせる。

 

 このかは、ガラケーを耳から離し、呆然とそれを見つめた。

 

(暴力を、振るわなくていい……?)

 

 アリサの言葉は、このかにとって救いだった。

 

 もう二度と、あの悍ましい感触を味わわなくて済む。

 

 その事実に、強張っていた体から力が抜け、安堵のため息が漏れた。

 

 だが、その安堵はすぐに、別の感情に塗り替えられていく。

 

(アリサさんが戦っている間、私はただ、見てるだけ……?)

 

 脳裏に、ハテンナーに向かって果敢に突進していくキュアスルーズの、あの白い背中が浮かぶ。

 

 彼女が一人で傷つき、苦しんでいるかもしれないのに、自分は安全な場所で見ているだけでいいのだろうか。

 

 それは、パートナーと呼べるのだろうか。

 

「……本当に、それでいいのかな」

 

 誰にともなく呟いた言葉が、静かな部屋にぽつりと落ちた。

 

 

±±±±±

 

 

 翌日の放課後、図書室はいつも通りの静寂に包まれていた。

 

 文化部連盟に文芸部として部室は割り当てられているものの、インクと古紙の匂いが満ち、無限の物語が眠るこの場所が、文化部の実質的な部室となっていた。

 

 いつもの窓際の席で、昨日から読み始めたミステリー小説の世界に没頭するこのか。

 

 活字の海を漂い、束の間、非日常的な出来事を忘れようとしていた、その時だった。

 

 不意に、すぐ近くで椅子を引く音がした。

 

 物語の世界から引き戻されたこのかが顔を上げると、そこに立っていたのは、雨津アリサだった。

 

「よう」

 

「あ……アリサ、さん」

 

 心臓が小さく跳ねる。

 

 彼女がここにいる、というだけで、図書室の空気が張り詰めたように感じられた。

 

 アリサは、机に片手をつくと、低い声で告げた。

 

「昨日のこと、忘れんなよ」

 

 その言葉が何を指しているか、このかはすぐに理解した。

 

 プリキュアとして戦うためには、二人が揃っていなければならない、という絶対条件のことだ。

 

 アリサの真剣な眼差しが、それを改めて突きつけてくる。

 

 暴力を振るうのは、確かに嫌だ。

 

 考えただけで、昨日のあの悍ましい感触が蘇り、吐き気がする。

 

 生まれてこの方、誰かを傷つけるようなこととは無縁に生きてきたのだ。

 

 でも、とこのかは思う。

 

 妖精のレイハの世界を支配したというハテンナーが、この世界にも現れた。

 

 それは、本の中で何度も読んだ「侵略戦争」を仕掛けられているのと同じことではないだろうか。

 

 ならば、戦う力を手にしてしまった自分が、何もしないでいていいはずがない。

 

 戦わなければならないのではないだろうか。

 

 相反する感情が胸の中で渦を巻き、このかは答えを出せずに俯いた。

 

 そんなこのかの葛藤を知ってか知らずか、アリサはふいと顔を背けると、近くの本棚へと向かった。

 

 そして、手に取ってきた数冊の漫画を抱えると、乱暴にドカリとこのかの隣の椅子に腰を下ろした。

 

 足を組み、行儀悪くページをめくり始める。

 

 静寂の支配する空間に、アリサという異物が混じり込んだような、奇妙な時間が流れる。

 

「……あの、バスケ部はいいの?」

 

 沈黙に耐えかねて、このかがおそるおそる尋ねる。アリサは漫画から目を離さずに答えた。

 

「あ? アタシは助っ人の幽霊部員だから、毎日顔出す必要はねーんだよ」

 

「そう、なんだ……」

 

「それに」

 

 アリサはページをめくる手を止め、ちらりとこのかを見た。

 

「アイツらがいつ現れるか分かんねぇのに、別々の場所にいるのは効率が良くねぇだろ」

 

 その、あまりにも合理的で、的確な理屈に、このかは思わず目を見開いた。

 

「……意外」

 

 ぽつりと、心の声が漏れてしまった。

 

 アリサが訝しげに眉をひそめる。

 

「あ? 何がだよ」

 

「あ、いや、その……」

 

 まずい、と思った時にはもう遅い。

 

 アリサの視線から逃れるように、このかは慌てて言葉を続けた。

 

「一目見た時から、その……不良みたいだったから、そこまで深く考えて行動してるなんて、思わなくて……」

 

「……お前、意外と毒舌だな」

 

 呆れたようなアリサの声に、このかは顔から火が出るほど羞恥を感じた。

 

「ご、ごめんなさい! 別にそんなつもりじゃ……!」

 

「別にいいけどよ。不良だからバカだって言いてぇんだろ?」

 

 アリサはフッと鼻で笑うと、再び漫画に視線を落とした。

 

「ま、実際アタシはバカだからな。否定はしねぇよ」

 

 その自虐的な物言いに、このかはかける言葉を見つけられなかった。

 

 ただ、今まで感じていた、刺々しくて怖いだけという印象が、少しだけ変わった気がした。

 

 なんとも奇妙な部活動の時間はあっという間に過ぎ、閉館を告げる音楽が流れる。

 

 結局、その日はハテンナーが現れることはなかった。

 

 自然な流れで、二人は並んで帰路につくことになった。

 

 気まずい沈黙が続くかと思いきや、商店街に差し掛かったところで、アリサが不意にこのかの腕を掴んだ。

 

「おっ、これ新作じゃん。見てこーぜ」

 

「え、あ、ちょっと……!」

 

 引きずられるようにして、アリサは雑貨屋のウィンドウを覗き込む。

 

 キラキラしたアクセサリーや、可愛らしいキャラクターグッズ。

 

 自分一人では決して立ち寄らないような店だった。

 

「こっちの服もいいな。お前、黒ばっかじゃなくて、たまにはこういう明るい色も着ろよ」

 

「え、えぇ!?」

 

 次から次へと、アリサは興味の向くままにこのかを引っ張り回す。

 

 その少し強引なところに、戸惑いながらも、このかは不思議と嫌な気はしなかった。

 

 むしろ、自分の知らない世界をためらいなく見せてくれるその姿に、自分にはない眩しい魅力を感じ始めていた。

 

 戦うことは怖い。

 

 でも、この人の隣にいることは、案外、悪くないのかもしれない。

 

 夕日に照らされたアリサの横顔を見ながら、このかの心に、昨日とは違う小さな光が灯り始めていた。

 

 

 

 

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